5.「私だって、好きでこんなにグズグズしてるんじゃないわよ」
ミートボール、アスパラガスの肉巻き、卵焼き、ブロッコリー、ミニトマト、ゴマのかかったお米、昆布の佃煮。小さなお弁当箱にはたくさんのおかずが詰め込まれていた。
それを一つ一つ、半分ずつ食べていって、ご飯とおかずがアンバランスにならないように、それでいてどれも最後まで均一に無くしていけるように配分するのは、もはや食事のクセとなっている。両親による三角食べの教育の賜物だ。
ところが、それぞれを丁度半分くらい食べきった頃だった。和気あいあいと
予感はしていた。予想もできた。今朝のことがあってから昼休みまで、いつ来るのだろうかと変な緊張感を持って過ごしていた。一限目、二限目、三限目と休み時間をそんなくだらない心配に費やし、やっと訪れた昼休み、もしかすると放課後に現れるのかもしれないと油断し、いつものようにお弁当を広げ食事を楽しんでいたところ、嵐は不意にやってきた。
身長差に凹凸のある(片方が大きいだけだが)二人組に急かされるようにして平らげたお弁当の後半の味はろくに覚えていない。私たちが食事を終えるのを廊下で待ってくれていたけれど、それを気にせずランチを楽しめるほど神経は太くないのだ。梨子に至っては何度も物を喉に詰まらせかけていた。
そんなこんなで苛立ち半分に、私たちは
思惑通り、生徒数の少ない図書室には本のページをめくる音と、ノートに字を書き連ねる音、ほんの少しの私語だけが聞こえていた。話し合いをするには打ってつけの環境だと思える。私たちは本もノートも広げないまま、貸し出し用のカウンターから一番遠い広いテーブルの一角を占領した。
話は、初めから本題に入った。
「幸四郎から聞いたよ。昨日あれから、魔女に会ったって」
「それだけじゃないでしょ。だから私のところに来たのよね」
命はそわそわと落ち着きなかった。きっと早々に例の件を聞きたがっているのだと察する。私もできることなら早く彼らから離れたかったから、そう促した。
「呪いを解く方法は、本当にあるんだね」
「どうして誰もかれも疑い半分なのよ」
「君しか魔女に会ってないからだよ。それくらい、僕らにとっては衝撃の事実なんだ」
「四年も姿くらまして、
緒方の言葉に命が追い風とばかりに頷く。隣の梨子も、多少納得する素振りを見せた。何よ、私の味方はいないわけ?
「魔女は、他に何か言ってなかった?」
唇を尖らせていると、命が次の質問を投げてくる。歯止めを取ったのは私だけれど、こうガツガツと来られると急に面倒くさい気持ちが浮上してきた。説明してやらなくもないが、気分は乗らない。まだ早食いしたお弁当の中身が食道に留まっている感覚もあり、げんなりする。
「元の体に戻る方法は教えてくれなかったわ。教えないって言われたし。気になることはいくつか言っていたけれど」
「例えば?」
質問攻めに、つい眉間にしわを寄せてしまう。すぐに表情を戻すが、やはりどうにも彼は苦手だと思った。
「そうね、確か」
私は少しばかり考えた。正直、魔女の言葉の全てを覚えているわけではない。彼女もマイペースに物事を語るものだから、頭が整理できないままに内容を詰め込まれていた。まるで子供のおもちゃ箱のように、何かが見つかりそうですぐには見つけられない感じだ。
十秒ほどで整理し、思い出した中でも印象深いものを上げてみる。
「私がこれからどうしていくのかを見たいとか何とか。私次第で呪いは毒にも薬にもなる、みたいなことを言っていたわ」
「なんだそりゃ。どっかから観察でもしてんのか?」
緒方が腕組をして難しい顔をつくる。抽象的で分かりにくいのは私も同じで、上手い説明はできない。
「いつも私を見てるとは言ってたわね」
「ええ、今もどっかから見られてるのかな」
梨子が不安げに辺りを見渡す。私にも分かりかねて、さあ、と首を傾げて見せると余計に心配そうに表情を曇らせた。
「ただの呪いじゃない、ってことかな」
顎に手を置き考える命の言葉が、私の中の記憶をもう一つ掘り起こす。
「そういえば、私が呪いって言ったら、妙な反応をされたわ。納得いってないというか、まるでそれ以外の答えがあるような言い方だった。この解釈が浅はかとまで言われる始末よ」
「あくまで魔女の中では、呪いという解釈じゃない」
