3.「彼女を好きでいてくれませんか?」

 衝動的に教室を飛び出したはいいものの、一限目が始まるまでに三分を切った残り時間では黄昏たそがれることもままならなかった緒方おがた幸四郎こうしろうは、とりあえず旧校舎内を一周して教室に戻ろうとしたらしい。


 ちょうど新校舎とを繋ぐ吹きさらしの渡り廊下に差し掛かったとき、件の彼女と遭遇した。

 彼女が後ろから追い越して行く際に肩がぶつかり、振り向きざまに謝罪され、そのときに見えた美貌に見とれてしまった。

 急ぐ彼女は幸四郎の言葉を待たない内に、小走りを再開して新校舎内へと去って行った。


 それが、幸四郎の十六回目の一目惚れだった。


「その子、転校生の海付うみつきゆいでしょ?」


 僕の机の上に座った村枝むらえだが、足をパタパタ振りながら教えてくれる。


「知ってるの?」

「けっこう有名よ。春に美人が転校してきた、ってもっぱらの噂になったくらい」

「初耳だよ」

「うっそ。恋愛どころか女にも興味失くしたの?」


 違うよ、と僕は唇を尖らせて村枝を睨んだ。


 昼休みも残すところ半分を切った教室内には、まったりとした雰囲気が漂っている。

 新校舎から戻った僕らが自席に着くなり、村枝が近寄ってきて二人で何をしてきたのかと好奇心のままに訊ねてきた。

 あるがままを語ると、村枝いわくちょっとした有名人らしいことが判明したところだ。


「お金持ちの子らしいよ。噂では、大手薬品会社の社長令嬢だとか、政治家の娘だとか、父親が元指定暴力団の幹部だとか言われてるけど」

「最後のはどっから湧いた噂だよ」

「友達が友達から聞いた話よ。海付結のことを好きになった男子がいたらしいんだけど、思い切って告白した次の日からしばらく学校を休んだんだって。一週間くらいで復帰したんだけど、もう海付結に近付こうとはしなかったらしいよ」

「友達の友達はその話を誰から聞いたのさ」

「えーっと、友達?」


 つまり他人であるわけで、噂話が風に乗ってやってきただけのようだ。

 信憑性は薄いと思われ、僕は関心を抱けないままだった。


「べつにうちだって信じてるわけじゃないし。噂は噂よ」


 村枝は不満気に頬を膨らますと、僕の隣に視線を移した。


「ところで、緒方はいつまでそうしてるつもり?」


 僕もならって左隣に首を回す。

 緒方の、いつもは逆立ったツーブロックの髪が枯れた雑草のように萎れている。

 両腕を脇に垂らし、額を机に押し付けるようにして突っ伏した姿はまるで死人のように見える。


 海付結に真っ向から拒絶され、意気消沈し、ままならぬ足取りで教室に戻ってからというもの、緒方はずっとこの状態だった。


「立ち直れないんだよ。冷たくあしらわれたから」

「振られるのには慣れてると思ってたけど」


 村枝は半場呆れたようにそう言う。

 幸四郎の猪突猛進さをクラスで知らない人はいない。


「まあ、僕も現場を見てたけど、さすがにあれは凹むかな」

「どういうこと言われたの?」


 幸四郎が海付結に振られたことは先にも説明済みだったが、その詳細はまだ明かしていなかった。明かさなかったのに、特別な理由があったわけではない。

 拒むことでもないので、そう訊ねられて僕は直ぐに、数分前の出来事を思い出しながら答えた。


「気安く好きというな、と、開口一番にそう言われてたよ」

「うわ、マジ?」


 村枝が引いた表情を浮かべた。

 

「それから続けて、私のことを何一つ知らないあなたが私を好きになった根拠は何? とも言われてた」

「緒方の答えは?」

「沈黙だよ。数時間前に一目惚れしただけなんだから、答えられなくて当然だよね。苦し紛れにやっと出した答えが、顔、だったよ」

「あー」


 海付結の反応を何となく予想したらしい村枝は、視線を遠くに移しながら苦い顔をつくる。

 僕も重ねるようにため息を落とした。

 海付結の言葉を思い出しただけで、傍観者の僕でさえ胸が痛くなる。


「見た目で判断したのなら、今さぞかしガッカリしたでしょ? 私がこんな口調の強い女だとは思ってもみなかったって顔してる。でも悪く思わないでね。顔が可愛いってだけで付き合いたいなんて考える人、私はそんなに好きじゃないの。むしろ嫌いなタイプだし、よくもまあずけずけと人のランチタイムを邪魔して告白なんてやれるものよね。段階ってものがあるでしょうし、告白するにしたってもっとTPOをわきまえてほしいものよ。それが顔も名前も知らない赤の他人じゃ尚更思うわ。ナンパ師からワンナイトラブを誘われた方がよっぽど有意義。ひとつ忠告してあげるわね。もしもそんなやり方を他の女性にもやっているのなら、私を最後に自身を改めて人間性を磨きなさい」


