4.「好きな子に振られるのには慣れてるしな」

 六月であることを忘れるほど、窓の外はよく晴れていた。

 西に傾いた太陽が薄雲の間から廊下に光を注いでいる。

 僕はそんな西日に少し目をしかめながら、海付うみつきゆいの友達の話に耳を傾けた。


「あれは結の本音ではないんです。あなた……えっと」

緒方おがただ。緒方幸四郎こうしろう。こっちは浅久野あさくのまこと


 緒方が二人分の紹介をしてくれると、彼女もハッと何かに気付いたようにして、頬を少し赤らめる。


「すみません、申し遅れました。わたしは赤星あかほし梨子りこといいます」


 ペコ、と下がる頭のお団子を少し眺めて、僕らも同じく会釈を返す。

 頭を上げた赤星は、おへその前で行儀よく手を組んでから話の続きを再開させた。


「結はべつに、緒方くんを嫌っているわけではありません。あの子はああして、異性を拒絶しなければいけないんです。仕方ないことなんですよ」


 要領を得ない説明に、僕も緒方も首を傾げる。


「男性恐怖症、ってこと?」


 憶測のままに言ってみるが、赤星はかぶりを振って否定した。


「病気とかではないんです。もっと複雑な事情があって、わたしもどう説明すればいいのか分からないのですが……」


 三人揃って困った顔になった。

 緒方も太い腕を組んで難しい表情を作っている。勘が鈍いせいか、考えはまったくまとまっていない様子だ。


 僕も眉根を寄せる。

 人のことなど言えないほどに、赤星の言葉を上手く汲み取れそうにはなかった。


「複雑な事情ってのは、話せないことなのか?」


 しびれを切らした緒方が催促する。

 僕も乗っかって赤星の様子を眺めた。

 赤星は、困った顔を崩さないまま、余計に表情を引きつらせる。


「話せない、というわけではないです。結は話したがらないのですが、できれば家族にだけでも打ち明けてほしいと思ってます」

「赤星さんだけしか知らない事情があるんだね」


 僕が言うと、赤星は弱々しく頷く。

 ようやく、彼女の気持ちの一部を汲み取れた気がした。


 僕は海付結の事情とやらに興味を抱いていた。

 他人に話せない隠し事を僕も持っているからだ。

 根拠はなかったが、通じるものはあるように感じた。


 緒方が、不意に僕を見た。

 僕は緒方を一瞥だけして、赤星を見詰めた。


「話してくれない?」


 その言葉に、赤星は少し怯えたような反応をする。


「大丈夫、誰にも言わないから」


 安心させるために言う。

 嘘というわけでもない。


「……信じられないかもしれませんが」


 僕の言葉に効果があったかは知らないが、少しばかり落ち着いた赤星は、そうしてゆっくりと、薄桃色の小さな口を開いた。


「結が好きになった異性は必ず、何らかの不幸に見舞われるんです」

「不幸?」

「そうです。それも、怪我や病ばかりで、中には入院した人もいます」


 赤星が組んだ手に力を込めた。

 その仕草だけでも、彼女が嘘やデタラメを言っているとは思えない。

 しかし、もう少しだけ掘り下げて聞かなければ反応するのもままならない。


 緒方がまたこっちを見たことには気付かないフリをして、質問を投げることにする。


「それは、偶然ではなくて?」


 疑っているつもりはないが、念のため、そう訊いた。

 

 赤星はかぶりを振った。

 そんなことはない、と強く主張するようだった。


「わたしも最初、本人から聞いたときは信じませんでした。偶然だと思いました。過敏になってるだけだって。そしたら、結はわたしに信じさせるために、ある日告白してきた男子の申し出に応えました。すると、結の言う通り、男子は次の日に事故に遭いかけました」


 背筋がゾク、と震えたのが自分でも分かった。

 緒方も腕組みしたまま、少し身を固めているようだ。


「本心から好きじゃなかったから実際に事故に遭わなかったけど、これが本気だったらあの男子はもしかしたら……。結はそれだけ言うと、後を続けようとはしませんでした。わたしも、続きを聞きたいとは思いませんでした。男子のことは直ぐに振って、今は距離を置いて関わらないようにしています。それだけ徹底したあの子の行動を、わたしはもう疑おうなんて思えなくなったんです」


