第10話 弥生の糸

 宮崎駅からは福岡行きの高速バスフェニックス号が30分間隔で出発している。所要時間は4時間半程度なので、私はバス停の時刻表を確認し、早めの昼食を済ませて、12時のバスに乗ることにした。おっと忘れてはいけない。土産物売り場でマンゴーラングドシャを二つ購入した。バスに乗車すると、座席は思ったよりゆったりできた。これから4時間半のバスの旅である。バスは、宮崎自動車道から九州自動車道に入り福岡まで途中下車しながら走って行く。長い乗車時間で、備え付けのビデオをみたり、音楽を聞いたりしながら、時間をつぶさなければならない。いつの間にか私は眠りに落ちていた。


そこは龍の形をした船の上だった。船長と思しき厳つい男が「皆の者、追手からは逃れたぞ。碇を降ろせ。これからこの小戸の地を我らが住処とする。一から出直しだ。」そう言って、停泊中の船々から人々が上陸してきた。その中には、郁美と思われる女もいた。「私たちの故郷には帰れないの?」彼女は言った。「ここが第二の故郷だ。ここに都を作るのだ。倭奴は倭の守りの要だ。狗国との国境を固めて体制を立て直せ。」そう言って船長は皆を窘めた。


どのくらいの時間が経ったことだろう。窓から外を眺めると、バスは北熊本サービスエリアに停車していた。私はトイレ休憩に、バスを降りた。また、夢を見たのか。

バスがまもなく博多に着く頃、私は、大海に確認のラインメッセージを送った。程なく返事があり、「もう一人連れがいるからよろしく。」とのこと。「連れとは誰だろう、彼女かな?それとも?」私は、色々と思い浮かべてみたが、心当たりがないので、会ってからのお楽しみとばかり、考えるのを諦めて降車の準備を始めた。

博多駅はクリスマスのイルミネーションが煌めき、ファンタスティックな夕暮れを迎えていた。ビジネスホテルへは、歩いて数分で着いた。チェックインして部屋に入るとこじんまりとはしているが清潔な香りがする。取り急ぎ土産を手にホテルを出た。待ち合わせは、天神の福岡三越ライオン広場とのこと。博多駅から地下鉄に乗り、天神で下車する。少し歩くと、ライオン広場も飾り付けがされてクリスマス一色である。私は、ベンチに座ってスマホをいじりながらしばらく待った。

すると、「やあ、久しぶり。」

「おう、元気にしてたか?」

「紹介するよ、友達の穂乃香さん」

「初めまして、穂乃香です。いつも、大海さんにはお世話になっています。」よく見ると、夢に出てきた卑弥呼らしき「豊野花」にどことなく似ている。

「初めまして、大海の父親の光一と言います。こちらこそ、大海がお世話になっているようで、よろしくお願いしますね。これ、ささやかですが、宮崎の土産です、マンゴーラングドシャ、二人で食べてね。」

「ありがとうございます。おいしそう。宮崎にも行かれたんですね。」

「あいさつはこれくらいにして、早く店に行こうよ。」

「どこか、いい店知ってる?」

「寒いから、中洲でもつ鍋でもすすりながら一杯やるのはどうかな?」

「いいねえ。」私たちは、博多の屋台が並ぶ中洲方面に向かった。

中洲は那珂川と博多川に挟まれた中州に位置する地区で、日本でも有数の歓楽街である。那珂川沿いの遊歩道には沢山の屋台が立ち並んでいる。そう言えば、宮崎のシーガイアの近くにも同じ「那珂」という地名がある。

「この店どうかな。おいしそうだね。入ろう。」私たちは、ネットで探した一軒のもつ鍋屋に入った。

「まずは、みんなで乾杯!」私たちは生ビールを飲みながら、もつ鍋が煮えるのを待った。

「大海は大学の方は忙しいのかい?」

「今は、卒論でいっぱいいっぱいだよ。」

「そういえば、考古学を専攻しているんだよな?テーマはどんなのだい?」

「青銅器分布と鉄器普及の相関についてだよ。」

「面白そうだね。父さんも、最近、邪馬台国にはまっていてね。生目古墳群を見たくて宮崎に行ったんだ。」

「何かわかったの?」

「卑弥呼の墓と呼ばれている箸墓古墳は知ってるよね。その1/2の相似形と噂されている一号墳は、後円部が削り取られていたんだ。そして、不思議な体験をしたんだ。」私は、宮崎での出来事を掻い摘んで話をした。

