1-1-3


「――ぐほっ!」


 腹部を突き抜ける衝撃。

 身構えたのにもかかわらず、鈍い痛みが重い鉛となって腹に居座る。

 はて、オレは今日、彼女の気に障るようなことをしたのだろうか?

 いや、していないはずだ。増え続ける禁止事項を脳内で攫っても、なに一つ抵触した覚えはない。

 確認のために彼女の名を呼ぶ。


「メロ――」

「お腹すいた!」


 くぐもった声を引き剥がそうとする。しかしメロディの腕は固く繋がれ、俺の腰を離そうとしない。

 そうか、お腹が空いたのか。なら仕方のないことだ。ヒトの腹へ全速力で吶喊するのも。

 なんたって、お腹が空いていたのだから……。


「手持ちには糧食しかないの――」


 言葉の途中で宙を舞う携帯糧食。

 撥ね退けた本人はオレから離れると、その場で地団駄を踏み始めた。


「違うッそうじゃない! めーは、ぽーのご飯が、食べたいの!」

「…………」


 天幕から出てきたカナタが横に並ぶ。

 彼は一仕事終えたかのように、すっきりとした顔をしていた。


「作ってあげればいいじゃん。なんでそんなに渋るんだよ」


 簡単に言ってくれる。この子は毎回、お前の三倍食べているんだぞ。

 いったい何処にあの量が入るのか、その真実は誰も知るところではない。

 腰にあて、ふくれっ面のメロディを見下ろす。

 

「駄目だ。これ以上、食費に予算は割けない」

「――ッ……」

「おいおい、そりゃないってポプリ…………どうすんだよ。メロディちゃん涙目になってるぞ」


 視界を占領していた平たい顔を押しやる。見れば、メロディの顔に影が落ちていた。

 予算の話は建前だ。ここで彼女のお願いを聞いたとしよう。まず間違いなく中央の支援部隊が黙っていない。

 ただでさえうちの中隊は異色。指揮官にあっては上層部の頭痛の種だ。

 身内から顰蹙を買うのは避けておきたい。ついでにいつものようなことも避けるべきだろう。


「勝負…………」

「だからな、メロディ。オレのお願いを――」


 不穏な声音に、言葉が詰まる。

 オレが訊ねる前に、声の主は真っ赤な顔で叫んだ。


「勝負するのッ! ぽーは負けたら、めーの言うことをきく! 分かった!?」


 メロディが泣きながら私闘を持ち掛けてきた。

 突き付けられた指先を見て思う。やはりこうなってしまったか、と。


「え? 何事? ちょっと意味が――」

「少年、出番が終わったなら引き下がるべきだ。分かるな?」


 状況が理解できないと慌てていたカナタ。彼の姿が視界から消える。

 振り向けば、並び立つオレの部下の元へ、スイートが彼を引き摺って行くところだった。


「おい何だよ!? は? なんでお前が、さっき縛ったはずだろ!?」

「他人の逢瀬を邪魔するのはいけないな少年。後学のために覚えておくといい。きっと役に立つ」


 邪魔だったのは否定しない。しかし、逢瀬とはどういう意味だ……張り倒すぞ色男。


「【ほこり高き戦士、丘の輩(ともがら)よ】」


 背後から魔力が吹き付ける。目を離していた隙に、メロディが詠唱を始めていた。

 彼女がオレの了承を待たないのは、いつものことだ。これも仕方がない。

 常とは違う厳かな声音。渦を巻く魔力が高まると、彼女の身体に異変が生じた。

 折れてしまいそうな細腕には筋肉の筋が浮き上がり、その柔肌にヒトならざる体毛が生い茂る。


「【郷をおびやかす彼の者、それに抗うあたしに爪牙(ちから)を】」


 メロディが降霊魔術を行使している。

丘の住人の血を色濃く引き継ぐ、彼女だけが使える希少な魔術。

 ある期間に入ると狂暴性が増す。それを周りの者だけが知っている厄介な魔術でもある。

 黄金色に輝く毛はその一本一本が硬く、通常の弾頭であれば弾くほど堅牢だ。

 こちらを刺し貫く獣の瞳に意を決し、オレも魔力を声に乗せる。

 呼び出すのは二振りの片手剣。血の味を覚え、旅人を喰らい続けた双子の魔剣。


「目を覚ませ【アレク】、【ソニン】」


 彼らは魔剣の特性を熟知し、それを活かして戦う二人組の盗賊だった。

 剛性と筋力の強化、二つの魔術を身体に帯びて、オレは魔剣を構える。


「開始の合図は――ッ!?」

「UruaaaAAAAA!」


 メロディは合図も待たずに突っ込んできた

 鼻先で空を切る鋭い爪。

 緊急回避により体勢が崩れる。しかし、それは空振った少女も同じ。

 オレはがら空きになったメロディの脇腹へ蹴りを叩き込む。

 質量差から抵抗は少ない。

 この場での正解は何だ――どうやったら彼女に負けを認めさせられる?

