愛とロマンのキネマトグラフ

鷹野

第1話


 エンドロールと共に流れる、力強さと優しさを滲ませる嗄れた歌声が、押し寄せた興奮と感動を穏やかな余韻に変えていく。没頭していた物語から意識が離れ、現実感が蘇ってくる。

 ここは大学のクラブ棟一階、長い廊下を抜けた先にある「映画研究同好会」の部室だ。コンクリートの小さな部屋で、梅雨前の少し湿った生暖かい空気が満ちている。

 櫻井勇は猫背で前屈みになっていた姿勢を正し、長い前髪の隙間から傍らの男を伺う。一学年上の先輩である杉崎秋人が、黒縁眼鏡を持ち上げて涙を拭っていた。

「ロマンだな……」

 感慨深げに杉崎が漏らした言葉に、櫻井はまた始まった…と他人事のように思う。杉崎がビデオのリモコンを手にした。テープの巻き戻される音がして、映画の一場面が映し出された。

「櫻井よ、このシーン見てくれ! 主人公の人生最期の願いが叶ったこのシーン、ロマンを感じずにはいられないだろっ」

 一体何があったと勘ぐりたくなるほどの興奮状態で、杉崎が語りかけてくる。見慣れたその姿に、櫻井は「はあ」といつも通り気の抜けた相槌を打った。杉崎がビデオをさらに巻き戻し、テレビに飛びつかんばかりに身を乗り出して新たな場面を指し示した。

「あと、ここなっ。瀕死のふりしてた男が、目を開けてさ、相棒に目配せするとこ! もうここで死んじまうかもっておれらを心配させといて、願いを叶えるまでは絶対にこいつは生き続けるって希望をくれるんだよ!」

「確かにそこは感動しますね」

 櫻井の平淡な肯定に、杉崎が満足げに頷いてパイプ椅子にもたれる。ぎしりと軋んだ音が室内に響いた。櫻井は杉崎の手からリモコンを取り、映画を冒頭まで巻き戻す。

「俺はここが一番好きです」

 余命幾ばくもないと宣告された主人公の男が、見た事もない憧れの地を語る、映画の導入部分だ。この憧れが何度も死に瀕する男を、最期の時まで動かし続ける。

「おれもそこが一番好き! 映画の結末を見てからこのシーン見ると、グッとくるなあ」

 小さな画面の中で、男が遠い目をして、まるで見てきたように未知の地を語る。もう永久にその地を見られないと実感し、表情に諦観を滲ませる。

「たとえ見た事がなくても、憧れは語れる。ロマンは語れるんだよ!」

「まあ、そうかもしれませんね」

「ロマンがさ、人を動かすんだ!」

 杉崎が興奮で勢いよく立ち上がった。感極まりすぎて涙声だ。「映画におけるロマンとは…」と持論を熱く語り出す。聞き飽きた口上だが、頬をほんのり赤く染めて身振り手振りで力説する杉崎の姿は、何度見ても飽きない。

 普段の杉崎は割と二十一歳の年相応の表情で澄ましているのに、映画に関しては目をきらきらさせて無邪気な子どもみたいだ。背格好も成人男性並だが、この間伸び気味だった髪をばっさり切って、少年のような雰囲気が強くなった。

「死を前にしても、人はロマンを追い求める。つまりロマンの前に死や危険は恐れるものじゃなくなるんだよ! 分かるか、櫻井っ」

 両手を広げて問いかけられ、「まあ」と例のごとく曖昧な返事をする。

「命や人生を懸けても良いと思える何かを見つけ出す……それこそがロマンなんだ」

 うっとりと目を閉じて、杉崎は年代物のソファーに身を投げ出した。

 このソファーを含め、部室にあるほとんどの物は自宅から持ち込んだり、貰ってきたものだ。画面は小さいのに奥行きだけはあるテレビ、古いビデオデッキとDVDプレーヤー。片隅に鎮座する冷蔵庫は、どこかの研究室のお下がりらしい。その対面に置かれた拾い物のスチール棚には、題名がラベリングされたビデオと、杉崎が買い集めたDVDがアイウエオ順に整然と並べられている。しかしその几帳面さが嘘のように、一番下の段はペットボトルや菓子などが散乱していた。

「櫻井、もっかい見よっか」

「もう九時ですよ」

 普段通り二度目の鑑賞会が始まりそうになり、櫻井は慌てて腕時計を示した。昨日遅くまでレポート作成していたから、正直な所もう帰りたい。映画を見たくてうずうずしている杉崎に、櫻井は思い出した話題を口にした。

「それにほら、もうすぐ研究室配属の試験が始まるんですよね」

 杉崎は今年大学三年生、後期には配属される研究室が決定する。配属先を決める試験は研究室毎に行われ、杉崎が前にそろそろだと言っていた。暗に早く帰ろうと促したのだが、杉崎には通用しなかった。

「おれが行きたい研究室は、七月中旬に試験するんだってさ。まだあと二ヶ月近くある」

「でも腹も減ったし、今日はこれで……」

 無駄だと分かっていながら食い下がると、杉崎がソファーから飛び降りた。

「可愛い後輩のために、おれがポップコーン作ってやろう」

 だから文句ないだろと笑いかけられたら、もう諦めるしかない。

 杉崎はスチール棚の下を漁り、フライパンを取り出した。彼には「映画にはポップコーン」というこだわりがあり、部室に大量のコーンが買い置きしている。鼻歌交じりにフライパンにコーンを入れて蓋をし、持ち込んだカセットコンロにかける。

「そういえばさ、試写会の応募に何枚か当選したんだけど、行きたいのあるか? 『君とサーカスに』、『悪霊の澱』、『ロマンスシティ』…」

 一般公開が待ちきれず、杉崎はよく試写会に応募している。杉崎と同学年で部員でもある松本圭吾と、二人してせっせと応募葉書を書くのだ。たまに櫻井も付き合って書くが、今のところ自分の名前で当たった試しがない。

「あ、『ショコラティエの憧れ』って恋愛映画の試写会にも応募するから、当たったら言うな。どれか気になるのあった?」

 櫻井は当選するたびに誘ってくれるが、毎回櫻井の方がそれを断っている。もちろん試写会には行ってみたいが、葉書を書いているのは主に杉崎と松本だ。だから二人が行くべきだし、自分なんかがおいしいとこ取りは出来ない。

「いえ、今回も……」

 俯き加減に漏らした櫻井の声は、ぽんぽんとコーンが弾ける音にあっさりかき消される。軽快な音が次第に数を増し、香ばしい香りがふわりと漂い始めると、杉崎がのんびりとした調子で尋ねた。

「櫻井ー、味はなにがいい?」

 塩味がいいです、と答えた櫻井の声が、今度は扉の開く音で無惨に打ち消された。

「うぃーっす。お、ポップコーン作ってんじゃん」

 ずかずかと大股でやってきたのは、松本だ。いつもはシャツとジーパンという軽装なのに、今日に限ってスーツを着ている。松本はソファーにどかりと腰を下ろし、バッグを放り投げる。

「今日は遅かったですね」

「研究室見学だよ。見学にスーツ着用義務とか、冗談じゃないぜ。杉、それ味付けまだなんだろ? キャラメル味が食いたい」

 杉崎が確認するように櫻井を見たので、小さく頷いた。

 三人でいる時、ポップコーンの味の決定権を握るのは、一番食べる松本だ。甘党の松本も杉崎もキャラメル味が好きなので、大概それになる。櫻井も嫌いではなかったが、食べた後に口に残る甘さが少し苦手だった。

 まだ入部して間もない頃、櫻井は「キャラメル味はそれほど好きじゃない」と控えめに主張した事がある。だが松本に『そうなんだ』とさらりと流されて以来、彼の前で塩味をねだるのをやめた。

 櫻井は立ち上がり、キャラメルソースの材料を取りに冷蔵庫に向かう。蜂蜜とバターを取り出し、杉崎に渡した。杉崎は小型の鍋でソース作りを始めながら、松本のバッグから覗いたクリアファイルに目を止めた。

「あれ、お前鈴原ラボに見学行ったの?」

 松本が杉崎の視線を追って、「あぁ」と吐息のような声を漏らした。半身を起こし、ファイルから鈴原研究室と記された紙を抜き出す。

「鈴原さんとこのラボ、俺がやりたい熱帯魚を使った発生の研究してるんだ」

「大村ラボだって発生やってるだろ?」

「あそこは発生って言うよりは、遺伝子変異がメインだろ。それに実験でラットを…」

 徐々に二人の会話が専門的な部分へと突っ込んでいく。取り残された櫻井は、手の止まった杉崎に代わり、鍋を木べらでかき回した。二人のやり取りを見ていると、親密さや信頼関係を見せつけられているようで複雑な気持ちになる。

 杉崎と松本は同じ理学部生物学科に属し、高校時代からの友人でもある。

 愛とロマンと独自のこだわりの元に突き進む、学内で変人扱いされる杉崎と、気さくで大らかな松本。妙に波長が合ったのか、二人はつかず離れずやってきたらしい。

 彼らは櫻井が決して知る事の出来ない時間を共有してきたわけで、それが歯がゆい。だがもし二人と同じ高校に通っていたとして、陽気で行動力のある彼らと陰気でネガティブ思考の自分が、果たして友人になれただろうか。きっと無理だろう。

「研究室選びにロマンだの持ち出すんじゃねぇよな、櫻井?」

 不意に話を向けられて、櫻井は言葉に詰まり、結局「ええ、まあ」と曖昧に頷く。

 交わるはずのなかった櫻井と二人の人生。それを結びつけたのは、松本だった。


 時は一年あまり前に遡り、舞台は桜の舞い散るキャンパス。

 道に沿ってたくさんのサークルが長机を並べ、部員達は新入生を呼び止めようとビラを片手に盛んに声を上げていた。活気に満ちたキャンパスを、櫻井は押し付けられた大量のビラを握り、俯き加減に歩いていた。

 大学入学を期に越してきた見知らぬ土地、知る顔がない事に気後れしたわけではない。明るい喧騒と自分の陰気さのギャップを思い知り、新生活への喜びも期待も萎んでいたのだ。それでも櫻井は逃げ帰りたい気持ちを抑え、広くもないキャンパスを彷徨った。

 一つの願いがあった。大学ではサークルに入って、これまでの鬱々とした日々を明るいものに変える。それを叶える為にも、ここで逃げるわけにはいかない。

 だが華やいだ声で「うちのサークルどうですかー?」で呼び掛けられる度に、櫻井は拒絶するように顔を逸らしてしまう。変な具合に胸が高鳴り、冷や汗が滲み出した。

 明るい部員達と櫻井は、完全に対極の人間だ。こんな煌びやかな世界に、自分はそぐわない。足を踏み入れようなんて、おこがまし過ぎたんだ。

 極端な思い込みとも言えるネガティブ思考が頭をもたげ、地面に沈みそうなほど落ち込んだ。諦めて校門に向かい掛けた時、間延びした男の声が耳に飛び込んできた。

『おーい、そこのお兄さん』

 友人を呼ぶような、親しみの込められた声だ。自分に向けられたものではないと、櫻井はそのまま歩き続けた。だが続いた言葉に、櫻井だけでなく周辺の新入学生達も足を止め、声の方を振り返っていた。

