第19話 次代の英雄は幸せを願う

「リヒト! おかえり! ……リヒト?」


 ほぼ明け方近くに“竜の羽休め亭”に帰ってきた僕を、ティアちゃんが出迎えてくれる。

 しかし僕は彼女かれの顔をまっすぐ見れる自信が無くて、何も言わず駆けるように階段を上がり、自室として割り当てられている部屋へと飛び込んだ。


 手に残る感触が消えない。

 ぬるりとした、血の滴る爪の感覚が拭えない。

 洗っても、洗っても洗っても……いくら洗っても、瞼を閉じればそこに映るのは、真っ赤に染まった爪と、僕の右手。


「……ごめん、ごめんなさい。ごめん、なさい」

「ピィ……」


 心配するような夜空の声が耳に届くけれど、僕の心は罪悪感でいっぱいになっていた。

 謝らなければあの魔物の……バフォメットの命を軽んじているようで……。


「ごめん……なさ、い……」


 ただひたすらに謝り続けた僕の瞼は、赤い血の色を脳裏に残しながらも、次第に意識を黒く染めていった。



「……ここは?」


 見渡す限りの暗闇。しかしなぜか自分の体はよく見える不思議な空間に、気付けば僕は一人立っていた。

 夢、にしては妙に意識がハッキリしているような気がするけれど……夢以外に説明がつけられそうにない。……もしかすると僕が知らないだけで、そういった魔法があるのかもしれないけど。


「来たか。エルフの子よ」

「……誰ですか?」


 暗闇の中に、ふわり……と小さな光が現れる。

 サイズ的には手のひらサイズの柔らかい光の玉だ。


「我に名はない」

「名前がない?」

「そうだ。しかし種族名であれば以前は持っていた。お前らでいうところの……バフォメットという名だ」

「――――ッ!?」


 その名前に、僕の身体は一瞬にしてこわばり、なにもないはずの右手に、妙な熱を感じてしまう。

 もしかして、この光の玉は……あのバフォメットの魂なのだろうか?

 だとすれば、なぜこんな場所に。彼は、僕が殺した・・・・・はずなのに。


「あ……その、」

「どうした、エルフの子よ。よもや我に謝罪をするつもりか?」

「それは、それしか、僕には……」

「それはとても傲慢な行為だな。戦いに生きる我ら魔族にとって、勝利者に謝られるなど最も屈辱的な行為。そのような言葉など、たとえ心からの言葉であろうとも、我は受け取らない」


 そう言う彼は、魂だけの存在のはずなのに……なぜだか怒っているかのように見えた。

 でも、それ以外……僕に返せるものなんて……。

 悩む僕を前にして、彼は意外にも意外の問いを投げつけてきた。


「エルフの子よ。お前の名は?」

「……僕? 僕はリヒト」

「リヒト、か」


 僕の名を反芻すると、僕には彼がなぜだか少し笑ったような気がした。

 表情どころか、顔すらないのに。なぜだろう、不思議とわかる。


「リヒトよ。お前は我に言ったな。“ご飯は美味しい方が良いよ”と」

「――え?」

「何を呆けている。教えよ、“ご飯は美味しい方が良いよ”の意味を」

「あ、うん?」


 突然の問いに、僕は一瞬自分が聞き間違えたのかと思ったけれど、再び言われた言葉はやはりその言葉だった。

 いや、突然すぎない? もしかしてそれを聞きに来たの? 魂だけで?


「えっと……楽しい、かな? 美味しいご飯を食べると、“今日も頑張るぞ!”って思えたりとか、疲れた時でも“このために頑張ったんだ!”って思えたりする、かな?」

「分からないな。それの何が良いのだ?」


 美味しいご飯を食べて、それの何が良いのかって言われると……ちょっと困るというか。

 そもそも、美味しいご飯を食べられるということ自体が幸せだし、そこについて詳しく考えたことがないというか……。


 そもそも、僕はなぜこんなことを、敵だった相手を前にして考えているのか。

 わからない。色んな意味でわからない。


「う、うーん……具体的にって言われると難しいかな。バフォメットさんは、戦いの何が面白いの?」

「何をわかりきったことをォ! 自らの力を使い、相手を屈服させることで、確固たる自身の力を高めることが出来る。魂が昂ぶるあの瞬間が、なによりも我を引きつけて止まない! わかるか、リヒトォ!」

「……まったく分からない」

「な、なにィ……」


 あ、ものすごく驚いた顔をしてる気がする。

 いや、顔はないんだけど。


 屈服させる? 魂が昂ぶる? 戦いに引きつけられる?