 オレは体格の差を強みに、間合いの外からの攻撃を続ける。

 切りつけ――と見せかけた柄頭での打撃。揺らいだ矮躯を掬うように放つ蹴り。

 メロディは地を跳ねオレの足を避けると、目にも留まらぬ速さで爪を振るう。

 胸元に走る痛み。彼女の右手を見れば、鉄をも裂くその爪が血で濡れていた。

 昂っている少女の姿が視界から消える。

 これは前兆。

 超人的な速度でしゃがみ込み、力を解き放つ突進の前合図。


「Uuu――GUuuuu!?」

「フッ!」


 迫りくるメロディに、握り込んだ拳を叩きつけ、オレは彼女から距離を取る。

 メロディは顔を押さえながらその場で狼狽えていた。

 仕切り直しといこう。

 もともと少ない魔力が魔剣に持っていかれながらも、思考を続ける。

 いつものことながら勝ち筋が見えない。今回は上司の呼び出し《じかんせいげん》もあるから余計だ。


「L――AaaaaaaAAAAAA!」


 またしても彼女が消えた。

 脇腹に覚える鮮烈な痛み。

 依然と比べて、メロディは一段と速くなっていた。

 彼女の成長に、眦が綻ぶのを押さえられない。

 本当に、子供というものは、あっという間に大きくなる。

 まるで我が事のように喜びながら、オレは少女を殴った。蹴った。打ち付けた。

 意識が昂ぶっていくのが分かる。どれほどの間こうしているのか。最早、傷の数など覚えてはいない。


「Uuuu――ううううう」


 動きを止めたメロディが呻き、猛り狂っていた魔力はその勢いをなくす。

 どうしたというのだろう。

 異変を感じ、オレも構えを解く。

 始まる前よりも鮮明に見えていた獣毛が、四肢の先から順に消え――


「いっつもそう! ぽーはッめーのことをちゃんと見てくれない!」

「――な……」


 ――そこには、瞳いっぱいに涙を溜めた少女が居た。

 突然のことにオレは言葉をなくし、呆然と立ち尽くすことしか出来ない。


「なんでッ? なんでちゃんとしてくれないの!? ぽーは我慢してばっか! めーはそれがやなの!」

「待ってくれ、なんのことを言って――」


 癇癪を起こしたメロディの頬を、泪が伝う。

 彼女はオレの言うことも聞かず、嫌々と首を振りながら叫んだ。


「腰の魔剣それを抜いてよ! めーと本気で――ひぅッ!?」


 鼓動が早く、呼吸は浅く、視界が、紅に染まる。

 これは現実で何かが起こっているわけではない。それを俺は知っている。

 幻影が現実(しかい)に這入りこみ、重なる。

 山となった死体に、血の海、悍ましい笑顔。

 剣を取り落とした両手が震えていた。

 あぁ……これは、記憶。

 五対の爪が掌を食い破る。

 オレは声を、魔力を絞り出した。


「来い……【ラスタフール】」


 視認できるほどの濃密な魔力の虚。

 呼び出した小剣を握り締め、左手を唸らせる。己の太腿目がけて。

 なんの痛痒もなく皮膚に潜りこむ魔剣。

 そこから注がれる魔力をオレは受け入れ、震えを堪える。

 削り取られた血肉が魔術で埋められていく。

 オレは地面で横たわる魔剣(アレク)へ手を伸ばした。


「自分が何を口にしたか、分かっているんだろうな」


 魔術を再び纏い終えた時、世界の残像が線を引く。

 歯の隙間から漏れ出た言葉は、置き去りとなっていた。

 

