1-4 愚者の魔剣


「薄汚い手で触れるな……虫唾が走る」


 イザベラが吐き出した言葉は硬く、それがより男を愉しませた。


「ヒハッ、私の言葉が理解出来なかったのですか? そのような行いは――」


 粘ついた声が広い室内で木霊する。

 場を傍観していた冷たい空気が、痛快だ、と舞う男の手で乱された。

 二人の間に訪れる束の間の空白。

 次の瞬間、イザベラの視線がぶれる。乾いた殴打の音とともに。


「――逆効果だと!」


 嗜虐的な行為が男をそうさせるのか、彼の視線に支配欲ともいえそうな熱が籠る。

 それでも気丈に振る舞おうとするイザベラ。

 張り倒された彼女は、手足を丸太に縛り付けられ動くことが出来ないでいた。

 堪らない、と男は瞳で語り、更に情欲を色濃くさせる。


「いい――いいですよ。その意気です。そうでなければ、遣り甲斐というものがありません」

「…………」


 忌々し気に、憎悪を籠め、イザベラの瞳が歪む。溢れんばかりの感情をたたえながら。


「おや……沈黙してしまうのですか? 残念です。私は期待していたのですよ――」


 男がイザベラの顔を覗き込み、彼女の頬に右手を這わせた。

 男の声が止むと、空間から温度がなくなっていく。

 さわ、と柔らかく動いていた男の手が止まった。


「イザベル、イザベル・ルクス・ヴァーナルグ……いえ、あえてここではこう呼びましょう。今は亡き、ルキウスの不老王、その息女――イザベラ、と」


 そう言って男は右腕を振るった。聖職者とは思えない剛力が、シャツの留め具を引き千切る。


「これはこれは……処女雪の肌。先程も言いましたがやはり、戦場に身を置いているとは思えませんね。まるで時が止まっているかのようだ」

「――どこでそれを、耳にした…………」

「聞いたんですよ。地位しか見えない愚か者から、傾国の魔女と、そう呼ばれる所以を」


 彼は小鼻と腕を連動させながら、気のない返事を返した。会話を続けるつもりは、最早ないように見える。

 丘が形を変え、押し殺された呼吸が跳ねる。


「あなたを持ち帰れば、本国はさぞ喜ぶことでしょう。聖戦の口実、共和国は魔女を飼っていたのだから。ただ――」


 男の舐めるような吐息がイザベルの腹部を、撫ぜる。

 眦に浮かぶ一滴の光。

 男はそれを凝視して、笑った。楽しくて仕方がないとばかりに、愉しくて、もうどうしようもないというように。


「ッ――ふ、ぐ…………」


 イザベルは必死にこらえる。口端をきっと引き結び、漏れ出てしまわないように呼吸すら抑えて、耐えていた。

 覆いかぶさる鼻息が、浅く、早く、勝利を渇望して繰り返される。


「――渡すだけでは面白くありません。私がこの手をもって、信仰の種を植え付けてさしあげましょう……助けに来る仲間はここに居ません。さぁ、良い声で鳴きなさい」

「…………ク、ククク――クハ、アハハッハハハ!」


 獲物の心を砕かんと発せられた囁き声が、掻き消される。

 男は苛立ちを隠そうともせずに、右手を振り抜いた。

 瞬きの間、揺れる哄笑。

 それでもイザベラは嗤うことを止めなかった。

 振り乱れる銀糸が、狂気を孕んで舞い広がる。

 彼女は手足に荒縄が食い込むことも厭わず、嗤い続けた。我慢の限界はとうに超えたかのようなその姿。


「やめなさい……例え演技とは言え、狂った様相は私の好みではありません」

「おお、そなたには見えていないのか。眼光が尾を引き、恐怖を冠するあの姿がっ!?」


 空虚な空間を狂気の声が満たしていく。

 乱れる空気に混じりこむ、頬を打つ音と男の舌打ち。