『お兄さんって! 自分じゃないって思ってる、そこのあんただよ!』

 長机に腰を下ろした男が、立ち止まった櫻井達にひらひらと手を振っていた。

『お、意外に立ち止まってくれた。じゃあお兄さん達、全員でも誰でもいいから話聞いてってよ』

 雑すぎる勧誘に、櫻井以外の学生はさっさと立ち去る。櫻井は一瞬呆気にとられて、出遅れた。男がその隙に素早く櫻井に詰め寄り、握手を求めてきた。

『こんにちは。俺は理学部二年の松本、君は?』

『……工学部一年の櫻井、です』

『もう入るとこ決めた?』

『……いえ、まだです』

『だったら、うちなんてどう?』

 松本が肩越しに振り返り、手で長机を示した。長机から画用紙が垂れ下がっており、筆で大きく「映画研究同好会」と書かれていた。

『うちは面倒な規則や半強制的な会合も一切なし。かなり自由な部だよ』

 櫻井は手元のビラを改めて目的の一枚を抜き、松本に差し出した。

『さっき映画研究会からビラを貰いました。こことは別物なんですか』

 櫻井は当初、入学案内で文化系サークルとして挙げられていた映画研究会を、入部候補としていた。しかし映画研究会の部員達は、みな積極的で派手な印象が強く、馴染めるわけがないと早々に除外したのだ。

 松本は櫻井の手にあるビラをぴんと指で弾くと、皮肉めいた笑みを浮かべた。

『映画研究同好会は、映画研究会から派生したんだ。だけど全くの別物だよ』

『派生?』

『弾き出された、て表現の方が正しいか。なあ、映画を真面目に語るのは、くだらないか?』

『はい?』

『例えばもし、映画に付き物の『愛とロマン』について語り合える場所が用意されていたら……参加してみたいとは思わないか』

『あ、愛とロマン?』

 そんな言葉とは無縁の人生を送ってきたせいか、問い返す櫻井の声が裏返った。

『そう、愛とロマン。俺たち映画研究同好会は、愛とロマンに特化した同好会なんだ!』

 高らかに宣言されても、理解不能だ。

『なーんて大袈裟に言ったけど、実際は毎日部室でただ映画を見て語らってるだけだよ。現在部員は五人。俺と杉崎って奴と、同好会設立のために名を貸ししてくれただけの幽霊部員が三人だ』

 松本はあっさりとした調子で、好調とは言えない内情を打ち明けた。聞くだけで入部を躊躇いそうな内容だが、彼はそれすらも逆手に取っていた。

『適当な部に入って適当に時間を潰したいなら、うちの部は好都合だぞ。俺と杉は個人の自由を尊重したいから、君に干渉するつもりはない。君の好きな時に、好きなだけ映画を見ればいい。気が向いたら俺たちと一緒に映画を見たらいい。どうだ、良い事ばかりだろ?』

 松本が尤もらしく言い募り、思わず櫻井は小さく頷いてしまう。松本の目がきらりと光ったと思ったら、がしりと手を取られた。

『じゃ、入部届にサインしようか』

 差し出された入部届を目にした瞬間、頭の中で警報が鳴り響いた。愛とロマンだなんて胡散臭い、もっとよく考えろ、と忠告する。咄嗟に櫻井が拒絶するように首を振ると、松本は肩を竦めてひょいと後ろを振り返った。

『おーい、杉! お前もちったぁ手伝え。もう一押しなんだぞ』

 援軍を呼ばれたらまずい。逃げなくては、ときびすを返そうとした瞬間、長机の影から人が飛び出してきた。どうやらしゃがみ込んで何か作業をしていたらしい。

『ま、待って!』

 逃げ出そうとする櫻井のスーツの袖を掴み、胸に飛び込むような形で前に立ちはだかる。跳ね放題の艶やかな黒髪が、まず眼に飛び込んできた。続いて、ずれた黒縁眼鏡の向こうの大きな瞳。杉崎と呼ばれた男が、真っ直ぐに櫻井を見上げて問いかけてきた。

『映画、好きか?』

『……どちらかと言えば、好きだと思います』

 杉崎は手にしていた分厚い冊子のような物を、ずいと突き出した。櫻井は勢いに押されて受け取り、目を落とす。

『おれが今まで見た映画について書いてある』

 杉崎に目で促されて「映画大全」と鉛筆書きされた表紙を捲ると、映画の題名とその感想が手書きされていた。

 面白かった、感動したという素直な言葉が並んでいる。映画の一場面にどう感じ考えたかが丁寧に綴られていた。映画の監督やキャスト、演出などには一切触れず、ただ映画の登場人物と内容と杉崎自身が感じた事に焦点を絞った文章だった。決して上手い文とは言い難いが、文面から情熱が滲んで、それが櫻井の心を動かした。

『それやるよ』

『あげちゃっていいのか、杉。それ原本だろ』

『構わねえよ。それを読んで、一つでも映画を見てくれたら十分だ』

 櫻井は冊子から視線を上げ、ぼんやりと考えた。

 今の所、自分が入れそうなサークルはない。映画研究同好会は部員こそ少ないが、この二人は悪い先輩ではなさそうだ。口下手な自分は映画を語るのは無理だが、見るだけで構わないなら入りたい。櫻井は冊子を杉崎に向かって差し出した。

『これ、お返しします』

 杉崎は驚いたように目を見開き、固まってしまった。その瞳に悲しみがゆっくりと広がるのを見て、櫻井は自分の言葉が足らなかったと気付く。

『いえ、あの……冊子じゃなくて、直接俺に教えてほしいんです』

『それってつまり……』

 問うような杉崎の声に、櫻井は小さく頷いた。

『入部します』

 おぉ、と杉崎と松本が歓喜の声を上げ、互いに顔を見合わせた。それから二人でハイタッチを交わす。そのまま二つの手はがしりと櫻井の腕を掴み、空を突くように持ち上げた。

『ようこそ、映画研究同好会へっ!』

 突然の雄叫びと万歳している櫻井達に、周囲の学生達が一斉に振り返った。二人は手を取り合って小躍りしながら、櫻井の背中をばしばし叩いてくる。

 入部は早まったか…と後悔しても、これだけ喜ばれてはもう後に引けない。櫻井は半ば自棄になりながら入部届にペンを走らせた。


 それから瞬く間月日が過ぎ、現在はこうして二人とポップコーンを頬張っている。

 結局昨年の新入部員は櫻井一人で、三人の幽霊部員は一度も顔を見せなかった。今年は三人で勧誘を行ったが、新入部員はゼロ。どうやら今年も部室に入り浸るのは、顔馴染みの三人だけになりそうだ。

 正直な所、櫻井は自分がここまで映画研究同好会に馴染むと思っていなかった。

 狭く雑然とした部室を居心地良く思い、足繁く通って杉崎の暑苦しい話に耳を傾け、三人で他愛ない話をする事すら楽しいと感じる日が来るとは、想像していなかった。

 それどころか、自分でも信じたくない予想外の事が起こるなんて……。

「喉乾いたな」

 ポップコーンで頬を膨らませた杉崎が冷蔵庫に向かい、その前にしゃがみ込む。その時、かすかにびりっと布が裂けるような音が聞こえた。

「びり?」

 杉崎が不思議そうに、口をもぐもぐと動かしながら周りを見回した。音の発生源を見つけられず、諦めて水のペットボトルを取り出す。立ち上がった杉崎の後ろ姿に、櫻井はぎょっとして叫んだ。

「す、杉さん! 尻っ」

 杉崎がジーンズの尻に手を当てて、「あ」と声を上げる。ちょうど太腿と尻の境界あたりが、大きく横に割けていた。

 服装に無頓着な杉崎に、おそらく何年も酷使され続けたジーンズは、随分前から膝や裾も破れに破れていた。尻が破けた今でさえ、杉崎は「まだ履けるよなぁ?」と信じられない事を口にする。裂け目から下着をちらちらと覗かせながら笑っている男の姿に、櫻井は不覚にも赤くなった頬を顔を俯けて、盛大なため息を漏らした。

 どうして、よりによって、この人なんだ。

 映画研究同好会に入部して最も予想外で信じがたいこと。それは櫻井が杉崎秋人に、恋愛感情めいたものを抱いてしまっている事だった。




 中学時代、櫻井は自分が同性の友人に思いを寄せている事に気付いた。俄に信じられず、戸惑った。友情を勘違いしているだけ、と何度も自分に言い聞かせた。だが思い返してみると、櫻井はそれまで女性に興味を持った事が一度もなかった。もしかしてこの恋心は本物なのか…そう考えて怖くなった。

 恋愛対象が同性であること、それは世の常識とは異なっている。もしこれが本当に恋だとしたら、自分はどうなってしまうのか。

 きっと気味悪く思われ、築いてきた信用と関係は失われる。同性の友人は皆、櫻井の恋愛対象になることを恐れ、それ以外の人間は奇異の目を向けるだろう。

 生来の悲観的な思考が導き出した未来に、櫻井は慄然とした。同性が好きだという秘密は絶対に知られてはならない、と強く思った。

 何かの拍子にばれて拒絶されるのを恐れるあまり、人と関わる事が怖くなった。櫻井は好きだった友人を含めたすべての友人達と縁を切った。徹底的に人との関わりを避けて、自分の殻の中に閉じこもる。それでも、不安は拭えない。大きく育った不安が、いつしか胸の内に一つの誓いを作り出した。「もう誰も好きにはならない」それできっと秘密は守られると信じ、何とか心の平安を保った。

 鬱々とした日々を高校卒業まで続け、唐突に虚しさと寂しさを覚えた。独りに慣れきっていたはずなのに、今更耐えられなくなった。

 秘密を上手く隠しながら、大学では人付き合いを再開出来ないか。適当なサークルに入り、親密な関係は築かず、顔を合わせれば世間話する程度の関係が理想だ。深入りや依存しなければ、きっと秘密を守り通しながら人と関わっていけるはずだ。

 そう思っていたのに、何を間違ってしまったのか。

 勢いで入ってしまった映画研究同好会。暫くは入部を後悔し続けていた。

 部長である杉崎秋人の噂と、松本が言っていた「映画研究会から弾き出された」理由を知ったからだ。

 映画同好会の根源である映画研究会は、数年前から映画研究とは名ばかりの、飲み会や合コンをメインの活動とした軟派サークルに成り下がっていた。それに激怒した杉崎が部長に抗議したが、全く相手にされなかった。それどころか、部員のほぼ全員が部の活動内容を支持していた為、杉崎の行動は反感を買った。杉崎は純粋に映画を鑑賞し語らう事を主張し続けたが疎まれるだけで、最後には退部に追い込まれた。それでも映画を諦めきれなかった杉崎が友人の松本と知り合いの力を借り、同好会を立ち上げたらしい。

 派手に映画研究会とやり合ったせいか、杉崎の噂は全学年に及んでいた。

 暑苦しくてうるさいだけの映画バカ。「愛とロマン」と真顔で言っちゃう変人。

 櫻井は入学早々杉崎と関わりを持ってしまった不運を嘆いた。すぐにでも退部したかったが、もし杉崎が噂通りの面倒な変人ならば、辞めた櫻井にしつこく映画の素晴らしさを説いてきそうだ。せめて数ヶ月は我慢して、適度に部室に顔を見せた方がいい。

 そう判断して、週に一、二度、講義が終わると義務的に部室に通った。もちろん杉崎達と一緒に映画を見る気はさらさらない。まだ退部していませんよ、というパフォーマンスに過ぎなかった。

 ノックして部室を覗くと、大抵そこには杉崎と松本の二人がいた。真剣に映画を見ていたり、ポップコーンを食べながら他愛ない話をしていたり、映画の登場人物を真似て遊んでいたりと、毎回不思議なほど楽しげだった。

『櫻井、一緒に映画見てくか?』

 二人の誘いに、櫻井は決まって「いえ、今日はちょっと…」と首を振った。二人は愛想のない櫻井に気を害したり、無理強いをしなかった。それでも櫻井は、付き合いの悪い自分にいつ二人が怒り出すだろうかとびくびくしていたが、杞憂のまま三ヶ月が過ぎた。

 ある日、薄く開いた扉から部室を伺うと、誰もいなかった。

 櫻井は暫くノブを握ったまま立ち尽くし、初めて中に足を踏み入れた。いつもは二人に桜井が顔を出した事を確認させるのが目的だったから、部室には入らずさっさと帰宅していた。

