雲もまばらな朝の空高く、一羽のタカがすべるように飛んでいた。タカは舞い降り、揚力を押さえつけるように羽ばたくと、天に向かってさし伸べられた腕へ静かに止まった。

「風はないようね」

 タカの背中を優しくなでながら、アネモネはひとりごちた。

 夜襲もなく、一行は安眠を享受したらしい。井戸へ顔を洗いにいっていたキャメリアとサイプリスが戻ってきた。昨日の騒ぎの後では、もう手を出そうとする兵もいなかったようだ。

 朝食を終えたころ、オッターが戦馬を連れてきた。もうひとりの騎兵と歩兵六人も一緒だった。遊撃隊用の旗も用意していた。

「お前は栗毛がいいんだったな」

 青毛のほうに鞍を置きながら、バロシャムはキャメリアにいった。

げんをかついでるんです。初陣ういじんがそうでしたから」

 馬の世話係である小人こびと族の従者も加わり、顔見せを済ませると、

「腹ごなしもかねて、ちょっと慣らしてきます」

 いうやいなやキャメリアは栗毛にまたがり、颯爽さっそうと駈けさせた。それを見送って、

「ほんと、せっかちね。ねえシェーラ」と、アネモネも愛馬の首筋をなぜた。

 オッターは夜明け前にも斥候を出したそうだ。敵の来襲まで一、二刻の間があるという。バロシャムは彼を伴って、戦場の地形を見て回ることにした。



※一刻:約2時間



 馬上でナッツを口へ運ぶオッターに、バロシャムはたずねた。

「コンタルディどのについていなくて大丈夫なのか」

「ドレ老がいますから」と、オッターは眠そうな目をさらに細めた。「あんな人ですが、ここの誰よりも古くから緑人鬼りょくじんきたちと戦ってきたんです」

 一帯で最も高い丘の上に、本隊の陣地が設営されていた。集落から離れているので、もうそろそろ移動を開始するだろう。各部隊を示す旗は垂れ下がっていた。

 全軍の最西端、本隊より突出した位置に、遊撃隊用の陣地も築かれていた。敵の突撃を妨げるように穴を掘り、丸太を組んでその先をとがらせている。

 本隊へ合流する前に遠望したとはいえ、俯瞰ふかんするのと実地で歩くのは違った。なだらかに見えた丘は、場所によっては思ったより急だった。低いところでは稜線りょうせんにさえぎられ、見晴らしが悪かった。といっても、伏兵を隠せるほどではなかった。

 バロシャムの遠眼鏡とおめがねに関心を持ったらしく、オッターは構造について質問をしたり、実際にのぞいてみたりした。「これはいいですね。ガラス職人を呼んで作らせよう」

 その後、作戦のことに話題が移った。

「兵力が足りないという意見も正しいんです。なにか、戦記にでも出てくるような気の利いた策でもあればいいんですが」と馬に揺られながらオッターはこぼした。

「仕掛けるとしたら、進軍中か夜営中を狙うぐらいか」とバロシャムは考えを述べた。

「今からでは、間に合いませんね」

「陣は高台に張ってあるし、何度も物見を出して、相手の動きをつかんでいる。申しぶんない」

 オッターはくすぐったそうな顔をした。バロシャムは続けた。

「軍全体をとりまとめて、そのための訓練をしなければ、複雑な戦術は実行できん。毎年同じ戦い方をして慣れているのだから、急に変えれば将も兵もかえって混乱するだけだ」

「なるほど、たしかに」

「まあ、魔法使いでもいれば話は別だが」

 バロシャムが冗談をいったと思ったのか、オッターは声をあげて笑った。



 天幕に戻ると、バロシャムは鎖帷子くさりかたびらの上からはがねの胸甲を着け、たる型の兜を手に持った。キャメリアはすでに準備を済ませていた。翼飾りのついたしずく型の兜をかぶり、革製の籠手こてをはめただけで、重い甲冑は着ていない。サイプリスは拳に帯状の布を巻いていた。

 バロシャムは全員を集合させ、各自の取るべき行動を伝えた。

 彼らは遊撃隊として、敵軍の側面をく。先陣としてキャメリアとアネモネが敵の隊形を崩し、しかるのちにバロシャムとサイプリスが突入して白兵戦を敢行。これが成功すれば、本隊も進撃を開始する。

「われわれはどうすれば?」と、いまの指揮系統ではバロシャムの下にあるオッターがたずねた。

 バロシャムはサイプリスを示して、いった。

「彼女は歩兵だ。オッターどのとお仲間は、彼女を適当な場所まで運んでもらいたい。下ろす場所は彼女が指示する」

 それを聞いて、オッターとその同僚はさすがに怪訝けげんな顔をした。武装もしない少女を戦場の真ん中まで連れていき、置き去りにするというのか?

「できるな、サイプリス?」

 サイプリスはうなずいた。バロシャムはふたたびオッターたちに顔を向けた。

「下ろした後は彼女の援護を頼む。そばに近寄りすぎて邪魔にならないようにな。それと、もしも彼女が負傷したら、すみやかに後方へ連れ帰ってくれ」

 オッターが連れてきた歩兵六人のうち五人は、騎兵の討ちもらした敵にとどめを刺す。ひとりは旗持ちと角笛係を兼任し、遊撃隊の出陣と突入成功を本隊に伝える。これは例年どおりで、コンタルディも知っている。

 バロシャムの従者ふたりは陣地で待機し、負傷者が出たら天幕へ運び、手当てする。

 全員が理解した、と見てバロシャムはいった。

「では、そろそろいくか」

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