贈り物

八條ろく

特別な日

 室内に漂うのは雨のにおいと畳のにおい。それと、墨の臭い。畳の上に紙を広げて描くのは画家の達磨彦だるまひこで、その後ろで絵を描く様を眺めているのは、黒い角を二本生やした若い鬼——梅太だ。

「あの……」

 梅太が絵を描く達磨彦に声をかけるが、達磨彦は夢中になっているのか、返事もせず黙々と絵を描き続ける。

「達磨彦さん!」

 さっきよりも大きな声で梅太が声をかけると、達磨彦はやっと手を止めて、梅太の方へと顔を向けた。

「あぁ、すまない」

 そっと筆を置き、居住まいを正して梅太の方に向き直る。

「で?」

「で? じゃないですよ! オレはなんの為に呼ばれたんですか??」

「……あ、今描いてる絵を俺の妹。文目に渡してもらおうかと思ってな」

 達磨彦はそう応えると、チラリと今しがた描いていた絵を見る。

「あぁ、なるほど……しかし、なんでいきなり絵なんて?」

 仕事以外で絵を描くことをしない達磨彦が、妹の為に無償で絵を描くという事が不思議で、梅太は小首を傾げた。

「明日は俺と妹が生まれた特別な日だからな」

「……同じ日に生まれたんですか?」

「当たり前だろ、俺達は蜘蛛の妖なんだから。誤差があるとすれば時間くらいだ」

 数え年なので、その人が生まれた日に何かを渡すという習慣が無い梅太はなんだか違和感を感じ、眉根を寄せる。

「なんか変ですね」

「そうでもないぞ。……というか、お前はなにか用意したのか?」

「え?」

「お前、妹の事が好きだろ」

「なっ! えっ!?」

 突然の言葉に、梅太は顔を真っ赤にして慌てふためく。確かに彼は達磨彦の妹——齋藤文目さいとうあやめに好意を抱いていた。しかし、まさかそれを彼女の兄に見抜かれていたとは微塵も思っていなかったので、梅太は恥ずかしさのあまり、俯いてしまった。

「意中の相手を落とすのは贈り物が一番効果的だと言うけどなぁ。で、用意はしたのか?」

「な、何も……用意してないです」

 口の中でもごもごと応えると、達磨彦は画家にしては太い筋肉質な腕を伸ばし、梅太の胸ぐらを掴み、乱暴に引っ張る。すると当然、梅太は体制を崩し、半分倒れるような体制になる。

 恐る恐る顔を上げると、達磨彦の金色の瞳と目が合い、梅太はあまりの恐怖に震えた。

「男なら漢を見せろ。いつまでも女々しくうじうじしてても女は落とせねぇぞ」

 地響きのような低い声で一言そういうと、達磨彦は梅太を解放し、再び絵の方へと向き直った。

「……ちょっと、出かけてきますっ」

 女々しいと言われた梅太は、確かにその通りだと。乱れた襟元を直し、外に行く旨を伝えて部屋を飛び出した。

 梅太が飛び出す姿を横目で見て、達磨彦は口元に笑みを浮かべる。

「若いな……てか、襖くらい閉めてけよ」

 開け放たれたままの襖を見て呆れ混じりのため息をつく。



 勢いよく外に出たは良いが、文目が何を好きなのかも梅太は知らなかった。彼女は普通の女性と違い、あまり性というものを感じさせないので、何を贈れば喜ぶのかが分からなかった。

 ——齋藤さんが好きな物って、何だろ……食べ物とかは好みがあるし……かと言って小物を使ってるのも見た事が無い……

 腕を組んで悩みながら、梅太は大通りを歩く。広い通りの両脇には様々な店が立ち並び、甘味、小物、呉服、八百屋、魚屋と様々だ。

「あれ? 梅太じゃん!」

 聞きなれた声に、梅太は当たりを見回す。

「ここ、ここ」

 声のする方を見ると、屋根の上に純白の羽織と少し紫がかった白い髪が靡いてるのが目に入った。

「あ、一輪草いちりんそう

 名前を呼ばれた人物——一輪草は、屋根から飛び降りて梅太の目の前に軽やかに着地する。

 白い髪を高い所で結び、二本の白い角を生やした女鬼、一輪草。彼女は梅太が所属する花狼組はなおおかみぐみの一番組組長であり、組の最年長者でもある。

「難しい顔をしてどうしたの?」

 梅太よりも遥かに年上とは思えない程あどけなく、一輪草は首をかしげ、不思議そうに梅太の顔を見上げた。

「えっと……明日が齋藤さんが生まれた日らしくて、何か贈り物しようかなって考えてたんだ」

「へぇ……いいね!ボクもなんかあげようかなぁ」

 子供みたいな笑顔を浮かべ、一輪草は当たりを見回す。

「文目ちゃんはね、甘い物とか意外と好きだよ」

 と言って、近くの甘味屋を指さす。

「え、そうなの? 俺、齋藤さんが甘いもの食べてるの見たことないけど……」

「人は見かけによらずってやつだよ。ちょっと試食してみようよ。新作が出たらしいよ」

 一輪草はなにやら上機嫌で歩き出すが、梅太はそんな一輪草を怪しく思った。

「試食って……一輪草が食べたいだけなんじゃないの?」

 梅太の言葉に、一輪草は足を止めてゆっくりと振り向く。

「バレたか~……いやぁ、バレたなら仕方ない。うん、仕方ない」

 にへらっと笑うと、一輪草は自身の腰に差した刀に指をかけ、笑顔のまま梅太を見る。

 ——殺される!!

