1-2-2
食事中の天幕は明るく、各テーブルでは談笑が絶えない。
オレはそれを聴きながら、野菜をのせたパンを口に運んだ。
子気味の良い音をたててパンが口内で弾ける。塩気が舌に触れると、口の中が喜びで溢れた。
「軍人は腐るはずなのに……この世界の女性は違うのか……? いやでも年齢が――」
対面に座るカナタとスイートの視線は対照的だ。
「こらメロディ、はしたないぞ。食事中に鼻歌を歌うのはよくないな」
煮えたぎる鉄と春の日向。どちらも熱がこもっているものの、その差は歴然だろう。
二対の視線を辿ると、満開の笑顔に迎えられる。
オレはそれに促されるように、食事を飲み下した。
「どうかしたのか、メロディ?」
「――? んーん、なんでもない!」
そうか、と咲き誇る笑みに言葉を返す。なぜか食事中の一角が俄かに騒がしくなった。
気にも止めずに食事を続行する。
弾力のある腸詰を断ち切れば、甘い油が宙を奔った。
「ねぇねぇ、ぽーはいつまで居られるの?」
突然の問いかけにフォークが行き場を失い、皿の上を漂う。
この言葉はあれだ……。額面通りに受け取ってはいけない類のものだ。
困ったような溜息と粘度の増した視線を受け流し、オレは言葉を選ぶ。
「マーチが帰還したら、すぐにでもここを発つ――」
「……そうなんだ」
言い終わる前にメロディが萎れる。
降霊魔術が発動中であれば、耳と尻尾が力なく垂れていそうだ。
困った。まだ話の途中なのだが……。
「――だから、手伝ってくれると嬉しい。まだ出立の準備が出来ていないんだ」
「するっ! ぽーの手伝い、頑張る!」
息を吹き返したようにメロディが笑う。その頭を撫でると、彼女は目を細めた。
騒がしい外野は、この際放っておこう。なに、この時間を噛み締めるためなら些細な――
「出てこいナーメン・ローゼ! ヴァーナルグ少佐の居場所を教えよ!」
開け放たれた垂れ幕が揺らぎ、不躾な朝日が差し込んだ。
尊大な言葉に静まり返った天幕の中、オレは目を細める。陽光を背にする者達の影をみるように。
「ここに……。少佐は不在ですが、何用でしょうか?」
居住まいを正しながら立ち上がり、テーブルの間を進む。
驚きはしなかったものの、逆光が治まった入口に居たのは大層な面々だった。
一番最初に目が行ったのは包帯を巻いた男。
腕を吊り、顔の大半を負傷しているように見えるが、その佇まいは負傷者のそれではない。
次に厭味ったらしい中尉。
常から嫌な男だと思っていたが、今日の笑みはいつにも増して悍ましい。
最後は恰幅の良い男性。
立ち位置や肩に並ぶ階級、胸元の徽章を見て、中尉の尊大な態度の理由が分かった。
お会いしたことはないが……司令官殿を連れ出すとは…………。
「お前が副官か?」
「はい司令官殿――」
司令官が一瞥した。刺繍のないオレの胸元を。
「名無しの分際で失礼だぞ! フョードル様に向かってなんて態度だ!」
オレが名乗るべきか迷っていると、横やりが肩に当たる。
見るれば、一歩前に出た中尉がそこに居た。小鼻が膨らみ、まさに自慢げといった表情だ。
背後の熱気が、僅かにだが、高まった気がした。
「失礼いたしました。隊の者からはポプリと呼ばれています。司令官殿はどのようなご用件でこちらに?」
「……少佐が居なければ仕方があるまい。ここの者が我が部隊の隊員に暴行を行った、と報告を受けている。どういうことだ?」
指し示された包帯の男と背後で起こった物音で合点がいく。
「この恥知ら――」
だから、先んじて部下の言葉を遮ることが出来た。
使命を果たした右腕を下ろす。こちらに向く三対の視線を見ながら、オレは脳内で唇を舐めた。
さて、この場での正解はどのようなものか、と。
「……申し訳ありません。事態の詳細を、私は把握出来ていないのです。もしよろしければご説明をしては頂けませんか? 中尉殿」
水を向けられた中尉が粘り気のある笑みを浮かべる。
この男は何処まで醜悪な表情を作ることが出来るのだろう?
