5.「こんなブサイクを結が好きになるわけがないか」

 校門の側に建てられた学生寮内に設けられている学食は、賑わう昼休みの面影を残すことなく閑散としていた。


 昼は在校生、夜は寮生の為に開放されるが基本的に一日を通して自由に出入りすることができる。

 ウォータージャグの中でキンキンに冷えた麦茶は飲み放題となっていて、それは学食に赴いた生徒たちの喉をこれでもかというほどに潤していた。


 緒方おがた幸四郎こうしろうはすでに三杯目の麦茶を手の平におさまる小さな紙コップに注いで飲み終えようとしていた。

 窓際に設けられた8人がけのテーブルの一部を占領した僕らだったが、飲んでは立ち上がるを繰り返す幸四郎のことを考えれば、もう少しウォータージャグに近い場所に座れば良かったかと思わなくもない。


 相手が相手なので、思うだけで別段行動に移すことはしなかった。


ゆいはもうすぐ来ると思います。少し用事を済ませてくると言っていましたので」

「急だから仕方ないよ」

「すみません……」

「気にしなくていいさ」


 幸四郎が紙コップを空にしながら言うと、赤星あかほし莉子りこはまたすみません、と頭を下げる。


「それにしても、今年の春に転校してきたばかりでもう告白されるとはなぁ」


 幸四郎が天井を仰いだのには、彼なりの配慮があっての行動なのだろうと思えた。

 謙虚な赤星を気遣って話題を変えたに違いない。


 共通点が少ない僕らが発信できるのは、海付うみつき結に関する内容くらいのものだった。


「嫉妬してるのか?」


 僕は悪戯な笑みを浮かべて返答する。

 すると幸四郎はつまらなそうな顔になった。

 

