第18話 僕の戦い

「ルアァ! ブルアァァァァ!」

「ラトグリフさん……! まさかッ!」

「ダメです! リヒト君!」


 制止させるように掛けられた言葉を、僕は無視するように飛び出した。

 ダメだ、ラトグリフさん! 死んじゃったらダメだ!


「ピィ!」


 追うように僕の後ろに縋る夜空に振り返ることもなく、僕は階段を降りる。とにかく急いで。

 しかし、すでに物音はなく、響くのは僕の足音と、夜空の足音だけ。

 まさか、もう終わって……。


 ――いや、まだだ。絶対、まだ!


 そうして部屋へと転がり込んだ僕の前には、血溜まりの中倒れるラトグリフさんと、彼に向けて大鎌を振り下ろそうとする異形の姿があった。


◇◆◇


 少し時は戻り、リヒト達が部屋から消えた頃。ラトグリフは山羊頭の魔物――バフォメットと相対していた。

 相手の身体はラトグリフよりも二回りは大きく、その片手には刃渡りだけでラトグリフの背に届きそうなほどの大鎌を持っていた。


(さっきの攻撃だけでもわかる。これはまずいね)


 静かな顔をしつつバフォメットを見据えるラトグリフだが、彼の手には僅かな痺れが残っていた。

 それはつまり、相手の攻撃力が自身の防御を上回っていたという事実に他ならない。ゆえに彼は逃げることが出来ないでいた。


(背を向けた瞬間に死ぬ。これは、そういう相手・・・・・・だ)


 しかし相手にもそれは分かっているのだろう。だからこそ、バフォメットは余裕を見せたように、大鎌の刃を下へと向けている。


(舐められているみたいだ。だが、そのおかげで時間は稼げそうだね)


 ラトグリフの頭にあるのは、バフォメットを倒すことと、自身が生き残ること。そして、先ある三人を生かすこと。

 その内の一つだけでも、なんとか達成することができるなら、ここに自分がついてきた意味が持てる。そう思っていた。


「ブルァ……お前、弱いなァ!」

「はあ……。これでも一応、英雄ではあるんだけどね」

「英雄だと? ……まったく笑わせてくれる。この程度のために我が呼ばれたというのか!」

「呼ばれた、ね。そこの話を詳しく聞きたいんだけど、教えてくれたりしないかな?」


 ラトグリフの問いに、バフォメットはその鼻を震わせるようにいなないてから、大鎌を持つ腕に力を込めた。


「なら、我を倒して見ることだな! 英雄!」

「――くッ!」


 直後に振り下ろされる大鎌の一撃を、持ち上げた槍の柄で受け止める。

 鎌は受け方を損なえば、致命傷を受けやすい! その独特な形状から、実際の刃の位置を見落としやすいからだ!

 しかし、二撃、三撃と繰り出される攻撃をラトグリフは的確に捌き続ける。間合いを詰め過ぎず、離れ過ぎず……相手が攻めにくくなるギリギリを狙って足を動かし続けた。


(このまま守り切れれば、時間は充分に稼げる! 相手の攻撃に目と腕が慣れれば、反撃の余地もあるはずだ)



 ラトグリフの思考に乱れもなく、純粋な力の差が、経験によって覆されようとしていた。まさにその瞬間……終わりが唐突に訪れた。

 パキン、と今まで聞こえたことのない音が聞こえ、彼の手から重さが消える。


「……え」

「確かに英雄と呼べる技術だが、武器はそうでもなかったようだな!」


 そう、この死を背にした戦いに対し、ラトグリフの頭から抜けていたことが一つだけあった。

 今日持ってきていた武器は……激戦を共に駆け抜けた相棒ではなく、ギルドに置いておいた量産型の槍・・・・・だったこと。

 そしてそれは……経験があだとなった瞬間でもあった。


(ああ、そうか。これほどの戦いで、相棒アラドヴァル以外を使うなんて、思ったこともなかったね……)


 もっとも、肩口へと迫る大鎌から、致命傷を少しでも避けるべく足を動かせたのは、彼の膨大な戦いの経験による無意識だったのだが。


「ブルアァ! 弱い、弱いぞ!」

「……逃げていてくれ。みんな」


 叩きつけられるように壁へと激突し、口から異常なほどの血を吐き出しながらも、ラトグリフは逃がしたリヒト達のことを思い、願いを零す。

 咄嗟に致命傷を避けたとはいえど、斬り裂かれた肩からはおびただしいほどの血が水溜まりを作り、倒れこむ身体の衝撃で辺りへと散った。


「これで終わりだ、英雄」


 その言葉締めにブルアァと嘶きを上げ、バフォメットは大鎌を振りかぶる。弱いとはいえ、量産型の槍でここまで自分の攻撃を防いだ相手だ。せめて最期はひと思いに、と。


 しかしバフォメットは、その大鎌をラトグリフへ振り下ろすことは出来なかった。

 なぜなら、その直前に……知覚できないほどの速度で何者かが攻撃をしてきたからだ。


◇◆◇


「ラトグリフさん、大丈夫ですか!?」

「……リヒト、くん? なぜ、戻ってきた……」

「ラトグリフさんを助けるためですよ! 当たり前でしょう!?」

「無理だ……逃げ、ろ」

「それはできません! ああ、こんなに血を出して……! とりあえず回復しますから、動かないでください!」


 バフォメットという名の魔物は夜空に任せ、僕はすぐにラトグリフさんへと駆け寄り、回復の魔法をかける。

 大怪我だけど、大丈夫……いつものラトグリフさんの身体に戻すイメージ……!

