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「仕事を頼んだはずだ。なんでついてくる……」

「そりゃ、俺はお前の副官だからな!」


 鬱陶しい声に、オレは思考が漏れていたことに気付く。

 こいつと一緒に居ると調子が狂う。

 現に、言うべきではないことまで、口にする機会が増えていた。


「なぁ、今はどこに向かってるんだ?」


 先を行くカナタが、黒髪の間から見上げてきた。

 オレが断らないことを知っているのだろう。

 周囲の視線を感じ、溜息が出た。

 あぁ……頭が痛い。


「酒保だ。フーヅ基地はヒトが多いからな。シェフはそこで寛いでいるんだろう」

「売店で寛ぐ……ホテルでもないのに、どうやって?」

「なぜここで宿屋が出てくるんだ……まぁ、ここの酒保は特殊だからな。着けば分かる」


 気のない返事をしたカナタが前方を見やる。

 その先では駐留部隊の男達が、思い思いに余暇を過ごしていた。

 外れにある我が中隊の隊舎と違い、酒保は並び立つ隊舎の中央部に存在する。

 正直なところ、ここには近づきたくはなかった。


「なぁ……さっきから――」

「ここからは無駄口なしだ。分かったな?」


 カナタは異変を感じているのだろう。眉間に力が入っていた。

 長居をする必要はない。オレは悪意の槍衾を抜けようと、彼の前に出た。

 そこで気付く、前方から迫る集団、その視線に。

 なんてことだ……。

 オレは額を押さえたい欲求に駆られる。


「おや、ナーメン・ローゼ。今日は一人か? いつも女の陰に隠れているお前が、珍しいこともあるものだ」


 先頭の男が薄ら笑いとともに悪意を振り撒く。それに釣られてか、後続も同じように哄笑を浮かべた。

 無言でカナタを制す。俺のことは無視かと、口から火を噴きそうな勢いだった。

 下卑た笑いを見つめ、考える。彼は何を求めているのか、それを頭の中から曳き擦り出す。

 彼等に道を譲り、地面へと視線を固定した。ここではこれが正解だ。


「はい、中尉殿。今から少佐を迎えに行くところです」

「はんっ、嘆かわしい。軍人ともあろう者が、女の尻に敷かれて文句も言えないとは」


 男の双眸で炎が燃え上がった。それが手に取るように分かる。

 それは軍の中に蔓延る業火。魔術が使えず虐げられてきた男達の、嫉妬の炎。

 