 死を咄嗟に判断した梅太は生唾を飲み込むと、少し後ずさる。

「ボクね、今すごく金欠なんだ」

 分かるよね? と威圧する一輪草。

「分かった。でも一つだけだからな!」

 甘味物の為に仲間を手にかけるど阿呆だ。と梅太は呆れ、渋々承諾した。

「やったー」

 一輪草は刀から手を離すと、上機嫌で店へと入って行き、梅太もそれに続いた。



 結局、一輪草に甘味物を買ってあげ、文目への贈り物は買わずに店を出る。

「文目ちゃんね、新鮮なお肉が好きらしいから、ボクは当日に何か狩ってこようと思うんだ。梅太も良さげなの見つかるといいね」

 と言い残し、一輪草は軽やかに飛び上がり、屋根の上をかけて去って行った。

 いったい何だったのだろうと、台風のように去って行った彼女を見送り、梅太は暫く唖然としてしまった。

「新鮮なお肉って……もしかして生肉……?」

 確かに彼女が普段何を食べているのは知らない。なんせ監査方の仕事は主に偵察なので、屯所で一緒に食事を取る事がほぼ無いのだ。

「お肉……ますます齋藤さんの好みが分からない……」

 ついにしゃがみこんで頭を抱え始める梅太。そんな彼の肩を誰かが優しく叩いた。

「大丈夫ですか?」

 凛とした声でそうかけられ、梅太はこれはまた聞き覚えがあると、顔を向ける。

「お涼さん」

「おや、梅太殿ではありませんか」

 梅太に声をかけたのは、女道場主の佐々木お涼。昼間は道場を開き、夜は遊郭の用心棒をしている剣の腕が立つ人間の女性だ。

「何か悩み事ですか?」

「実は……」

 一輪草よりも的確な助言を貰えると、梅太は事の経緯を話す。

「なるほど、齋藤殿に贈り物ですか……そうですねぇ」

 真剣に考え込むと、お涼は何か思いつき、笑顔を浮かべた。

「お守りとかどうでしょう? 齋藤殿はよく遠くに行かれるとの事なので、心細いでしょうし」

「な、なるほど!!」

 的確な助言に、梅太は思わず手を叩いた。と同時に、彼女がまともな人で良かったと心から安堵した。

「ありがとう! お涼さん!」

 梅太は感極まってお涼の両手を握り、感謝の言葉を述べる。するとお涼は照れくさそうに笑い「あとはお気持ちですよ」と応えた。

 完璧な助言を受け、梅太はお涼と別れて壬生寺へと走り出す。



 壬生寺へとやって来た梅太は、そこで仲間の一人である鈴蘭と鉢合わせる。今日はよく組の女性と会う日だと、梅太は思った。

「あら、梅ちゃん」

 おっとりとした口調に淑やかな声をした鈴蘭は、組の中でもお母さん的存在で、よく慕われている。

「か……鈴蘭さん」

 思わず「母さん」と言いそうになり、梅太はハッと言いかけた言葉を飲み込む。

「聞いたわよ、文目ちゃんへの贈り物を探してるんですってね」

 何か見つかった? と、鈴蘭は梅太に尋ねる。が、梅太は「これから手に入れるとこ」と応え、彼女の横を通り抜ける。

「まさか、御守りなんてあげようと思ってないでしょうね?」

 鈴蘭の言葉にぎくりと足を止める。

「私達妖を仏様が守ってくれると思ってるの?」

 真っ黒な目が梅太をじっと見つめる。確かに彼女の言う通りだ。しかも文目は自分達と違い、人を殺めているかもしれない。

「……」

 振り出しにもどった。と、梅太は落胆した。

「贈り物なんて、そんなに悩まなくたっていいのよ。気持ちがちゃんと伝わればいいの。女の子はね、誰かに想われているってだけで嬉しいんだから」

 鈴蘭はそれだけ言い残し、石階段を降りて行った。

「気持ちが伝わればいい……」

 達磨彦が絵に魂を込めると言っていたな。と、ふと思い出し、梅太は自分の気持ちを伝えるなら何が一番かと考えた。

「……決めた!」

 梅太は清々しい表情になり、足取り軽く石階段を降りた。



 当日になり、文目が縁側で柱にもたれながら雨の音を聞いているのを見かけ、梅太はそっとその背中に近付く。

「梅太か?」

 声も何も出していないのに直ぐにバレ、梅太は足を止めた。すると文目は上半身を捻り、顔を梅太へと向け「やっぱりな」と言って笑みを浮かべる。

「隣に来たらどうだ?」

 言われるがまま、梅太は文目の隣に腰を下ろす。

「齋藤さんのお兄さんから、これを預かってきたんだ」

 と言って、梅太は達磨彦から預かった絵を文目に渡す。

「兄さんからか……相変わらずあの人は絵が上手だ」

 絵を受け取り、その場で広げて眺める文目。

「齋藤さん」

 彼女の兄とは違い、直ぐに反応して視線を梅太へと向ける文目。彼女の金色の瞳をしっかりと見据え、にっこりと笑い、いつもしているように、文目を抱きしめた。

「誕生日おめでとう!」

「……ありがとう」

 文目もふっと笑って梅太の肩に頭を乗せる。

「今日は特別な日だから、遠慮なくオレに甘えてよ」

「で、でも年下に甘えるのはなぁ……」

「齋藤さんはいつも頑張り過ぎなんだから……今日だけは羽目を外しても誰も怒らないよ。今日一日、羽目を外す事! それがオレからの贈り物なんだから」

「…………そうだな。ありがとう、梅太」

 結局、梅太は本心を伝えはしなかった。が、彼女への気遣いは精一杯伝えたつもりだった。

 この日は文目の行きたい場所やしたい事に付き合い、言葉を交わし、笑みを交わし、梅太にとっても特別な日となった。



——おわり

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贈り物 八條ろく @notosikae

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