三幕

1.「うちお祭り好きだから毎年楽しみにしてるんだよねー」

「ほんっと、セミの鳴き声って耳障りだわ」


 海付うみつきゆいは街路樹の上方を睨み付けて口をへの字に曲げる。ちょうど西日に当てられて、余計に目を顰めて見せると今度は僕にその眼光を向けてきた。


「ねえ、今日はもうこの辺でお終いにしましょう?」

「うーん、そうだねぇ」


 不意の提案を、僕は受け入れて頷く。気の抜けた返事は暑さにやられてのものだ。夏服のカッターシャツの中はすでに汗でびしょびしょだった。


 アーケード街から路面電車で少し離れた町は、老舗と古いアパートが建ち並ぶ辺鄙な所だった。空気を吸えば畳の香りがしそうな、薄暗い雰囲気の建物たち。たまに見かける飲食店はレトロな喫茶店や油汚れの酷い暖簾のラーメン屋、持ち帰り専用の和菓子屋と狭い居酒屋。どれも、若い僕らには縁のなさそうなものばかり。


 路面電車が通る大通りに沿っているにも拘らず、まるで末端の田舎にでもやってきたような気分になっていた。田畑の代わりにあるのは、やたらと広い駐車場や人が住んでいるのかも分からない古民家。

 道路だけは舗装工事が行き届き、広い歩道には青い葉を増やした街路樹が等間隔に植えられている。綺麗な町並みだが、いかんせん建物の古さが足を引っ張っているような気がした。


 アーケード街を中心に、円を描くように走る路面電車は東西南北とあらゆる地域に運んでくれる。町はそれぞれ独特の雰囲気をもち、大きな病院や立派なマンションが立ち並ぶ地域もあれば、ここのように寂れた場所もある。

 市電一つでどんな雰囲気の町にも行ける。僕らが住む市はそんな世界だった。


 梅雨が明け、本格的な夏が始まっていた。七月十九日、今日は終業式とロングホームルームだけで学校は終わり、昼には自由の身になった。明日からは夏休みだ。

 いつもより長い放課後を、僕は魔女捜索の時間に当てることにした。去年にはすでに回りつくした町にもう一度足を運ぼうという気になったのは、やはり海付の助言が大きい。魔女に会ったという事実が、これまで消失していた意欲に火をつけた感じだった。


「簡単に見つかりっこないわよ。手がかりなんて、私が遭遇したっていう事実だけなんだし」


 額の汗を拭いながら、海付は弱音を吐く。

 彼女はそこそこ愚痴が多い。それはこの二週間ほどで気付いたことだ。


「やっぱり、君の気持ちに魔女は反応しただけなのかな」

 

 僕もシャツの胸元をパタパタと仰いで答える。昼過ぎの太陽は一段と日差しを強くしている。

 

「元の体に戻る気が無いことに?」

「そう。必要なときにしか現れてくれないんだったら、この捜索は骨折り損だよね」

「私はまだ、戻りたいなんて思ってないわよ」

「またそんなこと言うよ」


 素直じゃない。確かに海付の口からはっきりとその言葉を聞いたわけではないが、彼女の中では確かな心変わりはあっただろうと確信できている。

 梅雨時期のころに比べれば今の海付は前向きになった。まず僕の言葉を拒否しなくなったことが大きく、少なくとも、協力的にはなっている。この二週間も何度か四人で集まり、魔女に関する互いの情報交換を行った。時間は決まって放課後で、場所は図書室だったり、街のファストフードだったり。その間、海付に断られたことは一度もなかった。

 今日だって、断られることを覚悟の上で誘ってみたら乗ってくれたのだ。二週間前だったら開口一番に振られているに違いない。それは紛れもない心情の変化があったからだと思う。魔女も、そんな海付に気付いていそうだ。


 暑さもあって、僕は海付のいつもの文句にてきとうに答える。足は自然と来た道を戻り、最寄りの市電駅に向かっていた。時刻は午後三時、今日はここらが潮時な気がした。


 車内の冷房に癒されながら運ばれること三十分。アーケード街に近い駅で降車した僕らは、そのまま暑さから逃げるように、街中のデパートの中へ入った。

 海付の提案でその一階にあるクレープ屋に立ち寄り、それぞれドリンクを購入してから休むことに。僕はサッパリしたオレンジジュース、海付は最近やたらと流行っているタピオカドリンクを買っていた。


