自然においての、経験(1)
「子どものころに、自然のなかで遊んでいると、創造性やら知的能力やらが豊かになる」というおはなしを、一般論的に、たまに聞く。
さて、と私は考えるのだった。
私は群馬県高崎市出身である。
生まれたときから中学卒業まで、高崎から住所が離れたことがないので、やっぱり自分は群馬出身だという思いが強い。ちなみにいまは東京暮らしで、こっちはこっちで愛着があるのだが、それはまたべつの機会に語りたいと思う。
群馬県というと、とんでもねえ田舎だというイメージをもたれるかたもいるかもしれないが、まあ、その、なんというか、だいたい合っている。無限に広がる田んぼ。どこに行っても視界に入る山々。永遠に流れ続けるんじゃないかという勢いの川。
なのだけど、私の住んでいたところはちょっと事情が違った。
高崎が、というわけではない。高崎の大部分も、すくなくとも私が暮らしていたころは、ふつうに自然豊かなところが大半だった。
ただし高崎というと、東京のひとや、全国規模でも、知っていただけているかもしれないことを挙げることができる――そう、駅としての高崎である。上越新幹線が停車し、JR高崎線の終点でもある駅としての、高崎。
そんな高崎駅の存在する地域のことを、市内では「高崎市街地」と呼んでいた。
私はその「高崎市街地」で育ったのである。
平成初期から中期のことだ。もう、世は令和になってしまった。高崎の開発はますます進んで、都会化もすすんでいるらしい。だからこれは、あくまで当時そこに住んでいた人間の当時の話、として聞いていただきたいのだけれど――。
高崎市街地は、群馬県のなかでもすこし雰囲気が違った。たぶん県庁所在地のある前橋の市街地と並んで、「群馬のなかの二大都会」といっても差し支えないんじゃないかと私は思っている。
なにせ高崎市街地には、まず驚くなかれ「駅ビル」がある。なんだって。平成初期から中期の群馬に「駅ビル」なるものがあっただと。「ハンバーガーの大手チェーン店」や「ファミリーレストラン」もある。うそだろ。群馬だぞ。もっと言うと、本屋もあるし、楽器屋もあるし、雑貨屋もあった。信じられない。群馬だぞ。
けっして、群馬のことを馬鹿にしているわけではない。だってこれは事実だったのだ。私が幼稚園のとき、近所にマックができるということで大騒ぎになった。中学生のとき、市内にイオンができるということで大騒ぎになった。そういう土地なのである。なにも群馬ではなくてもある程度地方のひとたちはこの感覚、わかっていただけると、信じたい。
それと、高崎市街地には、市役所や、商店街や、デパートや、整備された道路、噴水やら大きな広場やら、音楽祭のできるほどのホールまで、いろんなものがぎゅっと詰まっていた。
そんなにすっごく広い範囲ではない。一校の学区におさまってしまうほどの、広く見積もっても直径2キロ程度の範囲だったと思う。
そんな限られた地域に、当時の「群馬の都会の最先端」が、ぎゅっと詰まっていたのだ。
「田舎だけれど、都会。でも、都会だけれど、田舎」
こんなことを、よく友人と言い合った。
「地方都市って言葉が、こんなにほんとの意味で似合う街も、ない」
とも。地方の田舎にある、限られた範囲での都市部分――まさしく高崎市街地は、「地方年」であった。
「高崎市街地の群馬っ子」である私や友人たちには、悩みがあった。
それは、「思いっきり遊べる自然が、少ない!」ということである――さて、この話の続きは、長くなってきたので次回に!
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