1-3-3
ぴんと張りつめた緊張の糸。オレはその上で、破壊の音に耳を澄ます。
敵の前線を突破してから随分と進んだのにも関わらず、未だに帝国の砲声は聞こえなかった。
どれほど遠方から投射しているというのだろうか。分かりもしない。
帝国はそれほどの技術力を有している。勇者を迎えた我が国も、いずれ目の前で働く敵のように闘う日が来るのだろう。
国境付近に設置された敵の指揮施設は簡易的なもの。
深緑の天幕に無数の機械――武装した者など数えられるほどだ。
構築中と思われる塹壕の奥には四台の輸送車両が待機していた。
オレはそれを見て、敵部隊の規模は中隊以下と推察する。
……何も心配することはない。魔術などなくとも、この場だけならこちらの優位性は揺らがない。
右隣で細かな枝葉が擦れ、我慢しきれないとばかりに、嗤う。
「ここは俺の小隊が受け持とう。お前達はここで待機していてくれ」
「……いや、全力で叩く」
オレの言葉に、腹這いのマーチが顔を上げる。彼の瞳には不可解の色が浮かんでいた。
「現状はとても厳しい。今はまだ消耗を抑えるべきだ。俺の魔力量は常人より多いが、決して無限ではない。ましてや彼女達は――」
マーチの言うことは道理に適ったことだ。しかし、それは悪くないだけで最良ではない。
突破が目的であった先程と違って、ここにはシェフが居る可能性がある。
彼が提言した内容では時間がかかり過ぎてしまう。
「波状攻撃で短期決戦に持ち込む、ボレロ攻勢ハ長調」
「…………」
「いいな、それ。奴らには派手に踊ってもらうとしようか」
今まで黙っていたスイートが、愉快気に口端を上げる。
マーチは腹這いにならなければ藪に隠れられないその身体から、無言で力を抜いた。
こうしている間にも、敵は奇襲の譜面をなぞり続けている。
オレは唇をゆっくりと開いた。焦げ付く吐息を周囲に悟られないように。
「第一はこの場で横隊に、第二はここから十時の方向にて展開。合図の後に制圧を開始する」
小さな了解を背中で聞き、オレは所定の位置へ向かった。
部隊から離れ、独り。仲間達の息遣いから遠ざかると、今までぼやけていた情報がその輪郭を浮かび上がらせる。
ざわつく指揮施設、間隔の短くなった地鳴り、跳ね回る己の鼓動。
……焦りは、あまりよくないものだ。ずれた歯車は周囲の動きを阻害する。落ち着け――
溢れかけている感情を奥底に押し込め、両手の魔剣を握り締める。
――楽しむんだ。この状況を……血に狂い、闘争を崇拝していたこの、二人のように。
仲間に伝わるよう魔力を迸らせる。
戦場を後方から動かす環境は、それを合図に急変した。戦闘の舞台へ、と。
変化に気が付いたのは歩哨の男だった。
「てっ!? てき――」
乾いた銃声が、叫ぼうとした男に穴を開ける。
空気の抜けた人影は声も出せずに倒れ込んだ。
それを皮切りに、第一小隊の一斉掃射が始まった。
まだ、まだ……オレ達の出番はまだ先だ。
魔力の乗った礫が、布を、肉を、鉄を、蹂躙していく。
風に乗った僅かな血の香りに、二振りの魔剣が震えるのが分かった。
はたと戦場が静かになる。弾倉が空になったのだ。
十一時の方向で魔力が大きく揺らぐ。それと時を同じくして、オレは木立から飛び出した。
地面に身を投げ打ったままの鉄兜を割る。
動揺する男の首を削ぐ。
オレはそうしながら、鉄臭い道を切り拓いていった。
「イザベラ――」
「はっはぁー! 死にたくなくば道を空けろ! 少しばかりだが長生きできるぞ!」
乱戦の最中にスイートの声を聞く。
視線をやれば、魔力を両手に纏わせた彼と目があった。
スイートが敵の身体を撫ぜれば、その部分が燃え、爆ぜる。
熱に浮かされたような彼の頬が釣り上がった。
「ご機嫌か!? 血煙纏いし愛しの君!」
