遊撃隊の陣地からも、高台の本隊はよく見えた。各部隊がのろのろと所定の位置に腰を落ち着けたころ、緑人鬼りょくじんきの軍が森から姿を現した。

 緑人鬼、と呼ばれてはいるものの、肌の色は灰色に近かった。歩兵がほとんどだが、飼い慣らした野牛にまたがっている者も散見された。野牛の大きさと比較すると、平均身長は人間よりひと回り大きく、五古尺前後といったところか。肩幅が広く、胸板も厚い。

 装飾のない、実用一点張りといった武器を手にしていた。緑人鬼についてわかっている数少ない事実のうちのひとつは、冶金やきんの技術を持つということだ。鉄も打てる。

 身にまとっている獣皮や布地は、集団によって色や意匠が異なっていた。部隊は氏族ごとに形成されているのかもしれない。

 整然と並んでこそいなかったが、兵同士、部隊同士の間隔は一定で、速度も一致していた。隊列を組んでいないことを考えれば、むしろ人間よりも統率が取れているといえた。ひらけた野原に出ても、散開も突進もせず、やや横長の密集隊形を保っていた。

 おとぎ話から想像するほど、彼らの知能が低いわけではなさそうだった。



※一古尺:約40~50センチメートル



 アネモネはタカを空に放つと、白毛にまたがり、オッターにいった。

「私の前にだけは出ないで。射線上に出たらどうなっても知らないわよ」

 貸与された栗毛の背から、キャメリアが冷やかした。

「おやおや、アネモネさまともあろうお方が、友軍誤射の心配をなさるとは。矢は敵と同じ数だけあれば足りる、とのたまってたのは嘘だったのかい?」

「いちいちかんさわるわね、この小娘は」

 目を白黒させているオッターとその同僚に、バロシャムは告げた。「彼女たちが出たら、後に続くぞ」

 オッターのくらのうしろにはサイプリスがちょこんと乗っている。

 斧槍を構え、キャメリアがいった。

「いくぞ、モーン!」

「いつでもどうぞ、キャム」アネモネも弓を手にした。

 ふたりは同時に拍車を当てた。送り出すように角笛が鳴り響いた。



 タカの目があれば、疾走する二頭の馬は、緑の丘をまっすぐに切り裂くひとつの生き物に見えただろう。

 緑人鬼の目には、丘を駆け上り、駆け下るそのようすが、まるでいくつもの波を乗り越えて迫ってくるように映っただろう。

 白毛は手綱を握らなくとも、乗り手の思いどおりに向きを変えた。速度を落とすこともなくアネモネが三本の矢をつがえ、放つと、三人の敵が倒れた。

 アネモネは離脱し、キャメリアはそのまま突進した。

 ひとりを突き、ふたりをひづめにかけた。しかし、崩すには浅かった。彼女も反転した。

 二騎はふたたび肩を並べ、同じ場所を違う角度でいた。

 緑人鬼も今度は迎撃の体勢を整えている。キャメリアの邪魔になりそうな三人を、アネモネが射た。後から栗毛が駆け抜けた。

 敵は散らばりはじめたが、まだ充分ではなかった。もう一度。

 密集隊形は乱れ、その部分は蛇のような、細い帯状のかたまりになった。

 次で、崩せる。アネモネは狙いを定めた。

 そのとき、視界のすみで、別の敵兵が彼女に向かって棍棒を振り上げた。しかし、いま標的を変えればキャメリアの突撃に間に合わない。

 あわやというところで、急降下したタカが、接近する緑人鬼の目に鉤爪かぎづめを立てた。と同時に矢が放たれた。馬の突進力を借りた槍がそこを貫いた。

 白毛と栗毛は並んで通り過ぎ、優雅な弧を描いて戻ってきた。まるで輪舞曲を踊る恋人同士のようだった。

 戻ってきた弓と槍が、敵軍を完全に分断した。



 角笛の音がふたたび響き渡った。本隊が鳴らす応答の角笛も聞こえた。

 バロシャムは剣を抜いた。

 刀身も、も長い。つば寄りには刃がついておらず、刀身の根元が握れるようになっていた。両手でも片手でも扱える波刃剣だ。ゆらめくほのおを思わせる姿から、炎刃剣とも呼ばれる。