「私は認めないぞ、女が軍に居ることなど。ましてや同じ基地に存在するなど……虫唾が走る」


 すれ違いざまに吐き捨てられた言葉が耳から耳へ抜ける。

 集団が見えなくなるまで、オレはそのままの態勢を維持し続けた。

 隣で起こる舌打ち混じりの呼吸音。


「なんなんだあいつ!? えっらそうにしやがって!」

「……止めておけ、あんなでも上官だ」


 そう言い残して足を進める。不満を列挙しているカナタは放っておいてもいいだろう。

 人目も憚らずに感情を吐露する彼の姿は、少し眩しかった。オレには決して出来ない真似だ。

 そのようにしないと決めたのも、またオレだが。

 追いすがってくる声は依然として刺々しく、オレは額へ手をやるのを堪えるのに、努力が必要となった。


「――ちょっと待てよっなんで置いてくんだ!」

「もともとお前がついてくる必要はないことだ。呼び出されたのはオレで、お前ではない」

「そりゃそうだけど……さっきも言われたろ!? もっと頼れよ!」

「不要だ。現状に不都合はない」


 前方に目的の人影を見つける。シェフは白金の髪を陽光に晒して、陶磁器を傾けていた。

 ヒトを呼びつけておいて、優雅なものだ。

 歩みを速めると、後方から言葉を叩きつけられた。個人主義が過ぎるぞ、と。

 そんなことは理解している。オレは自分のためだけに、ここでこうしているのだから。

 シェフがこちらに気が付いた。彼女は椅子から立ち上がると顔に微笑みを浮かべる。

 見る者の溜息を誘発するような、魔性のそれ。


「遅かったね? 待ってたよ。待ちすぎて椅子に根を張ってしまうところだった」


 まるで感動の再会かのように、彼女は両手を広げた。

 オレはその数歩手前で立ち止まる。

 早鐘を打っていた鼓動が静まり、左胸の熱が引いていく。

 咎めるような黄金の瞳を見つめ、言葉を選ぶ。


「悪かった。道中いろいろあってな」


 先程までのことを思い出すと、眉間を揉みほぐしたい衝動に駆られる。

 シェフはそんなこともお構いなしとばかりに胸を押さえ、過剰な所作で目元を拭った。


「私のことを一番に優先はしてくれないのかい? 悲しい……悲しいよ。胸が張り裂けてしまいそうなほどに、ね!」


 本職が役者と言われても疑われないほどの、迫真の演技。

 しかし、最後の笑みですべてが台無しになっていた。


「冗談はもういい、用はなんだ。ただ呼び出しただけなんて言わないでくれよ」


 黄金に影が差す。彼女は問いかけには答えず、標的を変えることでもって返答とした。


「やぁ勇者君。今日は過ごしやすい良い天気だ。どうだい、一緒にお茶でも?」

「は、はいっご一緒させていただきます。イザベル・ヴァー――」


 随分と畏まった背中が、彼女の溜息で言葉を詰まらせる。

 そして生まれた空白に、彼女は演出過多の言葉を滑り込ませた


「硬い、硬いなぁ勇者君。シェフでいいと前にも、言っただろう?」

「相手を指揮者と呼ぶのは違和感が……でしたら俺のことも、勇者ではなく奏汰と……」


 カナタの声はシェフに届いていない。

 彼女の瞳は、料理の一覧をなぞることに夢中になっていた。

 ポプリはコーヒーでいいねと言われ、オレも仕方なく席に着く。

 早く慣れたほうがいい。そう思いはしても口にはしない。

 目を虚ろにして立ち尽くすカナタに言っても、どうせ無駄だろう。

 シェフは変わっている。彼女はどこの誰がどう見ても変人だと、そう言っても。


「勇者君は何を飲むんだい? 遠慮はせずに言うといい。なにしろここの支払いはポプリが持ってくれる」

「…………」

「好きにしろ」


 どのみち使う当てのない金だ。

 毎月渡される給金だって大部分が右から左で他人の懐へ、残ったものは全て机の中に入っている。

 敵意の籠った視線が隣のイスに座った。彼の口は短く、カフェオレとだけ動いた。

 改めてシェフを見る。彼女は給仕の女性へ注文をしていた。

 着崩した軍服に肩掛けの上着、曇った階級章。

 およそ女性が身に着けるものとは思えないそれらを、彼女は見事に着こなしていた。

 第一と第二の隊員はどこか服装に着られている印象が拭えないのだが――

 絡み合う視線に気が付き、思考を取りやめる。


「……そんなに熱心に見つめられると、恥ずかしく、なってしまうな」

「やっと本題かと期待したオレが馬鹿だった」


 オレの嫌味もどこ吹く風で、彼女は事もなさげに金糸を掻き上げ、耳にかけた。

 一々取り合っていたらこちらが持たない。なんだカナタ。なぜそんな目でオレを見る。


「付き合うのはコーヒー一杯分――」

「叔父様から手紙が届いた」

「――ッ!?」


 短い言葉にハッと息を呑んだのは、オレかカナタか。

 シェフはそれに気を良くしたように微笑むと、続けた。


「ここに居る。キミが追い求めていた聖剣が、この緩衝地帯に――」


 口の中いっぱいに鉄の味が広がる。痛みはない。しかし……。


「――存在する」


 身体の筋肉という筋肉が軋みをあげていた。

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