鍋がグツグツと煮立ってきたので、私たちはみんなで鍋から取り分け、思い思いに味わっている。柔らかなもつとシャキシャキとした野菜の食感、旨味の効いたスープがお腹に沁み渡る。さらに、ビールをグビッと流し込む。

「なるほど、卑弥呼の邪馬台国は宮崎にあって、その墓が生目古墳群の一号墳で、殉葬者の怨念がその古墳を削り取ったってこと?」

「まあ、そういうことだ。」

「でも、箸墓古墳はどうなるの?それに、宮崎には古墳はあるけど、三種の神器と呼ばれるようなものは出土してなかったと思うけど。」

「箸墓古墳と生目一号墳はどちらかがレプリカじゃないかと思うんだ。天皇陵なんかは、古墳時代になって近畿地方に沢山作られたけど、例えば神武天皇など被葬者の時代はもっとずっと古いから、墓が複数あったって不思議じゃないだろう。それと、宮崎には青銅器などの出土品は少ないけど、それには理由があると思っている。」

「どんな理由?」

「父さんは、福岡と宮崎は繋がっていると思ってるんだ。福岡と宮崎には共通点があるんだ。中洲を流れる那珂川の「那珂」という地名は宮崎にもあるし、宮崎の小戸という地名も福岡にある、それに・・・。」私は、伊邪那岐神の国生みと小戸の阿波岐原の夢の話をした。「福岡から近畿方面に国生みの航海に出た伊邪那岐神は、争いになり、宮崎に逃れたのではないかと思っているんだ。だから、福岡には多くの遺跡と華やかな出土品があるが、宮崎からは見つかっておらず、古墳だけがあるということじゃないかな。」

大海はまだ、半信半疑で鍋をつついている。

「穂乃香さん、つまらない話ばかりでごめんね。穂乃香さんはどんなことやってるの?」

「つまらないことはないですよ。私も歴史には多少興味がありますから。私は、ケーキのお店で働いていて、できればパティシエになりたいなと思っているんです。」

「パティシエかいいなあ。父さんの好きなモンブラン作ってもらえるとうれしいな。」

「父さん、調子乗りすぎ。」

「そういえば、豊野花って子も夢に出てきてね。どことなく穂乃香さんに似てたかも。」

「穂乃香、父さんの夢なんかに勝手に出ちゃだめだよ。」

「違うわよ、お父さんの夢は豊野花さんでしょ。あれ、とよのかさん、それイチゴみたい。」

「なるほど、父さんはイチゴの夢をみたのかな?でも、その豊野花って子が卑弥呼の後を継いだ台与じゃないかと思うんだが、その子は、僕に『隠された歴史の扉を開くのよ』って言ったんだ。」

「卑弥呼と台与か、確かにどちらも、古事記や日本書紀には表だって登場してないもんね。歴史は隠されてるかも知れないな。」

「でも、魏志倭人伝と古事記にも接点があったんだよ。神話を記した古事記の上巻と天皇記を記した中巻が同じ時代の史実を並列に記しているようなんだ。それに従うと、卑弥呼は天照大御神で垂仁天皇ということになる。魏志倭人伝の邪馬台国の官の名前に「伊支馬」とあり、宮崎の生目古墳群の「生目」と同じで、垂仁天皇の「伊久米」とも合致する。そして、台与は海神の娘 豊玉毘賣命で神功皇后なんだ。神功皇后が仲哀天皇と住んでいたのは福岡市の香椎っていうところで、海神の本拠地も福岡近辺と聞いたことがあるから、海神の娘である豊玉毘賣命も福岡ということで一致する。天照大御神を祀る伊勢神宮の内宮と対をなす外宮の祭神の豊受大御神の『とよ』と、台与の『とよ』と、豊玉毘賣命の『とよ』は同じ『とよ』で一致する。」