「そんなんじゃねえよ。単に、モテんだなーって思っただけだ」

「そうだね。幸四郎に勝ち目はなかったよ」

「ちょっとまて、俺は誰と戦わされてんだ」

「この世には選ぶ権利がある人と、選ぶ権利がない人の二通りの人間がいるんだよ」

「おいこら、どういう意味だ。可哀想なやつを見るような目を向けてんじゃねーっ」


 イジられた幸四郎は耳を赤くして必死になっていた。

 昼休みの玉砕ぶりと、振られた相手の友人を目の前にしてバツが悪くなっている。

 僕は気にも止めずに、指をさして笑ってやった。

 幸四郎は今度は顔を赤くした。


 そんなやり取りの最中、赤星の小さな笑声が聞こえてくる。

 本日二度目の笑顔が見えた。

 彼女の笑顔にはクシャ、と崩れる子供のような可愛さがあった。


「すみません、あまりにも二人のやり取りが面白くて」

「笑い事じゃねえよ赤星!  俺は今すごくナイーブになってんのに」

「自分で言うか? そのゴリラ顔でナイーブは詐欺だよ」

「詐欺とは心外だよ! ゴリラでも俺だって人の子だよ! いやゴリラじゃねえよ!」

「ぷっ、くくっ……もう、やめてくださいよっ」


 何かが赤星のツボに入ったらしく、彼女は懸命に堪えながらも、耐えられないものが膨れた口から漏れ出ていた。


「赤星……俺の顔はそんなに面白いのか……」

「ぶふっ! ちがっ、そういうんじゃなくっ……」

「学名、ゲジまゆ筋肉オバケゴリラ」

「っ……ふぐぅっ……ひっひひひ」


 ついに我慢は限界を迎え、赤星はテーブルに突っ伏して肩を震わせた。


 空気が和らいだのは言うまでもない。


 僕は満足気に頷き、幸四郎に目を向ける。

 彼は彼で、納得のいかない顔でこっちを睨み見てきた。


 ゲジ眉が、ヒクヒクと動いている。


「茶、ついでくるわ」


 そうして不貞腐れたように、四杯目の麦茶を注ぎに立ち去った。


 やりすぎたかな。

 僕は舌を出して、ちょっとだけ反省した。


 出入口の方から慌ただしい足音が聞こえてきたのは、そのときだ。


 パタパタ、と安い上靴を踏み鳴らす音は、あまり騒がしくない館内に響く。

 出入り口に目を向けると、赤星も振り向いて同じ方向を眺めた。


 現れた女子の姿を見て、僕は少し緊張した。


「やっと来た。結ー」


 赤星が安心したように、手を振って呼ぶ。

 海付結は迷うことなく僕らを見つけると、一呼吸おいて、表情を引き締めツカツカと近寄ってきた。

 同じタイミングで幸四郎も席に戻る。


 やっと四人が会したテーブルには、重たい空気が流れた。

 赤星の隣に立つ海付の様子を眺めて、僕は違和感を覚える。


 一見、平然とする表情はその美貌を崩さないながらも嫌に硬い。

 鼻で呼吸する度に息苦しそうにしている。

 僕らを見据える瞳が、チラチラと赤星に向けられている。


 それは何か、焦っている様子にも受け止められた。


「どうしたの結、なんだか顔色が悪いよ」


 気付いたのは僕だけではないようだ。

 誰よりも距離の近い場所に立つ彼女の方が、海付の呼吸にも気付きやすい。

 走ってきたのは、ただ遅れたことへの罪悪感の為だけではなさそうだった。


 海付はもう一度赤星の目を見て、それから長いまつ毛を瞬かせながら僕らを見渡してくる。

 言いだし難そうに表情を歪める。

 

 あまり歓迎されていないのは目に見えて明らかだ。


「待たせておいて悪いけど、ちょっと急用ができたの。私たち、もう帰るわね」


 言いながら、そっと赤星の肩に手を置く。

 私たち、と言うからには二人で帰る気でいるらしい。

 

「ちょっと結、せっかく待っててくれたんだよ」

「仕方ないわ梨子。ほら、早く立って」

「どうしたの? 急用って何」

「いいからっ、早くして」


 なかなか思い通りに行動してくれない友人に苛立った海付が声を張ると、僕を含めその場の三人が緊張した。

 彼女の怒りは焦りから来ているように見て取れた。


「何か変だよ結。きちんと説明してよ」


 負けじと言い返し、尻に根が生えたかのように動かない赤星に、海付は舌打ちまでする始末だ。


 そこまでの用事があるのなら引き止めるわけにもいかないが、如何せん様子がおかし過ぎるせいで僕も幸四郎も戸惑うばかりで口を挟めない。


 女子二人の腕の引っ張り合いを眺めることしかできずにいると、「結!」と嫌に馴れ馴れしい声が出入り口の方から聞こえてきた。


 響き渡った声に、学食にいた数組の学生と、厨房で作業していた数人のおばちゃんたちと、僕らも一斉に声の方を振り向く。


 出入り口に立っていたのは、見知らぬ男子生徒だった。

 首や手足、目の形と髪の毛、どのパーツを取っても線が細い。


 僕は思い出す。

 赤星が説明してくれた、海付が自分のことを信じさせるために付き合いすぐに分かれたと言う、車に轢かれかけた男の存在を。


 まさかそんなこと、と思ったが、海付の顔を引いて後ずさる仕草を見ると、ただの想像で片付くことではないような気がした。


「結、もっとちゃんと話し合おう。まだ僕たちはお互いのことを理解できてないだけなんだ」


 男は必死の形相で、僕らが座る窓際の席へと近づいてくる。

 海付はテーブルに尻を押し付けながら、表情を引きつらせた。


「話し合いはさっき十分したわ。もうあなたと話すことなんか何も無い」

「あんなのが話し合いなわけがないだろ。一方的にわけの分からない嘘をついて逃げないでくれ」

「それを嘘と思う人に、理解は望めないわね」


 呆れたように鼻で笑う海付に対して、男は気に食わない表情を浮かべた。

 頼りなく傾いていた眉毛が、急に斜めに吊り上がる。


「君と付き合ったら不幸になるなんて誰が信じるんだ? そんなのオレを拒絶するための嘘に決まってるだろ! そんなことでオレが諦めると思ったら大間違いだ!」


 凶変、と言うべき態度。

 赤星が肩を震わせる。


 ジリジリと詰め寄ってくる男に反抗的な態度を取っているのは、海付ただ一人だけだ。


「ええ、大間違いだったわ。私がバカだったのね。あなたとなんか関わらなければよかった」

「もう遅い。オレは君のことが忘れられないんだ。なあ、頼むから、話だけでも聞いてくれ」


 情緒不安定のように、今度はまるで悲劇のヒロインよろしく懇願してくる男。

 海付は睨むだけで、首を縦には振らない。


 おおよそ話がまとまる。

 つまり彼は、本当に赤星の話の中に出てきた男子生徒で、振られても海付のことを追いかけまわし、内情を説明されても納得いかずにこうして学食にまで見つけに来た、というところだろう。

 

