エピローグ

 初老の村長は、家の前で、村の様子をぼんやりと眺めていた。

 老若男女が畑仕事に精を出し、年端のいかぬ子供達は楽しそうに周囲を駆け回っていた。

 そして、思い出していた。幾日か前に村を旅立った一人の女性のことをだ。

 外から来たその若い女は、青い髪をし、腰には鉈に手斧を差し込み、弩を背負っていた。不似合いだが一見すれば猟師の風貌だった。

 だが、彼女は村に来るなりとんでもないことを言い出した。ゴブリンと友好を深めませんかと。真っ直ぐな目でそう訴えてきた。一匹のゴブリンを供に従えてきたので村中は大騒ぎになった。

 聞けば、目の前のゴブリンは一族の長だという。麓の町の開発により行き場を失ったとのことだった。

 男達が武器を手に取り囲み、女達はその後ろでおっかなびっくり様子を見守っている。だが、青い髪の女は顔色一つ変えずに言った。「この周辺の山にゴブリンの一団を住まわせてやって欲しい。そしてお互いの仲を深めて欲しい」と。

 青髪の女は驚くことにゴブリンの言葉が話せた。連れて来たゴブリンの長はゲゲンルンというらしい。老齢なのだろうか、全身を覆う長い毛は白かった。

 すぐに村中で反対の声が起こる。ゴブリンは凶悪だ。そんな奴らを近くに置けるか。と。

 村長もそう言いたがったが、彼が口を開く前にゴブリンの長ゲゲンルンが言った。

「我らは悪さはしない。約束する」

 流暢では無かったが、確かに人語でそう言った。村人達はあんぐり口を開いた。中には正気に戻り、ゴブリンの言うことなんか当てにならないと訴える者もいた。

「皆さんはゴブリンさん達のことを誤解なさってます」

 青髪の女が言った。

「ゴブリンさん達は非常に紳士的です。その様子を御覧になれば理解できると思います。ですから、どうかその御機会を下さいませんか?」

 青髪の女が一同を見回し、最後に村長を真っ直ぐ見て言った。

 真剣で、嘘の無い眼差しだと村長は思った。口々に反対する村民達の心は分かる。ゴブリンは魔物だ。魔物とは古来から人を襲うものだ。実際、ゴブリンだって討伐の対象になっている。

「ゴブリンと友好を深めることに意味はあるのか?」

 村長が問うと、青髪の女は答えた。

「ゴブリンさん達は、もしもこの村に脅威が訪れた時、きっと協力して脅威を排除してくれるでしょう」

 青髪の女の言う脅威とは、きっと他の魔物や、盗賊団のことを指しているのだろう。山里だ魔物はいるかもしれないが、今まで猟師達には遭遇例は無かった。それに盗賊団だ。こんな辺鄙なところに盗賊団がやってきて何になる。

 そう応じると、青髪の女も表情を多少戸惑わせた。

「我が村の周囲にゴブリンの居場所は無い。今までだって平和だった。それはこれからも続くだろう。もしもゴブリン達を住まわせるのなら、脅威とはその者達を指す」

 村長はきっぱりとそう言った。

「確かにそうかもしれません。でも、ゴブリンさん達はこれ以上、行く当てがありません。住み慣れた土地を追い出され、食べ物も満足に得られず困窮しております。どうかお願いです。ゴブリンさん達を助けてあげて下さい。もう頼れるのはこの村の方々だけなのです」

 青い髪の女は食い下がって訴えた。

「助けてくれ」

 ゴブリンの長が言った。

 その言葉が村長の心を少し動かした。憐れに思った。村長は、同じ「長」を名乗る者として、相手の必死な気持ちに同情しそうになっていた。まさか長年相対する人間に救いの手を求めてきているとは。村長は神に問いたい気分だった。だが、決めるのは自分だ。

「可哀想だよ」

 子供の中からそんな声が上がった。大人達もゴブリンの助けを求める声を聴き、複雑な心境を現す表情を浮かべていた。

 今なら、彼らを受け入れるわけでもないが、多少は援助をしてやっても反対する者の声はそう多くは無いだろうか。

 村長は頷いた。

「食料を送ろう。今はそれだけだ」

 青髪の女は表情を明るくさせた。

「それだけでも助かります」

 そうして村長は荷車一台に有りっ丈とは言えないが、それでも多少色を付けて食料を積み込ませた。やはり同じ「長」を名乗る者として窮状を訴え、助力を頼みにしたゴブリンに憐みの心が湧いたのだった。