 しんと静まり返った室内をぐるりと見渡す。見慣れている光景なのに、主がいないせいか妙な違和感があって、櫻井を落ち着かなくさせた。早々に退室しかけて、ふとスチール棚にある一本のビデオが目に留まった。ラベルに書かれている題名は、数年前に話題になった映画のものだ。

 その時、櫻井に魔が差した。二人と鉢合わせるかもしれない危険性を顧みず、ビデオを手に取ってデッキにセットしたのだ。大学と家の往復だけの毎日に心底うんざりして、たまには映画でも見て帰ろうぐらいの軽い気持ちだった。ここがあの忌まわしい映画研究同好会の部室だと、すっかり失念していた。

 映画は三組の恋人達が繰り広げる、オムニバス形式の恋愛ものだった。コメディ要素が強いようでいて、恋愛の喜びや切なさ、苦悩が丁寧に描かれており、公開当時に随分評判になった。加えて魅力的な登場人物が多く、特に人気が集まったのが三組のうちの一組、男同士のカップルだ。小太りの男とやさぐれた男、という中年のおっさんコンビ。

 二人は互いを意識する事なく長年共に過ごしてきた。結婚もせず、いい年して四六時中くっついている。ある時片方の昇進が決まり、二人はすれ違い始める。互いの存在が遠くなった何処か虚しい日常の中で、二人は自分の胸に、長年の友人に対して愛と呼ぶに相応しい感情が芽生えていた事を知る。

『君がいなければ、僕の人生に光はない。君がいなければ、僕の心は満たされない。君が僕の傍にいる日常こそが、僕のすべて』

 手を取り合い、散らかった寝室でする初めてのキス。照れくささを隠すように軽口を叩き合う二人を映したまま、エンドロールが流れ始めた。

 幸せそうな二人の笑顔に、櫻井は不覚にも目頭が熱くなった。きらきらと輝く様な恋に感動すると同時に、胸が苦しくなるほどの切なさが込み上げる。

 自分にはこんな恋愛は、一生出来ない。疑心暗鬼になり、すべてを捨てて来た。取り戻せるものは何もない。自分はこれからも死ぬまでずっと独りきりで、人の恋を羨んでいるしかない。

 エンドロールが終わり、テレビ画面は何も映さなくなった。いつの間にか溢れ出していた涙を拭いもせず、櫻井はぼんやりと黒い画面を眺めていた。その時、おもむろに部室の扉が開いた。櫻井が振り返る間もなく、その背に声をかけられる。

『お疲れー…って、もしかして櫻井?』

 ぎこちない仕草で振り向くと、満面の笑顔の杉崎が立っていた。だがすぐにその笑顔は凍り付く。杉崎は櫻井の赤くなった目と涙で濡れた頬に目を見開き、手していたバッグをどさりと床に落とす。

『ど、どどどどうしたっ! 一体何があった?』

 杉崎が狼狽えながら駆け寄ってきた。どうやら櫻井が映画を見ていたと気付いていないらしく、涙の理由を必死になって探している。杉崎に問うような視線を向けられ、櫻井は泣き顔を隠すように俯いた。

『腹でも痛いのか? 体調悪いとか? ちょっとゴメンな』

 杉崎が何の躊躇いもなく櫻井の額に触れた。暖かな掌の感触に、身体がぎくりと強ばった。杉崎は熱がないのを確かめ、さらに困り顔になる。

『なんか悲しいことでもあった? えっと……おれで良かったら話聞くぜ。松本ももうすぐ来ると思うし。あ、無理には言わなくてもいいだけどさ』

 心配でたまらない様子でおろおろする杉崎が可哀想になり、櫻井は口を開いた。

『……大丈夫です。映画を見て、感動して泣いただけですから』

 すみませんと呟く様に謝ると、杉崎が脱力した様に床に座り込んだ。額に手を当てて、心底安堵したような吐息を漏らす。

『なんだー、良かったあ。すげぇ焦った。おれもちょっと泣きそうになっちゃったよ』

 いつも顔だけ見せてさっさと帰る愛想のない後輩を、何故ここまで心配してくれるのだろう。気の抜けたような杉崎の笑顔に、櫻井の胸はきゅっと甘く締め付けられる。

『何の映画見てたの』

 小さな声で映画の題名を答えると、杉崎がぱっと顔を輝かせた。

『俺もその映画好きなんだっ。こうさ、見た後に胸が温かくなるような恋愛映画だよな! 映画ん中で食器を買いに行くシーンあっただろ? あのシーンが……』

 満面の笑みでしゃべり続ける姿は、噂通りの暑苦しい映画バカそのものだ。不思議と鬱陶しいと感じなかった。それどころか、感動していた。

 社交性ゼロである櫻井の素っ気ない相槌や平淡な同意に、大抵の人間は気を悪くしたり気後れする。だが、杉崎は違った。櫻井の少ない言葉に、いちいち興味や反応を示してくれる。後に分かるのだが、杉崎は洋画の見過ぎで、無意識にリアクションが洋画風の大袈裟なものになってしまうらしい。それを知らない当時の櫻井は、杉崎の反応が新鮮で、ときめきのような胸の高鳴りを覚えた。

 その日を境に、杉崎に対するイメージが大きく変わった。

 面倒な人ではなく、自分にはない明るさと情熱を持った飽きない人。

 部活への顔出しがそれほど苦ではなくなり、いつの間にか毎日部室に通うまでになった。休日に時々、三人で映画館に出掛ける事もあった。

 あれほど恐れていた親密な関係を、気付けば築いてしまっていた。この居心地の良いぬるま湯のような環境を失わないために、「好きにならない」の誓いだけは破るつもりはなかった。

 杉崎と松本とは映画を見る事はもちろん、映画の真似事をしてビールを頭から浴びたり雨の中を傘も差さずに駆け回ったりと、色気のない事ばかりしていた。そのせいか、油断していた。

 まさか櫻井の中で、杉崎に対して恋心のようなものが芽吹き、ゆっくりと時間をかけて自覚するまでに育つなんて思いもしなかった。だがこの気持ちはまだ完全な恋愛感情ではない。きっと一時の気の迷いで、すぐに消える。

 自覚してからの数ヶ月間、毎日のように言い聞かせてきた。しかし杉崎への思いは消えずに、胸の奥に居座り続ける。

 早くこの思いを殺さなければ、いつか本物の恋心に変わってしまう。ようやく手に入れた居場所を、また失ってしまう。築いてきたすべてが、また壊れてしまう。

 杉崎と距離を置かなければと思うのに、それが出来ない。杉崎と過ごした幸せな日常に、無意識に固執するあまり離れられない。その代償に危機感だけが募っていく。

 恐怖にも似た焦燥にじわじわと心を削られ、やがて櫻井の中で不穏な感情が頭をもたげるようになった。喪失への恐怖が、投げ遣りな気持ちを生んでいた。

 やはり自分にはどんな形であっても、他人と繋がるのは無理なのだ。この気持ちがばれたら、きっと杉崎も松本も離れていく。それなら早い方がいい。これ以上依存してしまう前に、自分でぶち壊してしまえばいい。

「やっぱり、愛だな!」

 突如傍らで叫ばれて、櫻井は我に返った。そういえば、映画を見ている途中だった。杉崎に誘われ、櫻井が泣いた例の恋愛映画を見ていたのだが、いつの間にか昔の記憶を辿るのに没頭していたらしい。すでに映画はすでに終わっていた。

「やっぱりおれはこの映画が好きだよ、櫻井!」

 時間の経過に戸惑っている櫻井の横で、杉崎は拳を握って立ち上がる。

「こんなに優しく愛を表現した映画が他にあるか? こんなに切なくて甘酸っぱい気持ちにさせてくれる映画が、他にあったか? おれ今すっごく幸せな気分だっ。この映画に出会えた奇跡に感謝してるよ!」

 杉崎が潤んだ目で訴えてくるので、櫻井は「はあ」と曖昧に頷く。あの時独りで見た映画を今は杉崎と二人で見ている現在に、まだ頭が追いつかない。

「おいおい櫻井、お前ちゃんと映画見てたか」

「いえ、あの……昔のことを思い出してて」

「昔のこと?」

「はあ、まぁ色々と」

 自分の過去や恋愛について悶々としていました、とは答えられず、視線を落とした。杉崎が床にしゃがみ、俯いた櫻井の顔を覗き込む。

「最近お前あんまり元気ないよな。悩みがあるなら、優しい先輩に話してみろ」

 杉崎に揶揄めいた調子で促され、櫻井はがりがりと頭を掻く。物思い種はあんたです、と言えたらどんなに楽か。

「別に、何もないですよ。それより、杉さんはこの映画のどこが好きなんですか」

 作り笑いを浮かべて、杉崎が食いつきそうな話題を持ち出す。すぐに乗ってくると思ったら、杉崎は「でも元気ねぇじゃんか」と食い下がった。

「今日のお前は、いつも以上にぼおっとしてるし、いつも以上に反応が薄いし、いっつも以上に寝癖がひどい! 他の野郎の目はごまかせても、おれの目は誤魔化せないぜっ」

「これは寝癖じゃなくて、お洒落のつもりです……」

 杉崎の犯人を追い詰める名探偵ばりの断定口調に、げんなりした。暗い印象を少しでも隠すために、毎朝ワックスで入念にセットした髪型も、杉崎にはただの寝癖に映るらしい。

「もう勘弁して下さいよ。ほら、映画のこと話しましょう」

 話を打ち切ろうとすると、杉崎が不満げな表情で唇を尖らせた。たがすぐにぱっと明るい表情になって、人差し指を立てた。

「『君が笑ってくれないと、僕も笑うことが出来ない。君の感情が僕を支配しているんだ』」

 一瞬思考が停止した。都合の良い幻聴かと思った。だがすぐにその言葉は、先程の映画でやさぐれた男が口にした台詞だと気づく。動揺を通り越して、頭に血が昇った。

 こっちは杉崎への気持ちに悶々と悩んでいるのに、この男の無邪気さは一体何だ。無邪気を一回りして、いっそ無神経だ。櫻井の気持ちを知らないとはいえ、静かな怒りが沸き上がる。

「お前が元気ないと、おれがつまんないんだよ。だからさ、元気出せよなー」

「……そうですか。なんだか急に、元気が出てきましたよ」

「良かった、一安心だ! 何かあったら、いつでもおれに言いなさい」

「本気で、相談に乗ってくれるつもりなんですか」

 脳天気な杉崎は、櫻井の声に暗いものが混じった事に気付かない。

「もちろん。ほら、言ってみろ」

 先輩風を吹かして胸を張る杉崎の姿に、ますます気分がささくれ立つ。

 杉崎に対する気持ちは一時の気の迷いのはずなのに、彼の些細な言葉一つで動揺する自分が嫌だ。秘密を隠し通そうと気を張り続ける日々は、もううんざりだ。

「今の映画に、男同士の恋愛がありましたよね?」

 櫻井は表情を消し、感情も殺して切り出した。杉崎にとって何の脈絡もない質問なのだろう、きょとんとした表情で目を瞬かせる。

「え? ああ、おっさん達が良い味出してたよな。あの映画の中じゃ、一番好きなカップルだ」

「俺はずっと、悩んでいた事があるんです」

 櫻井は椅子から降り、しゃがみ込んでいた杉崎と目線を合わせる。床に手を突いて、杉崎の方へと身を乗り出す。

「もしかしたら俺の恋愛対象は……あんたを含めた男かもしれない、って言ったらどうしますか」

 杉崎の目が驚きで軽く見開かれる。櫻井はその目をじっと覗き込んだ。

 きっとすぐにでもそこに嫌悪や軽蔑の色が浮かぶだろう、と櫻井は自嘲めいた思いを抱いていた。築き上げた信頼関係は、この投げ遣りな告白で終わった。どうせ遅かれ早かれ、終わっていた。これで良かったのだと、ひっそりと胸の内で自分を慰めた時、杉崎が口を開いた。

「どうもしないよ」

 真っ直ぐに櫻井を見つめる杉崎の眼差しには、嫌悪も嘲りもなかった。その瞳から何の感情も読み取れない。まるで「お前の事なんて興味ない」と言われたようで、櫻井はぎりっと歯を食いしばる。

「……どうせ俺の事なんて、あんたには関係ないですよね」

 喉から絞り出した声が怒りで震えた。櫻井の睨むような鋭い視線を受け止め、杉崎は不思議そうに尋ねる。

「おれに関係あるのか?」

「……っ関係ないとでも思ってるんですか!」

 怒りよりも悲しみが勝り、胸に痛みが走った。目の奥が熱くなり、浮かんだ涙で視界がぼやける。泣き出しそうに顔を歪める櫻井とは対照的に、冷静そのものに見える杉崎は思案するように視線を巡らせた。それから小さく頷き、何かを了解した顔つきになった。

「なるほど、これは愛の告白か」

「……はあ?」

 思わぬ言葉に、本気で耳を疑った。愛の告白? 俺が、杉さんに?