 海付が早々に帰りたがったのにも納得がいった。

 追いかけられている身で、校内で茶をすすりながらゆっくり話なんかできるわけがない。


「話はしない。お願いだからもう帰って。そして私に二度と関わらないで」

「そんな言い方……一度は付き合ってくれたのに、無責任だ! どうして……まさか」


 男の目が、僕らを捉える。

 周りから見ても、僕らと海付たちがグループを作っていることは一目瞭然だ。


 目を見開いた男が次に出す言葉は、何となく予測できた。


「どっちかと付き合ってるのか?」


 男の細く長い指が、僕と幸四郎を交互に差す。


「そういえば誰かが言ってたぞ。昼休みに結に告白してきたやつがいたって。お前らのことだな? お前らが結をたぶらかしたんだろ……どっちだ! オレの結を取ったのは」


 狭い瞼の間から、ギョロギョロとした目が僕らを睨んだ。

 さすがに背筋が震える。

 

 いちゃもんどころの話ではない。

 ただの勘違いで殺されるのではなかろうかと、恐々としてしまう。


 こうなると、僕にできることは何も無い。


「幸四郎、お前のことを言われてる」

「ぽいな」


 対して幸四郎だけは、男を前にして平然としていた。

 さすがと言うべき、脳筋野郎。

 学名、ゲジまゆ筋肉オバケゴリラ。

 

 僕が水戸黄門なら、こいつは助さんと格さんのどちらかだ。

 もしくは、どちらとも、である。


 海付と赤星が、僕らの様子を窺ってくる。

 矛先が向けられたのが幸四郎であることに気付く。


 心配そうな二人の表情に、僕は浅く頷いた。

 そして幸四郎に助言を一言。


「気を付けろよ」

「任せろ」


 ノシノシ、と幸四郎は巨体を揺らしてテーブルを回り、海付たちの前に立った。

 その広い背中は、頼もしい。


「……お前か、結に告ったクソ野郎は」

「俺だよ、玉砕した傷心野郎は」

「なんだ、振られたのか。まあ、こんなブサイクを結が好きになるわけがないか」

「てめぇに言われたかねえな」

「ふん。付き合ってないなら用はない。さっさとそこどけ、オレは結と話してるんだ」

「そりゃ、無理な頼みだな」

「は?」


 挑発し合う二人。

 緊迫した空気を、僕ら三人は見守るだけだ。


「てめぇには帰ってもらう。海付さんが迷惑してそうだからよ」

「関係無いだろ? お前には」

「俺らも海付に用があるんだ。ほら、これで無関係じゃなくなったな」

「……いい加減にしろよ、お前!」


 男が一気に距離を詰めた。

 細い腕を伸ばして幸四郎の胸ぐらを掴む。


 赤星が小さな悲鳴を上げた。

 海付は息を呑んで始終を見守っていた。

 僕は「危ない!」と声を上げた。


 それからは一瞬の出来事。


 幸四郎は男の手首を掴むと、それを片手で捻って解き、空いた左手で男の胸ぐらを掴み返してから、背中に担ぐようにしてそのまま綺麗な一本背負いを決めた。


 男にとっては何が起こったかも分かるまい。

 気付いたときには手足を伸ばして仰向けに床に転がされている。

 そんな状況に理解できず、放心状態となっていた。


 海付も赤星も、驚いた表情を浮かべて幸四郎を見詰めていた。


「だから言ったのに、、って」


 それは男に対して放った言葉だったが、まあ、聞かないのも無理はない話だ。

 

「柔道初段、黒帯のやつに接近戦を挑むなんて無謀だよ」

「怪我はさせてねえハズだ。本当は腕の一本でも折ってやりたかったがな」

「柔道家の言葉とは思えないね」

「だから、だろ?」

「さすがです」


 僕は数回拍手を打って、海付たちに向き直る。


「これで、急用はなくなったかな?」


 このまま二人を帰す気はさらさら無い。

 僕も僕で、海付に訊きたいことは山ほどあるのだ。


「ええ、まあ」


 きまり悪く頷く海付。

 その答えに僕は微笑を浮かべる。


「近くの店にでも行こうよ。君には変な奴が付きまとってるみたいだから」

「だったら俺は、こいつを保健室に連れてから合流するわ。こんなとこに置いてても邪魔だしな」


 言いながら、男を俵のように肩に担く幸四郎。

 その光景に、赤星がボソッ、と呟く。


「まるで死体を運んでるみたい」

「教師に訊かれたら熱中症だとでも言っておくさ」


 そう言って、幸四郎は先に学食を出て行った。

 僕らも後を追うように、紙コップを片付けてから学食を後にした。


 一部始終を見ていた生徒たちの視線に、少しばかり気まずさを覚えながら。

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