FeaR

西木 草成

そこから、白い雲がのぞいていた。

 目が覚めれば、そこはなんの変哲もない。真っ白な雲と、その背景にムカつくほどに真っ青な空が描かれていた。気温、湿度ともに実に心地いい、こんなにもいい天気ならしみったれた講義をほっぽり出して仲間で散歩にでも出かけたい陽気だ。

 いや、実際に出たはずだったのだ。

 現在、自分のいる場所は外であるのには違いない。鼻に入り込む空気の匂いはどこか土混じりで、昨日降った雨の匂いもかすかにする。そして、何より決定的におかしいことが一つ。

 それは、上を見上げた時に見える青空の他に。自分の身長よりもはるかに高い土壁が四方を覆っているのだ、わかりやすいように言い換えるのであれば。

 今現在進行形で、とても深い穴に嵌っているということである。

「嘘だろ.....」

 こんな穴がどこにあったのか、そもそもどうしてこんな穴に自分が落ちたのか。穴の中で自分の体を触るが、服屋で無理やり推されて買わされた白いTシャツが多少土で汚れている程度で怪我はない。

 穴の深さは目測で4メートルほど。よじ登れば這い出るのも難しくは高さではあるものの、昨日降った雨のせいか壁がもろくなっており、下手をしたら生き埋めになりかねない。

「......そうだ、スマホっ!」

 突如、思い出したかのように腰からスマートフォンを取り出し、頭のボタンを押すとホーム画面に好きなバンドのイラスト写真が一面に映し出される。ホームボタンの指紋認証を起動させ通話アプリを起動させる。

 しかし、

「.....圏外?」

 アプリを起動させるものの、読み込みマークがぐるぐる回るのみで正常に動作する気配がない。そこで、初めて気づく左上の電波マークの隣に『圏外』と表示されている事実に。

 結果、スマートフォンの画面には『正常に起動できませんでした、電波の良い環境で再度お試しください』との表示が現れることになる。当然のことながら、穴の中にWi-Fiが通っているはずもない。

 そして、助けを呼ぶ手段を失った。

「.....はぁ、なんだってこんな目に」

 深い穴の底で大きなため息を吐くと、軽く反響してやけに耳に突き刺さった。誰が悪いというわけでもなく、いや。こんな穴を掘った張本人がいるのならばそいつが悪いわけだが、こうも暗がりの中で青い空を見ていると思うところがある。

 大学に進学したものの、結局やりたかったこととは百八十度も違っていて、その結果そんなことを言い訳に勉強をおろそかにして留年した。一念発起でやり直そうとしているものの、どうにも自分の中の矛盾と食い違って、それらをかき消すように体を壊す勢いでバイトをしている。

 しかし、辞めるにはあまりにも大切なものが増えすぎてしまったのだ。

 こんな自分に悪態をつきながらも一緒に励ましてくれる人がいた。

 一緒に進級しようと言ってくれる人がいた。

 遠くにいても、自分を気にかけている人がいた。

 そんなことを理由にズルズルと大学生活をひきづりながら歩いてきたことをふと思い出し、穴の外に広がる青い空を見上げた。

 ここから出なくては、

 スマートフォンをしまい、濡れた土壁に指を引っ掛ける。体を持ち上げようと指に力を込めるものの、壁はボロボロと崩れて足元に土の塊が散らばる。

 それでも、何度も土壁に指をかけては力を込めてを繰り返し。なんとか、腕に力を込め体を持ち上げられそうな手応えを感じた。そして、それを掴みながらもう一本の手を上へと伸ばす。

 ここから出なくては、

 しかし、伸ばした片方の腕でつかんだ土壁は脆くも崩れ、大きくバランスを崩した体は再び元の場所へと引きずり降ろされ強く打ち付けられる。

 見上げた空は、やはりムカつくほどの真っ青だ。

 このまま出られなかったら、なんて考えが頭をよぎる。

 そしたら、もう何もできなくなるのだろうか。

 結局、僕は、一人なのか。

 自然と、体が震えた。

 心臓の奥が締め付けられるような感覚がした。

 初夏にも関わらず、身を縮みこませ自分の肌の体温を確かめるように膝を抱え込んだ。

 ふと、ズボンのポケットが震える。電波が通ったのかと期待をしながら、ポケットに入れておいたスマートフォンを取り出す。

 だが、ホーム画面に表示された通知のそれはスマートフォン内で設定した大学のスケジュールを通知するものだった。期待は崩れ、通知を閉じる。まっさらになったホーム画面を見て深くため息をついた。

「.....あ?」

 通知の消えたホーム画面。そこに表示されているのは『圏外』の文字と、バンドのイラスト写真の壁紙。しかし、圧倒的におかしなものが一つ。ホーム画面にあった。

「.....十九時.....四十七分?」

 ホーム画面に表示された19:47の表示。目の前で、一分進み19:48となったそれを見て、戦慄を覚えた。同時に、すぐさま頭上を見上げる。そこには、雲ひとつない真っ青な空が広がっていた。

「何....で?」

 意識が途絶えたのは次の瞬間だった、しかし意識が途絶える寸前。穴の外でスピーカーのような響きが耳に入り込み、その無機質な女性の声を、自分は聞き逃さなかった。


『恐怖実演実験空間、蜘蛛の巣。被験者、西木 草成の観察を終了』


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FeaR 西木 草成 @nisikisousei

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