おわりとはじまり
エピローグ
「こんな感じかな」
浴衣を着るのなんて小学生以来だ。親がはしゃいで買ってきて、無理やり着せられたのを覚えている。その時行ったのも地元の夏祭りだった。自分で浴衣を着たことなんて無いので、着方もわからない。インターネットで解説動画を検索して見様見真似で着てみるものの、合っているかはよくわからない。鏡の前に立ってみる。悪くはないんじゃないだろうか。
今日は大事な日だ。髪型もばっちりセットして、忘れ物も確認した。気温は34℃。日が落ちて多少は涼しくなるだろうけど、熱中症には気を付けないと。
玄関のドアを開ける。地面からの熱気が一気に部屋に入り込んでくる。その熱気を押しのけて外に出たら神社に向かって歩き出す。浴衣と一緒に買った下駄がカランコロンと音を出す。歩きにくい。慣れないことはするもんじゃないな。
太陽は街並みに沈んで、その姿は見えない。うっすらとオレンジ色が残る空はもうすぐ真っ暗な夜になるだろう。神社はそんなに遠くない。歩いても10分くらいだ。しかしこの暑さだとすぐに汗が流れてくる。髪型は崩れてないだろうか。汗臭くはなっていないだろうか。祭り会場が近づくにつれて、人通りも増えてきた。
待ち合わせ場所は祭りの中心地からは少し離れた場所にした。人が多いと会えないかもしれないし、ひとごみは苦手だって言ってたから。それでも今日は行きたいって言ってくれたんだ。
神社の近くで方向を変え、人の向かう方向とは逆に歩いていく。どきどきと小さく鳴る胸を左手で抑えて無理やり止めようとするが心臓は自分勝手に振動を続ける。深呼吸を一度だけして、再び歩き始める。道を曲がってすぐに、小さな公園がある。公園にはベンチと滑り台だけがあって、普段でも遊んでいる子供は少ない。
公園の入口にはとても綺麗な女性が浴衣を着て立っていた。
「こんばんは」
「こんばんは」
相田さんは俺の顔をちらっと見ると、自分の足元に視線を落とす。
「無理に目を合わせなくてもいいよ」
「ごめんね。でも、私がそうしたいだけだから気にしないで。長居くんは電話が苦手なのに私のわがままで毎日電話してくれたんだもの」
相田さんはとても小さな深呼吸をすると、顔を上げて俺の顔を見た。俺も相田さんの目を見る。とてもかわいい。こんな彼女がいる俺は、なんて幸せなんだろう。見つめ合う時間は一瞬に思えた。少しの時間をおいて、また相田さんは視線を落とす。
「ごめん、今はこのくらいが限界かも」
「30秒くらいだったね」
「ふふ、そうだね」
「じゃあ毎日続けたら長くても大丈夫になるかな」
「毎日は勘弁して!」
恥ずかしがっている相田さんも愛おしく思えた。二人で会うのはこれが初めてじゃない。最初は学校で少しの時間だけ会って話をしてみた。前に約束したように宿題を教えてもらったこともある。2学期が始まったら一緒に登下校をする日もきっとあるだろう、というのは俺の勝手な妄想だ。でも文化祭は絶対に一緒にまわるんだ。
お祭りは出店がたくさんあって、ふたりで色んな話をしながらひとつひとつ楽しんだ。この一緒にいられる時間は俺と相田さんが待ち望んだ時間だ。大切な時間にしなきゃいけない。
「じゃあ、また明日ね。長居くん」
「うん、また明日。相田さん」
1日30秒の恋人 右城歩 @ushiroaruki
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