「さあ、決定的なことは何一つ教えてくれなかったし。不憫に変わりはないわ」
真面目に考える命と違って、私はやはりそこまで真剣にはなれていない。呪いを解く方法は知れればいいけれど、知ったからって戻れる保証も無いのだ。
それに私自身、そういう形で救われようとは思わない。背負わなければいけないのなら、一生背負ってやろうとまで考えているのだし。
「命のことについては、何も言ってなかったのか?」
「いいえ、何も」
「そうかよ」
ここまで話しても、魔女の言葉は私たちの問題を解決するにはまだ足りていない。三人の表情はまさに昨日の私と同じだ。何かが得られたような、でも実際には何も理解できていない消化不良を起こしている。
唯一明確な、元の体には戻れるという事実。しかしそれが分かっても、道筋が無ければたどり着くことは難しい。歩いた先が真反対ならば、それは途方もない旅になる。私に、そこまでする覚悟は無い。
「魔女ともう一度、会うことはできないかな」
「気まぐれで会いに来るとは言ってたわ」
「そんないつかの話をしてるんじゃないよ」
「知らないわよ。私から接触できたら苦労なんてしてないわ」
苛立ち。疲労感さえ覚えてくる。命と話すと体力を削られる。神経を使っているのが自分でも分かる。
「でも君は魔女に会えたんだ。昨日の出会いは本当にたまたまなのかな」
「路面電車から見えた魔女を私が追いかけたのよ。偶然だし、たまたまでしょ」
「魔女が意味もなくそこら辺を出歩くの?」
「魔女の思考なんて読めないわよ。散歩でもしてたのかもね」
半場投げやりに返す。この言い合いに生産性があるとは思えなかった。不毛なやり取りに費やす時間が急にもったいなく感じる。言える話はもう無いのだし、早々に切り上げて梨子と教室でゆっくりしたい。
「魔女は君に会いに来たんじゃないのかな」
馬鹿げている。率直にそう思った。
「今さら会う意味があるの? 四年も放置しといて」
「何かを伝えたかったとか」
鼻で笑ってしまう。魔女がそんな良心的な奴だとは思えない。
反論しようと口を開けた。
しかし、それよりも先に発した梨子の声に、私は言葉を呑み込む。
「たしかに、ちょっと変かもしれない」
私を含め、みんなが梨子を見た。
梨子は注目されたことに少し恥じらいながらも、続ける。
「だって、
一同、何かに気付いたように表情を硬める。言われて初めてその違和感に気付いた。
「実は気になってたの。浅久野くんと結の呪いは同じで、魔女が一人しかいないなら、彼女はその距離を行き来してたってことでしょ。気まぐれで誰かに悪戯しているなら、わざわざそんな手間をかける必要ないよね」
「ちょっと待ってよ。それってつまり、私たちは元々狙われてたってこと?」
「確証はないけど、そう考えるのが自然な気がするの。そして昨日、魔女から結に近付いたんだとしたら、結がこの町に引っ越してきたことを知ってたっていうことだよね。監視してるんだとしたら知ってておかしくないと思う。辻褄が合うの。わたしは、浅久野くんの言うことを邪険にできないと思うよ」
私は黙りこくってしまう。反論が思いつかなかったのだ。
梨子の言葉を真に受けようとする自分がいる。不本意にも、パズルのピースが嵌っていいく感覚を覚える。
「俺も、赤星の考えは一理あると思うぞ。命と海付、魔女はお前ら二人に何かを求めてる。何か計画があるのかもしれん」
「でしたら、昨日の再開は偶然じゃない可能性の方が高いと思います」
「海付さんに何かヒントを与えに来たのかもしれない。そうする必要が魔女にはあったんだ」
「海付の背中を押すメリットが魔女にはあるってことか?」
「多分ですけど。何か行動を起こさせようとしてるのかもしれません」
「呪いが毒にも薬にもなる……」
「選択肢があるのかもしれませんね。結と浅久野くんに何かを決めさせようとしている」
「昨日、海付さんに接触したのが、計画を進める為だとしたら」
「つまり、そうしねえと海付が計画通りに動かなかった」
「計画が滞る危機を感じて、魔女は結に会った? 偶然を装って」
最後の梨子の言葉が、三人の中の何かの決定打になったらしく、顔を見合わせたかと思えば揃って私を眺めてくる。当事者が蚊帳の外なことに不本意さを覚えながらも、私は梨子の言葉を自分の中でかみ砕いていた。
