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 草木を避けて急ぐ。すると、そう時間もかからずに女性の嗚咽が耳に届いた。


「――そうやって最初から大人しくしてりゃ、こんな風に痛い目を見ることはなかったんだぜ?」


 なぁ、としゃがみこみ、女性に迫る男の背中。それを中心に状況を眺める。

 居ない……聖剣を佩いた者はここに。

 扇状になった男達は揃いの軍服を身に纏っている。

 囲った女性達に、視線が釘付けなところもお揃いだ。

 周囲への警戒を疎かにするとは、帝国はここまで――いや、どちらにも腐った者は一定数居るのだ。

 頬を腫らした女性が目の前の男へ唾を吐く。


「惨たらしく死ね、下種野郎ッ! あんたの粗末なモノなんて食い千切ってやる!!」


 男が立ち上がり、顔を拭った。

 概測で一九〇センチ、かなりの大男だ。腰には拳銃、突撃銃は携行していない。

 年若い複数の女性が、短い悲鳴をあげた。

 男は一定の地位に居るのだろう。男達に銃を下ろさせたことから、そう類推する。

 隣で何かが軋む音。


「クズ共め……」

「下手な真似はするなよ――」

「……分かってる……」

「―― 一歩も動くなと言っているんだ。本当に分かっているんだろうな」

「…………」


 返事がないことに苛立ちが募る。手足の自由は奪っておくべきか……。

 墓地の門を開こうと魔術を編む。しかし、それが完成することは無かった。

 布地が裂ける、乾いた音がここにまで届く。


「反抗的なのも悪くない。むしろこの手で躾けられることを思えば――そそるぜ……」


 切れ端を持った男の言葉を、彼の部下が囃し立てる。

 視界を細く、鼓動は遠くへと切り離す。

 村人の言葉が頭の中で繰り返される。だが、オレにも優先順位というものがあるのだ。

 ここに奴は居ない。ならここを離れ、その足跡を――


「そこまでだッくそ野郎!」


 近場で発生した叫び声。夢物語であれば勇猛とも思えるそれに、全身の筋肉という筋肉が引き攣った。

 開ききった視界に映る、カナタの背中。驚き銃を構える帝国軍人、その数、三個分隊。

 勇むカナタが突撃銃を振り回す。


「村を襲うだけに飽き足らず、彼女達を辱めるつもりか! そんな非道、この俺が――」


 ここでカナタを死なせる訳には行かないッ。

 如何に体よく厄介払いさせたとは言え、本国の勇者と大魔導士の士気に係わる!

 帝国軍人の目から戸惑いの色が褪せていく。照門を覗くためか、僅かに肩が動くのが見えた。


「――勇者 カナタが許さないッ!」

「……仕損じたガキかと思ったが、その服……共和国の豚か」


 焦りすら見せない隊長格が眉間に皺を寄せた。

 それはお愉しみを邪魔されただけの反応とは思えない。帝国には勇者教徒が多い。

 やはりと言うべきか、男の右手は胸元の典礼用具へと伸びた。


「神聖な勇者様を汚したな、異教徒。ああ、いいだろう。望み通り――」


 錠のない門をこじ開ける。呼び起こすのは、三振りの魔剣。アレクとソニンを握り、残りは背中の剣帯へ。


「――地獄へ叩き落してやる……やれ」

「【舞い散れ、イリス!】」


 僅かな重みを背中に、カナタの前へ飛び出す。

 瞬時に辺りは、削れる金属音と舞い散る火花で埋め尽くされた。


「ポプリッ!? これは、その剣の魔法なのか……?」

「聞け! ここから、一歩も動くなよっ分かったか!?」


 叫ぶ、柄のみの魔剣を指したであろう言葉は無視して。

 この世に魔法なんてないと習わなかったのか!

 お前は士官学校でいったい何を学んできたんだ!?


「チッ、まだ居たか! おいっ隊長に伝えろ! すぐにだ!!」


 不味い。このままでは聖剣持ちを逃すことになる。

 舞い踊る金属片、刃の三分の二を残し、オレは弾幕の只中へ走る。

 順序は前後したが、ここで村人の願いを成し遂げる!