 青い髪の女とゴブリンの長は去って行った。


 

 二



 それから数日後、青い髪の女とゴブリンの長は再び訪れた。

 村中が再び緊張に包まれる。

「その節は援助して下さり、ありがとうございました」

 青髪の若い女がそう述べた。

 そしてゴブリンは背負っていた頭陀袋を地面に下ろして、彼らの言葉で何か言っていた。この袋の中にこの間のお礼が入っている。そういうことだろうかと、村長は訝しみつつも袋の口を開くように村の若い男に命じた。

 若い男が袋を持ち上げ逆さまにすると、そこからゴロゴロと拳大ほどの石が無数に落ちて来た。

 村長は怒るどころか溜息を吐いた。ただの石ころが返礼の品とは。ゴブリンには価値あるものなのかもしれんが、我らにはただの道端に転がる石ころに過ぎない。

「おいこれ、鉄じゃないか?」

 そんな声が上がった。

 一人、二人と、村の者が進み出てきて来て石ころを拾い頷いた。

「鉄だ。村長、これ鉄鉱石ですよ」

 村長は驚いた。鉄ならば石ころではない。我ら人間にも役に立つ物だ。

 ゴブリンの長が彼らの言葉で何か言った。青い髪の女が訳して伝えた。

「今はこれぐらいしかお返しはできない。許して欲しい。そう言ってます」

 村長はゴブリンの長に向き直った。そして長の左腕が半ばから失われていることに気付いた。

「その怪我は?」

 ついそう尋ねていた。

 青い髪の女がゴブリンに彼らの言語で言い、ゴブリンの返事を再び訳した。

「昔、人間達の襲撃を受けた際に、家族を庇ってその時の怪我だそうです」

 村の空気が僅かばかり変わるのを村長は感じていた。魔物だって身を挺して家族を守るのだ。それが人々にとっては意外だったに違いない。

 すると青髪の女がここぞとばかりに言った。

「お願いです。ゴブリンさん達を歓待してあげて下さい。そうすれば彼らのことがよく理解できると思います」

 お礼のこと、怪我のこと、村長の心は開きかけていた。それに今漂う村の空気を思えば、自分が一言述べれば村人達は渋々でも従うだろう。

 村長はゴブリンの長を見詰めて頷いた。

「良いだろう。ひとまずは望み通り、客人として数人招いて、その様子を見てから他のことは考えるとしよう」

 戸惑いの声はあったが、明確な反対の声は上がらなかった。青い髪の女は深々と頭下げて礼を述べた。



 翌日、ゴブリンの客人は長と含めて五人現れた。勿論、青い髪の女も一緒だった。警護のためか、ゴブリン達は粗末な槍を持っていたが、それを村の入り口で丁寧に柄の方を向けてこちらに預けてきた。

 村長は感心した。そしてゴブリンが思っていた以上に人と同じなのだということにも気付いたのだった。

 その途端に人間は今まで一体どれほどのゴブリン達を虐殺してきたのだろうかとも思った。

 村の女達が作った料理を前に、ゴブリン達はただ椅子の脇で佇んでいた。

「どうぞ座りなされ」

 村長が言うと、青い髪の女が言葉を訳し、ゴブリン達は座った。

「酒はどうする?」

 村長が問う。青い髪の女が彼らの返事を伝えた。護衛の者達はその任に務めるため、長だけが飲むということだった。村長は感心した。ゴブリン達が酒好きだった場合、酒に飲まれ悪事を働く可能性も考慮していたからだ。それならそれで討つ口実ができるという思いも正直なところあった。

「さあ、それでは」

 村長が葡萄酒を長の持つ木杯に注いだ。すると長は杯を置き、自分も村長の杯に酒を注ぐという様子を見せた。村長は驚き頷いた。長い手が酒瓶を取り赤紫色の酒が杯を満たしてゆく。

