第十話 「最後の選択」

 暗殺者とはいえ、街中で殺人を犯してしまったアッシュは南へ逃亡した。これでしばらくはペレサに居られなくなった。

 ひとまず彼は南の大国ゴワンフルティを目指した。

 だが、ゴワンフルティの町の前で多くの兵達が待ち受けているのが遠目で見えると、アッシュは身を隠した。

 敵の狙いは俺だろうか。アッシュは思案した。このまま敵を突破することは容易い。だが、ゴワンフルティに入って何になる。もしもラッピアの様に国ぐるみで俺を狙っているとしたら、ゴワンフルティをたった一人で滅亡させるしか道は無くなる。

 できないこともないだろう。六本の剣にも充分過ぎるほど血を吸わせることができる。

 しかし、アッシュは踵を返した。

 と、そこには一人の敵兵が剣を振り上げているところであった。

 殺気を感じられなかった。考えに夢中だった。らしくない!

 アッシュは素早く攻撃を避け、剣を抜き放ちながら兵士の首を飛ばした。

「いたぞ、その剣の数! 間違いなくアッシュだ!」

 どうやら二人組だったらしい。もう一人が甲高い声を上げ、ラッパを吹き鳴らした。

 アッシュは命を捨てる様にラッパをただ吹き鳴らす兵士を一刀両断に斬り殺した。

「アッシュ覚悟!」

 ラッパの音に気付いた兵士達が殺到してきていた。

 アッシュは自らその懐に飛び込み剣を振るった。血煙の中を彼は懸命に刃を掻い潜り次々敵を討ち取っていった。

 だが、青色の鎧を身に着けたゴワンフルティの兵士達は続々増えるばかりであった。

 アッシュはついに三本目の剣までを振るった。

「ザクセン殿の仇!」

 指揮していたのであろう若い騎士が自ら槍をしごいてアッシュに挑みかかって来た。

 今頃になって恨まれるとは思わなかった。ザクセンは確かに偉大な男だったに違いない。しかし、一戦士に過ぎない身分のその仇のためだけにこれ程の兵を差し向けてくるだろうか。

 相手の刃を避けながらアッシュは思案していた。

 いや、違うだろう。ラッピアといい、暗殺者といい、自分の知らないところで何かが起きている。俺の命を必死で奪わなければならない何かが。

 アッシュの剣が弾き飛ばされた。

「あの世でザクセン殿に懺悔しろ!」

 騎士が槍の突きを繰り出した時、アッシュは腿に帯びていた短剣を投擲した。それは騎士の顔面に突き刺さった。

 悲鳴を上げる騎士をアッシュは新たな剣で斬り捨てた。

 兵達が大人しくなった。

 アッシュは自分の剣を拾い上げると、敵兵を見据えた。

 アッシュは自分でも分からなかったが、無理やり笑っていた。

 玉砕覚悟で来るか、それとも退散するか。

「と、突撃だ! 国王陛下万歳!」

 兵士達は向かってきた。

 そしてアッシュの剣の前に全滅したのであった。



 二



 ペレサに引き返すこともできず、アッシュは西の国ジャルジへ向かっていた。

 ウェインと言う騎士を殺したことを思い出した。ジャルジはきっと俺を歓迎しないだろう。だが、行く当ても無かった。

 案の定、ジャルジに続く街道に、西の国の赤い鎧を身に着けた兵士共が待ち受けていた。アッシュはあれは間違いなく自分一人を狙っていると思っていた。

 ラッピアといい、ゴワンフルティといい、そしてジャルジ、俺の行く手を尽く読んで待ち受けている。ただの騎士殺し以上の何かが俺に貼られている。一傭兵の俺の手の及ばないところで。