 ……ふんぬっ!


「……あの怪我を一回で。適性があるにしても、滅茶苦茶だね」

「すぐに動かないでください! 血は回復しないんですから!」

「だが、そうも言ってられないだろう。君の相棒を危険な目にあわせるわけには……」


 ラトグリフさんは、いくら僕が制止しても、無理矢理に起き上がろうとしてくる。

 まだ無理なのに、そこまでするのは……! なんて、声を掛けてもきっとダメなんだろうな。


「だったら……僕が倒します」

「それは無茶だ! 君ではまだ」

「無茶でもやるしかないんです。どのみち、今の状態のラトグリフさんじゃ、すぐに殺されちゃいます!」

「それは……。しかし、それは君でも同じだよ、リヒト君。何か策があるわけでも無いんだろう?」


 僕の言葉に苦いものを食べたような顔を見せながら、ラトグリフさんは僕を諭す。

 けれど僕には、僕にも……いや、僕にだって、引けない戦いはあるんだ!

 ティアちゃん、ごめん。“気を付けて”って言われたのに、真逆のことをしちゃうかもしれない。


 けど、そうでもしなければ、僕はみんなに会わせる顔がなくなる。そんな気がするんだ!


「策はないです。でも、もしかするとあるかもしれない」

「……どういうことだい?」

「教えてください、ラトグリフさん! 僕に英雄の……最高の召還術士、森羅のリークランシェの戦い方を!」



「いいかい、リヒト君。私が稼げる時間は、きっと五分も無い。その短い間に君が成功しなければ、みんな揃って斬り殺されるだろう」

「はい」

「戦いは強いものが勝つ。それが当たり前の世界。けれどね、私はこう思ってる。――に絆を持つものが勝つ、と」


 絆。

 それが僕がバフォメットに勝つための、唯一の方法。

 きっと大丈夫。そう、僕は信じているから。


「覚悟はいいかい?」

「……はい!」

「では始めよう! ――夜空君、交代だ!」

「ピィ!」


 一瞬の隙を突くように、夜空とラトグリフさんの位置が入れ替わる。そんなラトグリフさんの手には、僕が変質魔法で直した槍が握られていた。

 初めて使った魔法だったけど、大丈夫なんだろうか……。いや、信じるしかない。それ以外は今は無いんだ!


「夜空、ありがとう。おかげでラトグリフさんを治せたよ」

「ピッ」

「でね、夜空。僕らがバフォメットに勝つには……君の力が必要なんだ」

「ピ?」

「うん、そう。夜空の力」

「ピィ!」


 “ふんす!”と言わんばかりに胸を張る夜空に、僕は少し笑いつつ、彼女の前へと手を伸ばす。

 このサイズの夜空と、真正面から向き合うのは初めてだ。なんだか今日は初めてのことばっかりしてる気がする。


 黄ランクトパーズのクエストを受けたり、調査クエストに挑戦したり、人の首にネックレスをつけてみたり、こうして戦ってみたり……。本当に、今日だけでどれだけの初めてに出会ってるのかな。

 どれもこれも、ベッドの上では経験できなかったことばかりだ。神様に感謝しても、しきれないくらいかもしれない。


 そして、これから行う事も初めてのこと。

 上手く出来るかどうかは分からないけれど、僕は信じたい。僕を信じてくれたラトグリフさんを。上で待ってくれているエスメラルダさんの元へ帰るという未来を。そして、僕と夜空の絆を。


「これから先の初めてに、僕は出会いたいから。夜空、君の力を僕に貸してほしい。……僕とひとつになろう。夜空」


 差し出す手が震える。怖い。この手を夜空が取ってくれなかったらなんて思うと、震えが止まらない。怖い。夜空、夜空……!


「ピッ」


 震えた僕の手に、ポフッと夜空の翼が乗る。それだけで不思議と震えが治まり、温かさが僕の手を包み込んだ。

 瞬間、その手に乗っていた夜空の感覚が消える。――しかし、震えは起きない。


 なぜなら、その手の上には……夜空の魂が残っていたからだ。


「いくよ、夜空。――召魔装法アルマドゥーラ憑身・夜空トリガーホーク!」


 手の内に押し込むように拳を握ると、僕の心臓が大きく跳ねる。

 召魔装法アルマドゥーラ――それこそが、リークランシェさんを英雄と呼ばれるほどに高みへと昇らせた魔法。召喚獣を呼び出した後、あえて姿を定着させず、魂を自らに合体させる。

 そうすることで、召喚した魔物の力を自らの力として取り込む事ができる。


 しかし、その成功率は極めて低く、この三百年……まともに成功したのは、リークランシェさんただ一人だけだった。才能か魔力の差なのか、原因は不明だが、彼女は仲間にこんなことを言っていたらしい。“成功の鍵は、召喚獣との絆・・・・・・だ”と。


