第9話 神話のふるさと

 私は、さっそく旅行の計画を立て始めた。福岡だけなら、新幹線という手もあるが、宮崎を廻るには、飛行機が断然便利である。調べていたら、どんどん夢が膨らんできた。宮崎には、例の生目古墳群や西都原古墳群に代表される九州有数の古墳があり、天岩戸隠れや禊ぎや天孫降臨など古事記の神話の伝承が息づく神話のふるさとである。そして、福岡ソフトバンクホークスや読売ジャイアンツ、広島東洋カープを始め多くの球団が冬季合宿のキャンプ地として利用するなど、トロピカルな雰囲気を漂わせる温暖な町なのである。


さらに調べていくと、昭和の頃には新婚旅行のメッカと持て囃され、川端康成 原作のNHK連続テレビ小説「たまゆら」がこの宮崎を舞台に放映されたようである。たまゆらとは、勾玉を二つ三つ糸に通して、静かに揺すると玉が触れ合って微かな音がする。その音をたまゆらと呼ぶのだそうだ。古のミステリアスな雰囲気が漂っている。これは決して新婚さんの物語ではなく、定年を迎えた初老の主人公が退職を機に旅行を思い立ち、古事記を片手に神話の町 宮崎を訪れるというものらしい。

遠からず定年を迎える私にとって、初冬のこの時期に行くにはうってつけの観光地だなとほくそ笑みながら、一方では経費削減の折、天岩戸隠れに纏わる高千穂町へは遠いので諦め、予算を切り詰めつつできるだけリッチな旅行をと、以下のように絞り込んだ。


初日は、まず、宮崎空港でレンタカーを借り、例の生目古墳群を見学し、伊邪那岐神に習って身を清めるために禊ぎをと、阿波岐原の江田神社とみそぎ池、それに元住吉と言われている創建2400年の住吉神社に参拝し、近くのシーガイア シェラトン・グランデ・オーシャンリゾートでトロピカルな風を感じながら宿泊、二日目は、九州最大の男狭穂塚や女狭穂塚のある西都原古墳群を見学して、宮崎駅でレンタカーを乗り捨て、高速バスで一路福岡へ向かい、大海と一杯やるというものである。シェラトンホテルも冬場なら結構リーズナブルに宿泊することができる。


 一日目

羽田発10時頃 宮崎着12時頃

  空港でレンタカー借りる

生目古墳群 江田神社 みそぎ池

  住吉神社 シーガイア宿泊


 二日目

西都原古墳群 レンタカー返す

  高速バス発12時半 福岡着17時頃 

ビジネスホテルチェックイン17時半頃

  大海と待ち合わせ18時


そして、三日目は、伊都国の謎を解くために福岡県糸島市の平原遺跡と、佐賀県神埼市の吉野ヶ里遺跡を訪れ、帰路に着くという二泊三日の計画である。


 三日目

平原遺跡 吉野ヶ里遺跡

  福岡空港発16時頃


旅行社に依頼して、チケットを受け取り、12月初旬に、私は羽田発の飛行機の中にいた。アナウンスでは、上空の気流も穏やかで、宮崎の天候も快晴とのことである。これから始まる気ままな旅も良好な滑り出しだ。

家を出るとき、美知と文江がお土産を無心した。「古墳の土産はいらないから、美味しいものにしてね。」

私は、古事記をカバンに詰めながら、「美味しいかどうかは神のみぞ知るなんてね。」などとうそぶいてみせた。

「じゃあ、買って来てほしい物リストをラインで送るからね。」美知がダメ押しの一言を浴びせかける。

私は、もう一度忘れ物チェックリストに目を通し、早々に家を出た。


これから着陸態勢に入る旨のアナウンス。フラップが下りてゴウゴウと音がしたら、まもなく宮崎の海岸線が見えてきた。

 宮崎ブーゲンビリア空港の到着ロビーを出ると、外はまぶしい陽光に包まれていた。レンタカー事務所に着くと、手続きをして、さっそく車を預かり、空港を後にした。続く椰子の木の街路樹がようこそ南国宮崎へと出迎えてくれているようだ。私は、旅先とはいえ贅沢は禁物とばかりに、適当なコンビニを見つけて、昼食を取ることにした。ささやかながら、焼き肉弁当とペットボトルのお茶と缶コーヒーを買って、一休み。ラジオからは、紀平梨花がグランプリファイナルで優勝したニュースが流れている。トリプルアクセルが際立つ、真央ちゃんの再来か。

 私は、食事の後、ひとときの休憩を挟んで、生目古墳群のある生目地区に向かった。大淀川を渡りしばらく行くと右手に埋蔵文化財センターの生目の杜遊古館が見えてきた。左手には、生目の杜運動公園が広がっている。