軍人が浮かべるべきではないその悪意。
まるで、
「ハッ――これは傑作だ。報告を受けていないと来た。機械も扱えない蛮族だとは常々思っていたが……それが集まったところで頭がこれでは、烏合の衆よりなお質が悪い」
「返す言葉もございません……」
腰を折ったその時、遠くから音が耳に届いた。一糸乱れぬ半長靴の音が。
「いいだろうっ教えてやる! 昨夜、うちの曹長が暴行を受けた。貴様が監督すべき女にだ! 骨を折られただけではなく、肌は焼かれ、内臓には少なからずとも損傷を受けている! 彼はしばらくの間、前線に立つことができないだろう。嘆かわしい……これが戦役を共にする、仲間へすることか!!」
この地に居ればいつでも聞ける。なんてことはない行進の靴音。しかし、オレはこれの主を知っている。
「事実に反します! 彼はうちの隊員に――」
「黙れ女ッ! 発言を許した覚えはないぞ、身を弁えろ!」
「――ッ…………!」
一喝された女性がイスへ乱暴に座る。憤懣やるかたないといったていだ。
大丈夫、オレは知っている。彼女達がそんなことをするはずがない、と。
この部隊は、シェフへの絶対的な忠誠心でできている。だから――
下種につられて進み出た負傷兵へ、オレは火口を向ける。
「彼は何処で怪我を? まさか自室で奇襲をうけた――なんてことはないはずです」
強張る片眼と愉悦に歪む一対の視線。
この手の追及は想定済みなのだろう。しかし、部下への指導は徹底されていないようだ。
行進の調べはとうの前に絶えて久しい。
居もしない神に感謝の念を送る。正直なところ相手の好きにさせるしか、オレに手立てはなかったのだ。
「ああ、自室というのであれば同じようなものだろう。以前の、ではあるがな。彼は貴様らが占有する宿舎に足を踏み入れた。しかし! 彼は酔っていたのだッ当時の彼に、責任を負う能力は無かったと言ってもいい!!」
持論をひけらかす中尉に影が差した。
彼らの中で一番最初に異変を察知したのは、司令官殿であろう。
他の二人は背後の存在に気付いてすらいない。
「見給えよ、ナーメンローゼル・ポプリ。彼の痛ましいこの姿を、如何に間違いを犯したとはいえ、この仕打ちはあんまりだとは思わないか――ね?」
中尉の腕が
疑問の眼差しに映ったものは、宙を舞う部下と、大きな拳だったはずだ。
「軍紀を乱したのならば罰するに値する。無法者には厳罰を、規律を重んじる軍では常識だ」
「なっ!?」
大柄な男が見悶える負傷兵に歩み寄る。靴音に気が付いた負傷兵は、必至の形相で後ずさった。吊られていた腕で頬を抑えながら。
鈍色の瞳がそれを見下ろす。そこには慈悲も、一切の恩情もありはしない。
「神の……鉄槌…………」
「私のことを知っているようだな。彼の方からマーチの名を頂戴した者だ」
震える階級章にマーチの視線が突き刺さる。
「曹長。知っての通り、私は虚偽と妄想が嫌いだ。それを踏まえて答えろ……」
「――ひっ!?」
小さな悲鳴が天幕の端に辿り着いた。その目の前にマーチがしゃがみ込む。
逃げ場を失った男に覆いかぶさる影。屈んだにも関わらず、巨体の存在感が変わることはない。
「答えろ曹長。お前は、いったい何をした」
「お、俺は、ただ……」
「貴様っそれいじょ――」
「おっと、あなたの出る幕はありません。それともなんでしょう、何かやましい事でもおありですかな中尉殿?」
軽薄な態度でスイートが中尉の前に立ち塞がる。
それを機にオレも動く。先程から傍観を決め込む司令官の前へ、身を滑らせた。
「失礼いたします」
「…………」
無礼者ッ、と中尉の叫びがオレ達の間を通り過ぎていく。
この人はなにを考えているのだろうか。一切正解が読めない。
彼は何をするわけでもなく、ただ息を吸っていた。
意識を僅かに残し、視線を背後からマーチへ移す。事態が動いたことを肌で感じた。
「……続けろ。これは命令だ」
「――っう!?」
大きな背中で筋肉が脈打つ。彼はその威容を思う存分に発揮していた。
締め上げられた男が喘ぐ、音。
「付け加えよう。俺は、気が長いほうではない」
「ぅあ――ま、魔が差したんだ! ここにきて長い……つい、魔が――」
それから一拍の間もない。
うなじを撫でた風に、身体が過剰な反応を示す。
オレが振り向いた先では、既に肉の上を複数の徽章が跳ねていた。
「私に恥をかかせたな、ヴィクス。覚えておけ、沙汰はニールを通して下す」
「フィヨルド様!? どうかっ大佐にだけは、どうか――」
縋りつく中尉を振り払い、司令官が天幕を後にする。
結末の良し悪しはどうであれ、喜劇はこれにて終幕……まずいな、シェフの言い回しがうつってしまった。
形容しがたいものを覚えながら、オレは打ち捨てられた男に歩み寄る。
マーチは、仕事は終えたとばかりに卓について食事を待っていた。
「――……――」
這いずるような声に足を止める。振り返ると、立ち上がる幽鬼がそこには居た。
顔全体に影を落とす男。しかし、その双眸は、影の中にあっても分かるほど、暗い意思を灯していた。
「これで、いい気になるなよ。この……悪魔め…………ッ!」
言葉を吐き捨てて中尉は天幕から出ていった。
一々気にしていても仕方がない。オレは包帯の男に向き直り、言葉を選んだ。
「貴官には任地替えを勧めよう。どうなるにしろ、この基地には居辛くなるだろう」
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