第2話 青年はいつもそこにいる

 物心ついた時から、少女には青年の姿が見えていた。

「ウミちゃん、どうしたの?」

「ううん、なんでもない。」

 しかし、その姿は父や母、周りの人には見えていなかった。少女が生まれてから、毎日両親は少女を海へと連れ出した。ひとしきり浜辺で遊んだ後、決まって何かを報告するかのように父は海に向かって何かを話していた。

 母はそんな父の姿を見ては冗談めいた笑みを浮かべていた。

「ウミは神様からの贈り物なんだよ。だからこうして、毎日海の神様に感謝をしているんだ。」

「かんしゃ?」

「ありがとうございます、ってお礼を言っているんだよ。」

「なんで?」

「ウミが無事にこの世に生まれてきてくれたからだよ。」

「ふーん。」

 父の話に飽きたのか、少女はぱしゃぱしゃと波を叩く。水滴が顔にかかったのか、ふるふると首を振る。そんなあどけない少女を見て、青年は少女の母を真似て目を細めた。

「ママみたいだね。」

「うん?」

「んー?なんでもないよ。」

 ばしゃばしゃと跳ねる波の音に、上機嫌な少女の声、大地のような父の笑い声に、太陽のような母の笑み。少女の何気ない日々の中で、青年はその色を増していった。


「ねえねえ、ナギちゃん。」

「なあに?ウミちゃん。」

「ナギちゃんも海いくよね?」

「海?たまに行くよ、あの海。」

「何か感じなかった?」

「何かって?」

「その、なんかエネルギー的なやつ。」

「えっ?なにそれ。」

「ううん、なんでもない。忘れて。」


 少女の友達にも、青年の姿は見えていなかった。どうして自分にしかみえていないのだろうか。いつしか少女は毎日海に通い、一人語りかけるようになった。母のような微笑みをみせるその青年が、いつか口を開いてくれることを夢見て。

 青年はいつも海の中心にいて、近くもなく遠くもない場所でウミを見つめている。時折腕を動かして波を操り、海が穏やかであるように動いているようにもみえた。瞬きはするものの、その口は開いたことがない。一度海に潜って青年の体全体を確認しようと試みたが、その体は海の色と同化してよくわからなかった。青年はいつも海と同じ色をして少女を見つめる。時に暗く、時に透き通るように明るく。

「ウミ、ごはんよー。」

「はーい。」

 さらさらとペンを走らせて静かに閉じる。誰にも言えないこの青年のことを書いた秘密のノートはこれで十冊目になった。毎日青年の記録をつけるようになって、わかったことは何一つとしてない。しかし少女には青年のことが気になって仕方がなかった。年を重ねるにつれ、図書館、博物館と調べる手掛かりは増えたものの青年の存在についての記述はどこにもなかった。

 時には、自分の頭がおかしいのではないかと父と母には内緒で隣町の病院に行ってみたもののその結果は異常なし。至って健康であった。

「海さん、今日はね…。」

 それでも少女は毎日海に通うことをやめなかった。いつしか少女は青年のことを海さんと呼び、秘密のノートも白紙が続くようになった。


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ウミと海の物語 深青藍 @seiran_hukami

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