第七話 「無双の戦士」

 血の飛沫が上がった。

 アッシュの手に馴染んで間もない新品の剣は敵を肩口から斜めに一刀両断した。

 よろめき、後は死にゆくだけの敵兵に、少しだけ早い死を見舞ってやった。首が宙へ刎ね飛んだ。

 すぐさま次の列の敵兵が斬りかかって来た。アッシュはその振り上げられた腕を切り裂き、首に刺突をくれた。敵兵は目を見開き動かなくなった。

 そうやって次々敵兵がアッシュに入れ代わり立ち代わり襲ってきたが、彼の剣は物ともしなかった。ただまるで彼自身が重傷を負ったかのような返り血がその身体中を朱に染めていた。

 程なくして敵味方の列が入り乱れた。

 アッシュは歓喜した。乱戦だ。

 隊列を組むように命令を飛ばす小隊長を無視して、彼は剣を振り回し血と肉を掘り進み敵将に接近した。

「何と言う有り様だ。貴様が傭兵達が噂をしていた地獄の悪鬼か?」

 敵将が言った。

 アッシュは鼻で嘲笑うと、敵将へ斬りかかった。

 一合。敵はそれしか持たなかった。血の噴水を上げ兜を被った首が地面に落ちる。

 一人ではかなわないと見たのか、この忙しい戦場で敵兵が彼を取り囲んだ。

 アッシュは笑った。

 呼吸を合わせて敵兵が全方位から一斉に襲い掛かって来た。

 アッシュは剣を旋回させた。唸りを上げ刃は瞬く間に敵兵の首を空へと飛ばした。彼の周りでは首を失った死体が血煙を上げよろめき、崩れ落ちた。

 そうして彼は更なる血を求めて戦場へと飛び込んでいった。



 二



 昨日の戦で、アッシュが討った敵将は二十人。斬った敵兵は数知れずだった。大きく膨れ上がった報奨金を手に、鍛冶屋に修繕を頼んでいた剣を受け取り、町を去った。

 彼は街道を進んだ。次なる目的も戦だ。今回の戦で西のジャルジは北のアヴィドの前に致命的な大敗を喫していた。だが、アヴィドもまた過去の戦で有力な将を幾人も失っていた。

 ただ戦場を求めてゆくアッシュには一見関係なさそうだったが、それは違っていた。

 両国共にアッシュただ一人によって壊滅的な被害をもたらされたのだ。

 アッシュの名が次第に傭兵達の噂から、兵士、騎士達にも知れ渡るようになった。あの南国の守護者、荒れ狂う者ザクセンを討ったことも、その実績から、もはやまぐれとも言えなくなっていた。騎士の位を持つ最前線の領主達はアッシュをどうすべきなのか悩み悩んでいた。何せ、義理堅いという言葉とは到底無縁の節操のない蝙蝠のような男だったからだ。

 多額の金額で雇おうとしてもアッシュは応じず、必ず次は敵側へ流れてゆき、こちらに刃を向ける。また補充されたばかりの兵が、臨時に昇進したばかりの将がその手にかかってゆく。

 そんな現状を憂いた一人の騎士はアッシュを敵側へ行かせるぐらいなら殺してしまおうと画策した。

 


 三



 アッシュは街道を進んでいた。

 彼を義理堅いとは言えない者達は多かったが、そんな彼もアリアのいるハイデンを領している東の大国ラッピアにだけは手を出してはいなかった。

 ラッピアはもともとアッシュにとっては故郷を蹂躙され、家族を幼馴染を殺された憎き仇であったが、アリアのことが脳裏に焼き付き、その国力を低下させるような真似だけは慎むようにしていた。

 いっその事、ラッピアの兵にでも志願すべきなのだろうか。そう言う考えがアリアの顔と共に過ぎる。だが、彼は頭を振った。俺の復讐は終わらない。もっともっと戦士の死体を積み上げ、戦士の血を浴びなければならない。本物の悪鬼となって剣を持つ全ての戦士達を殺し尽すのだ。

