第8話

 入学前は大学の講義というものもワクワクしていたが、実際に受けてみると高校で習ったような微分積分の復習や力学などの物理の復習のようなもので、少し飽きがきていた。講義室の後ろの方では、こっそりとスマホでゲームをしている学生もいる始末である。

 そんなわけで入学早々に、風間の楽しみは講義から講義後のサークルへと移り始めていた。

 

「こんばんは、今日も作業に来たんですけど。」風間は作業場にいる先輩たちへ声をかけた。

「お疲れ様。ああ、昨日型紙作ってた子だよね。」まっさきに返事をしたのは岸根先輩である。

「今日の作業はどうしようかあ。」

「昨日やってた紙をやするやつの続きをやろうかと」風間が答えた。

「マスターの続きか。えっと、作りかけのマスターはそこの棚に。取ってくるね。」岸根先輩が昨日の作りかけというよりやすりかけのマスターを取りにいった。

「ありがとうございます。」

「そのマスターは、まだ時間がかかりそうだね。」手に持ったマスターの断面を触りながら、岸根先輩は言った。

「昨日もやすってたなら、好きな番号のやすりでやすっていいよ。はい。」岸根先輩は、マスターと一緒にやすりが番号ごとに整理されたジャバラのファイルも机の上においてくれた。

 風間はさっそくマスターと240番の紙やすりを手に取り、やすりはじめた。

 やすってみては、先輩のように指でなぞってみるわけだが、やはり良いのか悪いのかはさっぱりわからない。


「お疲れ様でーす。」作業場に人が新たに人が一人やってきた。態度から察するに先輩のようだ。

「お疲れ様です。」先輩たちが口々に返事をする。どうやら、先輩たちの間では「お疲れ様です」が挨拶らしい。

「おっ、新入生。作業の調子はどう?」新しく来た先輩が尋ねる。

「昨日からやすってるんですけど、まだ線のところまでやすれてなくて。」風間は答える。

「まあ、そんなすぐに作られたら、先輩として顔が立たないしよ。」と言い残して、先輩は自分の作業をはじめに行ってしまった。結局、先輩の名前を聞くチャンスを逃してしまった。

 そんなやり取りの後も、印刷された線を目安に、ただひたすらにマスターをやすった。なかなかやすりが終わらない焦りからか、やする手には汗がにじみ、紙もよれよれになってしまう。そんなわけで、さらに綺麗にやすれなくなる始末だ。


「これ、見てもらっていいですか」

 なんとか、線ギリギリまでやすれたマスターを岸根先輩のところへ持っていったのは、今日の作業が始まってから2時間は経過した後だった。

「おっ、ここは綺麗にやすれてるね。」と褒められた喜びもつかの間、「この頭のところは、やすりすぎて、えぐっちゃってるね。あと、こことか、ここはまだやすれるね。」

「頭のところがえぐっちゃってるから、悪いけどこれはボツだね。本番には使えないね。」

 数時間はかけた作業が、あっという間にボツといわれてしまった。初めての作業なので、当然といわれれば当然なのだが、ショックなものはショックである。

「最初はそんなもんだよ。じゃあ、きりもいいし、今日の作業はここまでにしよっか。」

 風間は荷物を手に取り帰ろうとしたとき、言おうと思ってたことを思い出した。

「あのー、ちゃんと入部しようと思うんですけど、入部届けもらえますか。」

「えっ…入部届けとか無いけど。」岸根先輩は困惑顔で答える。

「いや、その作業に来てくれれば、それでメンバーの一員だから。もう、風間くんはメンバーだと思ってるよ。」


 もうメンバーだと言われことを嬉しく思いながら、風間は作業場を後にした。

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飛ばしたいだけでワケはない 伍一 降人 @syero

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