 アッシュは歯噛みした。

 それで、俺はあいつらと戦うべきだろうか。戦えば確かに多くの屍を積み上げることはできるだろう。

 屍を積み上げろ、血を浴びろ。奴らを殺し尽せ。

 進退窮まって、アッシュは言い聞かせる様に復讐心を燃やした。

 彼は歩みながら剣を抜いた。

 それを目敏くジャルジの兵が見付けて声を上げた。

「貴様が傭兵のアッシュか!?」

「そうだ、俺がアッシュだ! 来たらどうだ!? 全員あの世へ送ってやる!」

 アッシュが怒号を飛ばすと、兵士達は一斉に地を駆けてきた。

 剣戟が鳴り響き、風を斬る様にして、次々血煙が上がった。

「ウェイン殿の仇!」

「義無き蝙蝠に死を!」

「世界の敵め! 戦の元凶め!」

 アッシュを恨む声と刀槍の音は鳴り止まなかった。

 アッシュの姿は返り血に塗れ地獄の悪鬼と化していた。その地獄の一撃の前に兵士達は次々討たれていった。

 気付けばいつも通り、無数の屍と、たくさんの血だまり中に自分だけが立っていた。

 アッシュは笑い声を上げた。これなら本当に一国を滅ぼせるかもしれない。できる、俺なら。そうだ、手始めにこのジャルジを落としてみせようか。

 新たな増援が来る。

「アッシュ死すべし!」

 指揮官の声のもと兵士達が横一列に並んだ。

 あれは。

「撃て!」

 唸りを上げ幾つもの矢がアッシュ目掛けて飛んでくる。

 矢はアッシュの鎧を貫通し身体中に深々と突き刺さった。久々の激痛にアッシュは呻いた。針の山のように己の身体に突き刺さる矢を見下ろした。彼は怒り、咆哮を上げた。

「かかれ! 彼奴を討て! 悪魔を浄化しろ!」

 指揮官の声で兵士達が地を揺るがし駆けてくる。

「悪魔め死ね!」

 突き出された槍をアッシュは一刀の下に分断し、敵兵の顔面に剣を突き刺した。

 そして剣を振るい次々と血と悲鳴を鳴り響かせた。

 だが、ジャルジの兵は留まることを知らない。波のように次々押し寄せてくる。

 なまくらになった剣を捨て新たな剣を抜き放つ。

 アッシュは果敢に反撃していた。

 だが、不意に視界が揺らいだ。

 どうやら毒矢だったらしい。

「殺せ殺せ、戦乱の元凶、悪鬼めを地獄へ送り返すのだ!」

 アッシュは剣を大薙ぎにし敵兵達を血祭りにあげたが、ついに片膝をついた。身体が動かなくなった。意識が遠のいてゆく。

 新たな増援の姿を見た時、アッシュは倒れていた。



 三



「アッシュ、アッシュ」

 そこは河原だった。大小様々な石ころだらけの大地に、浅い川が流れている。その流れは緩やかだった。

「こっちよ」

 先程と同じ声が聴こえた。

 声の主は対岸に居た。

 まだ幼い姿をしている。栗色の長い髪をした少女で、アッシュは思わず驚きその名を呼んだ。

「ソフィーか!?」

「そうだよ、アッシュ。また会えた」

「どういうことだ。だってお前は……。俺は死んだのか?」

 アッシュが困惑しているとソフィーは言った。

「アッシュのこと、私ずっと見てたよ。辛かったね、アッシュ」

 その言葉は彼の琴線を響かせた。アッシュは身震いした。涙が止めどなく溢れ出てくる。

「もう良いんだよアッシュ。あなたは戦う必要なんてないの」

 ソフィーがゆっくり歩み出した。彼女は川の中へ入ってゆく。そして手を伸ばした。

「行こう、アッシュ、みんな、あなたのこと待ってる」

「みんな?」

「うん。あなたが守りたかった人、あなたが大切に思っていた人達、みんながいるよ」

 ソフィーは手を伸ばした。

「私に掴まって。そうすればみんなのところに連れて行ってあげるから。もう戦う必要のない世界に。天国に」

 アッシュの心は揺らいでいた。みんなが待っている。