「……夜空、大丈夫。大丈夫だから」


 心臓が鼓動するだけで、身体が破裂してしまいそうな衝撃を受けながらも、僕はひたすらに耐える。大丈夫、大丈夫だよ、夜空。

 そして、ドクンッと一際大きく心臓が跳ねた直後、僕の身体を薄茶色の羽が包みこんだ。


「……成功したみたいだね」

「お前! あの子供に何をしたァ!」

「何もしていないよ。あれは全て、あの子達が元々持っていた力だ。私は、その使い方を教えたに過ぎない」

「この、くたばり損ないの英雄がァ!」

「……ぐうッ!」


 渾身の力といわんばかりに振り下ろされた大鎌は、ラトグリフさんを壁まで吹き飛ばした。

 そして、ラトグリフさんを気絶させたバフォメットは僕へと向かってくる。


 そう……それが僕には見えていなくても・・・・・・・・分かった・・・・


「目覚める前に潰す! 死ねェ!」


 僕めがけて振り下ろされた大鎌を、僕は左手の戦爪・・一本で止める。

 そして、バフォメットが驚くよりも先に、右手の拳を叩き込んだ。


「――が、はッ!?」

「出来る事なら、このまま帰ってほしい。僕は君を殺したいわけじゃないんだ」

「て、めぇ……!」


 身を隠していた羽が僕の周りから消え、視界が良好になる。

 そうして見えた僕の腕は、両手に夜空の羽と同じ焦げ茶色の籠手をつけていた。

 ……あ、なんか爪もついてる。これだね、さっき大鎌止めたの。


「えーっと、僕はラトグリフさん、上で待ってるエスメラルダさんと一緒に街に戻りたいだけなんだ。だからその……見逃してくれたら嬉しいなって」

「ふざけるな……! お前は魔族がなんの為に生きているのか、知らないのか!」

「あ、はい。知らないです」


 雰囲気を読まず返した僕の返事に、バフォメットの動きが止まる。

 あ、もしかしてこれって普通は知ってることなのかも……? でもそもそも僕、魔族って存在を今日初めて知ったわけだし……。魔物は知ってたけど。


「わ、我らは強きモノと戦い、その血肉を喰らうことで更なる高みへと昇る! そのために生きているのだ!」

「え……。血肉を喰らうって……ご飯は美味しい方が良いよ!」

「……いや、そういうモノではなくてだな?」

「ティアちゃんのご飯は美味しいんだよ! ね、夜空! って夜空暴れないでめて、魔法解けるから!」


 身体の中で暴れる夜空を、声を掛けてなんとか鎮める。

 でも、冷静に考えるととても変な光景だよね……。自分の身体に語りかけてるわけだし。


「……お前は我を舐めているのか?」

「え、全然そんなことないです! むしろ、戦いたくないだけです! ……僕、生き物を殺すとか、やったこともないし、出来ればこれからもやりたくないから」


 ベッドの上で四肢不全だった頃は、そもそも虫を殺すことも出来なかったから。別に殺したいとか思ったこともないから良いんだけど。

 でも、夜空に誓ったから。あの時の誓いは、嘘じゃないから。


「僕の大切な人達が傷つきそうになったら、僕は剣を手に取るよ。例え、殺すことになったとしても」

「……お前は一つ勘違いをしている。我がお前ごときに殺されるという、勘違いをなァ!」


 怒りに任せたように大鎌を振り上げ、僕へと振り下ろしてくる。

 殺意のこもった一撃。確実に相手を葬り去るための一撃。


 けれど――


「ごめん」


 今の僕からすれば、止まって見える・・・・・・・

 だから、僕はカウンターの要領で、もう一度お腹に拳を叩き込んだ。


「へぶ……ッ!?」

「だから帰ってください。できることなら、僕はなにも殺したくない」


 壁まで吹き飛んだバフォメットに、僕は再三のお願いをする。けれど、バフォメットはそんな僕を嘲笑うかのように、大鎌を横へと向けた。


「あっ……」

「馬鹿め! お前への攻撃はこのためだ! コイツの首を切り落とされたくなければ、その魔法を解け!」


 大鎌の先。ちょうど刃の当たる部分に、人影があった。

 それは、壁まで吹き飛ばされて気絶していたラトグリフさんだった。


「……」

「どうした、さっさと魔法を解け!」

「僕は言った」

「何だ?」

「僕の大切な人達が傷つきそうになったら、僕は剣を手に取る、と。例え、殺すことになったとしても、と」

「――ヒッ!?」


 僕の言葉に何かを感じ取ったのか、大鎌が……いやバフォメットの身体全体が震えだす。

 そんなバフォメットに、僕はゆっくりと近づいて――大鎌を振るうよりも先に、戦爪をその顔に叩き込んだ。


「――ガ、」

「……ごめんなさい」


 引き抜くときのぬるりとした感触は、もう永遠に忘れることはできないだろう。

 ドサっと、ずり落ちる様に地面に沈んだ音が、酷く耳を突いた。

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