 出征に当たり、ボワダンから贈与されたものだった。

 その名のとおり、刃が波打つような形をしていて、これで切られると傷口ははじけたようにむごたらしく裂ける。傷の治癒ちゆ率は低く、致死率が高い。その残虐性から、使用を禁止する条約が締結されたほどだ。ただし、異教徒や緑人鬼が相手なら話は別だった。

 アネモネとキャメリアの手で、袋は破られた。中の豆をかき出すのはバロシャムとサイプリスだ。

 胸甲の男は、分断された敵軍の片方へ身を投じた。

 馬上の優位を借りて、炎刃剣を袈裟けさに振り下ろした。音をたてて血しぶきが噴き出した。

 炎刃剣は、装甲を身にまとわない緑人鬼には有効だったが、彼らの多くが手にする鈍器もまた、甲冑にとっての脅威だった。貫通することはなくとも、装甲ごとへこませることができる。頭に直撃でも受けようものなら、兜をかぶったまま脳がつぶされる。

 毎年襲ってくる彼らは、騎兵と戦うことにも慣れていると見え、騎手ではなく馬を狙ってきた。

 乗馬にも装甲は施しているが、取り囲まれれば機動力を奪われる。恐いのは槍衾やりぶすまだった。胸甲の男は、剣を二度振るまでに傷を負わせられなければ、深追いせずに移動した。

 視界の緑人鬼は、倒した以上の数を減らしているようだった。動き出したコンタルディの本隊へ回ったのだろうか。それにしては早すぎるように思えた。



 オッターはいつどこで命令を実行すべきか決めあぐねていた。

 軽騎兵ふたりの活躍によって、敵軍の隊列は乱れたが、崩壊したわけではなかった。大きいほうの集団は本隊の突撃に備え、小さいほうの集団は遊撃隊を包囲する体勢に移った。しかし囲い込むには数が足りず、あちこちに穴が空いていた。

 弓を持った女はするりと輪の外に抜け出て、馬の脚を休め、自分や仲間に接近する敵だけに的を絞っていた。槍のほうは突撃をやめ、移動しながら敵兵を狩っている。胸甲を着けた遊撃隊長も動き出したようだ。

 と、背後の小柄な同乗者が、決して声を張り上げることもなく、しかし剣戟けんげきの音にかき消されることもなく、ただひとこと、

「止まれ」

 と命じた。

 オッターがそのとおりにすると、彼女は手も借りずに飛び降り、そこいらに立つ中から選ぶでもなく、ひとりの敵兵へと小走りに駆け寄った。

 緑人鬼は、武装もしていない小さな女に油断したのか、無造作に槍を突き出した。空振りした槍が引き戻されるより速く、サイプリスは敵兵のふところにもぐり込んでいた。

 槍を持つ手を踏み台に、跳躍して緑人鬼のあごひざ蹴りを叩き込んだ。

 そのときに相手の耳をつかんでいた。跳び上がった彼女は、当然落下する。耳にサイプリスの全体重をかけられ、緑人鬼はつんのめり、いったいどうしたわけか、くるりと一回転して仰向けに倒れた。倒れたのどに、体重を乗せたかかとが落とされた。

 近くにいた、戦斧を持った緑人鬼が振り返った。

 サイプリスは突っ込むと見せかけて踏みとどまり、奇妙なステップで、敵に背中をさらすように、身をひねった。その幻影をかすめ、戦斧が通り過ぎた。

 身をひねった勢いを借り、持ち手の手首を押すようにして、速度はそのまま、軌道を変えた。戦斧は隣にいた緑人鬼の鼻面に命中した。

 バロシャムを取り囲んでいた敵兵が、しだいにサイプリスの周りへと集まってきた。



 緑人鬼たちは、足もとを駆け回るただ一匹の小鼠に翻弄ほんろうされていた。ただし、この小鼠には鋭い牙があった。近寄りすぎるな、といわれた理由が、オッターにも納得できた。

 彼女は自分の手足だけで戦っているわけではなかった。相手の体や関節の向きまで利用していた。まるで彼女が筋を書き、緑人鬼はただそのとおりに動いているかのように見えた。敵の動きを思いどおりにあやつるため、彼女はなんらかの手順を踏んでいるようだった。

 下半身や腹部を痛打すれば、相手は身をかがめる。背の低い彼女にも届くようになる。首から上には急所が集中している。そこを、点で正確に打ち抜く。

 こちらが押せば、相手は押し返そうとする。呼吸を合わせて引っぱれば、相手は自分自身の力によって姿勢を崩す。

 彼女はただ、そういった当たり前のことを積み重ねているだけなのだろう。しかしそのひとつひとつは小さく、積み重ねはあまりに複雑で、そして精確だった。小石で城を築くようにオッターには感じられた。

