第九話 「追討令」

 騎士ウェインは西の国ジャルジ最強の騎士だった。

 それを失い、そして度重なる将兵の多大な死も、主に一人の男の手によって行われたという。地獄の悪鬼アッシュ。流れの傭兵だが、これほど信義に欠ける男をジャルジの国王は聴いたことも無かった。聴けば隣国であり南の国ゴワンフルティも、あの名高い戦士ザクセンと多くの将兵をアッシュの手によって失われていた。更には書簡で確かめた北の国アヴィドも、アッシュによって同じ状況に陥っているという。

 このままでは戦争は硬直したまま続けられ、どこの国も大陸の覇者にはなれないだろう。

 そうまでするたった一人の戦士が惜しくも思えたが、蝙蝠の様に翌日は敵となる男を手懐けることなどできないだろう。多大な金を積んでも靡かないという男だ。

「奴の存在は、大陸の戦争を無意味に長引かせ、無闇に民草を疲弊させるだけの存在だ」

 ジャルジの国王はそう頷くと、自ら筆を取り、書をしたため始めた。

 内容は、戦争を長引かせる元凶であり、流れの傭兵アッシュを討ち取った国が、中央の小国ペレサを第一に獲得できる権利を与えようというもので、アッシュを討ち取れなかった国々は、潔くペレサを攻め立てる援軍となることを確約する。という内容だった。

 ジャルジの国王は、北のアヴィド、南のゴワンフルティ、そして東のラッピアにその書状を送り付けた。

 やがて返答が来る。各国の返事は承諾するものだった。

 こうして世界に、傭兵アッシュの追討令が発せられたのだった。



 二



 アッシュは中央の国ペレサの北の町にいた。そこでもアッシュはまず北の大国アヴィドの傭兵となり、ペレサを攻め立て、そして翌日にはペレサの防衛の兵となりアヴィドに刃を向けた。多くの将兵を殺し、大量の返り血を浴びた。

 剣の修繕と買い替えを終え、アッシュはこれからどこへ向かうべきか思案していた。東のラッピアには相変わらず彼は剣を向けなかった。憎き仇の国でもあるが、そこにアリアがいることを考えると東国ラッピアに剣を向けることは憚れていた。

 最近の戦はぬるかった。将が盆暗で兵も鍛えこまれていない。傭兵もまとまりに欠けただの口と威勢だけの無法者集団になっている。

 いつぞや、ウェインという騎士が言ったことを思い出す。「世界を拮抗させ戦乱を拡大させている」

 初めは馬鹿馬鹿しかったが、ここ最近の戦の現状を顧みて、アッシュは慢心したわけではないが、案外あの騎士が言ったことは本当なのかもしれないと思っていた。

 自分が将兵をいくら斬ったところで、それらは新規に補充されるだけである。いずれも戦争のたびに質が悪く戦の経験も乏しくなるような者達だった。

 俺が殺すと、戦とは無縁の人物が剣を握り戦場へ出てくる。そして斬る。それの繰り返しだ。

 いくら剣持つ者とはいえ、そのような者達の屍を積み上げ、血を啜ってどうなる。そいつらにも家族がいただろう。もう自分が仇にしていた本当の剣持つ者達は一掃されたのでは無いのだろうか。

 なら、どうする?

 愛しき人の顔が浮かび上がる。

 アリアのもとへ帰ってみるか。

 いつぞや教会で牧師に言われたことを思い出した。神に懺悔などするつもりはいないが、アリアのもとへ帰りたくなった。彼女が俺の帰りを待っていてくれたなら、ひとまず剣を収めることにしよう。

 アッシュはアリアの住むハイデンのある東の国ラッピアを目指すことにした。



 アッシュは中央の国ペレサから東の大国ラッピアを目指した。

 幾日か旅を進めた時だった。

 突如道の左右から黒い影が幾つも現れ、アッシュの行く手を遮った。新緑色の鎧を身に纏っている。ラッピアの兵士達だった。

 アッシュは軽く動揺した。ラッピアには恨みこそあり、アリアが故郷に帰る前までは確かに剣を向けたこともあった。しかし、それももう古い話のはずだが、どうやら違ったらしい。