「父さんも結構入れ込んでるね。でも、なかなか周りの人は信じちゃくれないんじゃないかな。」

「そうなんだ。夢でも歴史の扉を開けろって言われたけど、どうしたらいいかよくわからないんだ。もっと、信者を増やさないとなあ。」

「本でも書いてみたら?」

私はハッとして、郁美の言葉を思い出した。『私たちはスタートラインに立っているのよ。』そうなんだ、彼女たちと出会って体験したことや夢に見たことを、これから本に書き記して物語を書いてみてはどうだろうか。

「大海、いいアドバイスをありがとう。父さん本書いてみるよ。」

「じゃあ、福岡も、調べた方がいいね。僕のいる伊都キャンパス辺りは、伊都国にも比定されているし、平原遺跡など、貴重な遺跡が点在しているんだ。」

「実は、父さんも明日帰る前に、平原遺跡や吉野ヶ里遺跡辺りを見学しようかと思っていたんだ。」

「両方廻るのは時間的にきびしいんじゃない?」

「そうか、じゃあ、吉野ヶ里遺跡は今度ということにして、今回は平原遺跡を見学して帰るか。」

「平原遺跡ってどんな所?」

「あそこは、方形周溝墓の一号墓から、40面ほどの銅鏡や勾玉や太刀なんかが出土しているよ。銅鏡のうち5面は、卑弥呼が使っていたとされる八咫鏡と同じような超大型の内行花文鏡なんだ。そして、銅鏡は割られていたんだ。」

「卑弥呼と何か関係がありそうだね。そういえば、例の豊野花は、『私たちは糸で結ばれているのよ』って言ったんだ。『いと』とは糸島の糸であり、伊都国の伊都かもしれない。」

「もう一つ不思議なことがあるよ。その墓から東南に直径約70センチメートルくらいの縦穴があって、それが墓から見て東南の日向峠の方角に位置しているんだ。何か太陽信仰などに関係しているんじゃないかと言われているけど、はっきりしたことはわかっていないんだ。」

「そうか、平原遺跡にも何かの秘密が隠されていそうだね。面白くなってきたぞ。」


「穂乃香さん、今日はありがとうね。パティシエ楽しみにしてるよ。大海も卒論頑張ってな。」私は勘定を払うと、付き合ってくれた二人にお礼を言った。

「こちらこそ、ありがとうございます。ごちそうさまでした。今日は面白いお話をいっぱい聞けて楽しかったです。」

「親父も元気でな。本、楽しみにしてるよ。」

私は二人と別れて、博多駅方面のホテルに帰って行った。


その夜はぐっすり眠った。朝、目が覚めると、顔を洗ってすっきりしたところで、昨夜の帰り道に買ったサンドイッチとトマトジュース、それにコーヒーで朝食を食べた。平原遺跡のある糸島市へは、地下鉄がそのままJR筑肥線に乗り入れており、乗り換えなしで行くことができる。平原遺跡の出土品は、近くの伊都国歴史博物館に収蔵されているようなので、遺跡方面に行くコミュニティバスの運行表を見ると、まず、博物館を見てから、遺跡を訪ねるほうが効率がよさそうだ。つまり、博多から地下鉄に乗り、最寄の波多江駅で降り、そこからコミュニティバスに乗って、伊都国歴史博物館で降りる。

私は身支度して、チェックアウトすると、さっそく博多駅へ向かい、地下鉄に飛び乗った。電車は、35分くらいで、波多江駅に着いた。コミュニティバスは「はまぼう号」という小型のバスで、手軽な市民のバスになっているようだ。さっそく乗り込むと、10分ほどで博物館に着いた。

博物館は4階建ての立派な建物である。入館料210円を払い、中に入ると、3階の常設展示室に行き、例の銅鏡と対面した。割れたものをつなぎ合わせてあるが確かに大きい。これは、やはり卑弥呼、いやその後を受け継いだ台与の鏡に違いない。すると、平原遺跡は台与の墓なのか?そして、鏡はなぜ割られていたのか?