 そんなアッシュの前に二人の男が歩んできた。

 傭兵のようだった。アッシュは彼らから殺気が伝わるのを察していた。

「アッシュだな?」

 傭兵の一人が間合いを置いて尋ねた。

「そうだ」

 アッシュは応じた。

 途端に左右の茂みから同時に何者かが飛び出し躍り掛かって来た。

 煌めく凶刃を避け続け、アッシュは剣を抜き放ち刺客を斬り殺した。だがその死体の後ろから更に傭兵が襲い掛かって来た。

 アッシュは喉元を狙った刃を叩き落とし、続けて剣を振るい敵の首を分断した。

「ちっ!」

 舌打ちして前方の傭兵のうち一人が斬りかかってきた。

 一合、剣をぶつけ合い、なかなかの力を持っているとアッシュは感じた。だが、二合目に振るわれた刃は敵の剣を圧し折り、続けてその喉を掻き切った。

 首を押さえ相手はその場に屈み込み、そして倒れて動かなくなった。

「くそっ、化け物め!」

 残る傭兵は捨て台詞を吐いて退散して行った。

 アッシュが剣の血を拭おうとした時だった。

「さすがにやるようだな」

 声がし振り返ると、そこには男が立っていた。傭兵とは違う豪壮な鎧を身にまとっていたが兜は被っていなかった。

「騎士か」

 アッシュが言うと相手は頷いた。アッシュよりは年上だがまだ若い男だった。

「こいつらを俺に送り込んできたのもお前の仕業ということか」

 アッシュが問うと騎士は笑って言った。

「そのとおり。手練れを選別したつもりだが、実力が及ばなかったようだ」

 そして騎士は言った。

「俺の名はウェイン。この地の領主の嫡子であり、前線の指揮を預かる者だ」

 騎士ウェインは言葉を続けた。

「俺はお前の力を恐れている。この大陸を統一に導いてしまいそうなその力に。だが、お前は我が国を去るという。噂に名高い蝙蝠戦士として次は敵方に行くつもりだろう。私は親愛なる将兵をむざむざお前に殺させたくはない」

 ウェインの眼光が鋭くなった。

「私は我が国最強の騎士。その私が世界を拮抗させ戦乱を拡大させているだけのお前を討ち取りに来た」

 アッシュは鼻で笑った。

「買い被り過ぎじゃないのか」

 アッシュがそう応じると、ウェインは言った。

「おめでたい奴だな。自分がどれほどの力を持っているのか、まだ気付けぬのか。お前がいなければ、中央のペレサなど、とうの昔にどこかの国に併呑されていただろう。だが、それほどの兵力が、将が、もはやこの大陸には残っていないのだ。何故か分かるか? お前が殺し尽したせいだ」

「そうかい」

「お前は悪魔だ。殺戮と混沌を呼び世界中をただ疲弊させるだけの悪魔だ」

「ならば全世界で同盟でも結んだらどうだ。そうすれば戦争は無くなる」

「それはできない。世界に光りをもたらすことができるのは、我が祖国ジャルジのみだ」

 アッシュは嘲った。

「そんなんだから争いが終わらないんだろうが。人のせいにするな。だが、正直戦争が無くなれば俺も困る。まだまだ積み足りないのさ。戦士どもの屍が。浴び足りないのさ。戦士どもの血が。剣を持つ者全てが俺の敵だ。ウェインとか言ったな。お前の血と死体を俺に差し出せ」

 アッシュが剣を向けると、ウェインも剣を抜いた。

「義無き殺戮者が、死ね!」

 ウェインが斬りかかって来た。アッシュは受け止めた。剣越しに相手の膂力に感心している暇など無かった。ウェインの剣は素早く離れ脚を狙ってきた。下段でそれを受け取ると今度は上段から風を切って矢の様に剣が振り下ろされる。速かった。アッシュの兜が弾き跳んだ。

「運の良い奴め、今ので死んでいたものを!」

「これでフェアだ」

 アッシュが笑って言うと、ウェインは一瞬驚愕の顔を浮かべ、次には声を張り上げ襲い掛かって来た。

「私を舐めるな!」

 ウェインの怒りの剣は旋風のようだった。

 速度と力がある。剣で受けながら鍛えこまれていることだけはアッシュも確信した。

 最強か。言うだけのことはある。

 ウェインの剣がアッシュの剣を叩き落とした。

 その致命的な突きを、アッシュは素早く剣を抜いて受け止め、横に追いやった瞬間、剣を戻し、上段から渾身の一撃を放った。

 アッシュの剣はウェインの脳天を真っ二つに切り下げていた。

 西の国ジャルジの最強の騎士はこうしてアッシュに討たれたのだった。

 しばらくこの国に近付くのは面倒そうだな。アッシュは若き騎士の亡骸を一瞥して先を歩んで行ったのだった。

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