「ぽ――ぉ?」


 互いの吐息が眼前で交わる。

 オレはメロディを押し倒していた。

 映し出される一対の自分を睨みつけ、唸る。

 尋常ではない力が籠り、右腕が悲鳴をあげていた。

 彼女の喉が鳴る。切っ先に触れた肌から真っ赤な雫が顔を出した。


「あの言葉が何を意味するか、お前は知っているはずだ」


 みるみるうちにオレの像は揺れ、耐えられぬというように眦が決壊する。

 メロディの頬を流れる泪は止まることを知らず、むしろ、震える瞳からの勢いは増す一方。


「――っうぅ、ひっぐ……ごめ、なさ――」


 輪郭のぼやけたオレは、酷く醜い顔をしていた。

 背後から香る花の匂い。

 襟が喉を圧迫。オレの喉元に強い痛みが走った。


「っ!?」

「やり過ぎだッそれ以上は私闘の域を超えるぞ!」


 仰向けとなり呆然とするオレに、語気の荒い言葉が降りかかる。


「立てるな。怪我は――あぁ、血が……おい、メロディ。分かるか?」


 膝を汚すスイートが、表情をなくしたメロディを抱き起している。

 オレの理解が及ぶよりも先に、彼女の感情が溢れ出した。

 堰を切ったように出る大量の涙。


「ぅぁぁぁあああああ! すぅぅぅっ。ぽーに、ぽーにぃ――嫌われちゃったぁぁあぁぁああああ!」

「……あー、ほら泣くな。メロディは副隊長だろう? 大丈夫。ポプリはヒトを嫌いにならないから」


 さっきまで獣だった少女は、棒立ちのまま、天に向かって吼える。

 男はその涙に狼狽えた。それでも彼女に寄り添い、励ましの言葉をかけ続ける。

 それを見てオレは、己が何をなしたのか、やっと理解することが出来た。

 怒ってしまった……もう、何も求めないと決めたはずなのに……怒ってしまったのだ。


「メロディ。なんでポプリに嫌われたと思うんだ。その理由を俺に教えてくれないか?」


 スイートの視線が彼女とオレを行き来した。

 オレに向けられたそれは、非難と要求を多分に含んでいる。

 少女のたどたどしい言葉が宙を揺蕩う。中天に向かう太陽は白く、まるでオレを責めているようだった。

 求められたのなら応える。それがオレだ。

 事の成り行きを見守っていた三振りの魔剣を送り還し、立ち上がる。


「――だから、ぽーは、もう……」


 落ち着きを取り戻していた吐息が、スイートの視線を辿る。

 膝を汚す同僚にならって、オレも地面に片膝を着いた。地面に落ちる目線と目を合わせるために。


「謝らなければならないのは、オレの方だ。申し訳ない、メロディ。オレの考えが足りなかった」

「ぽーは、めーのこと……好き? 嫌いになってない?」

「ああ、勿論だとも。嫌いになったことなんて、一度もない」

「っぽー!」


 耳元を擽る茶髪を指で梳く。抱きとめた温もりを感じていると、呆れたような溜息が聞えた。

 目を開ければ、腰と額に手をやるスイート。彼は首を一つならしてから口を開いた。

 

「まったく。いいところばかり持っていきやがって」

「感謝してるさ。それだけじゃ足りないか?」

「――尊い…………」

「足りないな。もっとこう……何かないものかね?」

「あぁ、あぁ、溢れんばかりの親子愛……尊いですぅ。パパにメーたん。そしてママは――」


 何もないくせによく言う、と明け透けな笑顔に苦笑を返す。

 離れようとしないメロディを抱き上げ、溜息を一つ。

 そろそろ部下を止めるべきだろう。彼女の尊厳のためにも……。

 

「――子供を望めなかった二人にとって、メーたんは天使ッ。やっと、これでやっと……二人の愛は報われ――」

「いつまでそうしているつもりだ曹長……報告があるんじゃないのか?」

「――ハッ!? し、失礼いたしました! ……報告しますっ! 一分隊 総員十名ッ事故二名! 事故の二名にあっては対象の警備! 以上十名ッ任務を終え、隊長の指揮下に戻ります!」


 女性の下士官を筆頭に、我が小隊の部下達が建物の陰からバタバタと現れる。

 分隊長の報告が終わる前に、彼女達は整然と並び終えた。

 先程までの浮ついた空気はどこかに落としてきたようだ。十対の瞳からは熱意と真剣さが伝わってくる。


「ご苦労。次の仕事に取り掛かって構わない」

「はッ! 失礼します!」


 曹長の号令とともに女性だけの分隊が歩き出した。

 日頃の訓練の賜物だろう。彼女達は一糸乱れぬ動きで天幕を後にする。

 だが、統制が取れていたのは隊伍の最後尾が建物の陰に消えるところまでだった。


「申し上げますっ会長、あんた何も分かっちゃいないわ! ポー / スイ でしょう! 小隊長を見てれば誰だって分かるはず! それに――」

「貴様ぁッ言うに事欠いて、隊長を愚弄する気か!」

「――誰かっ伍長を止めて! これ以上会長を刺激するのは危険よ!」

「やめるんだ伍長っ地雷原での舞踏会には付き合いきれないぞ!」


 やんややんやと彼女達の声がこちらにまで届く。年若い数名の部下が膝から崩れ落ちた。

 それを慰めるのは妻子持ちの先任達。そこに、今までどこかに隠れていたカナタが加わる。

 大分時間を使ってしまった。これは一言――いや二、三、小言を言われるのも覚悟しなければいけない。

 オレはメロディをあやしながら歩き出した。

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