第4話 リテイク


 はらりはらりと落ち葉がやる気なく散っていっている。神保町の古本屋街は暑い夏を乗り越えて、ようやく秋の気配をまとい始めていた。


 地下鉄の出口を上がって、人通りの多い交差点を抜ける。車通りの多い通りをどんどん歩いて、見逃してしまいそうなくらい没風景ぼつふうけいな狭い路地裏に入っていくと、アオユリ書店が見える。


 書店の前には、ボサボサの髪を少しだけ整えたツキヤが待ち構えていた。私の顔を見るなり彼は仏頂面で挨拶した。


「ふん、遅かったな」


「あー、本物のユカリさんにもそういうこと言うんですか」


「…………久しぶりだな。元気だったか」


「うむ、よろしい」


 指でオッケーマークを作る。


 幽霊とデートというのも妙だけれど、これは彼の人生の撮り直し(リテイク)だ。ちょっとくらい真面目にやってあげようと思っていたが、ツキヤは私の身体をジロジロと見ながら、不満そうに首を傾げた。


「うーん……」


 何かが納得いかないらしく、私が着ているブーツ、ロングスカート、ワインカラーのニットと視線を上げて、顔を見たところで小さくため息をついた。


「まぁ仕方がないか」


「もしもし、除霊師さんですか?」


「うそうそ冗談だ。冗談だよ」


 ツキヤは慌てて私のスマホを取り上げようとしたが、身体がすり抜けてしまうので不可能だ。主導権は私にある。


懇意こんいでやっているってこと忘れないでくださいね」


「うむ、良く分かった」


 無抵抗の意思を示して両手を挙げながら、ツキヤは私を先導するように進み始めた。

 私はスマホで通話する振りをしながら、歩いていく。こうすれば周りの人からは幽霊と会話するヤバい奴だとは思われることはあるまい(と信じている)。


 今の所、不安しかないが、とりあえず付いていくしかないだろう。一度受けてしまった以上は彼の気がすむまでやろうじゃないか。


 


 ケイコさんの提案があった時は、もちろん断った。陰気な作家とデートだなんて運気が下がりそうだ。


「嫌ですよ、一人で行ってくれば良いじゃないですか」


「それでは意味がないんですよ。結末を書き直すということは、物語の根幹を変えることに等しいです。全く想像力が及ばないことに対しては、どんな優れた作家でも描くことは難しいのです。とっかかりのような物を見つけるには、これが一番やりやすいと思うのです……」


「そう言われると……そうだね」


 ケイコさんのいうことは筋が通っていた。同じ作家として、また『去りゆく恋』の熟読者として、ケイコさんの言うことは無視しておけない。


「ツキヤさん自体はどう思っていますか」


 ケイコさんは、未だにしかめっ面で浮かんでいるツキヤに問いかけた。彼は何度も「うーん」とうなったあとで、仕方がなさそうに首を縦に振った。


「やってみても良いかもしれない」


「ちょ、ちょっと待ってください。そもそもこの書店以外では幽霊の姿が見えないんですよ。ツキヤの姿だって書店を出たら見えなくなっちゃいます」


「でしたら……」


 そう言ってケイコさんは書棚に置かれている『去りゆく恋』を指差した。


「あの本を持っていけば良いと思います。本にはツキヤさんの思念が詰まっていますから、書店を出ても姿が視認できるはずです」


「そうだとしてもなー」


「もちろん無理強いしているわけではありません。ただこのままだと彼があまりに不憫ふびん過ぎて……」


 ケイコさんはどんよりとした顔のツキヤを見つめた。顔の青白さも相まってツキヤは悪霊みたいに見える。このまま放っておけば、私だって彼の顔を見るたび陰鬱いんうつな気分になるだろう。


 そんな風に思っていると、ツキヤは仕方がなさそうにガリガリの腕を上げて私を指差した。


「やってみるか。店員、手伝ってくれ」


「『店員』じゃありません。私の名前は『ハルカ』です」


「……ハルカ、頼む」


 ツキヤはそう言って深々と頭を下げた。


 その姿からは必死さが伝わってきた。彼だってふざけてやっているわけではない。自分の人生(死んでいるけど)がかかっているのだ。


 その真剣さに根負けして私はケイコさんのプランに承諾した。


「分かりました。1日だけですからね」


 私が承諾するとケイコさんは嬉しそうな顔をした。


「ハルカさん、ありがとうございます」


「ケイコさんも本当におせっかいだねぇ」


「えぇ、性分ですから」 


 ケイコさんのアイデアはこうだ。

 本当にユカリさんと会った時のようにデートをする。プランはツキヤが立てて、先導や話題の振り方も全てツキヤが主導する。私はただ横にくっついて歩いているだけで良い。


「よし、これで未練が晴れるぞー……!」


 すでに書き終わったかのように喜ぶツキヤを見上げる。

 ……ケイコさんには申し訳ないけれど、果たしてそううまくいくだろうか。 




 かなりざっくりした計画に不安を抱えたまま、私は次の日アオユリ書店の前で待ち合わせして、ツキヤとデート(もとい付き添い)することになった。


 アオユリ書店のたくさんの幽霊たちに送り出されて、私たちは歩き始めた。

 今回のデートは『もしユカリさんが東京に来たら、どんなデートをするか』というコンセプトだ。私は口を出さずにツキヤの思うがままに歩いている。


 しかし先ほどから、当の幽霊は辺りをキョロキョロしながら、私のことを全く気にすることなく街並みに目を向けていた。


「ほとんど潰れてしまったなぁ」


「生前も来ていたんですか?」


「たまにな。ほとんど新宿で呑んだくれていて、最近もずっとそこにいた。アオユリ書店の話を常連の幽霊に聞いて、神保町に来てみたがまさかここまでとは……」


「そりゃあ何十年も経ちましたから」


 昭和の時代からこの神保町も新陳代謝しんちんたいしゃが進んでいる。個人経営の書店や喫茶店が徐々に閉店して行っている。大通りの大型書店ならいざ知らず、アオユリ書店のような路地裏の書店は、シャッターを降ろし始めている。


