1-1-2
ただ食べるだけが食事ではない。これには二つ、切っても切れないものがある。
それは用意と、片付けだ。
「うぅうぉぉぉぉおおおお!!」
料理とは、食材が勝手に変身するものでなければ、食卓に突然出現するものでもない。
それでは御伽噺の魔法か何かになってしまう。
「今日は、絶対に、勝ぁつ!」
ましてや汚れた食器等が、自分達で風呂に……いや、これは流石にないな。
空想を鼻で笑う。
これを聞かされたら、どんな劇作家でも耳目を潰して逃げ出すことだろう。それくらい酷い。
「おいおい、いいのかよポプリ? おててがお留守だぜ!?」
逃避していた思考が現実に引き戻される。ここは我が中隊の天幕、その中の一つ。
水湧き泡踊る戦場に、傍迷惑な声が轟いていた。
カナタは、いつものように一人で盛り上がっている。
黒い瞳に闘志を滾らして。
オレが付き合わないことは知っているだろうに、よくもまぁ……飽きないものだ。
溜息はとうの前に枯れ果てていた。
部下達も、最初こそ哀れみの視線をオレにくれたものが……慣れてしまったのだろう。
今では笑顔を忘れた神父のように、ただただ静寂を纏って作業にあたっていた。
部下の順応性にならって、オレも食器の塔を崩すことに専念するとしよう。
その時、砂を踏みしめる音が背後で鳴る。
「あーぁ、嫌だ嫌だ。ここはむさくるしくて敵わない」
「……彼らには清潔であるよう徹底させている。毎日の清拭、三日に一度の湯浴み、それでも足りないか?」
あぁ足りないなと、花の香りを纏う声にオレは手を止めた。
振り返った先で、一人の美丈夫が白い歯を見せる。
「男が群れているだけで罪だ。それは世界の常識であり、心理でもある」
男が面白がっているのは、火を見るよりも明らかだった。
さて、彼に言われるがままというのは、部下の精神衛生上よろしくない。
この場での正解を求め、思考が唸りをあげる。
オレは思いついた言葉を舌に乗せ、撃鉄を起こすように喉を鳴らした。
「お前達、どうやらスイート少尉は他の部隊に転属したいらしい。何か知恵があるものはいるか?」
オレに人事権はないからなと続ければ、部下の男達が大声で笑う。
「よしてくれポプリ。考えるだけでぞっとする。俺はお姫様達と離れるなんてまっぴらごめんだ」
「男性蔑視が過ぎるぞ。どこで誰が聞いているか分からないんだ――」
気を付けろ、と言う前にオレは言葉を遮られた。
スイートが両手を広げる。一つに束ねられた金髪を、左肩で揺らしながら。
「それは違うな。男が嫌いなんじゃない、俺は女性を愛しているんだ」
役者のようにセリフを謳う同僚。無意識に左手が額へと伸びる。
背後の温度が下がったこともそうだが、頭痛の種は至る所にあった。
「お前の隊は訓練をしているはず、持ち場を離れて何の用だ小隊長?」
そう言って指の隙間から覗き見ると、彼は待っていましたとばかりにセリフを続ける。
「――ん、随分な言いようだな。やってるぞ、自主訓練。うちの姫達は得意とするものが違うからな」
「それは最早、休みと同義だろう……」
スイートは金髪の束に触れ、否定はしないと笑った。
「おい……要件を言えよ、色男」
おや、とスイートの視線が背後へ流れる。
額を押さえる手が強張った。何故か古傷が痛みを発している。
「これはこれは……挨拶が遅れてすまない。話は変わるが、時に少年。男の嫉妬は醜いと知ってるか?」
「っんだと――」
バカが馬鹿な事を口走る前に組み伏せる。なおも喚き散らす馬鹿。
「お前は少し黙っていろ」
カナタのこれは目に余る。どのように育てればこうなるのか、一度親から話を聞いてみたいものだ。
場所が場所なら、銃殺刑なのをこいつは知っているのだろうか?
部下達が馬鹿の拘束を代わってくれた。
あぁ……そうだ。縛り上げて、その辺に転がして置いてくれて構わない。
「中尉殿はお優しいことで」
「ムムガッ!?」
「……それは、どういう意味だ?」
さて? と、はぐらかすスイート。露骨すぎるその様は、どこからか口笛が聞えてきそうなものだった。
頭が痛い。医者に診せればきっと鎮痛薬を処方してくれることだろう。
居住まい正したスイートに意識を向ける。
「伝達! ポプリ中尉は至急、
「シェフが……用向きは聞いているか?」
ざわつく左胸に手を当てる。嫌な予感しかしない。
前にもこんな事があったと、静かにしているカナタへ視線をやる。
「俺は訓練場で言伝を頼まれただけ、そこまでは知らないな。きっと今頃は――」
「十一時の方向、多分酒保あたりにでもいるのだろう」
繋がりを辿っていると、何か言いたげなカナタと視線がぶつかった。
オレはそれを避け、部下達に向き直る。
「すまないがオレはここを離れる。この仕事が終わり次第、お前達は昼食の用意と洗濯に取り掛かってくれて構わない。適宜休憩を挟むことも忘れないでく――」
言葉の途中で、部下の態度に違和感を覚える。
遠くを見やる者が居れば、何か納得したように頷く者もいる。それを終えると皆一様に、オレに生温い視線を向けてくるのだ。
花の香りを辿ると、スイートが申し訳なさそうに頬を掻いていた。
「ここに来ることは伏せた……はずなんだが、すまない。どこからか情報が漏れたみたいだ」
「まさか……前のから、まだ一月と経っていない。今朝だってそんな素振りは――」
「――――ッ!」
遠くから音が聞こえる。
スイートが道を空けると、今までその身体で隠れていた土埃が――遠くで土埃を巻き上げる何かが見えた。
傍らで彼が微笑む。
「女性は神秘的だ。そんなところも素敵だとは思わないか?」
「――聞いたかお前等? なら分かるな? 憲兵を呼べ! ここにロリコンがいるぞ!!」
カナタの号令が天幕を揺るがす。
「「「応ッ!」」」
「なっやめろ! 近寄るなっお前達、上官に逆らうことがどういうことか、知っているだッ――や、ヤメロォォォオオオ!?」
溜息をその場に残し、大捕物が繰り広げられている天幕を抜け出す。
いつの間にカナタは自由になっていたのだろうか? どうでもいいな。
どうでもいいことだが、いい天気だ。昨日と違って日差しが温かい。
穏やかな風が、視界の隅で赤髪を揺する――
「ポォォォおおおおお!!!」
音が意味をなす。土埃をあげる点が人影へと変わる。
出会ってから四年。これまでも幾度となく同じことがあった。だが――
「今日は一段と、激しくなりそうだ……」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます