第3話 ケイコさんの提案


『作家という生き物はただでさえ締め切りを守らない。その締め切りが無かったら、やれ推敲すいこうだ改稿だと言って物語をいじくり回しているどうしようもない連中だ』(とある幽霊作家談)


 そんな奴らに付き合っていたら日が暮れるどころか、夜が明けてしまう。ましてや相手は幽霊だ。奴らには時間の制限がない。私の貴重な時間を三文作家の推敲で浪費したくはない。


「おーい、頼むよ」


 私が断った次の日も、ツキヤはしつこく私につきまとっていた。本の虫干しをする私のそばで、気を引こうとブンブンと飛び回っている。


「1日1時間だけで良いんだ。頼む」


「1時間もあなたに付き合わなければいけないんですか。20代の1時間って貴重なんですよ」


「どうせカウンターで暇をつぶしてるだけだろう。客も来ないし、そっちの方が不毛じゃないか」


「……やかましいわ、悪霊退散!」


 持っていた塩を振り掛けると、ツキヤはピューっと本棚をすり抜けて逃げていった。それでも食卓塩をしまうと、すぐに本棚の隙間から現れる。


「頼む、この通り!」


「はぁ……」


 ツキヤがアオユリ書店に現れて1週間が経ったが、私が出勤してくるたびに彼はしつこく付きまとってくる。文字通り、取りかれているみたいな感じだ。


「店長に頼めば良いじゃないですか?」


「いや、あのジジイの字は汚くて読めたもんじゃない。解読するのに1日かかってしまう。おまけに耳が遠い」


贅沢ぜいたくな幽霊だなぁ」


 ツキヤの振る舞いを他の幽霊たちは、我関せずと傍観ぼうかんしていた。まだ結末が決まっていないと彼が言った瞬間に「同情の余地なし」と判断したようだった。


 それでも奇特きとくな何人かの作家たちが手伝おうかと名乗りを上げたが、ツキヤの描きたい結末というのが、どれだけ問いただしても見えてこなかったようだった。


「じゃあタイヨウが故郷に帰って、ユカリと再会するっていうのはどうだい?」


「うーん、そうじゃないんだよな」


「ユカリの事を書いた小説が大ヒットして、故郷から呼び寄せるって結末はどうだ?」


「ちょっとありきたりじゃないか」


「いっそバッドエンドにするか? 絶望したタイヨウは線路に飛び込んで自死するんだ」


「違う、違うなぁ」


 ツキヤは何度も首を振った。次々と提示される結末に首をかしげながら、困った顔で髪をガシガシと掻いていた。


 ハッピーエンドにしたいのか、バッドエンドにしたいのか、それさえも決まっていなかった。さすがの暇な幽霊作家たちもこれにはお手上げで、サジを投げてしまった。


「そのユカリって恋人が忘れられないだけなんじゃないのかい」


「死者が生者に過度に干渉するのは良くないよ」


「そうそう大人しく成仏しな」


 アオユリ書店の幽霊作家たちは口をそろえて、ツキヤを説得した。

 どの口が言うんだというセリフだったが、彼らの指摘は的確だった。私の目から見てもツキヤは小説が気に入らないというよりかは、道半ばで途絶えた自身の人生に悔いが残っているように思えた。


 それを私たちが推敲したところで、完璧なものに仕上がるとは到底思えなかった。きっとどんな結末を描いたところで、彼の結末は裏返らないことは彼自身が良く分かっているはずだった。


 ……唯一の例外はタブレット端末の前で、『去りゆく恋』を熟読しているケイコさんだった。私が頑張ってスキャンした『去りゆく恋』のデータが、タブレットの画面にスライドショーで延々とループさせてある。


 本を傷めないようにスキャンするというのはなかなか骨が折れる作業だが、これも店長から命じられた重要な仕事の一部だった。店長の言った通り、幽霊たちをおとなしくさせるにはとても良い薬になっている。


 ケイコさんはタブレットを独占して、『去りゆく恋』を何度もリピートしている。一度読み終わっても、再び最初から読み始める。


 何十回目かのリピートを終えた後で、ケイコさんは深いため息をついた。


「とても良い話でした」


「それだけ?」


「それだけです。私は批評家ではないので」


 ケイコさんはページめくり装置から目を逸らして、置いてあったコーヒーの匂いを嗅いだ。


「あんたは結末をどうすれば良いと思う?」


 例のごとく私の背中に憑いていたツキヤがケイコさんに声をかける。その質問にケイコさんは自分の胸に手を当てて、目を伏せた。


「私は……どちらかというと中盤が引っかかりますが」


「中盤? どのあたりだ?」


「ユカリが東京に来るシーンがありますよね。連絡をよこさないタイヨウを心配して下宿先まで訪ねてくる場面です。かなり重要なシーンだと思われますが、やけにそこが淡白に過ぎるような気がするのです。タイヨウの感情がほとんど描写されないままなので、少し勿体もったいないように思いました」


