書く、ということ

 なにかと、なにかを書こうと思うのだがどうにもいつも書かずにいられじまいだったりする。思ったことをわーっと書くということはどちらかというと若いころ、むかしにやっていたもので、でもそうやって自分自身を若いころと比べて規定するのもほんとうはよろしくないのだろう。

 書くために書く。そうやって、ながらくやってきたはずなのにどうしてもどうも「なにかになる」ことを意識せざるをえない。まあ、書いてきたからこそ「なにかになる」ことが見えてきた、のかもしれないのだけれど、そんな考えじたいが傲慢か。

 書く、とはなんだろうか。話す、とも、聞く、とも、読むともちがう。似てるけどちがう。ぜんぶだいじだ。そしてぜんぶが関係しあっているといわれる。しかしこのなかでとりわけ私がおこなってきているのは「書く」ことだと思う。そう言ってよい、というやはりある種の傲慢を容赦してもらえるなら、だけれども。


 もっとも、量的にいちばんやってきているのは「読む」ことかもしれない。そして日常で多くおこなっているのはどちらかというと「話す」「聞く」ことなのだろう。「いちばん、書くことをおこなっている」というのは事実というよりはどちらかというと、私自身の願望なのかもしれない。そうありたい。「書くことをいちばんしている自分」でありたい。

 こうやって自分自身のことをなるべく突き詰めて突き詰めて考えたいとほんとうにはじめて思ったのは、いったいいつのことだろう。たぶん、中学とかのころだったと思うけれど、でもそんな回想にもほんとうは意味はない。


 書く。なにかを書く。小説も、そうじゃないものも、学校のレポートも。書く、書き続けている。そこにどれだけの意味を見出せばいいのだろうか。見出して、よいのだろうか。

 たびたび許しめいたものを乞うことすら不可能だとわかっているのに。


 いったい、なにに許しを求めているのだろうか。世間? もっと超越的なもの? 他人? それとも自分? 世間というのは個人、世間というのは君、だっけ。太宰治の、そんなことばが思い出される。

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