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 革帯の具合を入念に確かめる。

 使用者のことを考え、特注で幅広に作らせた革帯。

 一つとして同じ形のないそれらを手に取り、罅割れや摩耗がないか目と手で確認していく。

 乾き、日に日に冷たくなっていく夜風が、並び立つ天幕の間を吹き抜ける。

 騒々しいとまでとは言わないものの、辺りは音に溢れていた。

 電球が寿命を燃やし、金属が擦れて起こるそれら。

 物音が支配する異様な空間で、他の小隊の者達が黙々と武装の点検を行っていた。


「ポプリ少尉。これで最後となります」


 差し出された備品を受け取る。

 腕に巻きつけるためだけに作られた、縦に長く、分厚いもの。

 これが作戦の成否を決める要となる。時間をかけて事細かに見ていくべきだろう。


「きー! なに、なんなのあれ!? なんで我が物顔で、わたしのッ隊長の隣にぃぃぃいいい!」


 天幕の向こうから、この場には不似合いな奇声が転がり込んできた。

 しかし、それに構う者はここには居ない。

 周囲の温度が低くなる。

 最早気にすることすら億劫だ。

 あれから、事態はその進行速度を急激に加速させた。

 近くにまで来ていた部下の手により、衝突地点から引き上げる。

 任務の中断を余儀なくされたが、仕方のないことだった。

 帰投後に薄暗い兵舎で報告を行う。

 夕闇に沈む部屋の中、シェフの瞳だけがギラギラと強烈な感情を放っていた。


『彼女達への気遣いは怠らないでくれ給え。私は所用を片づけておく』


 所用が片づくまでに、そう時間はかからなかった。

 オレ達と中央とを繋ぐ秘匿回線。その受信音が、今でも耳に残っている。

 火が、点いたのだ。

 帝国が安易にもたらした種火によって、一度は焦土と化した西部戦線。

 それが七年の月日を経て、再び燃え上がる。

 あの日聞いた、音色を伴って。


「……戦争が、始まる…………」

「……? ポプリ少尉。今、なんと――」

「――ァーナルグッ!」


 叫び声が騒々しい靴音を伴って、天幕の沈黙に踏み込んでくる。

 拘束具の外観に異常はない。次は細部にわたって点検していく。


「なぜ居ないッ。答えろ! 貴様らは何をしている。なんのために武器を手に取っているのだ!」


 端末に並ぶ三つの金具。それと革帯の結合部分に解れはない。

 よし、何も問題はない。環境の変化は、騒音が一つ増えたことだけ、何も問題ではない。オレ達はシェフの合図を待つのみ。


「キぃサぁマぁラぁぁぁあああ!」


 最後の一つを並べようとした時、よく磨き上げられた靴が視界に入りこんだ。

 次いで首元へ伸びてきたのは男の太い腕。オレの目線が強引に吊り上げられる。


「副官ッ! 私の言葉が理解出来ないのか!? 私は言ったぞ、答えろッと、何をしているんだッと! 私を誰だと思っている、貴様らの上官、この戦線の司令官なんだぞッ!」


 吹き付ける唾に不快感を覚える。

 真っ赤に血走った瞳が見え、オレの中で幼い反抗心が芽生えた。

 瞬時にそれを切り離そうとし、失敗した。オレには必要のないものだと、土壌ごと抉り取ることが出来なかった。

 亡羊とした意識に理解が走る。

 あぁ、司令官。務めを果たさねば、オレは、求めに応えねばならない。

 彼の唇が苛立ちに震える。

 それを知った俺が嗤った。声高らかに、正面の男を馬鹿にして。


「ワタシ達は今、上の命令で動いています――」


 オレの言葉に司令官の眉が歪む。

 それもそうだろう。この男に知らせは行っていないはずだ。

 彼は、撃鉄をあげる権利を持っていない。


「――これで満足でしょう。では、お引き取りを……オレにはないんです。これ以上、貴方の相手をする余裕なんて」

「……ッ!」


 上手く言葉が出てこなかった。それは火を見るよりも明らかだ。

 右手に持つ革帯が、硬い感触を返してくる。

