天幕に戻ると、ちょうどアネモネも狩、兼偵察から帰ってきたところだった。例によってタカを肩に止まらせ、手には野ウサギを二羽ぶら下げていた。

 彼女の報告は、会議でオッターが発表した内容と一致していた。

「夜襲はありそうか」

「わからないわね。そういう雰囲気はなかったけれど」

 例年、襲撃は日中に限られているそうだが、緑人鬼りょくじんきは夜目が利くという。どちらにせよ、交替で歩哨が立つ。

 アネモネが野ウサギをさばいていると、少年兵が三人がかりで食糧を持ってきた。どうやらオッターは少々おまけしてくれたようだ。食事の支度に取りかからないうちに、バロシャムは昼間の騒ぎについてキャメリアの話を聞いた。

 彼の想像どおり、井戸で水みの順番を待っているときに、兵士が冷やかしてきたのがきっかけらしい。ただ想像と違ったのは、

「そいつが私に触ろうとしたら、サイプリスが」

 止める間もなく兵士をのばした、という。

「そうなのか?サイプリス」

 サイプリスは、短く切りそろえた灰色の髪の下で、大きな目をまばたきしてうなずいた。

 女傭兵のキャメリア、長耳族の狩人アネモネにもまして風変わりな、格闘奴隷という経歴を彼女は持っていた。小人こびと族ほどの背丈ながら――彼女が小人族なのかどうかは定かでないが――自分より背の高い男の格闘士と戦い、あざやかに逆転し、倒したのを、バロシャムも目撃している。

 それはそうとして、彼女たちに非はなかった。騒ぎそのものもうやむやのうちに、オッターの手で不問に付された。

「まあ、いいだろう。よくやったといいたいぐらいだ」

 バロシャムの宥恕ゆうじょを受け、キャメリアは尻尾を振る子犬のように顔を輝かせた。サイプリスが話を理解したのかはわからなかったが。



 夕食が済んだころにはすっかり暗くなっていた。日中は暑かったものの、夜はさすがに冷える。みな、たき火の周りから離れなかった。

「あれ、なに?」

「……さあ」

 サイプリスだけは、なぜか太い木の枝にぶら下がり、片腕だけで体を持ち上げ、下ろし、をくり返していた。

 そのうちアネモネは興味を失い、昼間集めた細い木の枝を削りはじめた。矢に使うのだろう。いい枝が見つかったらしくご機嫌なようすだった。

 キャメリアもひまつぶしに鱗鎧を持ち出して、糸のほつれや甲片の欠けがないか確かめたが、すぐに投げ出した。そこへ近寄ってきたサイプリスが、彼女のそでを引っぱった。

「ん?」

 サイプリスは放り出された鎧を拾い、キャメリアの胸に押しつけた。

「ああ、たき火の明かりじゃ目が疲れるんだ。それに、明日は使わないからね」

 とキャメリアがいうと、首を横に振り、肩になにかをかけたり、胴の周りを押さえるようなしぐさをする。

「着てみたいのかい?きみには大きすぎると思うけど」

「あなたに着ろっていってるんじゃないの?」とアネモネが助け舟を出した。

「なんでまた……」とぶつぶついいながらも、キャメリアは鱗鎧をまとった。するとサイプリスはいきなり彼女の脚の間に頭を突っ込んで、肩車をした。

「わっ、えっ、ちょっと、なに?」

 サイプリスは、落ちないようにしがみつくキャメリアを気にもせず、ひざを曲げた。

「やだ、なに?ちょっとサイプリス、おろしてよ」

 そのことばに逆らうように、今度は曲げた膝を伸ばした。

 頭上では、重い鎧を着込んだキャメリアがぐらぐら揺れているのに、サイプリスの上半身はしゃがむときも立ち上がるときも垂直に保たれていた。上下動の間隔も一定だ。バロシャムとアネモネは顔を見合わせた。

 ずいぶん長い間、同じことをくり返した後、サイプリスはようやくキャメリアを解放した。

「まったくもう……。私はそんなことをして遊んでもらう年じゃないぞ」

「そうね。どっちかっていうと逆のほうが似合ってたわね」

「えっ。もしかして、そうしてほしかったのか?」

 サイプリスは首を横に振った。

「まあ、なんだかわからんが、とにかく今度からは前もっていってくれ。びっくりするじゃないか」

「わかった」とサイプリスは答え、先ほどぶら下がった木の下へ戻り、またなにやら始めた。

「変わった子ね」

 木に向かって構え、拳を突き出したり脚を振り回したりして、見えない敵と架空の戦いをくり広げる小柄な元格闘奴隷を眺めながら、アネモネがつぶやいた。

 サイプリスの熱心さにてられたのか、キャメリアも鎚矛つちほこを引っぱり出し、彼女に並ぶようにして素振りをしはじめた。が、唐突に、

「わかったあ!」

 と叫んだ。

「さっきのあれは、私の素振りと同じで、訓練だったんだ!そうだな?そうだろう!」

「……気づいてなかったの?」とアネモネがため息をついた。

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