「おれに関係があるってことは、お前がおれのこと好きってことでしょ。そうかあ、知らなかったな」

 その時、ピリリ…と小さな音が鳴った。杉崎がズボンのポケットを見て、携帯電話を引っ張り出した。画面に目を落とし、ため息を漏らす。杉崎が尻をはたきながら立ち上がるのを、櫻井は呆然と見ていた。杉崎は大きく伸びをして、

「悪い、ちょっと用事出来たから帰るな。また明日ー」

 鞄を持ってさっさと部室を出て行った。静まり返った部室を、外で降り続ける雨の音が包む。一人取り残された櫻井は座り込んだまま、ぼんやりと反芻した。

 あれは愛の告白なのか。いや、違う。自分が同性を好きな事を打ち明けたが、杉崎に告白した覚えはない。杉崎の勝手な勘違いだ。

 さーっと音を立てて血の気が下がり、櫻井は慌てて部室の扉へと向かった。

 冗談じゃない。杉崎に対する思いは、決して恋心なんかじゃない。そうだと認めてしまったら、この先自分は杉崎にどう接したらいい?

「杉さん、ちょっと待って下さいっ! 断じて俺は愛の告白なんて、して……っ」

 がらりと乱暴に扉を開け放って飛び出したところで、どんと強かに何かとぶつかった。よろけて尻餅をついた櫻井が見上げた先に、スーツ姿の松本がいた。

「愛の告白が、何だって?」

 どうしてこんな事に…ともう何度したか分からない後悔に、ため息さえ出なかった。


「それで? お前、杉に告ったの?」

 松本に半ば引きずられるように部室に戻され、ソファーに並んで腰掛けた。松本がにやついた笑みを浮かべて、どんと脇腹を突いてくる。櫻井は言い逃れを諦め、嫌々ながら差し障りのない所だけ話した。杉崎にはあらぬ勘違いをされた上に、どうして松本に詮索されなければならないんだ、と頭が痛くなる。

「……松本さんは、どうしてそう平然としてられるんですか。勘違いとはいえ、男が男に告白したとか言ってるんですよ。少しは驚いたらどうなんだ」

「お前は俺にどんなリアクションを期待してんだ? びっくりして椅子からひっくり返るとか?」

 松本はあくまでおどけた調子だ。櫻井が長年恐れ続けてきた反応をあっさりと裏切るものだが、喜ばしいものでもない。こうも平然とされると、長年びくついてきた自分が馬鹿みたいだし、軽く扱われているようで気が沈む。

「そこまで大袈裟じゃなくても、少しは動揺してみせるとか……色々あるでしょ」

 松本はやれやれと肩を竦め、さらりととんでもないことを言い出した。

「お前が男を好きだろうと、俺や杉にとって何ら問題ないだろ。それに、反応しようにもお前が杉を好きなのは今に始まった事じゃないしなあ」

「はい?」

「結構前から好きだろ? お前って杉にだけは妙に素直な時があるし、杉にだけは我が儘言うし、杉にだけは結構優しい。なかなか分かりやすい特別扱いだ」

「ちょ、ちょっと待ってっ」

 櫻井は思わず大声を上げて立ち上がる。松本はこの話題に興味をなくしたのか、DVDの棚から目当てのものを抜き出し、セットしている。その手からリモコンを引って詰め寄った。

「な、何言ってるんですかっ。好きなんかじゃありませんよっ! 大体俺は告白なんてしてないんだ! 杉さんが勝手に勘違いして……っ」

「じゃあ勘違いさせとけよ。わざわざ訂正する必要もないでしょ」

 松本が軽い調子で言い返し、さっとリモコンを奪い返す。

「大丈夫だって。相手は杉だし、悪いようにはしないだろ」

 松本が宥めるようにがしがしと乱暴に頭を撫でてきた。杉崎に寝癖と称された髪型が、ますますそれらしくなり、櫻井は乾いた笑いを漏らした。松本は暫く櫻井の頭をなで回して、「それに……」と柔らかい声で続けた。

「あいつは愛とロマンの人だけど、昔女にこっぴどく振られてから、恋愛に対してちょっと感覚が麻痺してるんだ。俺はお前の愛の告白とやらで、それが治らないかと期待してる」

「……俺なんかじゃ、そのトラウマは癒せませんよ」

「卑屈だねー、お前も」

「それに、俺はそういう意味で杉さんを好きな訳じゃないですから」

「思い込みが激しいのも結構だが、先入観をなくしてみろよ。きっと幸せになれるぞ」

 含んだような物言いが引っかかり、櫻井は問うような視線を松本に向ける。だが松本は話は終わったとばかりに、DVDの再生を開始してしまった。




 愛の告白事件は、櫻井の予想と松本の期待を裏切り、杉崎に何の影響も与えなかった。ゲイだと告白した櫻井に、杉崎はどう対応するのかと身構えていたが、前と変わらぬ態度で接してきた。杉崎の態度にもやもやとした何かを感じながらも、結局告白自体がなかった事になった。

 松本は配属試験の準備に奔走し、たまにしか部室に姿を見せなくなった。同じく忙しいはずの杉崎は、変わらず映画三昧の日々だ。杉崎が志望する研究室の試験まで、もう一ヶ月を切っていた。

「さて、今日はこの映画を見よっか」

 この日も杉崎は鼻歌交じりに部室に現れた。提げていたレンタルショップの袋から取り出したのは、三部作の超大作映画だ。櫻井は呆れてため息を漏らす。

「今日一日で全部見るつもりですか」

「この映画嫌い?」

「そうじゃなくて、忙しい時期にこんな事に時間使っててもいいんですか」

「いーんだよ。大事なことなんだから」

 映画がそんなに大事か、と櫻井は白々しく思いながら、DVDをセットしている杉崎の横顔をちらりと伺った。ここ最近、杉崎は疲れた顔をしている。目の下には濃いくま、眼の充血もひどい。おそらく試験勉強に追われながら、睡眠時間を削って映画を見る時間を確保しているのだ。

「試験が終わった後に見たらいいじゃないですか」

「それじゃ遅いよ」

「あんたね、今が睡眠時間を犠牲にしてまで映画を見る時期か、真面目に考えて下さい」

「考えてる。おれはちゃんと、真剣に考えてるんだ」

 杉崎が負けじと言い返し、DVDの再生を始めた。そのままいつものパイプ椅子ではなく、ソファーに横になる。櫻井が物言いたげにじっと見つめても、杉崎は気付かないふりでテレビを眺めている。

 櫻井は仕方なく視線を外し、画面に目を向けた。だが物語が全く頭に入らない。杉崎の眼はぼおっと曇り、ひどく眠たそうに見えた。映画の終わりまで起きていられるか疑問だ。

 案の定映画が中盤に差し掛かった辺りで、杉崎はこくりこくりと船を漕ぎ始めた。テレビの音量はそれなりに大きいが、眠気が勝ったらしい。櫻井はそっと杉崎の肩を叩いた。杉崎がはっと息をのんで目を覚まし、ぶんぶんと激しく首を振った。

「寝てないぞ、ちゃんと起きてた」

 杉崎は子どものような嘘をついて強がるが、とろんとした寝ぼけ眼で、瞼は下がり掛けだ。眼鏡を額に持ち上げて目をこすり、必死で起きていようとする。

「今日はやめにして、また今度見ましょう。ね?」

 櫻井が鞄を差し出しても、杉崎はソファーから起き上がろうとしない。視線をテレビ画面に定めたままだ。櫻井は諦めて、再び画面に向き直った。音量を少し下げる。

 少し時間をおいて振り返ると、やはり杉崎は眠っていた。二の腕に半分顔を埋め、ずれた眼鏡が頬の辺りに載っている。杉さん、と呼び掛けると、ぴくりと瞼が動いた。

「もう今日は無理ですよ」

「……寝てない、起きてる……」

 杉崎が目を開けないで、ゆるゆると首を振った。どうしてここまで粘るのかが分からず、櫻井は少し強い口調で言った。

「俺はもう帰りますよ」

 もちろんただの脅しだ。効果はないだろうと思っていたら、杉崎が薄く目を開けて櫻井を見た。杉崎の手がおもむろに伸ばさ、きゅっと櫻井の服の袖を掴んだ。

「……や、だ」

 かすれた声をもらし、ぐっと櫻井の袖を自分の方へと引っ張る。櫻井の指先が、杉崎の唇をかすめた。引かれた手は柔らかな頬の上で止まり、杉崎はその微かな感触に安堵したような表情を浮かべる。

「ここに、いろ……」

 指先にかかる温かい寝息に、じわりと掌に汗が滲む。本格的に寝入ってしまったのか、杉崎は身じろぎ一つしない。心臓の音がうるさい。背後で流れる、クライマックス間近の迫力ある映画のBGMが、余計に心をかき乱した。

 櫻井は深呼吸を繰り返し、無理矢理気を静めた。ようやく緊張から解放され、躊躇いがちに腕を引く。袖を掴んでいた杉崎の手がソファーに落ちたが、起きる気配はない。

「……くそっ」

 櫻井は重ね着していたシャツを荒々しく脱ぎ、杉崎の身体にかけた。杉崎に背を向けてパイプ椅子に座り、テレビの電源を切った。室内に響いていた音が一瞬で消え、窓の外から雨音が忍び込んでくる。朝から降り続けていた雨が、急に激しくなったように感じた。 自然と深いため息が漏れる。形容しがたい感情が胸の中で渦巻いていた。

 仮にも杉崎にとって、櫻井は自分に告白してきた男だ。その男の前で眠るという無防備さ。これでは何が起きても、文句は言えない。

 胸の内で燻る邪念に唆され、櫻井はソファーの傍に跪いた。杉崎の頬に乗った眼鏡を摘み上げ、パイプ椅子の上に移した。

 杉崎は幸せそうな寝顔を無防備に晒していた。短い黒髪にそっと触れてみる。指で梳いてその固い感触を楽しみ、手を滑らせて頭の形をなぞる。そのままあごのラインを掌でゆっくりと辿り、すべらかな頬をそっと包んだ。思えばこんな風に杉崎の身体に触れるのは初めてだ。

 杉崎はスキンシップが激しいから、いつも気安く櫻井に触れてきた。櫻井の長い前髪を勝手に掻き上げて、『せっかくの男前が前髪で隠れてるぞ』とからかう。興奮するとやたら肩を組みたがるし、櫻井が生意気な事を言えば両頬をつねってくる。

「あんたって本当に、騒がしい人だ」

 寝ている杉崎は静かでいい。櫻井の心を引っかき回す事もないし、見当外れな事も言わない。あどけなさが際立った寝顔もなかなか可愛い。だが、どこか物足りない。改めて杉崎の顔を見つめ、その何かに気が付いた。