 後継者不足や紙の本を買わないという人たちが多くなったせいだと、寂しそうな顔で店長は言っていた。


 そんな寂しそうな視線をこの幽霊作家も向けていたが、くねくねと曲がった路地裏の先にある喫茶店を見ると、パアッと目を輝かせた。


「ここがまだ開いていたか!」


 カフェではなく、軽食屋さんとか喫茶店と言いたくなるような昭和レトロな店構え。中には何人かお客さんがテーブル席に座っているのが見えた。


「へぇ、こんなところに喫茶店なんて会ったんだ」


「昔はジャズ喫茶だったがな。おい、ここにしよう」


「はいはい」


 扉を開けるとカランカランと乾いたベルの音が鳴った。『りん』と達筆で書かれた看板を横目で見ながら店内に入ると、静かな音楽とコーヒーの良い匂いが広がった。


 エプロンを付けた若い女性がカウンターから、私に微笑みかけてきた。


「いらっしゃいませ、1名様ですか?」


「2人……じゃなくて1人です」


「はい。ご案内しますね」


 危ない危ない。

 幽霊は普通だったら見えないんだ。アオユリ書店に長いこと出入りしていると、その辺の感覚が少し危うくなる。


 店員に連れられて私は1番端っこのテーブル席に案内された。お昼過ぎだったが、客はそこまで多くなく皆1人でコーヒーや手元の本に視線を注いでいる。


 私は『去りゆく恋』を盾にして口元が見えないように隠した。ツキヤと話す時もなるべく小声で話すことにして、他の客に怪しまれないようにしなければならない。


「どう? インスピレーションはいてきた?」


「いや、まだだ。そう急かすな」


 ツキヤは私の前に座ってひじをついて何か考え込みながら、ブツブツ言っていた。


「『ユカリ調子はどうだ?』……いや違うな。『ユカリ、待たせてすまなかった』……ではなく……」


 どうやら自分のセリフをどうするかで悩んでいるらしく、ツキヤは私に時折視線を向けながら物語作りに入っていた。


 私はコーヒーを飲みながら、ツキヤの考えがまとまるのを待つことにした。酸味を抑えた柔らかい口当たりのコーヒーはすごく美味しかった。立ち上る香りも上品な感じがする。


「はぁ……美味しい」


「『実は新人賞の選考を通過して』……『やっぱり故郷に帰ろうと思うんだ。家業を手伝って暮らしていこうかと』……」


 ツキヤはテーブルの上に文字を書くように、何度も指を滑らせていた。その度に首を激しく降って文字を消しては、再び書いていく。


「これ終わるかなぁ」


 何度も首を傾げているツキヤを見ていると、だんだんと不安になってきた。ツキヤの中で話がまとまらないらしく、彼の脳内デートはなかなか形にならなかった。


 とはいえ私のやることと言えば、仮想ユカリさんとして椅子に座っているしかなかった。ここは下手に口出ししても仕方がない。

 暇なので手元の『去りゆく恋』をパラパラとめくっていると、突然白いカーディガンを羽織はおった女性客が話しかけてきた。


「あの、ちょっとよろしいですか?」


 その女性客は大人っぽく上品な感じで、私より少し年上に見えた。

 銀縁の知的な感じのメガネをかけていて、サラサラと綺麗な黒髪をなびかせている。くせっ毛に悩まされている私からすると、羨ましいくらいの清楚感がある人だった。


「はい、なんですか?」


「その本……」


「これですか?」


 女性は私が『去りゆく恋』の表紙を見せると、目を見開いた。


「あぁ、やっぱり! 『去りゆく恋』! 私も持っているんですよ」


「本当ですか!? こんな売れない……じゃなくて珍しい本を?」


「はい!」


 女性は嬉しそうに微笑みながら、自分のカバンから赤い表紙の本を出して見せた。私のものより綺麗で本の状態が良い。一目見ただけで、凄く大切に保管されていたことが分かる。


「すごく好きな本なので良く持ち歩いているんですよ。絶版本なので持っている人がいるなんて嬉しくて」


「そうなんですか……」 


 まさかこんなところにファンがいるなんて。作者としては嬉しいだろうとツキヤの方を見ると、彼は唖然として口をぽっかりと開けていた。


 深い空洞のようなツキヤの口から、かすれて消えてしまいそうな言葉が発せられた。


「ユカ……リ?」


「えっ?」


「なんですか?」


「あぁ、いや違います。そうじゃなくて……」


 驚いてツキヤの言葉に反応してしまった私を、女性は不思議そうな顔で見ていた。


 その問題の根源。

 隣に座るツキヤが女性の顔を凝視していた。


「ユカリだ。ユカリにそっくりだ」


 幽霊作家は身体をカタカタと震わせて、食い入るように女性の顔を見つめていた。

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