第八話 「第三の選択」

 アッシュは転戦を繰り返し、多くの首級を上げた。

 しかし、同時に昨日雇われた国に、今日刃を向けることをやめなかった。

 彼の剣はボロボロになり、圧し折れ、そして次々買い替えられていった。

 騎士ウェイン殺しの件もあったが、アッシュは西の国ジャルジに近付いた。

 やはり、領主の嫡子を殺したことは大きな問題になっていた。アッシュが入国すると、すぐに情報が飛び交った様で、追討の兵が起こされ、アッシュの命を狙った。

 兵を刺客を全て斬った後、アッシュは南の国ゴワンフルティを訪れた。ここでは老将ザクセンを討ったことは特に問題視されているわけでもなかったようで、すんなり雇われることが出来た。

 アッシュはゴワンフルティの傭兵として、中央の国ペレサを攻め立てた。

 彼の全ての剣が血を充分に吸い、多くの兵を殺し、将の首級を上げたが、ペレサの防衛戦術の前にはゴワンフルティは敗退した。

 追撃を受ける中、アッシュは殿を受け持った。

 敵味方両軍が戦場を駆けている。大地の鳴動は止まなかった。

 アッシュは残存した国軍の兵と、傭兵と共に、なまくらになった剣を振るい、更に多くのペレサの国軍、傭兵どもを斃していった。

 程なくして追撃は止んだ。

 陣営に戻ると、アッシュらは熱い歓迎を受けたのだった。

 だが、それも翌日には変わる。今度はペレサの兵となって昨日まで雇われていた南国ゴワンフルティの攻撃を防いだ。小国ペレサは中央にあり、四方を大国に囲まれている。そのため積極的に攻められずにいたが、そればかりはアッシュが加わっても同じことだった。

 剣の修繕を鍛冶屋に頼み、アッシュはペレサの町を歩いた。

 やはり傭兵達の姿が多く見られた。正直見飽きるほどだった。

 ふと、彼の足は教会の前に止められた。

 教会に祈りを捧げたことなどいつ以来だろうか。全てが失われたあの日から教会には訪れていなかった。

 別に祈りを捧げるつもりでもない。ここが静かな場所だからという理由でアッシュは教会に足を踏み入れた。

 中央に大きな神像が祭られている。その後ろは色とりどりのステンドグラスになっていた。列になった長椅子には誰の姿も無い。アッシュは教会の中を白い乙女の姿をした神像目指して歩んで行き、その姿を眺めた。

 そうしていると、不意に人の気配を感じて隣を見た。

 そこには牧師の姿があった。

「初めまして」

 若い牧師はそう言ってこちらに歩んできた。

「こいつは何の神だ?」

 特に興味もなかったが、アッシュが問うと、牧師は答えた。

「慈愛と豊穣の神セーラー様の像です」

「慈愛と豊穣ね」

 アッシュは特に興味もなく像から目を離すと、去ろうとした。

「お待ちを」

 牧師が止めた。

「何だ?」

 アッシュがそう応じると牧師は歩み寄って来た。

「あなたが今日、ここを訪れることを神はずっと以前からお知りになられてました」

「フン、馬鹿馬鹿しい。金をせびるつもりか?」

 アッシュが鼻で嘲ると牧師は答えた。

「アッシュさんですね?」

 その言葉を聴いた瞬間、アッシュは雷光の如く剣を抜き放った。

「刺客か?」

 切っ先を向けたが牧師は動じる様子も無く、ただ微笑んでいた。

「神に誓ってそのような者ではありません」

 牧師が穏やかに応じる。アッシュはしばらく睨んだ後、剣を下ろした。

「何故、俺の名前を知っている?」

 アッシュが問うと牧師は応じた。

「神が私に告げたからです」

「……やっぱり刺客か?」

 アッシュが素早く剣を向けたが、若い牧師は動じる様子も無く言った。

「本当の話です。今日、この時にアッシュと言う名の戦士が訪れると、神は私におっしゃいました」

 アッシュは剣を下ろさず牧師を睨み続けた。

「神は私にアッシュ殿を諭す様におっしゃいました」

「俺を諭す?」

「そうです」

 牧師は頷いた。

「あなたは多くの人々を殺戮してきました。このまま今の道を行かれるなら取り返しのつかないことになります」

「上等だ」

 アッシュが言うと牧師は頭を振った。

「それはいけません、アッシュ殿。神はおっしゃっております。ここで悔い改めなければ、近々、あなたの身に災いが降りかかることを」

「災いってのはどういうのだ?」

「それは分かりません。しかし、アッシュ殿の命にかかわることだと私は思います」

 牧師は言葉を続けた。

「あなたはここでどうか神の前にこれまでのことを懺悔なさって下さい。そして剣を収め、大切な人のもとへ帰り、そこで幸せな一生を送るのです。神はそう望んでおられます」

 アッシュはアリアのことを思い出した。だが、頭を振った。彼女には他の男がお似合いだ。俺の様な殺戮者ではなくもっと、違う……。

「いえ、大切な方はあなたの帰還を心から願ってます」

 アッシュはギョッとした。牧師は心の中を見透かしているようだった。

 もしや、牧師は本当に神の声を聴いたのではないだろうか。そしてこれは神からの真なる忠告なのではないか。

 アッシュは戸惑った。

 ハイデンで去り際にアリアが言ったことを思い出した。本当に彼女なら俺の帰りを一途に待っていてくれそうだ。

 彼女の華奢な身体をもう一度抱きしめたい。小さな唇に己の唇を重ね合わせたい。互いに愛を分け与えたい。

 そして俺達は夫婦となって子の親となる。

「アッシュ殿、どうか神の前に懺悔なさって下さい。そして神の御言葉のまま大切な人のもとへお帰りになられるのです」

「神は……」

 アッシュは言った。

「神は俺の家族をソフィーを助けてはくれなかったぞ。代わりにラッピアという侵略者に加護をもたらした」

 アッシュはアリアの顔を、彼女への思いを振り切って、復讐心を燃やしてそう言った。

「アッシュ殿、時には神の御加護が行き届かぬ時もございます。しかし、今回は別なのです。神は私に告げました。アッシュと言う男を救うことを」

 アッシュは剣を収めた。

「アッシュ殿、どうか懺悔なさってください。そして今の様にこれからもずっと剣を収めたままでいるのです。さすれば、あなたへの災いは杞憂のものへとなり替わります。これは血に塗られた道を行き、多くの戦士達を殺した、そんなあなたが幸せを手に入れるべく与えられた最後の機会かもしれません」

 牧師はまくし立てるように言った。

 アッシュは手を振った。

「アンタの言葉は無駄だったな。俺はこれからも戦士共を殺し続ける。今の俺に神は必要ない」

「いけない、アッシュ殿! あなたにだって幸せになる権利はあるのです! 神はそれを認めて御出ででございます!」

「じゃあな」

「アッシュ殿!」

 アッシュは教会を後にした。牧師は何やら必死に説得の言葉を口にしていたが、それを背中で聴き流した。

 災いが来るなら来ればいい。俺はそれさえも断ち切ってやる。

 アッシュは天を睨み、そして町の中へ消えて行った。

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