 閉じられた瞼の向こうにある、杉崎の瞳だ。真っ直ぐな視線を向け、雄弁に杉崎の感情を語る印象的な瞳。その瞳にいつも強く惹かれていた。

 早く起きろ、と櫻井は小さな声で呟く。いつまでも寝てないで、その瞳に櫻井を映して欲しい。早く目を開けて、俺を見ろ。お願いだから、俺を見てくれ。

 突然胸で燻っていた衝動が、大きく膨れ上がった。苛立ちや虚しさ、悲しみが複雑に混じり合ったそれに突き動かされ、櫻井は杉崎に顔を寄せた。かすかだった寝息がはっきりと聞こえ、頬にその温かさを感じた。

 櫻井の唇が、杉崎の薄い瞼にそっと触れる。柔らかな感触が伝わってきた瞬間、どくんと大きく鼓動が跳ねる。頭を支配していた暗い欲望が一瞬で吹き飛んだ。

「……っ」

 櫻井は弾かれたように身を引いた。口元を隠した手が激しく震えている。呼吸が乱れ、目眩がする。俺は一体、何をしてしまったんだ。

「……す、杉さんっ! 起きろっ」

 櫻井が腹の底から叫んだ声が、部室の空気を震わせる。杉崎が大きく目を見開いて、飛び起きた。ソファーの背にしがみつくような格好で、きょろきょろと忙しなく周りを見回している。

「な、何だ? 櫻井、どうしたの? 大丈夫か?」

 床に座り込んで震えている櫻井に、杉崎が心配そうに手を伸ばした。櫻井は尻を突いたまま後ずさり、よろめきながら立ち上がった。

「お、俺、帰りますっ」

「あ、おいっ。櫻井っ」

 引き留めるような杉崎の声を無視して、櫻井は部室を飛び出した。暗い廊下を全速力で駆け抜ける。一刻も早くクラブ棟から逃げ出したかった。あの時、沸き上がった狂暴な欲望と衝動。それと向き合えば何かを失う気がして、必死で打ち消しながら走り続けた。


 翌日、櫻井は松本にメールで呼び出された。滅多にメールを寄越さない松本からの連絡に、櫻井はキスの事がばれたかと内心ひやひやしながら、待ち合わせ場所である中庭で松本を待っていた。

「櫻井、明日の夜、もちろん暇だよな?」

 久しぶりに顔を合わせた松本は、開口一番に失礼な事を言ってのける。どうやらキスの事は知らないらしいと安堵したが、あんまりな誘い文句に抗議するように黙り込んだ。

「拗ねるな。明日すごいお楽しみイベントがあるんだって」

「お楽しみイベント?」

「そう、最高に楽しいイベントだ。明日暇だろ?」

「……まあ」

 胡散臭いと思いつつ頷いて、すぐに後悔した。ちゃんとイベントの内容を確かめて答えるべきだった。松本は押しが強いから、一度了承してしまうとなかなか断れない。

「じゃ、明日校門の前に六時な」

 最低限の事だけを伝えて立ち去ろうとするので、櫻井は慌ててその腕を掴んだ。

「ちょっと! イベントの内容を教えてくれないと」

「試写会だよ。俺が急遽行けなくなっちまったから、代わりに行ってきて」

「……杉さんと、ですか?」

「あいつ以外誰がいるんだよ。明日校門前に六時、頼んだぞ」

 櫻井が逡巡している間に、松本は櫻井の背中をぽんと軽く叩いて立ち去ってしまう。櫻井はベンチに腰掛けたまま、がしがしと乱暴に頭を掻いた。

 正直言って、気が進まない。杉崎はキスに気付いていないだろうから、素知らぬふりをすれば問題はない。変に避ける方がかえって怪しまれる。だが自然に振る舞うだけの心の余裕が、今の自分にあるだろうか。

 断る理由を一晩中考えたが適当なものが見付けられず、結局翌日に約束の場所に向かった。この日も朝から雨が降り、湿気を含んだ不快な熱気が肌にまとわりつく。ストライプ柄の傘を差して、ぬかるんだ地面を靴先で蹴りながら杉崎を待っていた。

「悪い、お待たせ」

 騒々しい足音と共に現れた杉崎が、そのまま櫻井の傘の中に飛び込んできた。狭い空間で密着しそうになって、櫻井は慌てて飛び退いた。

「そんなにびっくりするなよ」

 なぜか傘をさしていない杉崎が雨に濡れながら苦笑する。櫻井は慌てて横にずれ、杉崎を傘の中に招き入れた。隣で暢気に笑っている姿に、やはりキスには気付いていなかったと確信する。無意識に張りつめていた気持ちが和らぎ、櫻井はいつもの呆れ調子で尋ねた。

「傘、どうしたんですか。朝から雨が降ってましたよね」

「朝は小降りだったろ? この程度なら傘要らないかなって、置いてきた」

 杉崎が眼鏡を外し、Tシャツの裾で雨粒を拭った。髪は湿り気を帯び、首筋に雨の筋が走っている。薄いTシャツは肌に張り付き、身体のラインを強調していた。櫻井はそれに眼を奪われかけて、焦って視線を外す。誤魔化すように早口で杉崎に尋ねた。

「そんなに濡れて、寒くないですか」

「平気だよ。早く行こうぜ」

 言葉とは裏腹に、杉崎の腕は鳥肌が立っている。このままでは風邪を引く。櫻井は羽織っていた半袖のパーカーを脱いで、杉崎の頭に被せた。

「それ着て下さい」

「えっ、でもお前は……」

「構いません。少し暑かったので」

 櫻井もパーカーの下は薄手のTシャツ一枚なので、本当は少し肌寒かった。だがあの状態の杉崎を尻目に、ぬくぬくと着ていられない。杉崎は少し迷ってから、パーカーの袖にそろそろと手を通した。

「ありがとな?」

 杉崎が照れたように言うので、櫻井も恥ずかしくなってそっぽを向いて頷いた。ふと校門を行き交う学生達が自分達を一瞥していると気付き、杉崎を促して歩き出す。よく考えれば、男同士の相笠は目を惹く。居たたまれなくて、足下ばかり見ながら進んだ。

「今日の試写会はシネマスターでやるんだ」

 シネマスターは大学から一番近い映画館で、徒歩十五分ほどで歩いた所にある。杉崎は試写会が楽しみで仕方ないのか、スキップのような軽い足取りだ。

「お前さ、一昨日なんでいきなり帰ったの?」

 杉崎が避けたい話題にあっさりと触れてきたので、櫻井は内心ため息をついた。

「急用があって……」

「お前が掛けてくれたシャツ、洗って部室に置いてあるよ。あとさ、前にお前が見たいって言ってた『リンガ』のビデオをレンタルしたから、明日一緒に見ような」

「……ありがとうございます」

「そう言えば、お前と二人で映画館に行くのって、今日が初めてだよな」

 言われてみれば確かにそうだ。今まで何度も杉崎と映画館に行ったが、そこには必ず松本もいた。二人きりで外出するのも初めてだ。

 まるでデートだとくだらない冗談が浮かび、櫻井は思わず頬をゆるめた。だがすぐさま表情を引き締める。デートだなんてとんでもない。これはあくまで部活の延長で、決してプライベートなものではない。しかし一度浮かんだ甘い妄想に、櫻井は俄に緊張し始めた。さらに一つの傘の下という、いつもより近い距離。杉崎の体温が伝わってきそうで、心臓の鼓動が速くなる。

「なんか新鮮だなー。部室で二人ってのは結構あるけど、外ではなかったもんな。櫻井って休みの日は、あんまり外出しないんだっけ?」

「ま、まあ、そうですね」

「おれはよく海に行くよ。海ってさ、ロマンがあるじゃん。あのどこまでも続いてる感じとか、でっかいとことか、夕日が沈む光景とかさ。今度一緒に行くか? そうだっ、花火しようぜ! 一昨年近くの海で、松本と花火したんだけどさ……」

 杉崎が楽しそうに話しかけてくるが、櫻井は上の空だった。

 あの愛の告白事件から、櫻井の調子は狂いっぱなしだ。杉崎に対して恋愛感情はないなずなのに、キスしてしまうし、二人で出掛けただけなのにデートなんて浮かれた事を考えるし、この状況に異常なほど緊張している。すべてが櫻井の予想外の方向に転がり過ぎて、迷子のような気分だ。

 杉崎の声と共に賑やかな声が徐々に近づいているのを感じ、櫻井は顔を上げた。淡いピンクや可愛らしい水玉の女性物の傘が、行く先に溢れている。その光景にどこか違和感を感じ、眉をひそめる。

 試写会の会場となるシネマスターの入口で、たくさんの女性達とカップルが談笑していた。胸の中で嫌な予感が膨れ上がった。他の事に気を取られすぎて、今の今まで試写会で上映される映画の名前を聞いていなかったと気付く。

「杉さん……今日は、何の映画の試写会ですか」

「『ショコラティエの憧れ』って恋愛映画。前に応募するって言ってたろ?」

 嫌な予感が当たり、絶望的な気持ちになった。櫻井が思わず立ち尽くすと、杉崎が「どうした?」と顔を覗き込んでくる。

「……杉さん、男二人で恋愛映画を見るんですか」

「何か変か?」

「十分おかしいですよ……周りになんて思われるか……」

「そんなの気にすることないだろ」

 杉崎があっさりと切り捨てる。櫻井は唇を引き結び、落ち着きなく視線を彷徨わせた。

 よりによって、恋愛映画の試写会とは。女同士ならともかく、男同士は明らかに場違いだ。部室で恋愛映画を見るのとは訳が違う。他人に二人の関係を邪推されるかもしれない。恋人同士だと思われてしまう。

「櫻井が嫌ならやめるよ」

 難色を示す櫻井に、杉崎が意外なことを口にした。驚いて杉崎の顔を見ると、彼は櫻井を安心させるように微笑む。

 あれほど楽しみにしていたのに、杉崎が櫻井の意志を尊重しようとしている。あの映画バカが、櫻井を気遣っている。

「また部室で見ればいいし。どっかで夕飯でも食べて帰ろ」

「……試写会、行きましょう」

 杉崎の気遣いが堪らなく嬉しくて、櫻井は意を決した。周囲の目や反応など耐えてみせる。

 会場の入口で傘を閉じると、盾になる物がなくなったせいか、少し心許なかったが櫻井は思い切って足を踏み出す。

「腹減ったし、ポップコーン買ってくるな。どっかに座って待ってて」

 杉崎がロビーにある売店に向かい、櫻井は人目を避けてロビーの奥に並んだ長椅子へと逃れた。時折ちらちらと視線を感じる。この好奇に満ちた眼を、櫻井は最も忌み嫌い、晒される事に怯えてきた。だが、今はなんとか我慢できる。杉崎に温められた心が、安心感を与えてくれていた。

「櫻井、劇場に入ろ」

 杉崎はポップコーンの入った大きな紙バケツを抱えて戻ってくるなり、櫻井の手を握って走り出した。

「ちょ、ちょっと……っ」

「早く行かないと良い席なくなっちまう。お前初めての試写会だろっ、良い席で見よう」

 ばたばたとロビーを駈ける櫻井達に、他の招待客達が何事だと目を向ける。だがその視線に気付かないほど、櫻井は感動していた。杉崎と、初めて手を繋いでいる。赤くなった頬を腕で隠し、杉崎に手を引かれるままに走った。

 入場ゲートを抜け、薄暗い劇場の中に飛び込む。座席はすでに半分近くが埋まっていた。杉崎はぐるりと室内を見渡し、中央よりも少し後ろの列の真ん中の席へ向かった。杉崎は座席に着き、晴れ晴れとした顔で一息つく。繋いだ手が離れる。櫻井はそれを残念に思いながらも表情には出さず、杉崎の隣に腰を下ろす。