 信用に値する根拠がある。

 話を聞く限り、疑う余地は無さそうだ。


「命、これってさ」


 とうとう、緒方が僕に声をかけてきた。

 僕はそこでやっと顔を見上げて、視線を合わせてやる。


 言いたいことは既に分かっていた。

 同じ境遇だと決め付けるのは早い気もしたが、如何せん緒方も僕も、同じ考えに至っていた。


 ひとつ頷いて、アイコンタクトを取った。

 緒方から視線を外し、再び赤星に向き直った。


 廊下は部活に走ったり帰宅する生徒によって騒々しくなっていたが、そんな騒音など気にならないくらい、僕の意識は目の前のことに集中している。


「海付さんは、いつからそうなったか聞いてる?」


 質問に、赤星は少し考え、


「たしか、中学の頃からだと言っていました。一年の夏だと」


 そう、答えた。


 今度は僕が先に緒方を見る番だった。

 遅れて緒方も僕を見下ろした。


 お互い、目を丸くした。


「何か、きっかけとかあった?」


 立て続けに質問をする。

 予想は確信へと変わりつつある。


 赤星は、急に積極的になった僕に怪訝な表情を浮かべながらも、懸命に応えようとしてくれているみたいだった。


「これも、信じがたい話ですが」


 僕は答えを急かしたい衝動に駆られていた。

 そんな前置きすら煩わしかった。


「中一の冬に、ヘンテコな少女に出会ったらしいんです。それから今の体質になったみたいで」


 この瞬間、海付結は僕にとって、なくてはならない存在となったに違いない。

 同時に、赤星が僕らに会いに来てくれたことにも感謝したいところだ。


 高揚感のような気持ちが浮上する。

 冷たい部屋に暖炉の火が灯ったかのような、希望とも言うべき光が見えた気もする。


 目の前の小さな同級生が、今は神々しく映る。

 これが過度な表現だと僕は微塵も思わない。


 胸の内に湧いた感情に、興奮してしまっていた。

 気付けば、赤星の両肩を掴んで、軽く揺すっていた。


「その子はピンク色のベレー帽を被ってた?」


 早口に問う。

 驚く赤星は、小刻みに何度も頷く。


「結はそう言ってました」

「ピンク色のレインコートと長靴は?」

「……それも、合ってます」


 赤星の怪訝そうな顔つきは一層深まる。

 反して僕は必死の形相で彼女と、動揺する緒方とを交互に見やった。

 自分が思っている以上に興奮してしまっていた。


「あの、どうしてそのことを知っているのですか?」


 当然の質問だ。

 今度は赤星が、信じられないものを見るかのように僕を眺めていた。

 きっと仲間だと気付いている緒方にも、同じ目を向ける。


 僕は我に返り、自ら隠し事をばらした失態にこのときようやく気付く。

 そっと赤星の肩から両手を離して、緒方の様子を窺った。


「ここまで言ったら、誤魔化せねえだろ」


 珍しく呆れた顔でため息をつく緒方とは、まるで日頃の立場が変わったみたいだった。


 観念し、僕は辺りを見渡した。


 ちょうど、村枝むらえだが友達数人と連れ立って教室を出る所だった。

 今絡まれるのは、あまり好ましくないタイミングだ。


「場所、移そう。もっと詳しく話が聞きたいし」


 その提案に、何かを察した様子の赤星はコクン、と頷いてくれる。

 村枝に遭遇しないよう、とりあえず廊下を歩き始めた。


「あの、それでしたら、結も一緒じゃダメですか?」

「彼女の秘密をバラされたこと、怒らないかな」

「わたしが事情を話します。お二人には、迷惑はかけませんから」

「……」

「あの、やっぱり結はいない方がいいですか?」

「あ、いや」


 つい、赤星の顔を見詰めてしまっていた。

 僕は慌てて首を振って見せる。


「赤星さんは、海付さんのことをとても大事にしてるんだな、って思って。他人の為にそこまで動ける人も、なかなかいないと思うし」


 言うやいなや、赤星の顔がトマトのように赤くなった。


「……結は、わたしの恩人ですから」


 ボソッ、と呟かれた声は、辛うじて耳に届くほどに小さい。


 恩人か。

 だとすれば、ここまで必死になれるのも分かるような気がする。


 赤星にとって、海付結はかけがえのない存在であるに違いない。


「最初に言ったこと」

「え?」

「海付さんを好きでいてくれ、って話。まだ彼女のこと、ほとんど知らないからなんとも言えないけど、少なくとも僕も幸四郎も無闇に嫌おうとは思ってないから。それだけは信用してよ」


 な? と隣に振ると、幸四郎は歯を見せて赤星に笑いかける。


「好きな子に振られるのには慣れてるしな」


 冗談にしてはブラックすぎる内容だと思ったが、意外にも赤星のお気に召したようで、クスクスと可愛らしい笑声がその小さな口から漏れていた。


 それは初めて見る彼女の笑顔だった。


「ありがとうございます」


 僕と幸四郎ははにかんで答えた。


 とは言うものの、どうにも昼休みに会った海付結の印象が頭から抜けきれないでいる。


 出会い頭に暴言を吐かれるのは精神的に堪えるものがあった。


 それでも、会うメリットはある。

 海付結が僕の知りたい情報を持っている可能性があるからだ。


 それが、この呪いを解くヒントになるはずだった。

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