私は館内を一通り見て回り、博物館を後にした。ここから平原遺跡までは徒歩で30分くらいかかるようであるが、次のバスを待つのも時間がもったいないので、歩くことにした。途中に怡土小学校があった。この辺の地名は、「怡土」と呼ばれており、やはり、伊都国に比定される根拠となっているようである。

遺跡は、平原歴史公園として整備され、被葬者の鎮魂を目的としてコスモス園が併設されており、花の咲く秋には行楽客で賑わいそうだが、今は静かに眠っている。話のとおり、一号墓があり、そこから東南の日向峠の方角に大柱が建てられていたようだ。「そうか、日向峠は、その遠方の日向である宮崎をも指しているんじゃないだろうか?」私は、糸がつながるのを感じた。

そこから帰りのバスに乗り、博多に着いたのは、午後一時を回っていた。私は、お腹ペコペコでラーメン屋に入り、豚骨ラーメンに紅ショウガを沢山載せて汁まですくって食べた。空腹感を満たしてホッとした私は、預けていた荷物を取りにホテルに戻り、福岡空港に向かった。

出発の時刻までは、まだ1時間以上あったが、早めにチェックイン・手荷物検査を済ませて、おっと、忘れてはいけないとばかり、めんべいとビールとナッツを買い、搭乗口で一杯やりながら待った。

私は、まだ気になっていることがあった。伊都国から邪馬台国への行程は、「水行十日陸行一月」だが、やはり、糸島からは、水行だけで行くことになってしまうのである。関門海峡の流れが速いから、一旦船を降りて、歩くのであろうか?しかし、近畿地方へも航海していたはずだから、そんなことは考えにくい。

どうしても、有明海と筑後川に通じる吉野ヶ里遺跡が気になる。私は、スマホで、今回行けなかった吉野ヶ里遺跡の周りを、グーグルマップで「い・と」の付く地名がないかそれとなく探してみた。すると、遺跡のすぐ手前に、「伊保戸」という地名があるではないか。「保」を抜くと「伊戸」である。「保」の漢字の意味は保護などの守るという意味を持っており、倭国の検察機能を持っていた伊都国を表しているようにも思える。また、宮崎と福岡に共通する小戸に通じる「伊小戸」とも読める。やはり、吉野ヶ里遺跡は伊都国と関係あるのではないか。福岡で見つかった金印には「漢委奴国王」と刻まれているが、「委奴」は「倭の奴国」ではなく、「委奴国=倭奴国」で、その当時の倭国を「倭奴国(いとこく)」と呼んでいて、糸島市も神埼市もその範囲に入っていたということではないだろうか。そして、宮崎に中心が移り、倭国全体の検察役として吉野ヶ里が担うようになって伊都国と呼ばれたということではないだろうか。私は、卑弥呼(郁美)の宮崎と、台与(豊野花)の福岡と、それを守る伊都国(私?)の佐賀が赤い糸で結ばれて行くのを感じた。


搭乗ゲートを通り飛行機に乗り込むと、スマホを機内モードに切り替え、音楽を聴いた。中島みゆきの『糸』だ。温かく愛を紡ぐ歌声が流れる。私はいつの間にか眠りに就いていた。


パリーン。何かが割れる音。豊野花の哀しげな顔。


私は、目が覚めて、割れた銅鏡を思い出した。なぜ、銅鏡は割られなければならなかったのか?豊野花は、海神の娘である。活躍した彼女とは裏腹に海神の身に何かがあったのだろうか?海神はある時突然に安曇族として各地に散って行く。そのきっかけは、朝鮮半島での白村江の戦いでの大敗によると言われている。そのときの指揮を執ったのが、安曇族率いる水軍であったようだ。責任を取らされたということだろうか。いずれにしろ銅鏡は割られ、豊野花の存在は闇に葬られ、神功皇后としてのみ記録されたのである。郁美はどうか?彼女も事実と切り離され、天照大御神としてのみ崇められたのである。今回の一連の出来事は、闇に葬られた彼女たちの一人の女としての魂の叫びだったのかも知れない。

飛行機は、シートベルト着用のアナウンスがあり、間もなく着陸態勢に入り始めた。私は、シートベルトを締め直し、彼女たちの願いを叶えるために、何としても本を執筆しなければと自分自身を奮い立たせるのだった。

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