「ほら、櫻井も食えよ」

 杉崎が胸に抱いていた紙バケツを櫻井の方に傾けた。胸がいっぱいで食欲はなかったが、断るのも悪いので手を伸ばす。中央の仕切で分けられた、キャラメル味と塩味のポップコーン。杉崎が塩味を買うとは珍しいなと思ったが、この時はその意味を深く考えなかった。

「やっぱシネマスターのポップコーンは美味いな」

 杉崎はポップコーンにがっつきながら、間もなく上映される映画への期待のせいか、頬がほんのり赤らめている。

 上映まで十分を切ると、観客が押し寄せてあっという間に残りの座席が埋まる。ふっと会場の明かりが落ち、アナウンスが流れて上映が始まった。

 杉崎がちらりと櫻井を見た。暗闇の中で視線が合う。杉崎の眼が細められ、笑ったのが分かった。そのはにかんだような笑顔に、櫻井は完全に心を奪われた。夢のようなふわふわした気持ちで、スクリーンよりも杉崎の横顔ばかり盗み見た。

 映画は男女二人のショコラティエの心情がよく描かれ、まともな精神状態で見ていたならきっと楽しめただろう。心ここにあらずの今では、物語を追うことさえままならない。

 櫻井だけを置き去りに、物語は終盤に差し掛かる。スクリーンでは内気な男性ショコラティエが、恋する女性ショコラティエに贈るチョコレート菓子を必死に作っていた。伝えられなかった思いを、作品にすべて注ぎ込む。

 彼の健気な姿に、そこかしこで鼻を啜る音が聞こえ始める。淡い明かりに照らし出された杉崎の頬にも、すっと涙の筋が走った。切なげな杉崎の表情から、櫻井は囚われたように視線が外せなかった。

 ショコラティエの恋は無事に成就し、エンドロールが流れ始めた。それが終わると、柔らかい光が会場に満ちた。観客が立ち上がり、ゆっくりと出口に向かい始める。

「良い映画だったなー。おれ泣いちゃったよ」

 杉崎が照れくさそうに笑って、大きく伸びをした。

「櫻井、腹減っただろ? ラーメンでも食って帰ろっか」

 櫻井は小さく頷き、杉崎と共に席を立つ。会場を出ると、狭い廊下に人がごった返していた。特に入場ゲート付近が混み合っている。目をこらすと、試写会に協賛していた大手の製菓株式会社のジャケットを羽織った人達が何かを配布していた。

 ようやく辿り着いたゲートで、映画の題名が印刷された袋を手渡される。中身も見ないまま、とりあえず入口に向かった。すでにほとんどの観客は映画館から立ち去り、ロビーにまばらに人が残っているだけだった。

 会場の外は夜の闇に包まれていた。闇の中に咲く色取り取りの傘の花を眺めながら、櫻井も傘を開いた。当たり前のように杉崎は櫻井の隣に入る。それだけで、また緊張してしまう。杉崎は歩き出してすぐ、貰った紙袋の中を覗き、はしゃいだ声を上げた。

「あ、チョコだ! しかもコレ、映画でショコラティエが作ってたやつじゃん」

 あまりに嬉しそうな杉崎の姿に、櫻井は自分の袋を杉崎に差し出した。

「俺のもあげますよ」

 杉崎が突然ぴたりと歩みを止めた。櫻井もつられて立ち止まる。杉崎の顔がみるみる赤くなり、いつも真っ直ぐに人を見つめる瞳が珍しく視線を彷徨わせた。きゅっと唇を結び、袋に手を伸ばす。その手はかすかに震えていた。

「貰って、いいのか?」

 何をらしくなく遠慮しているのだろう、と櫻井は苦笑しながら頷く。杉崎は貰った袋を胸に押し当て、何かを言いかけて、躊躇う素振りを見せた。傘から落ちる雨の滴が、杉崎の肩を濡らす。傘の位置をずらそうとした時、ついに杉崎が口を開いた。

「あ、あのさっ、おれのチョコはお前に……」

「あの子達、仲良いね」

 杉崎の声に被さるように、女の声が聞こえた。驚いてそちらに目をやると、フリルの付いたピンク色の傘をさした二人の女が、櫻井達を見ていた。

「友達かな?」

「友達でしょ。それ以外何があるの」

 二人の女は櫻井の視線に気付き、さっと傘で顔を隠して歩き去った。櫻井はそれを呆然と見送る。彼女達が何気なく発した言葉が、胸に深々と突き刺さっていた。血の気が引き、足下がぐらぐらと揺れているような気がする。何に狼狽えているのだと胸元を押さえた時、唐突に気付いた。

 これほどまで動揺した理由を、杉崎が櫻井と二人で恋愛映画を見に行く事に抵抗がなかった理由を、周囲の目を気にする必要はないと言い切れた理由を。

 杉崎には櫻井と恋人同士になるという概念が存在しないからだ。彼にとって、櫻井は恋愛対象ではない。だから櫻井のように、人目を恐れたりしなかった。

 辿り着いたその答えに、絶望が押し寄せる。これほどまでショックを受ける理由は一つしかない。もう自分を誤魔化せなかった。

 やっぱり俺は、杉さんが好きなんだ。もはやおざなりな否定すら出来ないほど、杉崎を好きになってしまっている。

「櫻井? どうした、大丈夫か?」

 必死で呼び掛けてくる杉崎の声がひどく遠い。視界が滲み、乾いた笑いが漏れた。虚しかった。疑似デートにはしゃいでいた自分がひどく滑稽に思えた。

「馬鹿だ、俺は……」

 勝手に零れ出た声はみっともなく震えていた。

 本当はとっくに、分かっていた。杉崎はゲイである櫻井を受け入れたのではなく、櫻井に興味も関心もなかっただけだ。櫻井自身が薄々それに気付いていたから、むきになって杉崎への想いを否定し続けたのだ。その恋が決して叶わないと心の何処かで知っていたから、認めたくなかった。

「……でももう、終わりだ」

「終わり? 終わりって何だよ」

 杉崎が戸惑いがちに伸ばしてきた手を、櫻井はやんわりと振り払った。自嘲の笑みで口元を歪め、暗い胸の内を吐き出した。

「俺と杉さんは友人にはなれない。俺には無理です」

「お、おいっ、急に何言い出すんだ?」

「俺は自分の気持ちを否定して悪あがきして、必死で希望にすがってた。もしかしたら映画みたいにどんでん返しが起きるんじゃないかって……」

「何のことだよ? 勝手にお前の中で終わらせるな、ちゃんと話せ」

 焦れた杉崎が強い口調で櫻井に詰め寄った。櫻井は片唇を攣らせて吐き捨てる。

「だってあんたは、俺を好きにならないでしょ? 終わらせる以外、どんな方法があるって言うんですか。これからも今まで通り仲良くしろと? あんたはそれで楽しいかもしれないけど、俺の気持ちはどうなるっ」

 抑え込んでいた感情が爆発し、櫻井は傘を地面に叩き付けた。傘は跳ね上がり、遠くへ転がっていく。降りしきる雨が櫻井の全身を打ったが、身体は炙られたように熱かった。櫻井の険しい表情に、杉崎は声を失っている。

「俺がどんな気持ちでこの数週間過ごしてきたか……あんたは考えた事あるのかよっ! あんたの言動一つ一つに振り回されて取り乱して……」

 なりふり構わず叫び続ける櫻井の目から、涙が溢れた。次から次へと零れ、髪と頬を濡らす雨と混じり合う。そのかすかな温かさで自分が泣いているのだと思い知らされるが、羞恥を感じるほど冷静ではなかった。

「俺の思いを暴いたのは、あんただろっ! あんたが愛の告白だなんて言わなければ、俺はきっとこの思いを昇華出来たんだ。それなのに、あんたは……暴いたくせに俺の思いをなかった事にした。受け入れられないなら、突き放してくれた方がよっぽどマシだった。気持ちを無視されるぐらいなら、罵られて軽蔑される方が、ずっと良かった。こんな虚しい思いをするぐらいなら……っ」

 あんたなんて好きにならなければ良かった。心に浮かんだその言葉は、声にならなかった。額に張り付いた髪から雨水が眼に入り、櫻井は固く目を閉じた。涙と混じり合ったそれが頬を流れ落ちる。雨が身体から少しずつ熱を奪っていく。叫びすぎた喉が痛い。

 長く続いた沈黙の後、櫻井はゆっくりと瞼を持ち上げた。霞んだ視界の中で、杉崎が雨に打たれながら櫻井を見つめていた。張り付いた髪と服で、杉崎はひどく頼りなげだった。眉は悲しげに寄せられ、今にも泣き出しそうな表情だった。

 今度こそ終わりだ、何もかも。

 そう痛感し、櫻井は無言で杉崎に背を向けて歩き出した。杉崎は引き留めない。雨音と共に聞こえてくる自分の足音をぼんやりと聞きながら、櫻井はただ足を動かし続けた。




 梅雨が明け、晴天の日が続いている。蝉の鳴き声が響き渡り、ただでさえ蒸し暑い気温をさらに暑く感じさせる。

 櫻井は木洩れ日に照らされた中庭のベンチに腰を下ろし、じっと待ち続けていた。一方的に交わした約束を、守ってくれるだろうか。すでに指定の時間を二十分過ぎている。

「櫻井、グッドタイミングだ」

 砂を蹴る音が聞こえ、背後から声をかけられた。肩越しに振り返ると、待ち人の松本が手で顔を扇ぎながらベンチにやってきた。遅刻して何がグッドタイミングなのだと呆れたが、文句を言う気にもならなかった。

「暫く顔も見せずに、何やってたんだ?」

「……急に呼び出して、すみません」

 松本は吐息だけで笑って、櫻井との間に少し距離を空けてベンチに座った。

「で、話ってなんだ」

 櫻井は祈るように組んでいた指をほどき、足下のバッグから一枚の封筒を取り出す。松本はそれを受け取って、深々とため息をついた。

「二週間以上メールも電話も無視した挙げ句の答えが、これか」

 松本は封筒を二人の間に放った。ぱさりと軽い音がして、『退部届』と書かれた封筒がベンチに落ちる。

 試写会からの三週間近く、櫻井は全く部室に顔を出さなかった。杉崎から話を聞いたのか、もしくは何かを察した松本が連絡を寄越したが、櫻井はそれを黙殺した。それでも松本はしつこく部室に来るよう促し、櫻井が悉く拒絶した。二人が見えない攻防を続ける中、杉崎は一度も連絡してこなかった。

「退部の理由はなんだ?」

「……」

「別に無理矢理引き留めるつもりはないよ。だから最後にそれぐらいは教えろ」

 静かだがかすかに苛立ちを含んだ松本の声に、櫻井は覚悟を決めて口を開いた。

「……俺は杉さんを、俺のエゴで傷つけました」

 じわりと涙が浮かび、膝の上で組んだ手の中に伏せた。この二週間、櫻井はずっと後悔し続けていた。杉崎の悲しげな顔を思い出す度に、胸が締め付けられた。自分の身勝手さに怒り、自責の念に駆られた。

 試写会の日から、何度も部室に向かっては引き返すを繰り返した。謝りたかったが、杉崎の顔を見るのが怖い。もし軽蔑の眼差しを向けられたら、きっと立ち直れない。

 結局、関係を壊す事への覚悟が全く出来ていなかったのだ。自分の手で幕を引きながら、その結果を受け入れようともしない。杉崎を失った今でさえ、思いを消せずにいる。過ちを悔い、失ったものの大きさに自失している。

「杉さんは俺を好きにならない、そんな事は分かってた。俺が勝手に杉さんを好きになったくせに、受け入れられないと知って耐えられなくなった。沢山酷い事言って、責めて傷付けた。今まで通り一緒にいれるわけがないんですよ。俺はもう、杉さんの傍にはいられない……」

