世界裏技大辞典
@SUN003
第1話 最も美味しいコーヒーの飲み方
目が覚めると、見慣れた天井。
自宅の、自室の、ではない。彼女の部屋の天井だ。
となりには彼女が寝ている。
朝の6時。昨日、ってか今日か。寝たのは4時間前の午前2時。
3発した後、……覚えてない。
乗っかられた体勢のまま寝てしまったのか。
正確に言うと、彼女じゃない。
彼女には彼氏がいる。年上の、社会人の、サラリーマンの。
でも、
「一番好きだよ」「もう彼氏と思ってるよ」
って言ってくれたから、彼女と思っていいだろう。
今年の夏にこの関係が始まり、今は冬。
いつになったら正妻、ではなく正彼氏になれるのか。
今は性彼氏ってか。やかましいわ。
ちなみに、言い訳じゃないけど、俺はこのコ一本だから。
まだ眠い。今日は火曜日。講義ばかりで実習はない。
彼女とほぼ同じ科目を履修している。彼女が起きる気配はない。
今日はいっか。さぼっちゃおう。
俺はベッドと彼女の背中の間に顔をうずめ、また眠りに入った。
・最も美味しいコーヒーの飲み方(112355/5556930012パターン)
注意点として、このコーヒーの飲み方を実践した後は、
この飲み方のコーヒー以外のコーヒーがとても不味く感じることが挙げられる。
まず、水で手を洗う。次にスキップで二メートル以上進む。次にこの七日間で一番笑う。次にライオンを肉眼で見る。次に自分より幼い人間に金をあげる。次に恋をしていない人とセックスをする。次に知り合い以上親友未満の友人にコーヒーを淹れてもらう。
最後に、上記の知り合い以上親友未満の友人から受け取ったコーヒーを飲む。
制限として、上記の工程を十二時間以内に行わなければいけない。
目が覚めると11時過ぎになっていた。
彼女は起きていて、キッチンで料理を作っているらしい。
「あ。起きた?」
体を起こして見ると、彼女が鍋をかき混ぜながらこちらを振り向いていた。
いわゆる裸エプロンではない。裸のまま料理をしている。
全然面白くない。裸エプロンに特別な感情や意見を持っているわけではないが、せめて裸ならエプロンぐらいつけろ。と、そう思った。それに、暖房がついているとはいえ寒くないのか。
「なに作ってんの?」
「ポトフ」
いい匂いだ。誰だって作れる。無難な野菜を適当に切って水で煮て固形のコンソメを入れればいい。
「お昼からどうする?」
彼女の言葉は、本日は大学をサボってどこかデートに行く、という内容を孕んでいた。俺はそのことに気づきながらもこう言った。
「講義はどうすんの。三限からならまだ間に合うよ」
答えはとうに分かっているのに。
「いかない」
「なら俺もいかない」
二人とも裸のままポトフを食べ、ポトフ味のキスをして、今日は動物園に行くことにした。彼女が下宿しているここから電車で20分ぐらいのところにある、平日はガラガラで週末も比較的空いている動物園だ。
動物のにおい。主にフンのにおいだろう。嫌悪、とまでは言わないが、小さい時から慣れない嫌なにおいだ。
動物好きの彼女は嬉々として俺に説明してくる。このサルはどうだの、あの鳥はどうだの。
聞き疲れたのでトイレに逃げた。尿意がなかったのに便器を見るとしたくなるのは、なんていったっけ。
小便を済ませて戻ってくると、彼女が俺の手首を掴んだ。
「こっち!」
見たい動物でもいるのか、何かイベントでも始まったのか。
彼女の跳ねるような足取りに、俺の足もスキップのようになった。
広場のようなところまで連れられ、彼女が笑顔で指さす方を見ると大道芸人が芸をしていた。
ピエロの恰好をしたその人は、大玉の上に板を乗せ、その上に乗りながらジャグリングをしている。
なんだよ。こっち、って子供みたいに言うから動物かと思ったら大道芸かよ。
ピエロが大玉に乗りながら解説をする。最後に大技をして終わるとのことだ。
「成功したら、どうか、大きな拍手を、お願いしまーす!」
するとそこに、大きな影が通り過ぎた。見上げると灰色の大きな鳥が羽ばたいているのが目に入ってきた。と思った瞬間、灰色の大きな鳥はピエロに襲い掛かり、大玉に乗ったピエロはただでさえ不安定なのにたまらない。
「ううえわあ!!」
ピエロは素っ頓狂な声をあげながらジャグリングの輪っかをまき散らし、快晴の寒空の下、盛大に地面に落ちた。