 ドリンクは汗をかいた体に染みわたる。近くのソファに座った直後、歩き疲れて鉛のように重かった足からは疲労が抜けていくのが分かる。一度座ると尻に根が生えたように動くことを拒み、僕らは夏休みの宿題のことや、教師の悪口や、幸四郎こうしろう赤星あかほしについて他愛無い話をしながら長い休憩を取っていた。ドリンクを飲みほした後でも、双方自ら立ち上がろうとはしなかった。


「前の学校でも、赤星さんみたいな人はいたの?」

「ううん、一人もいなかったわ。だからけっこう、しんどかったかもしれないわね」

「でも、仲が良い人はいたでしょ。その人に相談しようとか思わなかった?」

「んー、あんまり言いたくないけれど、私イジメられてたし」

「え、そうなの」


 平常心を装ったものの、その意外な答えに戸惑った。何だか訊いてはいけないことを訊いた気がして、どう続ければいいのか分からなくなる。


 こう言うのもおかしい話ではあるが、イジメはよくあることだと思う。どの学校にだってそれは風習みたいな形で発生し、日常茶飯事なものとなってしまっている。僕が通っていた中学でも遭っていたし、今の高校でも、もしかしたら知らない誰かが犠牲になっているかもしれない。

 だから、何ら珍しいことではない。


 意外だったのは、そのターゲットが海付さんだということ。確かに、愚痴は多いし融通の利かないところもあるけど、基本的には誰とでも上手い距離間で立ち回れる性格をしていると思うのだ。今のクラスにだって馴染んでいるみたいだし、彼女はイジメとは無縁の世界の住人に見えていた。


「何も珍しいことではないでしょ。よくある話だから」


 僕が黙り込んでいると、海付はそう言って底に残ったタピオカを吸い上げる作業に没頭しだす。詳しくは言わない。そういう態度に見て取れ、僕も執拗に言及することはしなかった。

 胸の中にモヤモヤとしたものが残っても、それを消化できる術を持っていない。


 別の話題を振ろうか。

 ふと見上げた視界の中にクラスメイトを見つけたのは、そんなことを考えたときだった。


「お? 浅久野くんじゃん。奇遇ですなー、三時間ぶり!」

村枝むらえだじゃん。何やってんの」


 僕を見つけるなり気さくな態度で近寄ってくる彼女に、片手を上げて挨拶を返す。ボブカットはこの暑さにも関わらず汗に負けじとサラサラ感を保っている。


「そりゃこっちのセリフだし。何だよー、女の子なんて連れてさ。興味無いんじゃなかったのかよ」


 自称コンプレックスの八重歯を見せて卑しい笑みを浮かべる村枝は、隣の海付にも同じ表情を向けておちょくってきた。

 僕は面倒くさい表情を隠すことなく、顔の前で手を振って見せる。


「そういうんじゃないよ」

「んだー? 隠すなしー。こんな美人さんを捕まえて、君も隅に置けないやつだね」

「本当だって。ね、海付さん」


 助け舟を求めると、海付は口からストローを離して僕を見詰め、改まったように村枝を見上げた。表情が、余所行きの顔になった。


「浅久野くんの言う通りですよ。私、この春に転校してきたばかりなので、ここら辺の地理に詳しくなくて。道に迷っていたらたまたま同じ制服を着た彼に出くわしたものだから、道案内をしてもらっていたんです。これはそのお礼ですよ」


 驚いたものだ。

 よくもまあ、こんなにもスラスラと嘘が出てくるものである。それも説得力のある、まるで本当のような嘘。

 やはり、海付は人との立ち回りが上手い。ますます嫌われるような人間には見えず、イジメの話までもが実は嘘なのではないかと思ってしまった。


「ありゃ、そうだったんだ。ごめんね、早とちっちゃって」


 村枝は僕ではなく、海付に向けて両手を重ねる。本人から否定されて、引き際を見定めた感じだ。


「大丈夫ですよ」


 海付も柔和に笑って返す。そのニッコリスマイルも、僕には向いたことの無いものだ。二人の態度は僕と話すときの雑さとは違う気がして、何だか複雑な気持ちになった。


 と、不意に村枝が腰を折って僕の側へと顔を使付ける。首に柔らかな腕を回して来たかと思えば、手を口に垂直に当ててコソコソと耳打ちをしてきた。髪からシャンプーの良い香りがした


「すごく良い子じゃん。美人だし、せっかくなんだから狙っちゃえば? たぶん彼女、君に気があるよ」


 軽率かつお節介な言葉に、僕はげんなりする。


「何言ってんだよ。会ったばかりだぞ」


 嘘に乗っかって文句を言った。

 村枝の言葉はてんで見当違いだ。海付が僕に気があるなんて、天変地異が起こったってあり得ないことなんだから。呪いの件で恋愛にトラウマを持っているのだし。

 

