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 ただ食べるだけが食事ではない。これには二つ、切っても切れないものがある。

 それは用意と、片付けだ。


「うぅうぉぉぉぉおおおお!!」


 料理とは、食材が勝手に変身するものでなければ、食卓に突然出現するものでもない。

 それでは御伽噺の魔法か何かになってしまう。


「今日は、絶対に、勝ぁつ!」


 ましてや汚れた食器等が、自分達で風呂に……いや、これは流石にないな。

 空想を鼻で笑う。

 これを聞かされたら、どんな劇作家でも耳目を潰して逃げ出すことだろう。それくらい酷い。


「おいおい、いいのかよポプリ? おててがお留守だぜ!?」


 逃避していた思考が現実に引き戻される。ここは我が中隊の天幕、その中の一つ。

 水湧き泡踊る戦場に、傍迷惑な声が轟いていた。

 カナタは、いつものように一人で盛り上がっている。

 黒い瞳に闘志を滾らして。

 オレが付き合わないことは知っているだろうに、よくもまぁ……飽きないものだ。

 溜息はとうの前に枯れ果てていた。

 部下達も、最初こそ哀れみの視線をオレにくれたものが……慣れてしまったのだろう。

 今では笑顔を忘れた神父のように、ただただ静寂を纏って作業にあたっていた。

 部下の順応性にならって、オレも食器の塔を崩すことに専念するとしよう。

 その時、砂を踏みしめる音が背後で鳴る。


「あーぁ、嫌だ嫌だ。ここはむさくるしくて敵わない」

「……彼らには清潔であるよう徹底させている。毎日の清拭、三日に一度の湯浴み、それでも足りないか?」


 あぁ足りないなと、花の香りを纏う声にオレは手を止めた。

 振り返った先で、一人の美丈夫が白い歯を見せる。


「男が群れているだけで罪だ。それは世界の常識であり、心理でもある」


 男が面白がっているのは、火を見るよりも明らかだった。

 さて、彼に言われるがままというのは、部下の精神衛生上よろしくない。

 この場での正解を求め、思考が唸りをあげる。

 オレは思いついた言葉を舌に乗せ、撃鉄を起こすように喉を鳴らした。


「お前達、どうやらスイート少尉は他の部隊に転属したいらしい。何か知恵があるものはいるか?」


 オレに人事権はないからなと続ければ、部下の男達が大声で笑う。


「よしてくれポプリ。考えるだけでぞっとする。俺はお姫様達と離れるなんてまっぴらごめんだ」

「男性蔑視が過ぎるぞ。どこで誰が聞いているか分からないんだ――」


 気を付けろ、と言う前にオレは言葉を遮られた。

 スイートが両手を広げる。一つに束ねられた金髪を、左肩で揺らしながら。


「それは違うな。男が嫌いなんじゃない、俺は女性を愛しているんだ」


 役者のようにセリフを謳う同僚。無意識に左手が額へと伸びる。

 背後の温度が下がったこともそうだが、頭痛の種は至る所にあった。


「お前の隊は訓練をしているはず、持ち場を離れて何の用だ小隊長?」


 そう言って指の隙間から覗き見ると、彼は待っていましたとばかりにセリフを続ける。


「――ん、随分な言いようだな。やってるぞ、自主訓練。うちの姫達は得意とするものが違うからな」

「それは最早、休みと同義だろう……」


 スイートは金髪の束に触れ、否定はしないと笑った。


「おい……要件を言えよ、色男」


 おや、とスイートの視線が背後へ流れる。

 額を押さえる手が強張った。何故か古傷が痛みを発している。


「これはこれは……挨拶が遅れてすまない。話は変わるが、時に少年。男の嫉妬は醜いと知ってるか?」

「っんだと――」


 バカが馬鹿な事を口走る前に組み伏せる。なおも喚き散らす馬鹿。


「お前は少し黙っていろ」


 カナタのこれは目に余る。どのように育てればこうなるのか、一度親から話を聞いてみたいものだ。

 場所が場所なら、銃殺刑なのをこいつは知っているのだろうか?

 部下達が馬鹿の拘束を代わってくれた。

 あぁ……そうだ。縛り上げて、その辺に転がして置いてくれて構わない。


「中尉殿はお優しいことで」

「ムムガッ!?」

「……それは、どういう意味だ?」


 さて? と、はぐらかすスイート。露骨すぎるその様は、どこからか口笛が聞えてきそうなものだった。

 頭が痛い。医者に診せればきっと鎮痛薬を処方してくれることだろう。

 居住まい正したスイートに意識を向ける。


「伝達! ポプリ中尉は至急、中隊長シェフの元に来られたし!」

「シェフが……用向きは聞いているか?」


 ざわつく左胸に手を当てる。嫌な予感しかしない。

 前にもこんな事があったと、静かにしているカナタへ視線をやる。


「俺は訓練場で言伝を頼まれただけ、そこまでは知らないな。きっと今頃は――」

「十一時の方向、多分酒保あたりにでもいるのだろう」


 繋がりを辿っていると、何か言いたげなカナタと視線がぶつかった。

 オレはそれを避け、部下達に向き直る。


「すまないがオレはここを離れる。この仕事が終わり次第、お前達は昼食の用意と洗濯に取り掛かってくれて構わない。適宜休憩を挟むことも忘れないでく――」


 言葉の途中で、部下の態度に違和感を覚える。

 遠くを見やる者が居れば、何か納得したように頷く者もいる。それを終えると皆一様に、オレに生温い視線を向けてくるのだ。

 花の香りを辿ると、スイートが申し訳なさそうに頬を掻いていた。


「ここに来ることは伏せた……はずなんだが、すまない。どこからか情報が漏れたみたいだ」

「まさか……前のから、まだ一月と経っていない。今朝だってそんな素振りは――」

「――――ッ!」


 遠くから音が聞こえる。

 スイートが道を空けると、今までその身体で隠れていた土埃が――遠くで土埃を巻き上げる何かが見えた。

 傍らで彼が微笑む。


「女性は神秘的だ。そんなところも素敵だとは思わないか?」

「――聞いたかお前等? なら分かるな? 憲兵を呼べ! ここにロリコンがいるぞ!!」


 カナタの号令が天幕を揺るがす。


「「「応ッ!」」」

「なっやめろ! 近寄るなっお前達、上官に逆らうことがどういうことか、知っているだッ――や、ヤメロォォォオオオ!?」


 溜息をその場に残し、大捕物が繰り広げられている天幕を抜け出す。

 いつの間にカナタは自由になっていたのだろうか? どうでもいいな。

 どうでもいいことだが、いい天気だ。昨日と違って日差しが温かい。

 穏やかな風が、視界の隅で赤髪を揺する――


「ポォォォおおおおお!!!」


 音が意味をなす。土埃をあげる点が人影へと変わる。

 出会ってから四年。これまでも幾度となく同じことがあった。だが――


「今日は一段と、激しくなりそうだ……」

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