「ッ何を馬鹿なことを――」

「教国の下僕、哀れな蓄音機よ。耳を澄ませば聞こえてくるだろう、あのお方の息遣いが」

「何度でも言いましょうッあなたに助けは来ない! 今頃共和国軍は我が軍の手によって――」


 必死に繰り返される否定の声。

 それを喰いちぎるように、イザベルは身を跳ねさせ男を見据えた。

 吐息が入り交じる距離で彼女の狂気が、男の視線を絡めとる。


「ならば見よ……耳目を震わせ怯えるがいいッ――彼の者は戦を統べる王、愛しき私の……魔王だ!」


 石造りの扉が悲鳴をあげる。

 男が振り返った先で、切り離された扉が宙を舞う。取り残された意匠、それを支える蝶番が、自重に耐えられず崩れ落ちる。

 砕け散った粉塵が、静寂を辺りに振り撒いた。

 その中で炯々と輝く一対の朱。

 燃え、昂るその視線が、イザベルを一瞥し男を貫く。


「撫でつけられた頭髪……他を見下し歪む双眸――」


 煙の中から血塗れのポプリが姿を現した。

 彼我の区別なく混じり、乾いた血糊は、無数の傷口から彼の命を吸い取っている。

 

「【来い、ラスタフール】」


 黒染めの言葉が呼び出すは、一振りの魔剣。それは命を切り貼りする形をしている。

 男が聖剣を抜き放つ。儀仗剣の切っ先が、彼の情緒を表すように鋭い音をたてた。

 ポプリは徐に魔剣を首筋へ宛がい、躊躇することなく己の血肉へ埋める。

 

「な――」


 異様な光景に男が言葉を無くす。

 自らの傷を補填したポプリは、無傷の素肌から小剣を抜き捨て、代わりに揃いの魔剣を呼び出した。

 気を滾らせた吐息が、小さく、空気を揺らす。


「やっと会えたな……キィィィスッ!」


 歓喜の声を置き去りに、ポプリが男のもとへ肉迫する。

 相手の虚をついた必中の斬撃。

 彼はその不可解な手応えに、身を強張らせた。

 男――キースが反撃の剣を閃かせる。

 刹那、身を重ねる剣閃と人影。

 すぐさまポプリは距離を取る。彼の胸には新たな傷が刻まれていた。

 彼の眉が歪む。そこには、たったいま起こったことが理解出来ないと、そうはっきり書いてあった。


まみえたことはない筈ですが……共和国の魔剣士――そうか、お前が悪魔か」


 言葉の端に憎悪を滲ませて、キースがポプリを追う。

 下段からの追撃。迎え撃とうとし、音もなく弾かれる魔剣。

 ポプリは苦し気に息を吐くと、ソニンを捨て回避を選んだ。

 手を変え品を変え、時には戦場すらも移し、継続していく戦闘。

 それを見ていたイザベルのもとに、酷く焦った声が辿り着いた。


「い、イザベルさん。今、縄を解きますから、そしたらすぐに、ここから離れ――」

「あぁ勇者君――それにはおよばないよ。ほら、見給え」

「え……?」


 彼女の言葉に奏汰は疑問を持つ。

 すっと上がった彼の瞳が、一条の視線に釘付けとなった。

 その元には鼻筋に深い皺を刻む聖職者。

 男はポプリの攻撃を一顧だにせず、忌まわし気に言葉を吐き捨てた。


「後からわらわらと涌き出て――私の邪魔をするなァッ!」


 キースの声とともに魔力が膨れ上がる。

 未だかつて感じたことのない感覚に、奏汰の背筋が粟立つ。


「おいおい、冗談だろ――なんだこれ?」


 キースを根源にして光弾が放たれた。それは目にも留まらぬ速さで奏汰たちの下へと飛来する。

 着弾、後に爆音。

 二人が居た場所は床が捲り上がり、破砕の後が天井高くまで撒き上げられた。

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