 全てを覚えているわけではないが、 記憶してある一部を繋げただけでもこれほどの量の文句を吐かれていた。

今までの振られ方なんて可愛く思えるほどに情もない言葉の嵐だ。

後半、緒方の背中が縮こまって顔を青くしているのが後ろからでも分かった。


「ご愁傷さまね。ほんと、学ばない男よね」


村枝は慈悲の眼差しを緒方に向けてすぐ、眉根を寄せて怪訝な表情を浮かべる。


「でも、その子も何様って感じ。確かに緒方はバカでブサイクでどうしようもない脳筋野郎だけど」

「やめて村枝、幸四郎のライフはもうゼロだから」

「だからって、そんなに言わなくてもいいよね。付き合えません、ごめんなさい、で済む話じゃない。それをわざわざ、マウントを取ってネチネチと殴るマネしてさ。いい気分しないわ」


腕組する村枝は不満を爆発させていた。

それは緒方を庇うと言うよりも、同性としての価値観に共感できない個人的な不満のように見えた。

少なからず僕も同意見ではあったので、とりあえず頷いて共感の意を訴えた。


「ま、これに懲りたら緒方もこれからきちんと考えることね。あー、胸くそ悪い。やめやめ、こんな話してたら気分が暗くなっちゃうわ」


あまりにも理不尽が過ぎる内容に我慢ならなくなったらしく、村枝は机からトン、と降りるとそのまま自席へ帰っていく。

近くの女子グループに混ざり、まったく違う話題に花を咲かせ始めた。


僕も無闇にこんなネタを長引かせるほどのモノ好きではない。

未だに真っ白になった緒方の隣で、腕を枕に顔を伏せて眠ることにする。

 しかし頭の中にずっと彼女の姿がチラつき、なかなか寝付けなかった。

 

 気安く好きって言わないで。


 気軽に好きとは言えない僕にとって、その言葉は嫌にしっくりと心にハマる。

 凹と凸が組み合わさったときのような快感にも似た心情を抱いた。

 共感。そういうものを感じ取っていた。


 放課後になる頃には緒方はすっかり立ち直っていた。

 さすが恐れ知らずの脳筋ゴリラである。

 振られ態勢は誰よりもあるみたいで、僕に寄り道をする提案さえ出してくる回復ぶりだった。


 気晴らしの手伝いくらいはしてやろう。

 僕は緒方の案を呑み込んで、さっそく教室を出ようと席を立つ。


 ところがそのとき、出入り口に立ってこちらの様子を窺う一人の女子生徒を見つけた。

 見つけられた理由は、彼女を数時間前に見たばかりだったからだ。

 確か、海付結と一緒に教室でお昼ご飯を食べていた子である。


 小柄な体躯と特徴的なお団子ヘアはしっかりと記憶に残っていた。


 彼女に手招きされた僕らは、二人して顔を見合わせて怪訝な表情を作りながらも、出入り口へと向かう。

 近くに立つと海付結の友人は遠目に見るよりも低身長で、下手すれば小学生に見間違われるほどの体型をしていた。


「すみません、急に呼び止めてしまって」


 廊下の隅に三人して固まると、彼女はまずそう切り出す。

 海付結とは違い、かなり低姿勢な態度と柔らかい性格をしていた。


「お昼休みは、結が失礼しました」


 次に、緒方に向き直って頭を深々と下げてくる。

 緒方は一瞬だけ目を丸くしたが、すぐに歯を見せて笑みを返した。


「いや、ありゃ俺も悪かった。急だったしな」


 緒方なりに自己反省をしていることに僕はひとり驚く。

 それを続ければこいつの恋愛も少しは上手くいくのだろうが、如何せんゴリラの上に鳥頭なので、きっと明日になれば今の反省も忘れているのだろうとやるせない気持ちになった。


「いえ、完全に結が暴走していました。わたしが止められれば良かったのですが、ああなってしまったら結は口が止まらなくなってしまって……あぁ、言い訳してすみません」

「いや、ほんとにもう気にしなくていい。わざわざ謝りにきてくれただけで十分だ。ありがとうな」


 申し訳なさそうにする彼女の姿を見ていると、こちらの方が逆に申し訳なってくる。

 緒方も同様の気持ちを抱いたらしく、どうにか彼女の頭を上げようと腰を曲げていた。


「ありがとうございます……お優しい人たちで良かった」


 心から安心する仕草をする彼女。

 やっと上げた顔には安堵の表情が浮かんでいる。

 健気で優しい子。僕の中ではすでにそんな印象が定着していた。


「あの、それで、ですね」


 三者三葉にタジタジになっている中、彼女は改めて切り出した。

 謝りにきただけでは無さそうだと、僕は早々に察する。


 どこか頼りない彼女の表情からは曇りが取れた様子はなかった。


「図々しいことを承知で、実はお二人にお願いがあって参りまして……」


 胸の前で指同士を絡める仕草に、よっぽど切り出し難い内容なのだろうかと僕は構える。

 緒方は呑気に、「どうした?」と背中を押していた。

 あまりいいお願いでは無いような気がする。いわゆる嫌な予感を覚えたのは、僕だけのようだ。


「結のことなんですが……」


 彼女は、一度そこでキュッ、と唇を引き締めると、勢いつけて後を続けた。


「これからも、彼女を好きでいてくれませんか?」


懇願するように必死な形相は、どうしてだか僕にも向けられていた。

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