 松本はじっと櫻井を眺めていたが、やがてベンチの背に手を掛けて空を仰いだ。

「お前らは揃いも揃って不器用だねえ。せっかく試写会譲ってやったのに」

 櫻井は思わず松本に顔を向けた。譲ってやった? 適当な事を言うなと口を衝いて出掛かった。射るような眼差しで睨むと、松本は呆れたような表情を浮かべた。

「嘘じゃないぜ。杉に頼まれたから、お前に譲ったんだ」

「……どうして杉さんが、そんな事を?」

「ホントはお前、ポップコーンは塩味が好きなんだろ」

 櫻井は何の脈絡もない話題に虚を突かれた。一体それが今何の関係があるんだ、とわずかに怒りが込み上げる。松本はその反応に肩を竦め、真面目な顔でさらに続けた。

「アクション映画より、サスペンスが好きだよな。でもヒューマンドラマが一番好きで、家族や友人をテーマにした映画を見ると、いつも涙ぐんでる。杉崎に呆れてる風でいて、お前も意外にロマンチストだ。寂しがり屋だし、冷めているふりして人一倍繋がりを欲してる。だろ?」

 松本がつらつらと述べた事は、悔しいが間違っていない。人付き合いをいい加減にこなしている松本が、ここまで櫻井を分析していたとは驚いた。しかしその意図が分からず、櫻井は戸惑うばかりだ。

「意外と知ってるだろ? まあ、全部が杉の受け売りだけどな」

 さらりと松本が吐いた言葉に、櫻井は目を見開いた。

「お前のこと、あいつが何も考えてないと本気で思ってたのか? 一年間、ほぼ毎日一緒にいたんだ。たとえお前と同じ意味合いじゃなかったとしても、あいつはあいつなりにお前を大事にして、ちゃんと見てた。お前が愛の告白とやらをする前から、ずっと」

 杉崎が櫻井を見ていた? そんな事はあり得ない。杉崎の頭にあるのはいつも映画だけで、櫻井はただの後輩に過ぎないはずだ。

「先入観をなくせよ。幸せになりたいだろ」

 松本が諭すような口調で言い、櫻井は迷うような眼差しを彼に向ける。

 杉崎が櫻井との事を真剣に考えている、そのあり得ない事態を受け入れろ。松本はそう言っている。先入観に囚われず、冷静に事実だけを見つめろ、と。

 櫻井は記憶をひっくり返した。愛の告白以後の杉崎の事を、もう一度見つめ直す。

 杉崎は睡眠時間を削ってまで部室に現れた。松本に頼み、試写会をわざと二人きりで見に行った。櫻井のために試写会を諦めようとした。二種類のポップコーンに、頬を淡く染めた照れくさそうな笑顔。そして、女の言葉に気を取られて聞き流した杉崎の言葉。

『おれのチョコはお前に……』

 あの時、杉崎が差し出そうとしたのは、映画でショコラティエが作ったものを模したチョコレート。杉崎は自分のそれを、櫻井に渡そうとしていた。

 ぼんやりとショコラティエの映画の情景が浮かび上がる。二人のショコラティエは、互いの思いを込めたチョコレートを交換し合った。そうする事で、好きだと伝え合った。

「……そんなの、あり得ない」

 櫻井は燃え上がるように熱くなった頬を掌で覆い、呆然と呟いた。杉崎も櫻井が好きだなんて、そんなのは都合のいい思い込みだ。

 だが確かにあの時、櫻井は自分のチョコレートを杉崎に渡し、杉崎は自分のそれを櫻井に託そうとした。あれは、櫻井の思いに応えようとしていたのではないか。

 もしそれが真実なら、取り返しのつかない事をした。杉崎が彼なりの方法で誠実に応えようとしていたのに、あんな暴言を吐いて、杉崎の思いを踏みにじった。杉崎の気持ちを汲み取れていなかったのは、櫻井の方だ。自分の事ばかり考えて、一番大切な人を蔑ろにした。

 櫻井は焦燥感に駆られ、ベンチから立ち上がった。

「松本さんっ……俺どうしたらいいですか? もう駄目ですか、もう間に合いませんかっ」

 助けを乞うように松本を見ると、彼はにやりと意味ありげに笑ってみせる。

「グッドタイミングだって言ったろ? 今日は杉崎が志望する研究室の試験日だ。もうじきあいつは面接を終えて、第一講義棟から出てくる」

 櫻井は第一講義棟の方向を振り返った。並木の向こうに見える建物に、なぜか足が竦んだ。もう遅すぎるんじゃないか、と臆病な囁きが頭に響いた。

「行けよ、櫻井。まだ諦めてないんなら」

 松本がぽんと櫻井の背中を押す。呪縛は解かれ、ふわりと足が軽くなった。

 櫻井は感謝の念を込めて深々と頭を下げ、走り出した。今すぐにでも杉崎の元へと駆けつけたいが、準備が出来ていない。愛とロマンを求める杉崎に再び思いを伝えるには、必要な物があった。


 準備を終えた櫻井が第一講義棟へと辿り着いた時、すっかり日が暮れていた。櫻井は走りおえた後の荒い息を整えながら、まばらに明かりが灯る棟を見上げた。杉崎はこの建物の中にいる。櫻井は入口に続く短い階段の端に腰を下ろした。ここで出てくる杉崎を捕まえようと、入口に目を向けて待ち続ける。

 一時間以内には出てくると思っていたが、一時間を過ぎても一向に杉崎は姿を現さない。もしや来るのが遅すぎたかと心配になり、松本にメールを送ってみる。すぐに返信されたメールを読んで、櫻井は肩を落とした。

『試験はとっくに終わってるはずだぞ。あの後すぐ行かなかったのか?』

 文面から松本の呆れた様子が伝わってきて、自分でも情けなくなる。告白に必要な物は用意した。だが肝心の相手、杉崎がいない。自分の格好を改めて、これではただの浮かれたお祭り野郎だと苦々しく思う。

 それから三十分、未練がましく待ってみたが、やはり杉崎は出てこない。櫻井はのろのろと腰を上げて、第一講義棟から離れる。

 キャンパス内の並木道を少し歩いた所で、木々の向こうにクラブ棟が現れた。いくつかの部屋に明かりが灯っている。櫻井は足早にクラブ棟に向かった。もしかしたら…と予感がした。

視界を遮る並木がなくなり、櫻井は思わず足を止める。クラブ棟一階の突き当たりの部屋が、薄ぼんやりと光っている。映画研究同好会の部室だ。

 櫻井はクラブ棟の入りに、一気に廊下を駆け抜けた。手にした物ががさがさと激しく揺れる。部室の扉に飛びつき、ノックもせずに開け放った。

 光量が抑えられた室内灯の下、杉崎がいた。ソファーで膝を抱え、扉が開いた事に気付きもせず、じっと顔を膝に埋めている。珍しくテレビは沈黙したままで、室内は静寂に満ちていた。

「……杉、さん」

 櫻井は思い切ってその背に呼び掛けた。杉崎がびくりと身体を震わせ、ゆっくりと肩越しに振り返る。軽く見開いた杉崎の目は櫻井の顔をまず見て、それから視線を下げた。櫻井が手にしている物に気付くと、杉崎は泣き出しそうな顔に困惑の笑みを浮かべた。

「……なんで花束持ってるの」

 杉崎に問われ、櫻井はぎこちなく笑って少ししおれた花束をスーツの胸に抱いた。

 もう一度杉崎の心を取り戻すには、映画並みの告白が必要だと考えたが、杉崎は明らかに戸惑っている。どうやらまた見当外れだったらしい。

「しかもスーツだし。なんか式典でもあった?」

 杉崎はわざと明るく言って、ソファーから飛び降りた。数メートルの距離を挟んで、二人は向かい合う。互いに口を閉ざし、沈黙が落ちた。先に口を開いたのは、杉崎だった。

「久しぶりだな」

「……」

 言いたい事は沢山あったはずなのに、言葉が出てこない。杉崎も気まずげに視線を泳がせた。いつもの脳天気さがなく、表情は暗い。短い沈黙の後、杉崎は続けた。

「おれさ、ちゃんとお前の顔を見て謝りたくて、ずっとここで待ってたんだ」

 思いがけない言葉だった。謝るのは櫻井の方で、杉崎が謝る理由はない。驚いて杉崎を見たが、彼は項垂れて床を見ていた。

「ごめんな。おれは気付かないうちにお前を、沢山傷付けてきたんだよな」

「そんな事は……」

「おれは、お前の告白が嬉しかった。嘘じゃない、ホントだよ」

 杉崎が顔を上げ、どこか諦めを滲ませる微笑を浮かべた。

「お前の気持ちを軽んじてたんじゃない。俺は、真剣に考えたかったんだ。お前の告白に、ちゃんと答えたかった。二人でたくさんの時間を過ごして、自分がお前の恋人になれるかどうか見極めたかった。馬鹿みたいに、そればっかり考えてた。お前が傷ついてるなんて、ちっとも知らずに無神経なことして……」

「ち、違いますっ。謝らなきゃいけないのは、俺の方です」

 杉崎の何かに耐えるような表情を見ていられず、櫻井は遮った。真実を知った今なら、杉崎の行動は全部理解できる。互いに言葉が足らず、すれ違っていただけだ。欲しいのは謝罪の言葉じゃない。伝えなければならないのは、もっと別の事だ。

 杉崎は顔を俯け、小さく首を振った。

「謝るなよ。お前は悪くない」

「違う、悪いのは俺だ。俺が無理矢理あんたに自分の気持ちを押し付けて、勝手に暴走したんですっ。すみません、俺は、俺は……」

「謝るなって。お前に謝られたら、おれはどうしたらいいか分かんないよ」

 杉崎の声が微かに震えた。杉崎は感情を抑えるように、ゆっくりと時間をかけて息を吐き出す。櫻井を見ようともせず、視線を落としたままぐっと拳を握っている。

「ごめん……」

 杉崎がもう一度謝罪の言葉を口にした。何に対しての謝罪かは分からない。

 ふと櫻井はこれまで感じた事のない、深く大きな溝が自分達の間に走っていると気付いた。越えられない溝が、自分達を隔てている。たった数メートルの距離が、途轍もなく遠い。

 耐え難い虚無感に襲われ、力の抜けた櫻井の手から花束が落ちる。床に落ちた花束から、バラの花びらが数枚零れた。真っ赤なそれを呆然と見下ろし、それから視線を杉崎に戻す。項垂れたままの杉崎の姿に、櫻井は自嘲めいた笑みを浮かべた。

 自分は何に期待して、ここに来たのだろうか。過去に同じ過ちを犯しすべてを失ったというのに、淡い希望を抱いていた。失ったものを、また取り戻せると思っていた。そんなものは何一つないというのに。

 櫻井は自分の目の前に横たわる現実を、諦めと共に受け止めた。きびすを返し、開け放たれたままの扉に向かう。

「……さよなら」

 振り返らずに告げた別れは、いやに重く響いた。部室を出て後ろ手に扉を閉めようとした。完全に閉まる直前、杉崎が叫ぶように言った。

「嫌いになってもいい」

 櫻井は驚いて扉を開け直し、杉崎を伺った。杉崎は悲壮な表情で、真っ直ぐにこちらを見つめていた。

「櫻井、おれのこと……嫌いになってもいいよ」

「……何言ってるんですか」

 杉崎の言わんとする事が本気で分からない。それが櫻井の胸をざわつかせる。最後の時まで、杉崎の思考が理解出来ない。杉崎は不審そうに自分を見つめる櫻井に気付き、また「ごめん」と小さな声で詫びた。

