1-?


 灯りの乏しい部屋で響く。激しい息遣いとか細い声、発条の悲鳴、殴打、嗚咽。

 俗人はきっと耐えることが出来ないだろう。この空間では息を吸うことすら躊躇われる。

 それほどまでに凄惨な光景が、薄闇の中で蠢いていた。

 営みと表現するには余りにもねじ曲がっている行為。

 その行為に終わりを告げたのは、男の深い呼吸だった。

 どこか満足げで、達成感すら窺える切れ長の瞳。

 その眼光が音もなく立ち上がり、横たわるものを見下ろした。

 男は祈る。饐えた臭いを身に纏って、祈りを捧げる。

 その手には装飾の施された剣が収まっていた。

 およそ実戦では使えそうにない儀仗剣。細く、造りばかりが派手なそれ。

 彼は剣を掲げ――


「儀式はつつがなく終了しました。喜ばしい事です。貴女の不浄は滅され、その魂を神は拒むことはないでしょう……きっと」


 ――振り下ろした。奪うことに対して、何も思うところはないかのように。

 不安定な灯りの中に男の裸体が浮かびあがる。

 その白い肌は傷一つなく、均整の取れている肢体は美しさすら帯びていた。

 部屋の片隅で、小さく短い悲鳴があがる。

 男が流し見たその先。光が届かない暗闇に居るのは、拘束された女達。

 彼女達の視線は寝台に突き立つ長剣、その下へと注がれている。


「祝福なさい。彼女は神の身元へと旅立ちました。異教徒であったにもかかわらずに、です」


 なんと寛大なことでしょう、と男は瞳に炎を宿した。

 彼の言葉を気にする者は居ない。

 そのような余裕は誰にもなかった。そう、この場に居る者には――


『いつまで醜態を晒すつもりだ救恤きゅうじゅつの。定時は既に過ぎているぞ』


 部屋の中に新たな音が生まれた。備えつけられていた化粧台が仄かに輝きを強める。

 男は驚いたように身を捩ると、相好を崩す。そこに羞恥の色はない。


「醜態? 意味が分かりかねます、団長。これはれっきとした――」

『枢機卿だ。法王から賜ったこの位、それを蔑ろにするのであれば、幾ら貴様といえ――」

「……私の間違いをお許しください。猊下」


 声音の強弱で光り方が変化する鏡面。

 男は平伏したような声をだすものの、その在り様は謝意を表している者のそれではなかった。

 押し殺された感情が、彼の瞳を歪める。男は鏡の向こうを、射殺さんばかりの眼光で睨んでいた。

 数人の女が息を殺して、その様子を見つめる。

 奇妙なことに、鏡面には怒りに染まる男の顔しか映っていなかった。


「それで、本日はどちらに? 常ならば対の鏡をお使いになるでしょう」

『ミノンにて思想解放を謳う者と、賛同する集団が存在した。今日は始末をつけた後だ』

「商業都市!? 北も北、国境沿いではありませんか。そのようなところにまでだ……」


 言葉に詰まった男の声に鏡が硬質な応えを返す。


『もはや一軍とも呼べる勢力。我が一撃をもって壊滅させる必要があった』

「左様で……」

『こちらのことはもういいだろう。報告を、剣の具合はどうだ?』


 明滅する魔力光に男の笑みが深くなっていく。堪えきれないかのように。


「彼は勤勉ですね。与えられることに満足せず、自ら外に赴き、民に救いを施しているようです」


 男が席を立ち、物言わぬ剣を撫でる。愛おし気に。

 女達は震えながら彼の動向を窺い、次の瞬間恐慌をきたした。

 引き抜かれた切っ先から血が飛び散る。間断なく傷口から噴き出す血潮。

 絶望が奏でられるその様と肌を這う僅かな温もりに、男は血を滾らせた。


『首輪は付けてあるんだろうな』

「ご心配には及びません。それよりも……あれを揃えるのは可能でしょうか。彼らさえ居れば、態々私がこのような――」

『馬鹿を言うな。対価が大きすぎる。あれ一つ作るのに……いったい何人、使ったと思っている』


 御冗談を、と男が皮肉を込めて嗤った。


「勇士旅立ち、ユウキの御許で眠る。それらも本望のはず……構わないでしょう?」

『彼らも信者だった。軽はずみな発言は止すんだ……』


 事務的ながらも、どこか耐えているような唸り声。しかし、それが男の感情を逆撫でした。


「信者? 聖戦に身をやつした猊下のお言葉とは思えません。それでは、ただの羊飼いだ」


 男はそう吐き捨て、血染めの身体を掻き抱く。

 彼は、畏怖の視線も鏡台の声すらも気にすることなく、身体に赤を塗りたくった。

 女達は限界まで身を寄せ合いながら、降りかかる飛沫に耐える。


『もう十分だ。次はそちらから報告を寄越せ、くれぐれも部下の手綱は離すな』

「承知いたしました。――猊下、御身に勇者の加護があらんことを」

『チッ…………その身は輝く光の中に』


 それを最後に部屋の明かりが一段、落ちた。

 男は剣から血を払い、視線を尖らせる。


「力に酔った狂信者め……神にも及ばぬ身で私を否定するか」


 ですが、と溢しながら男が立ち上がった。その口元に歪な笑みを張り付け、続ける。


「――いずれ許しを請う機会をあげましょう。お前の正義を足蹴にした、その時に」

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