いつもはおとなしい鳥がなぜか柵を飛び越え逃げ出してしまったらしい。
動物園職員の手により灰色の大きな鳥はほどなくして捕まり、腰から落ちたピエロは担架でどこかに運ばれていった。
俺は終始、その様を見ながら笑っていた。
彼女からの、カバ、ライオン、キリンなどの説明を聞きながら、俺はそれなりに動物園を楽しんだ。
「なんだかつまんなさそう。もう帰ろっか」
と、ちょっとふくれっ面の彼女。
「いや、楽しいよ」
と、微妙な笑顔を浮かべる俺。三時間ほど大して興味もないことについて説明されたら誰だって微妙な笑顔になる。でも楽しいのは事実だ。
楽しんで気分が良い証拠に、帰り際、見知らぬ子どもにアイスを奢ってあげた。普段であればガキにアイスを奢るなんて絶対にしない。それにあやす意味もあった。
トイレの前で泣いていたからあやしていたのに、トイレから出てきたお母さんに怪訝な表情をされ、「やめてください」なんて言われた。クソ親が。
動物園の近くの店で軽く夕ご飯を済ませ、彼女の下宿しているマンションに帰った。
夕方。テレビでたまたまやっていた馬の交尾の様子を見た彼女が、馬の交尾についてのうんちくを話し始めた。俺は笑いながら話す彼女をベッドに軽く押し倒した。
ことが終わり、二人でシャワーを浴びて、ベッドに寝ころびながら話していると彼女の電話が鳴った。
「もしもし……。うん。今? 家だけど」
どうやら彼氏(現)らしい。
「え、急に困るんだけど。うん……。うん。……わかった」
彼氏(予定)の俺は、彼女の電話を切る表情で分かった。
どうやらこれから彼氏(現)がここに来るらしい。
時計を見ると二十一時ちょっと過ぎ。そうだ、あいつの家に行こう。
「俺もう帰るよ」
「ごめんね」
「謝らなくていいよ」
俺は彼女の下宿しているマンションの斜め向かいのマンションに向かった。
「なんだよ急に」
「すまん」
「またかよ」
と言いながらも、そいつは俺を部屋の中に入れてくれた。
同じ美術学科で一回生の時からの友人、村枝だ。
友人になったきっかけは、……なんだっけか。たばこの火貸してくれって、あの時からか? 覚えていない。まあ、友人になったきっかけなんてどれも大したもんじゃないだろう。
「もう飯食った?」
「ああ」
「シャワー入ってくるけど、一緒にどうだ?」
ゲイのこいつと一緒に入る勇気は、俺にはまだないし、
「さっき入った」
「またかよ」
以前にも、彼女の彼氏(現)との接触を避けるために村枝の部屋を使用させてもらった。二、三度…、いや五度ほど?
こいつは独り身だから、まあいいだろう。友人が遊びに来ているだけだ。
「お前まだあのコと会ってんの?」
鏡の前、シャワー上がりの顔に何かしらを塗りながら、村枝は俺に言った。
「いくら自由な大学生でも、浮気はダメでしょ」
「俺が浮気してんじゃねえよ。あのコが浮気してんの」
「意味は一緒でしょうが。とっとと別れさせなさい」
自由な大学生。いいじゃないか。
「俺は青春を謳歌したい」
「彼氏持ちと遊ぶことを青春って言う? 爛れてる」
村枝は酒を好んで飲むが、俺は飲まない。どんな酒でも、普通のコップ半分で酩酊状態になってしまう。
だから村枝はいつもコーヒーを淹れてくれる。ジュースを好まない村枝の部屋の冷蔵庫には、酒とコーヒーとナッツ類しか入っていない。
肌のお手入れの後、村枝はいつも通りコーヒーを淹れてくれた。淹れる、と言ってもインスタントだ。
美味くもなければ不味くもな……。
「……!」
村枝がくれたコーヒーを口に入れた瞬間、目に入るすべてが黄金に輝いた。口の中から命の泉があふれ、全身が極彩色の虹になり、脳内は夜だってのに晴れ渡り、心は光速で空を舞った。
「なんだこれ美味いいああわあわ!」
これまで飲んできたコーヒーはおろか、全ての飲料の記憶が吹き飛んだ。
俺の四肢はあまりの美味さに勝手に暴れだし、村枝の部屋にコーヒーをまき散らした。
「な、なにやってんのだよ、おい!」
「うままままっままままっまあままああああああ!!!」
脳が美味しさを理解できず、二、三分の間、俺は錯乱状態に陥り、村枝の部屋を荒らした。
俺には知る由がなかった。
このとき、最低な俺と、最悪なあいつの、人類存亡を賭けた戦いが始まったことを。
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