そういうことか。三人の憶測が仮に正しいのなら、魔女をおびき寄せたのは私ということになるのだろう。私の思考が魔女を行動に移させた。昨日の再会は偶然ではなかった。
「……バカみたい。深読みし過ぎよ」
理解していながらも、私はそう言ってしまう。
気に入らなかった。自分の意思とは関係なく何かが進み続けている感覚が。私の気も知らないで話を盛り上げる三人の姿が。
「結……」
梨子は私の全てを知ったように、不安げな表情を浮かべる。否定したかったけれど、事実彼女には私のほとんどを打ち明けている。今、私が何を考えているかくらいは分かるのだろう。
視線を逸らすことで、梨子に背を向けるのがやっとの反抗だった。しかし逸らした視線の先にも、だいぶ厄介な人がいた。
「やっぱり、君はあまり前向きじゃないんだね」
命が発した言葉がどういう意味かなんて、すぐに分かる。ひと睨みして、彼からも視線を逸らす。まるで不貞腐れた子供のようだと自分で思った。
「元の体に戻ることを拒否しているんだ。だから魔女は海付さんのところへ現れたんだ。君が何もしないのは、魔女にとって不都合なんだよ。いや、それは僕にとっても同じことだ」
また、分かったようなことを。でも真っ向から否定できない。
もうほんと、嫌いだわ。この人は苦手だ。ズカズカと他人の領域を土足で踏んで荒らしてくる。放っておいてほしいのに、そうしてくれない。触れてほしくないところをピンポイントに触ってくるのだ。厄介な人だ。
「事情があるのかもしれないけどさ、君のその行動は何の解決にもならないと思うよ。いつまでもそんな体ではいられない。いつか、それは海付さんの心を蝕んでいく。僕だって同じなんだ。僕らは協力し合わないと、手遅れになる前に」
私は立ち上がる。考えるよりも先に、衝動的に。
椅子の足が大きな音を立てる。周りの生徒が私たちを見る。うるさそうな表情を浮かべているのかもしれないけれど、視界の端ではろくのその顔色を窺うことはできない。
命の顔を真っすぐ見据えるので精いっぱいだ。筋肉が固まっているみたいに、微動だにせずしばらく対面の彼を見詰める。睨む。息が少し荒くなる。
「もうとっくに、私の心は蝕まれているわよ」
震えながらも、私はそれだけを口にした。
「結、落ち着いて」
「ごめん梨子。ちょっと今は一人にして」
泣きそうな彼女を一瞥して、もう一度命を睨み、私は踵を返してテーブルから離れた。座ったままの三人に一度たりとも振り向くことはせず、真っすぐ図書室の出入り口へ向かって歩く。
歩幅は広く、足取りは早く、いつもよりも上履き底の音は大きくなってしまっている。
拳を握りしめていることなんかに、途中まで気付かなかった。体のどこかしこに無意識に力を入れている。歩みが乱暴になっているのもきっとそのせい。もっと言えば、命たちのせい。
いい加減にしてほしい。どいつもこいつも、自分のことばかりだ。呪いを解くことが一番の解決策だと思い込んでいる。それが私の幸せだとも思い込んでいる。勘違いも甚だしい。そんな単純な問題ではないことに、どうして誰も、梨子でさえも気付いてくれないのか。
頼んでもいないのに、私を巻き込むな。戻りたいなら命一人で戻ればいい。自分の意志を、自己満足のオナニーを押し付けてくるな。ああ、もう、何もかも、ムカつく。
「私だって、好きでこんなにグズグズしてるんじゃないわよ」
廊下を歩く私に目的地は無かった。教室に戻る気分でもない。でも止まってしまうともっといろいろと考えてしまいそうだったから、とにかく歩き続ける。
昼休みで、生徒が多く行き交っている。騒がしい校舎。命たちの声を打ち消すには丁度良いと一瞬だけ思えたけれど、次第にそれさえも耳障りになってきた。
静かな場所を求めて、旧校舎へ向かう。こういうとき、屋上が解放されていれば迷わずそこに行っただろう。でもこの学校は常に扉が施錠されている。屋上は立ち入り禁止で、映画なんかでよく見る高校生の青春の場所とは程遠い。
今、一番静かな場所。一つだけ思い付いて、その場所へ向かうことにする。
次第に生徒の数が減ってくる。また命の声を思い出す。舌打ち。
「もう、何もかも手遅れよ……」
誰に言うでもなく、そう呟く。静かな廊下に、声は嫌にはっきりと、自分の耳に返ってきた。
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