第4話「盤上の物書き」

 次の日曜日、紀子と再会した。四ツ谷駅で落ち合い、目的地の市ヶ谷まで徒歩で向かった。

 街路を挟んで飯田橋まで続く外濠公園そとぼりこうえんの遊歩道を、肩を並べて歩く。この辺りは幼い頃からよく歩いていたが、今でもまったく変わらない。軍事施設として、数々の戦を経験してきたたくましい土地。二月なので桜はまだ咲いておらず、どこか寂しさを帯びたように草木が生い茂っている。


「良い場所ね」

 歩きながら、紀子がしみじみとつぶやく。

「この時期の、閑散とした空気が好きなんです」

 青よりも雲の割合が多い空模様だったが、思いなしか微笑んでいるように見えた。


 日本棋院にほんきいんに来るのは久しぶりだった。

 大学を卒業してから数年はたまに来ていたが、ここ最近は全く立ち寄っていなかった。改築工事の成果か、昔と比べて建物全体が綺麗になり、一階のトイレは和式から洋式に様変わりしている。一方、二階の売店は以前と変わらないレイアウトで、ふと懐かしさを覚える。てんでに席料を支払い、奥の一般対局室へ移動した。


「最近は、どこかで打たれているんですか?」

「打ちたいんだけど、なかなか時間がなくてね。でも、NHK杯はよく見てるかな」

「手合いはどうします?」

「せっかくだから、互先でお願いしようかな。勝負になるかわからないけど」


 ニギリの結果、私の先番(黒)となった。「お願いします」と一礼し、対局が始まった。

 

 碁を打つのは、絵を描くことに似ている。

 碁盤という真っ白なキャンバスに、自らの好きなように筆を取り描いていく。決定的に違うのは囲碁には勝敗が付随するという点だが、自分の思うような絵を描ければそれでいい。

 一局の碁は、言わばひとつの作品だ。理想の作品を創れるように日々楽しみながら精進するのが、碁打ちのあるべき姿だと思う。


 今日はどんな風に筆を運ぼうか。初手が肝心だ。

 一分ほど考え、私は天元てんげん——碁盤の中心点のこと——の斜め上という奇妙な地点に着手した。

 囲碁は隅から打つ方が陣地を作りやすく、反対に中央は最も陣地を作りにくい。それゆえ、最初は互いに四隅を二つずつ占め合うのが常識的で、いきなり中央付近へ打つのは極めて稀だ。

 紀子は驚いた様子だったが、すぐに平静を取り戻し着手した。


 その後も私は隅に打たず、勢いよく中央付近を連打し、四隅はすべて白に打たせることになった。

 九手まで打ち、黒は隅を放棄し、陣地を作りにくい中央にひたすら石をばらまく斬新奇抜な布石になった。

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 五つの黒石によってできた五角形に、私は満悦する。何かの星座みたいで格好良い。

 善悪はわからないが、ひとまずは思い描いた打ち方だ。仮にこれで負けても、少なくともここまでの手を悔やむことはないだろう。


 子どもの頃から他人と同じであることを好まず、どこか浮いた人間だった。

 その性格の影響か、囲碁においても昔から変則的な打ち方を好み、周囲の人々を驚倒きょうとうさせてきた。彼らの面食らった表情を見ることが快感で、それが最も自分らしい生き方であると思っていた。普段の生活においてはそんな大胆さはなかったが、盤上においてだけは本来の自分を表出できた。


 紀子は、私が予想していたよりも強かった。いくらか読みが甘いところがあるものの、全体的に筋が良く、形が崩れにくい碁だ。

 また、彼女は着手が早い。悩ましい局面でも迷うことなく、第一感を信じて打っているように見えた。直感で生きてきた――と推測している――彼女らしい、思い切りの良い碁だ。

 

 序盤から複雑な乱戦になったが、中央一帯に大きな黒の陣地ができ、二百手余りを打ったところで紀子は投了した。

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