「傭兵アッシュ、悪戯に戦乱を拡大する悪魔め、我らが成敗してくれる!」

 ラッピアの兵達が襲い掛かって来た。

 今頃になって恨みが出て来たか。

 アッシュは剣を抜き、ラッピアの兵達を斬り殺した。

 だが、ラッピアの兵達は次々現れる。アッシュは血塗れになりながら斬り続けた。

 四本目の剣が血を吸い終わると、兵士達もさすがに勇気を挫かれたように、遠巻きに睨んでくるだけだった。

 ラッピアには入れないだろう。わざわざアリアの居場所をこいつらに教える様なものだ。

 アッシュが背を向けると、兵士達が斬りかかって来た。

 振り向きざまにアッシュは剣を振るい兵士達を撃滅した。後に残るは兜にトサカのある隊長のような男だけだった。

「く、くそ、悪魔め! 私が討滅してくれるわ!」

 その隊長を一刀両断にすると、アッシュはペレサへ逆戻りし始めた。

 だが、しばらく歩くと、その道を再び緑色の鎧を纏った、大量のラッピアの兵達に寸断されていた。

 アッシュは溜息を吐いて剣を向けた。

 そしてラッピアの兵どもを四本目の剣がなまくらになるまで斬り殺し続けた。

「さすがに兵だけでは無理だったか」

 そこに現れたのは緑色の外套と高価な鎧を纏ったラッピアの騎士達だった。

 アッシュは五本目の最後の剣を抜いた。

「戦乱の現況、傭兵アッシュ、我らが騎士団が貴様を討ち取る!」

「戦乱の元凶め。それはお前達の主人のことだろうが。泥沼の戦なんかやめて全部の国で同盟を結べば良いだけの話だろう。何故、それをしない?」

「黙れ、悪魔め!」

 騎士達が斬りかかって来た。

 こういう奴らを斬ってこその復讐だ。

 アッシュは笑みを浮かべ騎士団に挑んだ。

 騎士となると剣術の冴えが違ったようにも思えた。思えただけで、しかし、アッシュの敵では無かった。

 五本目の剣が真っ赤に染まりきった頃、そこに立っている騎士は誰もいなかった。

 アッシュは再びペレサを目指した。



 三



 ペレサの町に入り、アッシュは剣の修繕を頼むと、更にもう一本新品の剣を買っていた。

 長らくちょっかいを出さなかったラッピアが、これほどまで自分一人を狙うことに多少は疑念を抱いたのだ。

 しばらくペレサに籠ろうかとも思った。

 剣の修繕が終わり、彼がペレサの町を歩いていると、不意に人混みの中に殺気を覚えた。

 左か。

 人混みの中を縫う様にして平服を纏った女がアッシュに斬りかかって来た。

 アッシュは鋭い一撃を避け、剣を抜いた。

 行き交う町民達が悲鳴と驚きを上げて下がって行った。

 他にも殺気を感じた。背後の建物の屋根の上からだ。そしてもはや正体を露見しても構わないと見たのか、平服を纏った男女がアッシュに向かってきた。

 こいつらは暗殺者と呼ばれる者達だろう。

 背後から放たれた矢を弾き、振り向きざまに躍り掛かって来ていた女の脚を分断する。

 アッシュは暗殺者の包囲網の中に剣を振り回し、血路を開いた。血が宙を舞う。だが、彼は振り返って向き直る。多方面に相手にするよりは、一方向から戦った方がやりやすいからだ。

 屋根から新たな暗殺者達が降りてくる。静かなものだがそれでも殺気を感じる。

 どこの刺客だ。ラッピアか、それともこのペレサか。

 暗殺者達が襲い掛かって来た。

 アッシュは剣を振るう。相手はしなやかな動作で攻撃を避け、そして素早く懐に飛び込んでこの首を狙おうとしていた。

 アッシュは蹴り、そして一撃を振り下ろした。一人殺した。しかし、死体が倒れる前に続々と暗殺者達は迫ってきた。

 鋭敏な必殺の一撃をアッシュは躱し、反撃する。死体がまた一つ出来上がった。

 敵が一斉に向かってきた。アッシュは笑みを浮かべ剣を薙いだ。二人の首が飛んだが、もう一人、最後の一人はアッシュの兜に一撃を入れた。

 本当は顔を狙ったのだろう。

「貴様ら、そこで何をやっている!」

 突如第三者の声が響き渡った。衛兵達が近付いてきている。

 最後の暗殺者は屋根の上へ逃れて行った。アッシュもまた面倒なことになる前に駆け出し姿を消した。

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