終-2

「アーティファクトだ。人の記憶を抹消するアーティファクトがホスピタルにはあり、彼らはそれを用いてブレシスからギフトに関する記憶を消去して事実上能力を封印するというわけさ」

 後ろの方で佇んでいるセオが低く通りの良い声音で話している。ルキトは彼に背を向けてフェンス越しにぼんやりと景色を眺めている。屋上から見える朝の風景はいつもと変わらないが、ルキトの目には今日はどこか鮮やかに見えた。

「私はかつてホスピタルの人間だった。そして記憶を消すアーティファクトの開発に携わってもいた。しかしホスピタルのやり方が自分の主義に合わないと悟ってね、辞めることにしたのだよ。ホスピタルに関する他のことは概ねそのマキというナースの言った通りだ。饒舌なナースのお陰で説明の手間が省けたよ」

 星の煌めかない漆黒の夜空と同じ色をしたスーツに身を包んだ紳士は、ルキトが抱いていた疑問に関して端的に答えていた。

「あんたがホスピタルの関係者だったってことは、マキって人の話を聞いている内に何となく分かった。バランスとかなんとか、言っていることが似ていたから」

「であればナースの教育は今もしっかり行き届いているようだな」

 飄々と皮肉のような台詞を口にするセオ。それでもあまり過去のことについては触れたくないらしく、

「そんなことよりももう少し胸を張ったらどうかね、ルキト君。キミとエレン君はナースの急襲を見事防ぎきり、更には彼女と手を組んで巨大な化け物からこの街を救ったのだよ? 一夜の内にこれほどの偉業を成し遂げるとはやるじゃないか。正直脱帽ものだ」

と、仰々しい感想で話を逸らした。

「あんたと、どこの誰だか分からない派手なマントの男の人もちゃっかり絡んでいただろ」

「さてね」

 嘯くセオは誤魔化すように目線を虚空へ投げ――時を同じくして塔屋のドアが開いた。

 現れたのは、跳ねた後ろ髪と不機嫌そうな顔つきが特徴的な少女、エレンだった。

「……お取り込み中のようね」

 ルキトとセオの姿を目にするや否や、エレンは踵を返して帰ろうとする。その背中をすかさずセオが呼び止める。

「これはこれは、エレン君ではないか。朝からこんなところに何の用かね?」

 引き返そうとしていた足を止め、エレンはルキトの方にちらりと目を配ってきた。

「ちょっと様子を見に来ただけです。そこの碓井君の。屋上に行っていると、彼のクラスメイトから聞いたので」

 「ほう」と、セオは顎を擦りながら面白そうにルキトとエレンを交互に見、「邪魔者は退散した方がよさそうだねぇ」と口角を上げた。

「お気になさらず」

 反発的な態度でセオの配慮を突っぱね、エレンはルキトの前までやって来る。

 ルキトは呆けた顔でエレンに尋ねた。

「どうかしたの?」

「言ったでしょ、様子を見に来たって。昨日の闘いで、骨の一本や二本折れてるんじゃないかと思ったのよ」

「大丈夫。軽い打撲程度」

「なら良かったわ。あなた見るからに体弱そうだから、一応心配してたのよ」

 心配してくれるのはありがたかったものの、随分とマイナスなイメージを持たれたものだとルキトは男として少し複雑な気持ちになった。

 エレンの顔を見つめ直してルキトも訊いた。

「エレンは、もう大丈夫?」

 たった一言の短い質問。しかしこの『大丈夫』には様々な意味が含まれている。体の怪我のことについては勿論、精神面、考え方、そして彼女自身のこれからのことについてなどを、一括りにして問いかけている。

