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肌に細かい擦過傷を負った奏汰はそれを見て、一言も発せずにいた。
彼の視線の先には、隊列を組んだ第一小隊の背中がある。
「なんだい、戦争は初めてではないのだろう――」
何かに気付いたイザベラへ、奏汰が困惑を吐露する。
「共和国軍はどこもこんな……これじゃまるで…………」
虐殺だ、との言葉に彼女はかぶりを振った。
何も言わなくなった白金が、音と光が入り乱れる戦場へと注がれる。
時間が経過するにつれて、雑音の中から銃声が目立ち始めた。
単発で、長く尾を引く音。よく狙って撃ったと思われるそれ。
連続して点滅する光点が、一つ、また一つと消えていく。
言葉を失っていた奏汰の瞳が、答えに行きつく。
ぼうっと仄かに明滅する膜。それが第一小隊の前方に展開されていた。
これで説明がつく。高らかに鳴り響く靴音も、流血のない戦場も。
「これが魔術さ……どうだい、圧倒的だろう?」
奏汰の視線に気付いたイザベルが、先程の答えだがと続ける。
「オーケストラを除いて、魔術を戦いに組み込もうとする者など共和国軍には居ない。それは戦乙女の専売特許だというのが、この国に蔓延る間違った通念さ」
的外れな擲弾が付近で炸裂する。
即座に身を投げ打った奏汰。迷うことなく実行された動作は、身体に染み付いたものを思わせる。
イザベルはそれを気にも留めず、両手を広げた。
戦闘の明かりを受けてもなお暗い瞳は、外界に向けられているようには見えない。
「あぁ、ああ馬鹿らしい、馬鹿馬鹿しいことこの上ない。嫉妬と諦観に凝り固まった思想も、僅かばかりの優位性を掲げ、驕り高ぶる心理も……理解しようとすら思えはしない――」
顔のみを起こした奏汰の表情に戸惑いの念が浮かぶ。
彼の瞳には、逆光の中で舞うイザベルが映っていた。
「――そういえば、勇者君。戦乙女は知っているだろう? キミの友人もあの部隊に所属していたはずだ」
「……はい」
奏汰の声は小さく、爆散する地響きに呑みこまれた。
降りかかる砂塵をものともしない演者は、そこに含まれた心情に気が付かない。
戦場の旋律、その主役が変わる。乱れ撃ちから統率の効いた銃声へと。
「我が部隊は寄せ集めでね。魔術が使えない者か、使えても彼女達の基準に達しない者しか居ない」
彼女の言葉が帯びた喜悦につられて、奏汰は上体を起こした。
遠くの炎が空気を揺らす。またしても乱れる光点。抉じ開けられた防衛線。攻城の一幕が終わりを迎えていた。
「それがどうだい……道具一つで戦場は変わる。馬鹿はそれをッ――認めようとしない!」
空間が嗚咽をあげるのとイザベルの声がぶれたのは同時だった。
傾注していた奏汰の頬へ、弾けた温度が飛び散る。
跳ね起きた彼の右腕が、イザベラの手を曳いた。
「なにしてるんですか! 早く伏せて――ッ!?」
血に塗れた軍服、複数の孔から覗く真白の肌、うねる真新しい傷口。
それらを目の当たりにして、奏汰は絶句する。
彼の瞳は、理解を拒むように見開かれていた。
これも魔術だよ、とイザベラがその手を振りほどく。
「さぁ、次へ行こうか。演目はまだ、始まったばかりだよ……勇者――」
歩き出した明るい笑みを、奏汰はただ、見つめることしか出来ないでいた。
「私の傍から離れないようにしたまえ」
…………徐々に開いていく間隔も気にせず、奏汰はイザベラのあとを歩いていた。
彼の肌からは血の気が引き、周りが見えているとは思えないほど瞳は虚ろになっている。
彼らは二つの戦闘を鑑賞し、次の会場へと向う最中。
空中で弾む足音が止まる。イザベルだ。彼女は振り返って微笑みを浮かべた。
「どうした、足取りが重いぞ勇者! 早く、終幕はもうすぐ間近さ!」
危機感のない声が建物の間で木霊する。だが、彼女の言葉に反応する者は何処にも居ない。
鉄臭い沈黙が二人の間に漂っている。
奏汰はそれを知ってか知らずか、その場で立ち止まってしまった。
「…………なんなんだよ。意味が分からねぇって……俺は、なにを――」
「――それは分かっているはずだろう? 前に一度言ったじゃないか、願いを叶えたいのなら彼に認められることだ、と」
驚愕した奏汰が身を仰け反らせた。瞳の焦点は眼前で笑うイザベルに合っている。
ねがい、と彼の口が言葉にならない声の形になった。
それを見た哄笑が、奏汰の手を引き、誘う。
「そう、闘いたいんだ……キミは。力を手に入れて見返してやりたいんだ……あの勇者を――」
暗闇を駆ける足音が複数、それが徐々に加速していく。
己の言葉を反復する声に、イザベルは笑みを深くする。
「――ならば、見るんだ。知るんだ。聞くんだ、彼の考えを――」
細く繋がった二つの影が、建物の陰から月明りの下へと躍り出る。
「ッ…………!?」
「――参ったね、ここは既に通った後みたいだ」
広めの道に敷かれていた暗褐色の絨毯。ぬらりと光るそれは、真っ直ぐ基地の中心部へと延びている。
それを一目見たイザベルは駆る足を更に速めた。
彼女は一顧だにしない。奏汰が絶句した景色に飽き飽きしているのだろう。
先を急ぐその様は、まるでその先に何が在るか知っているかのよう。
だが、奏汰は違った。強張る彼の瞳は、その一つ一つをしっかりと辿る。
歪な通り道。そこら中に散らばる肉塊。その一つは引き攣った表情のまま転がっていた。
彼は知っている。誰がここを通ったのかを、誰がこの惨状を成したかを、知っている。
「うッ――!?」
「吐くのは構わない。でも足は止めるな、遅れてしまう。どうやらポプリは相当逸っているみたいだ」
なんたって二年ぶりだからね、との言葉に、奏汰は濁った水音を返すことしか出来ない。
二人がなぞる血路は、次第に細くなっていく。
次の瞬間、奏汰の顔が跳ね上がった。彼の耳に剣戟の音が届いたのだ。
それは二人が進むにつれて大きくなっていく。
イザベルの手に力が入り、彼の骨が軋む。奏汰は眉根を歪めた。
そして見ることになる。上気した彼女の耳の、その向こう。無数の火花を纏う二人の男を。
「――悪魔…………」
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