 男の顔から表情が抜け落ちる。その後ろで、拳が引き絞られていた。


「おやぁ? 随分と騒がしいと思えば、そこにいらっしゃるのは司令官殿ではありませんかな?」


 ぼやけた肌色が鼻先で止まる。視界の奥で、お道化るように白金が煌く。

 辺りがやけに明るくなった気がした。今なら夜の暗闇すらも見通せそうだ。

 オレは逸る気持ちを静めようと、腰の魔剣を握る。


「ヴァーナルグ、今までどこに――」

「久方ぶりですなフョードル司令。ご健勝そうで何より。藁山からの眺めは大層良いようで」

「……なに?」


 無言の視線がシェフに注がれる。男達に囲まれたべにが大きな弧を描く。

 相対していたフョードルの背中、その弛みきった肉が無様に震えていた。


「これはこれは、分かってらっしゃらない? 本当に? いや、理解したくないと言ったところでしょうか? ならば私が教えて差し上げましょう。終わったのですよ。あなたの役目は――」


 音の消えた世界でシェフ……イザベル・ルクス・ヴァーナルグが歌い上げる。

 視界から彼女以外の存在が薄くなっていく。

 その時、一陣の強い風が天幕の間を吹き抜けた。

 まき上げられた髪が、光輝く。まるで、彼女だけに光が当てられているかのように。


「戦時下において、烏合の衆より害悪なものは存在しない。この意味はお分かりでしょう――あぁ結構、結構です。語らずともそのことは、口よりもご立派な腹部が物語っておりますゆえ」

「――ッ!?」

「き、貴様ッ! 言うに事を欠いて、フョードル様を愚弄したな! このことは軍法会議にぅおッ!?」


 不躾にも舞台へ躍り出た男を、女優自らが蹴り落とす。

 呆気にとられる男は、あの中尉だった。

 彼女は男を見ようともせず、寸劇を続けた。

 高貴色の瞳が細まる。役者に次の展開を求めるように。

 

「……認めぬ…………」

「ん? 聞こえませんな? もっと大きな声でないと、他の者に伝わりませんよ?」


 骨太の肩が震える。先程まで大きく見えていた背中は丸まり、一回り小さく見えた。


「認めぬといっている! いくら独自裁量権が与えられているとは言えっ貴官の行為はあまりにもおうぼぅボァあ!?」


 飛んできた巨体を避ける。木箱が砕け散る大きな音。

 見ればその背中があった場所に司令官の姿はない。

 代わりに居るのは、手首の調子を確かめるシェフただ一人。その所作は上官を殴り飛ばしたとは思えないほど、軽い。

 女優が観客を睥睨し、腕を振り払った。

 その動作は激しさを伴っており、オレ達に劇が佳境へと至ったことを知らせる。


「立ち上がれ同胞たちよ! 武器を手に取り我に続け! 敵は極悪非道の帝国、奴らは我らの国土に火を放ったのだ! ――」


 肩から上着が落ちたことも構わずに、シェフが楽団へ檄を飛ばす。

 団員達はマーチやスイートを筆頭に、男達を広場から押し出した。

 オレは温かくなった革帯の上下を確認し、シェフの背後へ歩み寄る。

 なおも彼女の言葉は続く。


「――最初の一音は既に鳴り響いた! 撃鉄を起こせ! 術式を起動しろ! 残すは譜面に従うのみ! 安心したまえ、勝利は約束されている! ――」


 凛とした返事が空気を叩く。彼女達の目に、オレは映っていなかった。

 隊員の瞳は余すことなく、指揮者の一挙手一投足を追っている。

 振り上げられたシェフの右手に、オレは研ぎ澄まされた一振りの細剣を幻視した。


「――さぁ行くぞ! 君たちの雄姿を、この耳で、両の瞳で、そして肌で、感じさせ――あれ?」


 彼女の右腕を引き下ろす。それを包むは先程の革帯。

 シェフはそれを見て、目を丸くした。

 関節を極められる過程を追っていた彼女と、目があう。

 媚びを売るかのように、彼女の片目が閉じられた。

 そんなことをする必要はない。なぜならば、既に答えは出ているからだ。


「駄目に決まってんだろ」

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