 全力で回避行動を行い、イリスの負担を最小限に止める。

 狙うは離脱を試みている敵の背中。眼前に迫る獲物に、右手のソニンが歓喜の唸りをあげた。

 肉を食み、骨を砕く魔剣。その相反する振動を感じながら、敵の内部を蹂躙し、断ち切る。

 まずは、一人ッ――

 頬に痛みが走った。イリスが撃ち漏らした弾丸だ。

 やはり三分の一では心もとない……せめて半分――いや、それではカナタが無防備になる。

 一足跳びで横へ回避する。

 蜂の巣になる立木が横目に見えた。

 考えるのは止そう。残り三四、ただ繰り返すだけだ。

 人を見ているとは思えない帝国人の視線。それを真正面から受け止め、再び駆ける。

 眼前の兵士が瞠目していた。オレはアレクでその首を刎ねる。残り三三。

 オレを見失った軍人。その心臓を背中から貫く。残り三二。

 恐慌をきたした一兵卒を切り伏せる。残り三一。

 口の半ばから上を切り落とす。残り三十 ――柄頭で頭蓋を砕く。二九――腸(はらわた)を晒す。二八――二七…………二―― 一 ――


「と、止まれっ……この女がどうなってもいいのか!」

「…………」


 男の声を聞いて立ち止まった。

 仕留め損ないは居ない、問題はないな。残すのは女性に拳銃を突き付ける彼一人だ。

 男は信じられないとばかりに目を剥いていた。

 女性が眉を顰める。何度も銃口がぶつかっているのだろう。

 

「何をしている! 早く武器を捨てろっ化物ッ!!」

「分かった――」


 両手から離れた魔剣が地面でぶつかり、派手な音を立てる。

 オレはそれを見届け、改めて男の両目を見つめた。


「――これでどうだ。もう彼女を人質にとる必要はないと思うのだが……」

「黙れ! そこから十歩下がれ、そうだ……そこで、跪け…………」


 女性達の縋るような瞳から大分離れてしまった。カナタの吐息がすぐそこにまで感じられるほどに。

 銃口が女性から、オレへと移る。

 男は一歩、また一歩と後ずさっていった。頬を緩ませながら。


「ははっそのままで居ろ。下手なことは考えるなよ……その瞬間、お前の頭に風穴が開くんだからな……」

「ああ。オレは、何もしない――」

「……なに?」

「――【集い、穿て】」


 背中の柄に魔力を持っていかれる感覚。変化は瞬く間に起こる。

 不可視の速度で、周囲を旋回していたイリス。その欠片が集結し、ギラリと光ったその瞬間。

 纏った速度はそのままに、切っ先が突き刺さった。男の額へと。


「あ、え……?」


 一つの音が弾け、明後日の方向で木片が散った。

 男の腕が不格好に跳ね上がり、女性もろとも後ろへ倒れる。

 戦いは終わった。ここまで派手にやりあったのだ。聖騎士はとっくに逃げおおせているだろう。

 しかし、焦ることはない。口実は手に入れることが出来た。今日でなくとも、いつか必ず――


「カナタ……カナタ!?」

「は、はいっ!」

「上着を彼女に、このままでは基地に連れていけない」


 胸元を押さえる女性を指して、そう伝える。血塗れの外套を着させるわけにもいかないだろう。

 怒鳴るなよ、調子が狂うだろ、とはカナタの言。それはこちらの台詞だ。誰のせいでこうなったと思っている……。

 溜息を呑み込み、アレクとソニンを拾う。

 一度、血を振り払った後に、死体で丹念に汚れを拭う。

 魔剣を矯めつ眇めつ眺め、納得がいくまで綺麗になったことを確認し、送り還――


「随分と騒がしいと思ったらよォ……連れてっちまうのか?」

「――ッ!?」


 至極残念そうな声に身体が強張り、部位という部位が警戒の声をあげた。

 女性達に背中を向け、声の主を睨みつける。

 そこには痩身の男が居た。


「苦労したんだぜ、捕まえるの」


 返り血で汚れた眼鏡の奥で、剣呑な瞳がギラリと光る。

 唇にも笑みを浮かべているが、切り裂かれたようなそれは、どこか禍々しさを感じさせた。

 そして、彼の腰には、予想していた通り――


「あぁ、やっと……やっとだ…………」


 煮えたぎる願いが唇から迸る。視界は紅蓮に染まり、四肢は十全以上の働きを見せた。


「やっと見つけたぞ、聖騎士」

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