と、そのとき、急にハンドルを取られて、何とか路肩に寄せて停止した。パンクである。私は、運動公園の駐車場に車を停め、レンタカー会社に連絡した。パンク修理キットが入っているので、自分で修理しろとのこと。こっちは何も悪いことしてないぞと思いながら、渋々パンク修理に取り掛かった。グランドでは、親子連れが楽しそうにバドミントンなどのスポーツに興じている。慣れない作業のせいか、思い通りにいかない。何度も説明書を読み返しながら、何とか修理が完了したのは15時を回った頃だった。

私は、すぐに遊古館の駐車場まで車を走らせ、文化財を見学することにした。生目古墳群には全部で51基の古墳が点在し、その中でも1号墳と3号墳が際立って大きかった。1号墳は箸墓古墳の1/2の相似形という噂があると以前に聞いたことがある。パネルによる他の古墳との比較展示を見ながらその大きさを確認した。確かに箸墓古墳の半分くらいであることがわかる。そして、驚いたことに、1号墳は、後円部の一部が削り取られているのだ。どういうことだろう。

私は、土器や埴輪などの出土品も一通り見学して、遊古館の横の坂道を上り、古墳群を整備した史跡公園に出た。広々とした台地の上に古墳が点在している。日が暮れかかって夕日が古墳を照らし、もの悲しい気分になった。私は、1号墳と思しき方向に一礼し、その場を立ち去った。


 今日はこの辺でホテルに直行しよう。私は、パンク修理車に乗り、シーガイアに向かった。車を駐車場に停め、チェックインを済ませると、ホテルの部屋はオーシャンビューで値段にしては十分すぎるものだった。夕食は1Fのガーデンビュッフェでディナーをいただく。

隣の席に深田恭子似の魅力的な女性が一人で食事をしている。美しい女性だが、どことなく憂いを秘めているように見える。私は、思い切って声をかけ、ご一緒しませんかと誘った。「どちらから?」

「宮崎の地元なんですよ。ときどき、気分転換に食事に来るんです。」

「そちらは?」

「静岡からです。」

「富士山のきれいなところですよね。一度富士山に登りたかったわ。」

「私は昔一度登ったことがあるんですが、高山病にかかって大変でした。もう、登りたいとは思いませんね。遠くから見ているのが一番ですよ。」

「なんか悲しそうに見えたけど、どうかなさったんですか?」

「いいえ、そんなことはありません。私、よくそう見られるんですけど、結構、お笑いなんか好きなんですよ。」

「好きな芸人とかいます?」

「パンクブーブーなんか好きですよ。」

私は、えっ、何で昼間のこと知ってるの?などと思いながら、「パンクブーブーは、語り口につい引き込まれて聞き入っちゃいますよね。私は、サンドイッチマンなんかも好きですよ。」

「サンドイッチマンも軽妙なやりとりが面白いですね。」

「よかったら、ライン交換しませんか?」

「いいですよ。」

「郁美さんて言うんだ。いい名前ですね。」

「光一さんも素敵ですよ。」


「沢山食べてお腹が満たされてきたけど、もう少しお話しません? 私、いい所知ってるんですよ。」

「僕もまだ飲み足りないので、ご一緒しますよ。」二人は、2Fのバーで飲み直すことにした。

そこは、星空を模したプラネタリウム・バーだった。薄明りに煌めく星々は、二人の距離を急速に近づけて行った。

「何を飲む?」

「私、テキーラ・サンライズをいただくわ。」

「じゃあ、僕はマッカランの12年ものをロックで。」

「無数の星々の中から二人が巡り合ったなんて奇跡じゃないかな。」

「遠慮しなくていいから、なぜ悲しい顔していたのか教えてくれない?」

「私、以前に人を死なせてしまったの。私にはどうしようもできないことだったんだけど、罪もない人たちが犠牲になったことが悔やまれるの。」

「そうだったのか、でも、それは君のせいじゃないよ。時代や風土がそうさせたんじゃないかな。」私は卑弥呼が亡くなったときの殉葬のことを思い浮かべた。

「君のお蔭で、悪しき風習が改められたとすれば、それはよかったんじゃないかな。」

「そう言ってもらえると、繋がれていた鎖が解けて少し心が軽くなったみたい。」

彼女のふくよかな胸の辺りからだろうか、たまゆらの優しい音が聞こえてきた。

「人は生まれた時から天命を背負っているわ。そして、それに気付いて天命を全うするか、途中で重荷を降ろしてしまうかは、その人に委ねられているの。」

「・・・」

「日は地上を満遍なく照らすけど、地上は平坦じゃないから、日の当たる場所と影になる場所ができるわ。そしてそれは時間と共に変化するのよ。だから、あなたに一つ言っておきたいことがあるの。」