「だってさ。なんで黙っているの?」


 ケイコさんの問いかけにツキヤはむすっとした顔のまま黙り込んでいた。


「お気を悪くさせてしまったのなら、ごめんなさい。あくまで一読者の感想です」


「……いや、あんたの言う通りだ。もっともだよ。俺はそのシーンが書けなかった」


「もしかして嘘なの? ユカリさんが東京に来たっていうのは」


「本当だ。だからこそ書けなかった」


 ツキヤは悔しそうな顔で天をあおいでいた。辛い過去に想いをせるように、青白い顔の眉間に深いシワを寄せていた。


「下宿先の玄関前で俺を待っているユカリを見た時、俺は逃げたよ。あいつと会いたくなかった。こんな情けない姿を見せるわけにはいかなかった。その日は公園で寝て、翌朝戻った時にはもういなかった。大家が俺に言ったんだが、夜遅くまでずっと外で待っていたんだとよ」


「ユカリさん……可哀想に」


「それをそのまま書く訳にはいかなかったんですか?」


「……それは」


 ケイコさんの問いにツキヤは目を伏せて、瞳を揺らした。ライトに照らされた彼の顔はどこか悲しそうにも見えた。


「俺には書けなかった」


「あぁ……もしかして」


 ツキヤの表情を見たケイコさんはハッとした顔をして、言葉を続けた。


「ユカリさんを傷つけると思ったんですか。その事実を知ったら彼女が悲しむと気を使ったんですね」


「……そうだったかもしれない」


 ツキヤは小さく頷いた。随分と歯切れの悪い返答。

 その事実を悔やんでいるのは、下を向くツキヤの様子から痛いほど伝わってきた。

 


 私はカウンターの上で、ふわふわとやり場なく浮遊しているツキヤに声をかけた。


「偏見かもしれないけれど、ユカリさんはそんなことじゃ傷つかないと思うよ。それって恋人にとって無駄な気遣いじゃない? 本当の気持ちを知ればきっと彼女は怒らなかったはずだよ」


「私もそう思います」


「……それは違うぜ、お嬢さん方」


 ボウボウと黒い髭を生やした幽霊作家が横槍を入れてきた。

 アルコール中毒で亡くなったカムイさんだ。いつも腕に一升瓶いっしょうびんを抱えていて、幽霊だというのにいつも酔っ払っている。


「男のプライドだよなぁ。一度決めたからには曲げるわけにはいかない。弱いところをさらしたくないんだ」


「でももう死んでるから良いんじゃない?」


「そういうもんじゃないんだよプライドってやつは。たとえ相手が生きていなくても、自分として在る限りは曲げられないもんなんだ」


「……変なプライド」


「プライドなんてそんなもんだ。当人からすると大事なことなんだぜ」


 カムイさんが視線を送ると、ツキヤは「そうだ」と言って大きく頷いた。


「でも、プライドと作品の結末、どっちが大事なの……?」


「どっちかと言われてもなぁ……」


「このままだと書けないよ。それかもう諦めるか」


「うーむ……分からんと言ったら分からん!」


 駄々だだをこねる子供のようにツキヤはそっぽを向いて、ふて寝してしまった。背中を向けてプカプカと浮かぶ彼に、私たちはため息を吐くしかなかった。


 作家というのは面倒臭い生き物だということは知っていたが、ツキヤはその中でもとびっきりだ。未練の残り方が偏屈なせいで余計にたちが悪い。


 このままフヨフヨと浮かんでいるだけでは決して彼は成仏しないだろう。他の作家と違って彼の目的は本を書き直すことだ。私が手伝わなければ彼は永遠と浮遊霊としてさまようことになる。


 もしくは腕の良い除霊師に頼んで強制成仏してもらうしかない。


 ……それはさすがにちょっと可哀想だが、ツキヤ自身が『去りゆく恋』の物語をちゃんとと定めない限り私だって手伝えない。このまま文章に書き始めたところで、彼が最後まで書きとおせるとは到底思えないのだ。


「私に提案があるのですが」


 スッと手を挙げたのはケイコさんだった。雪のように白い腕を挙げて笑顔で口にしたのは、思いも寄らなかったアイデアだった。


「ユカリさんとの再会をやり直すのです。そこから物語をなぞっていけば、自ずと結末が見えてくるのではないでしょうか」


「いやでも……どうやって? ユカリさんが生きているかどうかも分からないのに。それは無理じゃないかな」


「代役を立てれば良いんですよ。ユカリさんの代わりに他の女性が恋人役を演じれば良いのです。そしてデートなぞしてみれば雰囲気も出てくるのではないですか?」


 デート……。随分と独創的な提案だ。


「未練があるから、ツキヤさんは続きを書けないのだと思います。でしたら、ユカリさんとの再会をやり直すことで活路が開けるのではないかと」


「なるほど」


 未練を断ち切るために擬似デートをさせてみせる。その時の過去に想いをめぐらせれば、小説の構想も思いつくかもしれない。ケイコさんが言ったのはそんな趣旨のアイデアだった。


 突拍子も無いが、同じ作家の言うこととして、やる価値はあるかもしれない。

 ただ問題は誰がツキヤの相手をやるかってことだ。


「もしかして……ケイコさんがデートの相手?」


「いえ、私はここで自分の本が売れるか見守る義務がありますので」


「じゃあ他に誰がやるの? ここに他に若い女の幽霊なんていないし……」


 そこまで言ったところで、ケイコさんの笑顔が私に向いていることに気がついた。他の幽霊作家たちの視線も私に置かれている。


 これってつまり……。


「私がユカリさんの代役をやれってこと?」


 ケイコさんはにっこりと笑って頷いた。実に楽しそうに私に向かって微笑んでいた。

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