「冗談は匂いだけにしろ。お前の闘い方は明日の献立に響く」
「そそるの間違いだろ、なぁメロディ!?」
「u N a a a A a a a!!」
第二小隊が近接魔術戦で敵を屠っていく。
系統は違えども、敵の身体に損傷を負わせるのは誰もが一緒だ。
地獄のような魔術の波とすれ違った後も、オレは道を作り続ける。
敵の天幕を突き抜けて反転。
帝国軍人達は一時の動揺から既に立ち直りかけていた。
彼らの顔に浮かんでいるのは、激怒と恐怖。
濃度にはばらつきがあるが、皆、自らの意思に従って行動を始めようとしていた。
そこに水を注す弾幕。
第一小隊の銃弾は反抗の芽を摘み取り、逃走の機を砕く。
「この調子ならあと二、三、繰り返せば十分……」
銃声が止むまでの間に移動する。通った道をなぞることがないよう、角度を変えて。
嵐が収まった。再び乱戦が始まる。
噎せ返るような匂いに知らずと頬へ力が入っていく。
第二小隊と交差。後に反転。掃射。蹂躙――
「――落ち着け! 敵に五体満足な者など最早誰一人として居はしないッ状況は既に終了した!」
「ッ!?」
空気を打ち、響き渡る怒声に、はっと息を呑む。
周囲を見回せば、オレと同じように立ち竦む第二小隊の面々。
視界の端で、前髪から血の雫が一滴、滴り落ちる。
迫りくる大柄な人影。
マーチに胸ぐらを捕まれた。間近に迫る鈍色は、珍しく感情を露わにしている。
「気を抜くなポプリ。ここにシェフは居ない。指揮代行のお前がそれでどうする」
「…………あぁ、すまない」
「まぁまぁお二人さん、説教はそれぐらいにして――」
『随分と手入れが行き届いてますね……戦場に身を置いていたとは思えません――』
今後を窺うスイートの言葉に、見知らぬ声が紛れ込む。
戦場には場違いなほどの、緩みきった声。
辺りにヒトの気配はない。
仲間達が瞬時に臨戦態勢を取る中、オレの視線は死体の下敷きとなっている無線基地局に絡み取られていた。
『綺麗な髪だ。明けの空色、白金――あぁ、そんな風に睨まないでください。私はあなたに手をあげるつもりなどありません。まだ、ね』
「――?――!?」
うなじを、何かが掠めた。
そんなことは今、どうでもいい。
オレの神経が鋭敏に、たった一つの器官へと集中する。
誰かとの会話。そう聞こえるくぐもった音、無線から漏れ出るその声に、オレは心を奪われていた。
『しかし、奴もたまにはいい仕事をするものです。丁度、手持ち無沙汰だったんですよ』
邪魔な死体を蹴り飛ばし、揺れる針とその目盛を凝視する。
それが一際大きく動き出した。先程よりも透き通って聞こえる、男の澱んだ声。
『私は一人でも多くの方達を救済したいというのに、無益なことばかりに時間を取られ――』
「イザベラッ! イザベラはそこに居るのか!? おいッ――」
基地局を死体の中から引き摺りだし、届くかどうかも分からずに問いをぶつける。
オレは受話器がぶら下がっていることに遅れて気が付いた。
しかし、触れた時に魔力が流れてしまったのか、機械は針が振り切れたまま雑音を吐き出している。
「ぽぷり!? ――どうしたってん――いっおい!?」
「なにがおきて――せつめいをする――ぽぷり――」
「――?」
イザベラが敵の手に落ちた。そうならないよう動いていたのに、もう遅い。
頬の血糊が渇き、罅割れる。
その感覚を身体の至る所に覚え、オレは動けなくなった。
眩暈がする。どうする? どうすれば――
「やっと追いついたと思ったら……いったい何がどうなってんだ?」
顔を上げると、肩で息をするカナタがそこに居た。
いつもと同じように、ここに居るのが当たり前と言わんばかりに。
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