フラット・コークと冷めたポテト

@FlatCoke

第1話

「うーん。ナチスナチス」

冒頭にそうでも書かないと素人の文章は読んでもらえない、みたいな投稿をツイッターか何かで読んで、そのあまりの字面にひどく気に入っていた僕は不意に思い出してつい口にした。

たまたま通りがかったキッパーを付けた男にぶん殴られたのは新たな時代の響きに何かの予感を見た午後で、つまりは僕はそういうやつだ。


僕を殴った大男は、赤軍のトゥハチェフスキー氏に似たアメリカ人俳優に似ていた。トゥハチェフスキー氏は亡くなっているので、きっとアメリカ人俳優だったのだろう。


テレピン油の匂いの染みた服でマクドナルドのカウンターに座ったのは午後五時半を過ぎた辺りで、カウンター席にはいつもの女がいた。

「あら、素敵な格好」

「死ねよ」

いつも通りの会話。

「ねぇ、村上春樹読んだことある?って言っても私も『風の歌を聴け』とうどんがラスボスのやつしか読んでないけど」

「二番目のすげー気になるな」

「村上春樹はね、いいよ」

女が言う。

「まずね、主人公が気持ち悪い。よく、その、射精するし、言い回しがキザったくてウザい。それでね、」

「それで?」

「ひたすらに虚無」


僕が初めて村上春樹を読んだのは一昨年の暮れで、「風の歌を聴け」を二週間かけて読んだ。僕はその時、凡そ真逆の感想を抱いた。

「インスタやってる女が好きそうなスウィーツみたいなオシャレさがあって、僕は好きだけどな」

「マカロンみたいな?」

「そう、あの著しく食欲を損なうような」


「この後は?」

話の後、女が言った。

「帰って原稿」

「そう」

女はいつもの黒革の眼帯を嵌め、席を立った。(恐らく彼女は恥という概念が欠落しており、一方恥という概念が欠落していない僕は海賊みたいな眼帯をつける女とマクドナルドでデートするのは、正直かなりきつい)

もしかして誘われていたのかな、なんて僕が考えているとスマホのロック画面は19:14という文字列を示していた。


予感がした。

昼頃に発表された新しい響きに、テレピン油の匂いに、なんの変哲もない日々に。

言葉にはできない、されど何かが変わるような確かな予感が。

無敵になった気分だった。今ならどんなことでもできる。地上で俺に敵うやつなどいやしない。

カッコつけて皺くちゃになったラッキー・ストライクに火をつけようとして、ここが禁煙席と気付いた僕はいたたまれなくなって急いで店を出た。


二〇一九年四月一日午後七時二〇分のマクドナルド、テーブルには炭酸の抜けたコーラとしなしなになった冷えたフライド・ポテトのみが残された。

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