1-2-8


 肌に細かい擦過傷を負った奏汰はそれを見て、一言も発せずにいた。

 彼の視線の先には、隊列を組んだ第一小隊の背中がある。


「なんだい、戦争は初めてではないのだろう――」


 何かに気付いたイザベラへ、奏汰が困惑を吐露する。


「共和国軍はどこもこんな……これじゃまるで…………」


 虐殺だ、との言葉に彼女はかぶりを振った。

 何も言わなくなった白金が、音と光が入り乱れる戦場へと注がれる。

 時間が経過するにつれて、雑音の中から銃声が目立ち始めた。

 単発で、長く尾を引く音。よく狙って撃ったと思われるそれ。

 連続して点滅する光点が、一つ、また一つと消えていく。

 言葉を失っていた奏汰の瞳が、答えに行きつく。

 ぼうっと仄かに明滅する膜。それが第一小隊の前方に展開されていた。

 これで説明がつく。高らかに鳴り響く靴音も、流血のない戦場も。


「これが魔術さ……どうだい、圧倒的だろう?」


 奏汰の視線に気付いたイザベルが、先程の答えだがと続ける。


「オーケストラを除いて、魔術を戦いに組み込もうとする者など共和国軍には居ない。それは戦乙女の専売特許だというのが、この国に蔓延る間違った通念さ」


 的外れな擲弾が付近で炸裂する。

 即座に身を投げ打った奏汰。迷うことなく実行された動作は、身体に染み付いたものを思わせる。

 イザベルはそれを気にも留めず、両手を広げた。

 戦闘の明かりを受けてもなお暗い瞳は、外界に向けられているようには見えない。


「あぁ、ああ馬鹿らしい、馬鹿馬鹿しいことこの上ない。嫉妬と諦観に凝り固まった思想も、僅かばかりの優位性を掲げ、驕り高ぶる心理も……理解しようとすら思えはしない――」


 顔のみを起こした奏汰の表情に戸惑いの念が浮かぶ。

 彼の瞳には、逆光の中で舞うイザベルが映っていた。

 

「――そういえば、勇者君。戦乙女は知っているだろう? キミの友人もあの部隊に所属していたはずだ」

「……はい」


 奏汰の声は小さく、爆散する地響きに呑みこまれた。

 降りかかる砂塵をものともしない演者は、そこに含まれた心情に気が付かない。

 戦場の旋律、その主役が変わる。乱れ撃ちから統率の効いた銃声へと。


「我が部隊は寄せ集めでね。魔術が使えない者か、使えても彼女達の基準に達しない者しか居ない」


 彼女の言葉が帯びた喜悦につられて、奏汰は上体を起こした。

 遠くの炎が空気を揺らす。またしても乱れる光点。抉じ開けられた防衛線。攻城の一幕が終わりを迎えていた。


「それがどうだい……道具一つで戦場は変わる。馬鹿はそれをッ――認めようとしない!」 


 空間が嗚咽をあげるのとイザベルの声がぶれたのは同時だった。

 傾注していた奏汰の頬へ、弾けた温度が飛び散る。

 跳ね起きた彼の右腕が、イザベラの手を曳いた。


「なにしてるんですか! 早く伏せて――ッ!?」


 血に塗れた軍服、複数の孔から覗く真白の肌、うねる真新しい傷口。

 それらを目の当たりにして、奏汰は絶句する。

 彼の瞳は、理解を拒むように見開かれていた。

 これも魔術だよ、とイザベラがその手を振りほどく。


「さぁ、次へ行こうか。演目はまだ、始まったばかりだよ……勇者――」


 歩き出した明るい笑みを、奏汰はただ、見つめることしか出来ないでいた。


「私の傍から離れないようにしたまえ」


 …………徐々に開いていく間隔も気にせず、奏汰はイザベラのあとを歩いていた。

 彼の肌からは血の気が引き、周りが見えているとは思えないほど瞳は虚ろになっている。

 彼らは二つの戦闘を鑑賞し、次の会場へと向う最中。

 空中で弾む足音が止まる。イザベルだ。彼女は振り返って微笑みを浮かべた。


「どうした、足取りが重いぞ勇者! 早く、終幕はもうすぐ間近さ!」


 危機感のない声が建物の間で木霊する。だが、彼女の言葉に反応する者は何処にも居ない。

 鉄臭い沈黙が二人の間に漂っている。

 奏汰はそれを知ってか知らずか、その場で立ち止まってしまった。


「…………なんなんだよ。意味が分からねぇって……俺は、なにを――」

「――それは分かっているはずだろう? 前に一度言ったじゃないか、願いを叶えたいのなら彼に認められることだ、と」


 驚愕した奏汰が身を仰け反らせた。瞳の焦点は眼前で笑うイザベルに合っている。

 ねがい、と彼の口が言葉にならない声の形になった。

 それを見た哄笑が、奏汰の手を引き、誘う。


「そう、闘いたいんだ……キミは。力を手に入れて見返してやりたいんだ……あの勇者を――」


 暗闇を駆ける足音が複数、それが徐々に加速していく。

 己の言葉を反復する声に、イザベルは笑みを深くする。


「――ならば、見るんだ。知るんだ。聞くんだ、彼の考えを――」


 細く繋がった二つの影が、建物の陰から月明りの下へと躍り出る。

 

「ッ…………!?」

「――参ったね、ここは既に通った後みたいだ」


 広めの道に敷かれていた暗褐色の絨毯。ぬらりと光るそれは、真っ直ぐ基地の中心部へと延びている。

 それを一目見たイザベルは駆る足を更に速めた。

 彼女は一顧だにしない。奏汰が絶句した景色に飽き飽きしているのだろう。

 先を急ぐその様は、まるでその先に何が在るか知っているかのよう。

 だが、奏汰は違った。強張る彼の瞳は、その一つ一つをしっかりと辿る。

 歪な通り道。そこら中に散らばる肉塊。その一つは引き攣った表情のまま転がっていた。

 彼は知っている。誰がここを通ったのかを、誰がこの惨状を成したかを、知っている。


「うッ――!?」

「吐くのは構わない。でも足は止めるな、遅れてしまう。どうやらポプリは相当逸っているみたいだ」


 なんたって二年ぶりだからね、との言葉に、奏汰は濁った水音を返すことしか出来ない。

 二人がなぞる血路は、次第に細くなっていく。

 次の瞬間、奏汰の顔が跳ね上がった。彼の耳に剣戟の音が届いたのだ。

 それは二人が進むにつれて大きくなっていく。

 イザベルの手に力が入り、彼の骨が軋む。奏汰は眉根を歪めた。

 そして見ることになる。上気した彼女の耳の、その向こう。無数の火花を纏う二人の男を。


「――悪魔…………」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る