 そんなものはまったくなかった。ただひたすらにつらくて、怖くて、嫌だった。

 右のに残るこの感触も、今は無いはずの戦爪に滴る感覚も……僕はもう、思い出したくもない。


「ただ僕は、みんなと一緒に生きていたい。美味しい料理ものを食べて、一緒にどこかへ行ったり、いっぱい話して笑って……時には悩んで泣いて。そんな風に生きていきたい。だから何かを殺したくも、殺されたくも無い。ただみんなと一緒に……幸せになりたいんだ」


 幸せになること。ただそれだけを……僕も、神様も。そして向こうに生きる両親も願っているんだから。

 だから殺し合いなんてそんなものはいらない。


「ク、クク……クハハ、ハッハッハハハハ!」

「え、えぇ……? なんでいきなり笑うの!?」

「いやなに、我はそのような平和ボケした者に負けたのだなと思うと、これ以上、おかしなことなどない」

「……ごめん」

「謝罪などいらない。それは受け取らないと言ったぞ、リヒト」

「あ……でも、それ以外に」


 僕が彼に渡せるものは、何もない。

 彼の死を僕が受け止めて、背負っていくしかないから。


「良かろう、リヒトよ! ならば、我にその景色を見せてくれないか? お前が幸せだという景色を」

「……どういうこと?」

「我と契約せよ、リヒト。我の魂を背負うための謝罪など必要ない。その代わり、我に新たなる世界と、生を与えよ。――お前の召喚獣として」

「……ッ!?」


 今、彼はなんて言った? 召喚獣? 僕と契約?

 いや、それはでも……出来るの? もう彼は死んでいて、呼び出して定着させるための身体がないんじゃ。


「我は既に死んでいる。しかし、魂はまだ辛うじて生きている。リヒトよ、お前はあの時、魂だけとなった召喚獣を喚んだはずだ。ならば、魂だけとなった我も喚び出し、使役することが可能なはずだ」

「でも、それは……」

「なに、身体ならどうにでもなる。バフォメットという種にこだわらなければな」


 バフォメットとしての種にこだわらない……?

 つまり彼は、彼自身の性質を変化させ、世界に定着するための身体を新しく作り出すつもりなの!?

 そんなことが、出来るの?


「さあ、リヒトよ。我に名を与えよ。さすれば、それが契約の証となる!」


 試す価値はあるのかもしれない。

 それが僕の贖罪となるのなら、それは僕がしなければいけないことだ。

 だから、僕は――彼に名を与える。


「あなたは僕にとって神でも貴人でもないし、ましてや真逆の敵だ。でもそれと同時に、再び歩き出させようとしてくれた恩人でもある。だから、僕が君に渡す名は――御影ミカゲ。それが僕が君を呼ぶ、これからの名前だ」

「良かろう、リヒト……いや、我が主よ。我が名は御影、それを我が魂の名とする!」


 バフォメット……いや、御影の言葉をきっかけに、暗闇の世界が崩壊を始める。

 それと同時に、僕の意識は急激に遠のいていき――。



「……ヒト! リヒト、大丈夫!?」

「う、あ……?」

「ピィ!」

「良かったぁ……。もう、心配させないでよ……」


 ベッドに寝ていた僕の胸元に、ティアちゃんが倒れ込んでくる。同時に、顔のそばには夜空も。

 えっと、状況が分からないんですけど。


「ティアちゃん? それに夜空? どうしたの?」

「どうしたの? じゃない! すっごいうなされてたんだよ!?」

「ピ! ピィ!」

「夜空が急にボクの頭をつついてきて、それで急いで来てみたらリヒトがすごいうなされてて……ボクすごい心配したんだよ? 帰ってきた時も、全然顔を合わせてくれなかったし」

「ご、ごめん」


 胸元に顔を押しつけるように話すティアちゃんへ謝りつつ、僕はなんとか這い出させた腕で夜空の頭を撫でる。

 そういえば、扉は閉めてたはずだけど……どうやって夜空は?

 あ、扉壊れてる。いや、壊されてる。……夜空さん?