 そんなルキトの意図がエレンに正しく伝わったかは定かではない。彼女は一瞬だけ沈黙し、その間もルキトからは目を離さず――やがて鼻を鳴らして素っ気なく笑った。

「とりあえず今のところは、ね」

 掴みどころのない返答だったが、ルキトは受け入れ、納得することにした。

「随分と変わりましたね、エレンさん」

 それは別の誰かが発した台詞だった。喋り方も声もこれまでルキトが耳にしたことのないものだ。

 驚いて声のした方に視野をずらすと、今まで誰もいなかったはずの場所にいつの間にか新たに一人、昨夜一瞬だけ目にした銀マントの青年が登場していた。

「な、なんだよ、あんた」

 巨大傀儡を倒すのに一役買ってくれた人物ではあるが、その素性は全くの謎。敵ではないとしてもルキトは警戒する。

「何しに来たのよ、フール」

 ルキトの横でエレンが青年の呼び名らしき単語を口にした。意外なことにエレンは彼のことを知っているようだ。訳が分からずセオの方を見ると、黒服の紳士も驚いていたりはせずにただうんざりするような顔をしているだけだった。どうやらルキト以外の二人は青年のことを知っているらしい。

「僕も『様子を見に来た』、ではいけませんか?」

 にこやかに返すフール。一体どこからどうやってこの場所にやって来たのかは全くの不明だったが、危ない雰囲気は感じられない。

「エレン、知り合い?」

「そんなんじゃないわ。最近ちょっとだけ話したことがある程度よ。そしてどうやらそこの先生とも顔見知りのようね」

 「遠い昔の話だ」と、セオは煙たそうに首を横に振る。

「君が今こうして無事でいられることは、本当に奇跡的なことです。この転機を大切にして下さい。君自身のギフトのことも」

「説教臭いのはもう沢山だわ」

 腕を組み、エレンはわざとらしくそっぽを向く。その反応を大らかな眼差しで眺めてから、フールは今度はルキトの方へ目を配った。

「――そして、ルキトさん。君はとても、偉大な少年だ」

「え、俺?」

「君はこれからも何か大きなものを変えてくれる予感がします。君にはその力があります」

「俺はそんなギフト持ってない」

「ギフトよりも素晴らしいものですよ」

 依然としてピンと来ていないルキトは、一方でなぜ初対面の青年が自分の名前を知っているのか疑問に思ったが、その謎が解消される間もなくセオが手を叩いた。

「さて、お喋りはここまでだ。もうすぐ朝のホームルームの時間だ。そろそろ教室に戻るとしよう」

 セオは体を反転させ、上品な革靴の足音を鳴らしながら塔屋の方へ歩いて行く。

「キミたちも早く下りて来たまえ。昨夜の行いには感心したが、遅刻したら減点(マイナス)だよ」

 最後まで気障な横顔で言い捨て、黒スーツの男は皆の前から立ち去っていった。

「では僕も。ごきげんよう」

 そよ風のような一声が聞こえた。フールがいた場所へ目を戻すと、一瞬早く青年の姿は消失していた。視認することすらできない瞬間的な移動。彼がブレシスだとしても、異能の詳細を確かめる術はもうない。

「まったく……おかしな大人ばっかりね」

 淡泊な息を吐き、エレンも塔屋に向かって歩き出した。しかし数歩進んだところで「そうだ」と呟いて立ち止まり、未だ突っ立ったままでいるルキトの方を振り返った。

「特別に今日だけ、一緒に帰ってあげるわ」

 ぶっきらぼうな言い方だったが、どこか別の感情を隠しているようにも見受けられたのはルキトの気のせいだろうか。

「え?」

「じゃあね」

 困惑するルキトを無視し、エレンは跳ねた後ろ髪を揺らしながらさっさと屋上から去って行ってしまった。わけの分からぬまま取り残されたルキトはただ呆然と立ち尽くすしかない。しばしその場に固まり、それから再び遠くの方に視線を投じる。

 どこを見るでもなく、景色を眺める。山も空も海も、青々として輝いている。綺麗な世界がどこまでも広がっている。

 天秤の理念を説明するときによく例に出される言葉で、『悪いことの後には良いことがやって来る』という謳い文句がある。ルキトはこの数日の間に三人の強敵と遭遇し、辛くて痛い思いをした。天秤で表現するとしたら、負の皿に三個の大きな錘が落っこちてきたようなものだ。


 ――けれどたった今、正の皿に小さな錘がそっと載せられたような気がした。


<了>

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libra [リーブラ] 日月 仁 @Hizuki_Hitoshi

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