 とりわけ彼の心をとらえて離さなかったのは、彼女が見せたひとつのだった。

 サイプリスにつかまれた緑人鬼は、後頭部から勢いよく地面へ叩きつけられた。おそらく、片脚を跳ね上げるようにして、相手の脚をすくったのだろう。

 前からではない。

 彼女は軸脚を抱え込めるほど深く上半身を倒し、もう片方の脚をまっすぐ高くかかげていた。

 それがわざの最後の形だった。さぎのようにりんとした姿だった。

 兵士との喧嘩や戦場の組み討ちで経験したことがある、「足を払う」という技術を連想はしたものの、それ以上は推測さえできなかった。彼自身、ことばで説明できなかった。仮に教わったとして、理解できるとも実行できるとも思えなかった。

 不意に、はがねの音がオッターを戦場に連れ戻した。背後からの攻撃を、同僚が防いでくれたらしかった。

「君らしくないな、いくさの最中に自分を見失うとは」

 礼をいうのも忘れ、オッターはいった。「いまのを見ていなかったのか?」

 見ていないのは君のほうだ、と彼の同僚は剣を振るいながら返事した。



 まるで潮が引くように、周囲の緑人鬼たちがバロシャムから離れた。

 彼と、野牛に乗った騎兵の間に、道を作るように。

 そいつは首周りを毛皮と鳥の羽で飾り、頭には鉢金を巻いていた。左利きなのか、盾を右手に、武器を左手に持っていた。

 武器は穂先の長い短槍、それともの長い剣というべきか。片刃で身は分厚く、なたのように反っていた。鉤がついているのは、馬の脚に引っかけて倒すためだろう。

 部隊長だろうか。緑人鬼にも一騎討ちの風習があるのだろうか。だとしたら、一騎討ち専門の猛者もさなのかもしれなかった。もっとも、バロシャムたち人間は普通、一騎討ちを突撃の前におこなうのだが。

 ふたりは有利な位置を争い合ったが、小回りの利かない野牛を制して、バロシャムが主導権を握った。彼の右側が猛者の左側に面し、ともえではなく肩を並べるような形になった。

 盾は封じたものの、相手の得物えものは長く、間合いは遠い。バロシャムは防御に専念し、隙をうかがった。

 撃剣に集中できたのは、雑兵が手を出してこなかったためだ。当たり前のように思われるが、これは緑人鬼たちが規律を守れるか、名誉を重んじることを意味する。ことによると、猛者が一騎討ちを望んだのは、味方の損害をこれ以上増やさないためなのかもしれない。

 決め手のないまましばらく切り結んでのち、腹に響くような太鼓の音が轟いた。

 退却の合図を聞いた猛者は、武器を振り回してバロシャムを追いやると、未練も残さずに野牛の首をめぐらせた。雑兵たちも追従ついじゅうし、最後尾の者たちだけが警戒しながら後ずさったが、充分に離れると身をひるがえした。人間でもそうは見られない、統制の取れた退却だった。



 ときの声とともに本隊が押し上げ、緑人鬼の軍は敗走を始めた。友軍を逃がすためか、執拗に抵抗を続けている残党もいたが、勢いに乗ったよう撃軍に蹴散らされている。

 自分たちの仕事はないと見て、キャメリアとアネモネは陣地へ戻るようだ。同僚になにやら説教されているらしいオッターのうしろで、サイプリスが積荷のように寝ていた。歩兵たちはふたり一組で、敵兵の死体から首を狩っていた。

 陣地へ戻ると、バロシャムは兜をとって告げた。

「では、われわれは発つ。昼食は静かにとりたいからな」

 兵士たちが帰ってくれば、勝ちいくさに酔い、騒ぎ暴れ、間を通ることさえままなるまい。なによりやかましい。

「せめて論功行賞の場にはご出席を」

 とオッターは引き止めたが、バロシャムは応じる気がないように首を振り、手をポケットに突っ込んだ。

「これはどこでれるのかな」

 ポケットから出した手を見て、オッターは苦笑いしながら答えた。

「うちの領内でね。天幕にまだあります。たっぷり持ってこさせましょう」

「それはありがたい」と、バロシャムはナッツをかじった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

緑人鬼の襲来 桑昌実 @kwamasame

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