「……リヒト、何かあったの?」

「あー、うん。ちょっとね。……ティアちゃん、聞いてくれる?」

「うん。ボクで良いなら」


 顔を上げたティアちゃんを立たせて、僕もベッドから起き上がる。そして二人並ぶようにベッドの縁に座ってから、僕は口を開いた。


「初めて、生き物を殺したんだ」

「……魔物?」

「うん。殺すしか、あのときの僕に出来る事がなかったから」

「そっか。……きっと、初めてって辛いよね。ボクは魔物と戦ったことはないし、命の危険を感じたこともないから分からないけれど、色んな人を見てきたよ。リヒトみたいに初めて冒険に出る人とか……仲間を失った人とか」

「……っ」

「笑顔で出て行った人達が、全員帰ってこなかったことも。連泊予約してたのにね」


 つまりそれは、そういうことなんだろうか。

 ティアちゃんの表情は変わらない。いつも通りの可愛らしい顔だ。

 そんな顔のまま、彼女かれは言葉を繋ぐ。


「遺されたボクらは、その予約をどうすればいい? どんな想いでその台帳を見ればいい? いつもボクらは遺される側だ」

「ティアちゃん……」

「だから、最低なことを承知で言うよ。――外で何を殺してたって良い。リヒト、君が帰ってきてくれたなら」


 それは、確かに最低なことだけど……でも、その声は……切実な願いの色を乗せてボクの耳に届いた。


「あ、もちろんうちのお客さんとか、街の人を殺すのはダメだからね!」

「当たり前でしょ!?」

「でも、それ以外ならどうでもいいかな。だって、リヒトが帰ってきてくれるなら、ボクの心をリヒトは守ってくれるもの」


 喋りながら少し俯いたティアちゃんの表情はよく見えなくなってしまった。

 でも、耳が紅いから……照れてるってことくらいは僕にも分かった。


「リヒトが何を殺したって、ボクには知らないことだけど。もしリヒトが帰ってこなかったら、ボクは苦しいし、悲しいし……もしかすると後を追ってしまうかもしれない」

「えっ!?」

「だから今日、リヒトが帰ってきてくれて、ボクは本当に嬉しかったんだ。ありがとう、リヒト」


 そう言って、ティアちゃんは僕に満面の笑みを見せてくれる。

 その胸元には、僕が送ったお土産の首飾りネックレスが光っていた。


◇◆◇


 ビスキュイ冒険者ギルド。その一番奥の部屋で、ラトグリフとエスメラルダは頭を突き合わせ唸っていた。

 しかし、それは仕方のないこと。

 なぜなら、あの魔方陣の作られたと思わしき時期が、ある時期と重なってしまっていたからだ。


「エスメラルダ。これは本当なんだね?」

「はい。リヒトさんがラトグリフさんの方へ向かった後、とにかく確認しつづけましたので」

「そうか。となるとあのスタンピートは、魔族によって意図的に作られた、ということになるね」


 スタンピート――それは、魔物が大量に一方向へ流れ込む現象であり、神官であるポルカが孤児となった原因。

 今から約十二年前に起きたその現象は、ビスキュイを含む数多くの街や村を襲い、そのほとんどを壊滅へと導いた。


 そんなものを魔族が意図的に起こしていたとなると……ラトグリフの頭には最悪の未来が浮かび上がってしまう。


「人魔大戦、か」

「可能性はあるかと。十二年前のスタンピートでは、ビスキュイやモンテスといった街に住む冒険者達が活躍してくれたおかげで、最悪よりもある程度手前で押しとどめることができましたが、それは強力な魔物・・・・・がいなかった・・・・・・ことが、根底にあります」

「もし仮に、あの召喚魔法が当時発動していれば……最悪の想像を越えていただろうね」

「はい」


(魔族も長時間の準備が必要なスタンピートを止められたことで、すぐには攻められなくなったのだろう。お互いにある程度の被害がでているからこその、小康状態だった、ということだ)


 ラトグリフはまるで苦虫を潰したような顔で、歯を嚙み締める。

 その身体から放たれる威圧感は、常人であれば一瞬で気を失ってもおかしくないほどの圧を持っていた。


 しかしエスメラルダは、それをものともせず口を開く。


「冒険者ギルド各支部に連絡を飛ばすなど、早急に対応策を講じましょう」

「そう、だな。私も古くからの友に連絡を入れておこう。特にジキスタン、彼には詳しく話を聞いておかないといけないだろうね」

「そちらはお任せ致します。ですが、もし想定通りとなってくると……戦力が不安ですね」

「ふむ。ならば次代の英雄候補を鍛え上げるとしよう。おあつらえ向きに、時期がちょうど良いからね」


 そう言ってラトグリフは、軽やかにソファから立ち上がり、大きく笑う。

 そんな彼を見て、エスメラルダは対象となった少年のため、心の中で祈りを捧げた。


 願わくば、彼の未来が平穏であることを、と。

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この転生が、幸せに続く第一歩 ~召喚獣と歩む異世界道中~ 一色 遥 @Serituki

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