「どんなことかな?」

「私たちは今スタートラインに立っているのよ。」

「今がスタートライン?」

「きっとわかるときが来るわ。」

私はまだよく呑み込めなかったが、何か新しい時代を予感させる言葉に高揚感を感じた。「さあ、楽しんで、もっと、飲もうよ」二人はまた、たわいない話に花を咲かせ、お酒が進んで行った。


「私、だいぶ酔ったみたい。外に出て少し酔いを醒ましてくるわ。」

「じゃあ、僕も付き合うよ。」

「いいのよ、あなたはここに居て。」そう言って、郁美は席を外した。私もかなり酔いが回ってきたようだ。


しばらくすると、彼女が戻ってきた、と思ったら、顔かたちが先ほどと違っているように見える。よく見ると、以前に球場の夢に出てきた卑弥呼らしき彼女のようでもある。笑顔が可愛くて健康そうだ。

「待たせてごめんなさい。」

「いや、いいけど、君の名前をもう一度教えてくれないか。」

「私の名前は豊野花よ。私たちは糸で結ばれてるのよ。」

私は何が何だかわからなくなって来た。


 目が覚めると私はベッドの上だった。起き上がってカーテンを開けると、東の水平線に赤く眩い朝日が今まさに昇ろうとしていた。私は、思わず手を合わせ、昨夜の巡り合いに感謝した。

私は熱いシャワーを浴び、昨夜の余韻を反芻した。郁美はやっぱり卑弥呼だったんだろうか。だとしたら、豊野花は台与?彼女たちは、隠された弥生の暗号を、この私に解き放せと言っているのだろうか?そして、それが私に課せられた天命なのだろうか?暗号が解けたとしても、こんなしがない中年のサラリーマンに何ができるというのだろうか?


テレビを付けると、話題は米国と中国の貿易戦争の話で持ちきりだった。スマホに目をやると、ラインの着信が。美知からだ。『お土産は、マンゴーラングドシャと、めんべいね。よろしく。』私は、大きめのスタンプでOKと返し、着替えて、朝食を食べにガーデンビュッフェへ降りて行った。

朝食を食べながら、昨夜の席を確認したが、昨日と何も変わりはしなかった。郁美は宮崎の人だから、宿泊はしないはず。しかし、ここは宿泊者だけが利用できるようになっている。そして、私がヘベレケに酔っている間に姿を消した。どこまでが現実なのだろうか。


朝食を済ませて、身支度をすると、チェックアウトをして、駐車場に向かった。果たして例のレンタカーはそこにあった。やはりタイヤはパンク修理が施してあった。私は、負傷した車では遠くへも行けず、計画を変更して、西都原古墳群は諦め、江田神社とみそぎ池だけを廻って宮崎駅に向かうことにした。

江田神社は、シーガイアの目と鼻の先にある。車を神社の駐車場に停め、鳥居を潜って参道を進むと、思ったより地味な本殿に出た。古事記には、黄泉の国から帰還した伊邪那岐神が筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原で禊ぎを行い、穢れた身体を清めたことが記されている。伊邪那岐神を主祭神として祀るこの神社には、天岩戸で天鈿女命が実のついた枝を手に持って踊ったことで知られる招霊木や楠木のご神木があり、パワースポットしても人気があるようだ。私は、本殿の前で手を合わせ、新しい国々を生み広げた伊邪那岐神がパートナーの伊邪那美神を黄泉の国に奪われ、命辛々辿り着いたときのことを思い浮かべた。この場所は開墾されて江田と呼ばれる前は海に面していたようで、船で辿り着いた宮崎という土地で一から出直すスタートラインとなったのではないか。

私は、そのまま奥に進んでいき、みそぎ池に出た。古事記には、伊邪那岐神が、左目を洗うと天照大御神が生まれ、右目を洗うと月読命が生まれ、鼻を洗うと須佐之男命が生まれたと記されている。天照大御神と同一人物とした卑弥呼は、伊邪那岐神の庇護の元、この地で倭国の女王として立ち、世の中を明るく照らしていったのではないだろうか。

つまり、ここが卑弥呼のスタートラインだったのである。しかし、郁美は『私たちのスタートライン』と言ったのだ。しかもそれが日の当たる今だと言っているようである。では、私にとってのスタートラインとはいったいどういうことなのだろうか。そして、豊野花は、『私たちは糸で結ばれている』と言った。私たちとはいったい誰を指すのか。郁美と豊野花と私も?


私は、みそぎ池を後に、駐車場まで戻り、宮崎駅に向かった。最寄のガソリンスタンドでガソリンを満タンにすると、レンタカー会社は、駅のすぐ傍にあった。車を返却して、パンクの状況を詳しく説明したら、追加料金は請求されずに済んだ。私は、気を良くして車から降ろした荷物をヒョイと担いで駅まで歩いた。

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