1-2 独立魔装部隊の任務
不鮮明な殻の中で揺蕩う。
耳に届くぼやけた声は、渡り鳥のものだろうか……。
差し込む光を瞼の裏で感じ、その弱さからまだ夜が明けていないことを察する。
頬を刺す冷たさもそれを肯定した。
ラッパが鳴るのはもう少し先のことだろう。
「う、ん……」
布団を肩から目元まで引き上げる。朝の寒さは酷く、これからもっと厳しくなっていく。
だからだろうか、一晩かけて温めたこの場所から出るのが億劫で仕方なかった。
まだ、まだ寝ていても問題はないだろう。
逃避した身体が縮こまる。そばにあった温もりを抱え込むように。
温もりを抱きしめていると、滞っていた血液が巡り始めた。
次第に意識が輪郭を取り戻していく。五感が、正常に機能するようになった。
触覚。温もりと称したものは柔らかく、触れ合う肌は温かさどころか、熱いとさえ感じる。
繰り返す呼吸から、嗅覚が常とは異なるものを感じ取る。自分のものとは違う、どこか甘い香り。
渇きを覚えた舌が唇を這う。味覚は、なんてことはない塩気を覚えた。
寝返り、なのだろう。起こした覚えのない衣擦れの音とともに、んう、と吐息が首元を擽る。
異物と断じ、瞼を跳ね上げる。
未だに身体は微睡の中を彷徨っていた。しかし、オレはそれを意思の力で捩じ伏せる。
「う……む、ん…………ぽぉ……」
「メロディ――」
寒気を覚えたのか、メロディが身を摺り寄せてくる。それはまるで親の腹で蹲る幼い獣。
悪寒に急き立てられ、現状の把握に視線が走る。
ここは、オレの部屋。
カナタの姿は見えないが、見慣れた光景がそうだと教えてくれる。
床に取り残された毛布を見つけて、今に至るまでの経緯を大まかにだが理解した。
最悪の事態は――
寝惚けて女性の領域に迷い込んでしまったなどということは、それで否定できる。
「メロディ、メロディ? 起きたほうが良い。このままだと嫌な予感しかしない」
「ん、んー。ぽぉ?」
声をかけ強めに彼女を揺すると、少女は僅かにだが動きを見せた。
良かった。これならすぐに目を覚ましてくれるはずだ。
「ああオレッ――!?」
急な衝撃に言葉が詰まる。上体が倒れ後頭部が枕を打つ。
視界にメロディの姿はなく、無機質な天井がただ、温もりを享受する二人を見下ろすのみ。
どこにそんな力が……さっきまで寝起きで瞳もぼうっとしていたというのに。
「メっ――離れるべきだ……カナタが来るときに約束しただろう? ちゃんと一人で寝るって」
「うー、やー!」
オレの言葉を拒否したメロディが、体温をせがむように呼吸を繰り返す。
こうなっては彼女の好きにさせるしか他ない。
カナタが着任する少し前、シェフに引きずられながら泣き叫んでいたメロディを思い出す。
彼女は時折、こうしてオレのベットに忍び込むと頻りに匂いを嗅いでいた。
親元から引き離された過去を鑑みれば仕方がないと、オレは今でも思っている。
しかし、これからのことを考えれば、きっと良くはないのだろう。メロディにとっても……。
だからカナタの着任がいい機会となった。
そうしてシェフが周りを巻き込み『子離れ大作戦』の指揮をとったのだが――
「うーい。やっぱ鍛錬は早朝だよなー! 寒さも相まってバッチリ目がさめ……」
部屋に戻ってきた副官と視線が交錯した。空気が更に冷え、凍り付いた気すらしてくる。
もう少し遅ければ、何事もなく終われたというのに…………。
カナタの眦と唇が戦慄く。震える指先はオレとメロディの間を行ったり来たりしていた。
誤解は解かねばならない。言い訳がましいが、オレは思考の中から言葉を選び出す。
「これは――」
「お前もロリコンかぁぁぁあ!」
怒りに染まったカナタが詰め寄ってくる。吊り上げられた眦は鋭く、まるで血に飢えた剣のよう。
オレはメロディを抱えたまま上体を起こす。起き抜けの意識が彼の声で揺れた。
カナタは他人をよく小児性愛者と呼ぶ。
まったく、勘違いも甚だしい。
彼女のこれは親愛から来る行動。そこには疚しい気持ちなど欠片もない。彼女にも、勿論オレにも。
毎回そうやって過剰な反応をする方が、むしろおかしいと思わないのだろうか?
「目を離した隙に、お前! そんなあられもない恰好のメロディちゃんを、つ、つれ……」
「気にするな、いつものことだ」
「いつも!? いつもそんなことしてんのか! オメ――えぅ?」
目の前にあった彼の顔が、上体ごと下に沈んだ。
メロディがカナタの首元を掴み、引き下ろしている。
オレからは彼女の後頭部しか見えないが、漂う気配と引き攣るカナタの顔を見れば、状況を察することが出来た。
これは不味い。
「……ゆーしゃうるさい!」
「メロディちゃ――」
オレが止める前に、幼い細腕が唸りをあげた。
カナタの身体が一度振られ、宙を舞う。
「――うおわぁぁぁあああ!?」
それを機に彼の言葉は叫び声へと変わる。
派手な音を最後に、部屋の中はまた静かになった。
メロディに流れる魔術は恐ろしい。
相手はまだ少年とはいえ、倍の背丈もある質量を投げ飛ばせるのだ。片腕だけで。
その両腕がオレの胴体を抱きしめる。
のびているカナタから戻した視線が、揺れる茶色に絡めとられた。
「行っちゃうの……?」
分かってしまった。彼女がなぜここでこうしているのか。
メロディは聞き分けのいい子だ。いつもであれば、一度駄目だと言われたことを繰り返すことはしない。
だから気付けなかった。震える彼女の声を聴くまでは。
「哨戒任務を終えたマーチが今日帰ってくる。次はオレの番だ。それはどうしようもない」
「でも、今は――」
心配をしてもらって、眦が緩むのが分かる。オレは感謝を伝えるために、メロディを抱きしめた。
「カナタ一人では、もしもの時に対応できないだろう? あいつは魔力を扱えないんだ――」
彼女が始める無言の抵抗。納得できないという意思が、触れ合う肌から伝わってきた。
オレは言葉を重ね続ける。メロディに理解してもらえるように。
「―― 一週間。うちの小隊がそんなに長い間居なくなったら、困るだろう?」
「……うん」
返事が返ってきて安堵する。いつの間にか、窓から見える空が白くなっていた。
そろそろ起床のラッパが鳴るはず。
終わりにしようと小さな肩に手を置き、メロディを離す。
彼女は名残惜しそうな眼をしていたが、抵抗することはなかった。
「先ずはカナタに謝ろうか」
「う…………」
オレの言葉にメロディの瞳が強張る。
時間差はあったが、二対の視線は出入り口のある方向へと向かった。
そこには、天地を逆にして壁にもたれかかるカナタの姿。
気を失うほどなのだ。きっと並々ならぬ衝撃だったはず。
しかし彼ならば大丈夫だろう。魔術にて対応が出来なくとも、大丈夫だろう。なぜならカナタは人一倍――
「――頑丈だからな」
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