「……それは何に対する謝罪ですか」

「お前がおれのこと嫌っててもいいんだ。でも……ごめん。おれは、お前のこと諦められそうにねえよ」

 杉崎が苦しげに吐き出す。両手を握りしめ、力の入った腕に血管が浮いている。

 櫻井の頭はますます混乱し、未だ杉崎の言葉の意味をはかりかねていた。ゆっくりとその意味を飲み込み、漠然と胸に広がっていた不安が消えていく。

 代わりに二人の間にあった溝が、距離が急速に消えていくのを感じる。

「おれはお前のこと諦めない。諦めたくないんだっ。だから、お前が何度おれを嫌いになっても……何度だっておれに惚れ直させてみせるっ!」

 杉崎が力を込めて言い切り、先程までの悄然とした姿が嘘のように胸を張った。呆気にとられている櫻井を気にも止めず、いつもの調子を取り戻した杉崎は高らかに宣言した。

「それが愛の成せる業だっ」

 こんな気障で寒い事ばかり口にしてるから、変人だと評されるんだ。櫻井はそう呆れながらも、妙に納得していた。

 そうか、愛か。失ってもなお、恋い焦がれるこの気持ちは、この泣きたくなるほど温かく優しい気持ちは……そう呼ぶに相応しいかもしれない。

 櫻井は堪らなくなって、杉崎へと駆け寄った。杉崎は突進してくる櫻井に、ぎょっと目を見開き、顔をかばうように腕を持ち上げた。櫻井は杉崎の身体を自分の腕の中に収め、きつく抱き締めた。やっと手に入れたその温もりに、胸がいっぱいになる。自然と涙が滲み出し、固く目を閉じる。

 ずっとこうしたかった。ずっとこの人を、抱き締めたかった。

 万感の思いに浸っている櫻井の腕の中で、杉崎は妙に身体を強ばらせていた。やがてひくっと肩を引きつらせ、嗚咽を漏らし始める。

「び、びびらせんなよーっ」

 子供のように声を上げて泣き出した杉崎に、櫻井は訳が分からず「え?」とその顔を覗き込んだ。杉崎は溢れる涙を拭いもせず、わあわあ声を上げて泣きじゃくる。

「一体どうしたんですか?」

「な、殴りかかって、きたのかと思った……っ」

 杉崎の失礼極まりない誤解に、ひくりと櫻井の頬が引きつる。感動的な告白の直後に殴りかかるという発想が、何故浮かんでくるのか疑問だ。どうしてこの人はこうも理解不能なのだと頭痛がしてくる。

「なんで俺があんたを殴るんですか」

「だってお前……おれのこと嫌いだろっ。あの時、すっごく怒ってたじゃん! あんなに怒ったお前…見たことなかったし…っ、もう嫌われたって思って……。今日だって…、なんかよそよそしい、じゃん。おれ、すっげぇ怖かった……っ」

 あの時、というのは試写会の夜だろう。櫻井の自分勝手な八つ当たりを真に受けて、杉崎は嫌われたと思い込んだようだ。今日の彼の元気のなさもぎこちない態度も、その勘違いのせいだろう。

 櫻井は背中に回していた腕を解き、そっと杉崎の両頬を掌で包んだ。杉崎がしゃくり上げながら何度も大きな瞳を何度も瞬かせ、目尻から涙が滑り落ちる。掌に伝わるその温かさに、愛しさが込み上げた。櫻井はそっと自分と杉崎の額を触れ合わせる。間近に迫る杉崎の瞳を、今までで一番綺麗だと思った。

「……嫌いになんて、なれるわけがないでしょ」

 会えずにいた日々も、ずっと櫻井の心を占めていたのは杉崎だ。嫌いになんて到底なれない。忘れたくても、それを許してくれない。

 どこまでも、杉崎は傍迷惑で面倒な男だ。馬鹿正直で、自分にも他人にも嘘が付けない。真っ直ぐすぎるあまりに、他人の感情の屈折した部分に気付かない。純粋で鈍感。愛とロマンの人のくせに、実は照れ屋だ。

 屈折した櫻井にとって、杉崎は眩しかった。その愚直なまでの純粋さと率直さに憧れていた。手に入らないと諦めて忘れる事も出来ないほど、好きだった。

「……あの時は酷い事言って、すみませんでした。………好きです。俺はずっと……杉さんの事が……好きでした」

 静かに募り続けた思いを、震える声で伝えた。

 花束も用意して、スーツも着た。格好良くきめるはずだった告白は、どうしてこんなにもみっともないんだろう。どうして俺は、泣いているんだろう。どんなに格好をつけても、これが嘘偽りのない自分だ。小心で卑屈で情けない男だが、誰よりも杉崎を思っている。

 杉崎がゆっくりと腕を持ち上げ、櫻井の涙で濡れた頬を優しく撫でた。それから気の抜けた笑顔で、ぎゅっと櫻井の頬を両側から引っ張る。

「馬鹿だなあ、泣くなよ……」

 そう言った杉崎の細めた瞳からもまた新たな涙が零れた。櫻井は首に手を回し、ぎゅっと杉崎を抱き寄せた。櫻井の頬から離れた杉崎の手が、ゆっくりと同じように櫻井の首に回った。杉崎は櫻井の首筋に頬を寄せ、かすれた声で囁いた。

「……おれも、櫻井が好きだ」

 心の奥底で切望し続けた言葉だった。堰ききったように涙が溢れ出る。吐き出す吐息と身体が震えた。形容できない思いが心を激しく揺さぶった。声を必死で殺して泣いていると、杉崎が宥めるようにそっと背中を撫でてくれる。

 櫻井は思いを込めて杉崎の頭に口付ける。ただただ、杉崎が愛おしくて仕方がなかった。




「櫻井ーっ、やったぞー!」

 杉崎が歓喜の声を上げながら部室に駆け込んできた。ソファーでくつろいでいた櫻井に飛びつき、櫻井の髪をぐしゃぐしゃにかき回す。櫻井はされるがままになりながら、冷静に尋ねた。

「何があったんですか」

「合格だよっ! 第一志望の研究室に合格したっ」

「おめでとうございます」

「サンキュウ、最高に嬉しいぜっ」

 杉崎が櫻井の背中にのしかかり、喜びにじたばたと激しく暴れる。櫻井はぐっと息を詰まらせ、手を伸ばして杉崎を隣に引きずり下ろした。興奮状態の杉崎はソファーの上に寝転び、ごろごろと悶えている。櫻井は気のない拍手を送ってやりながら、内心ため息をついた。

 恋人同士になってから、杉崎のスキンシップは格段に増えた。じゃれるという意味合いが強い杉崎のそれに、櫻井は自分から杉崎に触るのを躊躇った。

 恋人として杉崎に触ったり抱き締めたりしたいのだが、あまりに無邪気な杉崎の触れ合いに比べると邪な気がして、なかなか手が出せない。おかげで未だキスすら出来ていない。櫻井は勇気を振り絞って何度かキスを試みたが、毎回毎回杉崎の予測不可能な行動にムードをぶち壊され、断念していた。

「おれはこの研究室で、めちゃくちゃ頑張るつもりだ! いっぱい実験するぞーっ。もしかしたら世紀の大発見しちゃうかもな。さらにその発見で世界が変わっちゃったりするかもしれない! なあ、櫻井っ、これってロマンのある話だと思わないか」

 杉崎が楽しげに夢を語りながら、きらきらと瞳を輝かせる。櫻井は「まあ」と相変わらず気のない返事を返す。

「とりあえず、御祝いでもしますか? 松本さんも呼んで」

「そうだなっ……あ、でも、もうちょっとこうしてたいかも」

 杉崎が寝転んだまま、目を細めてじっと櫻井を見上げる。櫻井が不思議に思って首を傾げると、杉崎が照れくさそうに頬を掻いた。

「お前と二人きりで、もうちょっとだけ喜びを分かち合いたい」

 不意打ちのような杉崎の言葉に、櫻井は完全に心を射抜かれる。不覚にも真っ赤になった顔を片手で覆い、視線を逸らす。二人ともあえて口は開かず、心地の良い沈黙が流れた。

 櫻井も暫くはその心地よさに身を任せていたが、不意に「これはチャンスだ」と感づいた。ちらりと伺った杉崎はうっとりと目を閉じて、警戒のかけらもない。このチャンスを逃す訳にはいかない。今度こそはムードを壊される前に、キスに辿り着く。

 櫻井はそっと杉崎の頭の横に手を突き、身をかがめた。杉崎は逃げない。微笑したまま櫻井を見上げている。

「杉さん……」

 了承を求めるように名を呼ぶと、杉崎は「ん?」と甘い声音で答えた。櫻井はそれを許可と捉え、ゆっくりと唇を近づけた。吐息が触れ合うほどまでに顔を寄せた時、杉崎が怪訝そうに眉を寄せた。杉崎は素早く櫻井の頬を両手で挟んで固定し、「何をしようとしてる?」と問い質した。櫻井は苦い顔をして、気まずげに答える。

「……キス、ですけど」

「おれはファーストキスなんだ」

「……はあ」

「お前はどうなんだ、櫻井!」

「……初めてです」

 至近距離で見つめ合いながら、恥ずかしい事を確認し合う。杉崎がにこりと満面の笑みを浮かべ、「それじゃあ」とはしゃいだ声を上げた。どことなく嫌な予感がして、櫻井は頬を引きつらせた。

「おれにとっても、お前にとってもファーストキスなんだからさ、まずは場所選びから始めないとな!」

 杉崎がぱっと櫻井の顔から手を離し、勢いを付けて飛び起きた。そして櫻井の手を掴み、急かすように引っ張る。櫻井は反射的に抗うように腕を引き、戸惑いながら尋ねる。

「ちょ、ちょっと……っ、何処に行く気ですか」

「海だっ!」

「はあっ?」

「いや……違うっ、映画館だ! あ、でも遊園地という選択もあるな。夜の公園とかでもいいし……わあっ

 勝手にあれこれ考えを巡らせている杉崎の腕を、櫻井は渾身の力で引っ張った。杉崎が体勢を崩し、大きく前につんのめった。櫻井はその身体を抱き留め、杉崎の細いあごを指先で押して俯きかけた顔を上げさせる。杉崎が驚いたように目を見開く。櫻井は構わず、その紅い唇に自分のそれを重ねた。

 柔らかい感触とほのかな温もりに、頭が痺れた。櫻井は夢中になって、微かに触れるか程度のキスを繰り返す。遠慮がちのキスは、もしかしたら杉崎に拒まれるかもしれないと危惧したからだ。だが杉崎の手は櫻井のTシャツの袖をぎゅっと握り、びっくりしたように開かれていた瞳が閉じる。

 好きだという思いが溢れて、心臓が破裂しそうだ。顔が燃えるように熱い。そっと触れた杉崎の頬も熱かった。

 櫻井は片手で杉崎の腰を引き寄せ、角度を少し変えて口付ける。杉崎が瞼を震わせ、かすかな吐息を漏らした。唇を押し付けるだけのキスに十分過ぎるぐらい満足して、櫻井はようやく唇を離した。杉崎は口元を覆い、少し拗ねたような表情で櫻井を見上げた。

「……杉さんとキス出来るなら、本当はどこでも良かったんですけど、この部室が俺と杉さんにとって大切な場所だから」

 櫻井が言い訳のように呟く。自分の乙女のような思考が恥ずかしくて、櫻井はそっぽを向いた。

「ホントに可愛い奴だなぁ、お前は」

 杉崎はあははと陽気に笑いながら背伸びして、ちゅっと音を立てて櫻井の頬に口付けた。驚いて声も出ない櫻井の手を引いて歩き出す。

「さあお祝いに行くぞっ! あ、松本も呼ばなきゃな」

 何でもない風を装っているが、杉崎の耳は真っ赤だった。二人して真っ赤な顔で現れたら、松本にどれだけからかわれるだろうか。それでもいいか、と櫻井は苦笑する。

 こんな風にこれからも、ずっとこんな騒がしい日常が続くのだ。失いたくない、大切な日々が。

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愛とロマンのキネマトグラフ 鷹野 @takanoya2019

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