 不意に一人の女性の顔が脳裏を過ぎった。

 アリア……。

 アッシュは溜息を吐いた。

「悪いな、ソフィー。俺には、俺にとって大切な人は他にもいるんだ。いい加減目を覚まさなきゃな!」



 アッシュは剣を振るった。

 敵兵の首が飛んだ。

 重くなった身体をゆっくりと上げ、なまくらになった剣を捨てた。

「どうした、あの世から舞い戻って来てやったぜ! お前らを斃すためにな!」

 敵兵が躍り掛かってくる。アッシュは斬り捨てた。

 そうして雲霞の様に湧き出るジャルジの兵を笑みを浮かべて迎え撃ち次々斬り捨てた。

 俺はこいつらを殺して殺して殺し尽くして、アリアのもとへ帰ってみせる! 逃亡生活になろうが構わない。俺が彼女を守りきる!

「何と、不死身かこいつは!? 毒はどうしたのだ!?」

「毒は必ず効果を表します!」

「いつだ!? いつ効果を表す!?」

「そ、それが、即効性のはずなのですが……」

 アッシュは敵の肉壁を突き進んだ。そこでついに五本目の剣が圧し折れたので、最後の六本目の剣を抜き放った。

「ちっ、待ってられるか! 兵はどうした!? もっともっと兵を出せ!」

 そうだ、もっともっと来い。全部俺が斬り捨ててやる。

「もう、配備していた兵はおりません!」

「何だと!?」

 アッシュは残る敵を見据えた。

 指揮官と、参謀、それを守護する十人ほどの敵兵だけだった。

「地獄へ案内してやる!」

 アッシュは駆けようとした。だが、足は鉛の様に重くなっていた。剣を握る手も力が抜け始めていた。

「ちっ」

 アッシュは舌打ちした。腕を上げようとしたが上がらなかった。

「毒が効いているようです!」

「よし、奴を討て! 討った者には望みのままの褒美を与えよう!」

 指揮官の声を聴き、兵士達がアッシュに襲い掛かって来た。

 アッシュは自由の効かない身体に鞭を打ち、一人斬り伏せ、二人目の首を貫いた。三人目が槍で襲い掛かって来た。

 アッシュは打ち合ったが、目が霞んだ。と、身体に異変を感じた。兜が吹き飛ぶのが分かり、同時に首の辺りが熱くなっていた。

 槍先がそこに突き立っていた。

「やったぞ! 俺がアッシュを殺し」

 アッシュは短剣を引き抜き投擲した。それは開いた敵の口の中を突き破った。

 さて、どうする。

 血が止めどなく溢れてくるのが分かった。もう長くはないだろう。俺を待っているのは確実な死だ。

 アリアが言った言葉を思い出す。ここで暮らそうと。

 アッシュは笑みを浮かべた。そうすれば良かった。

 傭兵エドガーの誘いを思い出す。正義の傭兵団。

 それも今となっては魅力的だな。

 牧師の言葉を思い出す。

 あそこで懺悔し、アリアのもとへ帰るべきだったのかもしれない。

 ソフィーの言ったことを思い出す。みんなが待っている天国。

 アッシュは自嘲し、苦労して剣を拾い上げた。

 だが、遅すぎた選択だ。

 正面を睨む。

 兵士達が迫ってくるが全て斬り捨てた。

「ひ、ひいいっ!」

 指揮官が後ずさりする。

「子爵閣下、お下がりください!」

 参謀が弓を構えた。

 アッシュと目が合った瞬間、その矢は放たれた。

 頭に何か衝撃を覚えた。

 その瞬間、全身から力が抜け、抵抗もできぬまま暗い世界へとアッシュは落ちていった。



 血みどろアッシュ 完

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血みどろアッシュ -選択の果てに- Lance @kanzinei

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