 仮に呪いが解けたところで僕なんかを選ぶとも思えなかった。嫌われているとは思いたくないけど、『好きな人間』からは除外されている気がする。僕らの繋がりはあくまで『魔女から呪いを受けた人』であって、一緒にいるのは自ら望んでのものではなかった。


「これから発展させていこうぜ」

「バカ言うなって。ほら、もう、暑苦しいから」


 サラサラ肌の腕を握って首から外す。村枝は「ちぇ」とわざとらしく唇を尖らせてから、海付に卑しい笑みを向ける。

 微笑みかけられた海付は、口角を上げて会釈を返す。


「あまり絡むなよ。てか、用事があるんじゃないの?」

「おー、そうそう。今日はお祭り用の浴衣を見に来たんだ! ばあちゃんがお小遣いくれたから」

「ああ、八月の?」


 訊いてもないのに話すのは、単に自慢したかっただけだからだろう。調子に乗らせるのも癪だったので、僕は話題を変えてそう返答する。


「そそ。うちお祭り好きだから毎年楽しみにしてるんだよねー。浅久野くんは誰かと行かないの?」


 視線が、僕から海付へ向く。また面倒な話を膨らまされそうだったので、もう下手なことは言うまいと口をへの字に曲げた。


「予定なしだよ。さて、僕らはそろそろ行こうかな。じゃあね村枝、また新学期に」


 ソファから尻を浮かせながら、ひらひらと手を振って見せる。夏休み中にとくに会う約束は無いから、このセリフは決して冷たいわけではないだろう。


「うん、またねー」


 村枝はそんな雑な挨拶を気にする様子もなく、悪戯な笑みを浮かべながら上りエスカレーターの方へ去って行った。

 僕はため息を一つ落として、海付へ視線を配る。


「ごめん、あいつ変でしょ。前からマイペースな奴でさ」

「ええ、とても不愉快になったわ」

「ハッキリ言うね……」


 でも確かに、海付さんは苦手なタイプかもしれない。村枝の距離の縮め方は誰よりも急すぎるのだ。二人はあまり相性が合わなさそうだと思った。


「ところで、お祭りって?」

 

 村枝のことなんか鼻から興味が無いような切り替えの良さだ。機嫌を悪くされるよりも断然マシなので、僕は再びソファに座り直して質問に答えることにした。

 

「八月の第一金曜日と土曜日に開催される『火の国まつり』だよ。初日には花火が上がるし、『おてもやん総おどり』って言うんだけど、祭り中には五千人の踊り手たちが市内の中心部を踊り歩くんだ。ちゃちゃちゃ、ちゃっちゃっちゃちゃっちゃちゃっちゃ、って音楽聞いたことない?」

「無いわよ。何それ」

「おてもやんサンバ、って言う民謡をアレンジしたものなんだけど。昔から夏になるとこればっかりCMで流れるんだよね」

「へぇ、その民謡に合わせて皆が踊るのね」

「そうそう。盛り上がるし、けっこう楽しいお祭りなんだよ」

「面白そうね」


 意外にもお祭りに興味があるのか。

「行ってみる?」と出そうになった声は寸でのところで引っ込める。行きたくないわけではなく、このタイミングで海付を誘うのは気が乗らなかったのだ。

 それこそ村枝の思う壺だと思った。海付に変な誤解を生ませるのも面倒な話だし、また幸四郎こうしろう赤星あかほしがいるときにでも思い出したら言ってみようと考えた。


「何だかんだ毎年行っちゃうんだよね。去年も幸四郎と一緒に行ってさ、あいつ飛び込みで踊り子に交じって踊り出したんだよ。しかも全然振り付け違うの。踊り子たちも若干引いててさ」


 そのとき僕は思い出す。

 忘れていたことが不思議なくらい、それは今の僕らにとって重要なことだ。


「どうしたの?」


 首を傾げる海付の目を真っすぐ見る。急に黙ったからか不安そうな表情を浮かべている。

 僕は出来るだけ落ち着きながら、思い出したことを彼女に教えた。


「そうだ、火の国まつりのときだったんだ」


 海付が、眉間にしわを寄せる。何がよ? 言葉にしなくたって、彼女が言わんとしていることが手に取るように分かった。


「僕が、魔女と出会ったのは」


 何度も瞬きを繰り返す彼女の眉間から一気にしわが無くなった。

 互いを見つめ合いながら、僕は4年前の夏の夜のことを思い出していた。

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