酔い覚めを、君に

枝豆

酔い覚めを、君に


「毎回言うけどさ、なんで遅いのさ」

「飲み会でさー!いやぁ、ごめんごめん!次から気を付けるって!」


 この家の食卓には冷めた夕ご飯が一人分乗っていた。この場にいる男二人はルームシェアをしている。片方は家事が得意で基本的に家の仕事は彼がやる。加えて世話好きなので、今の関係は別段苦ではなかった。が、丹精込めた食事をむげにする行為は到底許されることではない。明日の朝食としてとっとくことを考えながら、どうすれば仕返しができるかなんて片隅で考える。食事に嫌いなものを混ぜる?好き嫌いしないで食べなさいなんて言ってやろうか。洗濯物を生乾きでしまう?きっと臭いで恥ずかしい思いをするだろう。こんな陰湿なことを考えるだけで、彼の腹の虫は収まってくれる。すでに彼の思考は明日の朝食のアレンジの方向に向いていた。


「あのさ、ちゃんと夜ご飯いらないときは連絡入れてよね?何回も言ってるけど」

「わーかったわーかった!なー、なんか酔い覚ましにいいもんねぇか?」

「は?お前、僕が作った料理をゴミにしかけてよくそんなこと言えるな」


 なんて口で言いながら、心の中では口元を緩めていた。なんせ、自分は必要とされているのだ。相手がだれであれそれで人間の承認欲求は満たせる。なおかつ、自分の得意な領分で、だ。単純に褒められた子供と同じような気分になるが、だとしてもうれしいことに変わらない。経験により培われたレシピを頭に思い浮かべ、酔いに効き、すぐ作れるものをリストアップしていく。


「じゃあ、お茶付けとかどう?重くないし、さっぱりしてるからちょうどいいんじゃない?」

「おー!いいなぁ!お前の作ったもんに間違いなんてないしな!」


 何言ってんの?と口で冷たくあしらいながらキッチンに体を向けた。ちょうど背に酔った男が来るように。そうでもしないとにやけた顔が彼に見られてしまい、恥ずかしい。誰だって自分のにやけた顔は見られたくないものだ。ましては褒められて素直に喜ぶなんて子供のすることだ。そう自分と話し合って、冷蔵庫に手をかける。

 頭の中には何が必要でどうすればいいかもすべて整っていた。手際よく材料を取り出し作る環境を整える。


「にしても、よく料理できるなー。俺には無理だよ」


なんて、陽気に馬鹿笑いしながらこちらを眺めている彼。呆れながらもやはりうれしそうな彼は饒舌に冷たくあしらう。手はその間も動き続けていた。


「ま、生きていくうえで必要な力だし?できて当然なんじゃないの?大体、こんなの小学校、中学校の家庭科でやっていることだから、なおさら当然じゃない?そもそも、お前の生活能力がなさすぎるんだよ。そんなんじゃな、お嫁さん見つかっても愛想つかされて逃げられちゃうぞ」


 作り置きしてある自家製の出汁を鍋に入れて弱火で加熱し、調味料を加えて味を調えていく。酔い覚ましのお茶漬けだからと、塩を気持ち大目に加えて味を確かめる。うん、おいしい。食事を作るときは自分がおいしいと感じなければだめだと、料理を教えてくれた母親に口を酸っぱくして言われたものだ。


「……ま、どちらにしろだ。お前のおかげで、俺は生活できてんだなー。ほんと感謝しなきゃな。今度どっか旅行行こうぜ、俺のおごりでさ。日頃の感謝ぐらいさせろよー!」

「そういうことは素面の時に言ったほうがいいよ。お酒の勢いみたいに聞こえる」


 痛いところを突かれたからか、少し詰まり気味に返した。ついでに前々から考えていたことを伝えてみる。だが、お酒の勢いと流され相手にしてもらえることはない。なに、また今度言えばいいさ。それこそ素面の時にな。

 その間にも彼の体は動く。炊飯器からご飯を茶碗によそい、お湯でほぐす。その上に彼が夕ご飯で食べられるはずだった副菜の三つ葉のおひたしが載せられる。そして、梅干の果肉を半分に千切って片方を保存容器に入れ、もう片方をバラバラに千切る。それらはご飯の上に円形に配置され、白いキャンパスを染める。加えて、果肉が少し残った種はご飯の頂上に飾られた。


「ま、もし本当に旅行に連れて行ってもらえるなら、うれしいかな。最近仕事が忙しくてさ。ろくにリフレッシュできてないんだよね」

「お、じゃあなおさらちょうどいいじゃねえか。どこがいいかねー?」


 温められただし汁が入った鍋を軽く回して香りを立たせる。出汁の侘しい香りがキッチンを出てだらけている彼の花へ吸い込まれていった。料理人も自分の出汁の香りに満足してゆっくりと頂点から茶碗に注いだ。


「うっわ、すっげーいい香りすんな。日本人のでーえぬえーが反応する香りだ。あ、そうだ。わってことで京都とかどうよ?お前そういうの好きだろ?」

「あー、いいかもね。前言ったときはあんまりゆっくり見れなかったし」


 前というのは、学生時代の修学旅行だ。班員は景色や情緒など無視して食べ物とか珍しいお土産に夢中になっていたはずだ。おかげでこちらはゆっくりできなかった。その班員にぐでーっとしている彼が含まれているのに気付き、口元をまた緩める。なんだかんだで、ずっと一緒にいるな。腐れ縁だが、まあ友人としてそばにいる分は心地いいのでこのままでもいいだろう。いつかは結局道を違える時もあるのだろうし。そう、例えば結婚とか。

 手で直接持てる程度の熱くはないお茶漬けを彼の目の前に持っていく間、少し別れの時に思いをはせようとする。が、ぼやけたピントの中だ。まったく思い浮かばない。まあ、そんなんでもいいだろう。今は結婚率も下がっている。友人で固まって暮らす人もそんな少なくないはずだ。


「ほれできたぞー」

「おー、うまっそー!いただきまーす!」


「兎にも角にも、今を大切にしてればさ」


一人、ごちる。

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