「では、ようこそ。我らとゴブリン殿に乾杯」

 村長が杯を近付けるとゴブリンの長も杯を近付けて、二人の木杯は軽くぶつかった。

 酒を一口飲み、ゴブリンの長は何やら感嘆するように言った。

「とても美味しいそうです」

 青い髪の女が伝えた。

 ゴブリン達は料理を食べ始めた。ここではさすがに彼らは並べられたナイフとフォーク、スプーンの類を見ることなく手掴みで食した。

 すると青い髪の女がゴブリン達に何やら注意するように述べた。途端に彼らの手はフォークを取り、慣れない動作で肉を突き刺し口にほおばった。青髪の女がその都度伝えると、ゴブリン達は従い、ナイフとスプーン、それぞれ手に取って食事を再開した。

 周囲で様子を見守っていた村人達の視線が慈しむ様なものへと変わってゆくのを村長はしっかり見た。そして自分も思った。彼らは姿こそ獣のようで決して整っているというわけでは無いが、我々人間と何も変わらぬではないか。

「長殿、いや、ゲゲンルン殿だったか」

 名を呼ばれ、ゴブリンの長は顔を上げた。

「一族の方はどれぐらいいるのか?」

 青髪の女が訳して応じた。

「五十です」

「五十か」

 村長は腕組みした。五十ものゴブリンが反旗を翻せば村は滅ぼされるだろうか。いや、と、頭を振った。こんな可愛らしく純朴そうな客人達はおおよそ裏切るということすら頭の中には無いだろう。

 村長は決断した。

「ゴブリン殿達に山を提供しよう。と、言っても山は本来誰の者でも無いわけだが」

 青髪の女が驚きに目を丸くし、歓喜の表情を浮かべて、ゆっくり丁寧にゴブリンの言葉を紡いで長にそのことを伝えた。

 村長は手を差し出した。ゴブリンの長も手を差し出した。そして握手した。初めての感触だが、温かく、自分達と同じで血が通っていることを思い出させた。

 ゴブリンの長は彼らの言葉で礼を述べたのだった。そして最後に赤い布切れを差し出してきた。

「村に有事があった際は、この布を持って自分達の住処を訪れて欲しいということです」

 青い髪の女はそう言った。



 三



 まさかこんなことになるとは思わなかった。

 平和な村が盗賊達に蹂躙されてゆく。男は戦い、女子供は逃げ出している。

 何故、こんな辺鄙な山奥の村を盗賊が。そんなことを考えている暇は無かった。今、目の前で村人の血が流れているのだ。

「ジョゼフ!」

 村長は十歳になる孫を呼んだ。そして赤い布切れを差し出した。

「ゴブリン殿達に加勢を頼みに行ってくれ」

 そして村長は斧を手にし、手近な場所へ加勢に入った。

 戦い慣れていない村人だが、普段の農作業で身体だけは鍛えられていた。決して、にわか盗賊共に引けをとってはいなかった。しかし、戦線は硬直するばかりで決定打が無かった。

 ゴブリン殿達は本当に来てくれるだろうか。

 そう思い始めた頃、こちら目掛けて殺到してくる影があった。

 影は次々に分散し、村中に散らばって行く。

 そのうちの一つがこちらが相手をしていた盗賊に躍り掛かった。

「村長、助けに来た」

 それはゴブリンの長のゲゲンルンだった。ゲゲンルンは短剣で盗賊の息の根を止めた。

「おお、ゲゲンルン殿! かたじけない!」

 村長は心より礼を述べた。そして程なくしてゴブリン達の加勢によって盗賊団は逃げ出して行ったのだった。



 村が盗賊に襲われることは逃れられぬ運命だったに違いない。

 それをあの青き乙女が救いの手を導いてくれたのやもしれぬ。

 村長はそこまで考えて、その女性の名を尋ねるのを忘れていたことに気付いた。

 村人とゴブリンの共存共栄の様子を充分に見届けて彼女は旅立っていった。

 旅立とうする時に何処へ行くのかと聞けば、自分でも分からないと応じた。ただ、彼女は再び人間と魔物との仲立ち役をするのだと言った。

 村長は彼女の行く末に神の加護があるよう祈ったのだった。





 冒険者レイチェル 完

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「冒険者レイチェル -全ての始まりの章-」 刃流 @kanzinei

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