2.「気安く好きって言わないで」

 昼休みは母の手作り弁当で腹を満たすのが僕の常だった。

 食べ盛りの高校生、学校の楽しみのひとつでもあるそのひと時を、隣席のゲジ眉筋肉オバケに邪魔された今日という日を呪いたい。


 コンビニの総菜パンを頬張るゲジ眉筋肉オバケこと緒方おがた幸四郎こうしろうに急かされながら五分で弁当を平らげ連れて行かれた先は、僕が選考した総合学科のある旧校舎とは異なる、床も壁も比較的新しい新校舎。

 その中の進学科のクラスだった。


「ほら、あの子だ。窓辺で弁当食ってる、髪が長い方の」


 廊下から教室内を覗き込みながら幸四郎が指を差す。

 僕は差ほど興味も湧かないままに、渋々従って拝見した。


 いくつか出来上がったグループの内、窓辺の席の女子二人組が仲睦まじくランチを楽しんでいた。

 こちらに背を向ける、体躯の小さなお団子ヘアの女子の向かい、対面する形で同じ机に弁当を広げるロングヘアの女子に注目する。


 お団子ヘアの女子よりも幾分か背が高く肉付きは良いように見えるものの、捲ったシャツから伸びる腕は白く細く、中肉よりもやや痩せ気味。

 ストレートのロングヘアは開けた窓から入る風になびいて、その一本一本が繊細で艶がある。

 たしか『天使の輪』だったか。天井の蛍光灯に照らされた髪には白い輪っかができあがり、いわゆる美髪が完成されている。


 丸く大きな瞳は、笑う度にクシャ、と目尻にしわを作る。

 曲線を描く鼻筋と、控えめな小さな鼻先は少し丸くて可愛らしい。

 唇は淡いピンク色で、口に運んだ卵焼きを美味しそうに咀嚼している。

 物を詰め込み過ぎた頬は膨らみ、まるで小動物のように懸命に顎を動かしていた。


「普通に可愛いね」


 僕は心からの感想を正直に述べた。

 幸四郎は振り向き、三角の目を見開き、輝かせる。


「な? だろ?」


 自分の彼女を褒められたような反応だった。

 ため息がこぼれたのは言うまでもない。


「可愛いよな。同級生にあんな子いたなんて、なぜ一年のときに見つけられなかったのか」

「悔しがらんでも。クラスも選考も、ましてや校舎も違うんだし、知らなくて当然だよ」

「進学科か……縁もゆかりもあったもんじゃない」

「そうそう、バカには遠い世界だね。それじゃ、もう行こうか」


 踵を返そうとする僕だったが、幸四郎の無駄に筋肉質な腕が手首を掴んで離そうとはしなかった。


「待ちたまえ」

「……なに」


 煙たがる視線を全力で向ける。

 幸四郎の握力に早くも指先が痺れかけていた。

 振りほどこうにもゴリラ相手では敵いはしない。


「お前はバカか?」

「脳筋に言われたくないんだけど」

「誰が脳みそ筋肉だ。なんで、俺たちは今、この場所にいると思う」


 一瞬、バカが哲学を語り出したのかと思った。


「幸四郎が好きになった女子を見物しに来たからだよ」

「ノ~!」


 絶対発音は違うだろうけど、それっぽく発したゴリラの英語は聞いていて耳障りだ。

 僕は顔をしかめて見せる。唾が数滴顔に当たって不快感はマックスだった。

 

「とりあえず一目見てくれ、ってお前が言ったんだろ?」


 抗議を唱える。

 記憶を遡れば確かに僕はそれだけ聞いていた。


 好きな人が出来ました。

 そう言いだして、僕はまたいつもの戯言に付き合わされるのだと思った。

 幸四郎はだいたいいつも誰かに一目惚れし、計画もなく猪突猛進に告白して玉砕するといった行為を繰り返していた。


 数打てば当たる戦法、のようなやり方は一度として報われたことはない。

 落ち込む度に慰めるのも、立ち直る度にあしらうのも全て僕の役目だった。


 既に嫌気がさしていた。

 だから今回の話だってまともに聞く気は無かったのだが、けっきょくこうして付き合わされている。


 昼休みを削ってここまで足を運んだだけありがたいことだろうに、こいつはこれ以上の何を求めるつもりなのか。


「言ったが、違う」


 堂々と矛盾したことを言いやがる。


「ここまで来といて声もかけないなんて、あり得ないだろ」


 あり得ないのはお前のその無駄に真っすぐな姿勢だよ。


「ほとんど初対面の相手に呼ばれる彼女の身になってみてよ」

「しかし初対面ではない!」

「初対面も同然だって。会話したわけじゃないんだろ?」

「俺たちは、きっと心で通じ合ってる」


 だめだコイツ、早く何とかしないと。


「なあ、ちょっと真面目に聞いてくれ」


 僕は思いっきり幸四郎の腕を振りほどく。

 しかしがっしりと握った手が僕の手首から離れることはなかった。

 何度か試すが一向に弱まる気配も見せず、諦めることにする。


「お前はいつもそうやって、無計画に突っ走るだろ。それで成功したことはあったか? 一度でも誰かと付き合えた?」

「いや、それは」

「無いよ、一度も。成功率ゼロ! 打率ゼロ! ホームラン宣言しても三振してベンチに帰って来てる! どうしてだか分かる!?」


 幸四郎は太い眉毛を傾け、しばらく考える。

 考えることでもないのに、と僕は苛立った。

 だから、「分からない」と多分そう言おうとしていた幸四郎の言葉を遮って、フライング気味に答える。


「相手のことを何も考えてないからだよ。そういう気持ちにさせる努力をしてない。自分の気持ちだけで告白してるから、誰もお前の気持ちに答えられないの!」

「そういう気持ちに、させる努力……」


 幸四郎が、たじろいでいるのが見て取れる。

 これを機にこいつの考えを変えなければいけないと、僕は不思議な使命感に駆られていた。

 もうひと押しのような気がした。


「そう、努力してない。気持ちを伝えればいいってもんじゃないんだ。そこに行きつくまでのプロセスをもっと考えないと。結果だけじゃなくて、過程をしっかり見詰めるんだよ。いい?」


 幸四郎の目を真っすぐ見詰める。

 しばらく泳いでいた腐れ縁の友人の瞳が、ようやく僕の目を見返してくる。

 意思が通じ合った。

 僕はこのとき、そう確信した。


「そうだな、まことの言う通りだ。すまん、俺が間違っていた」


 幸四郎のごつい手が、やっと僕の手首から離れる。

 血が、指先まで通っていくのが分かる。


「確かに、俺は何も考えてなかったかもしれん。最初から突っ走りすぎた。もっといかないといけないんだな」


 真面目に自己反省をする幸四郎。珍しく物分かりの良いその態度に好感を持つ。

 解放感も相成って、僕は微笑を浮かべて見せた。


「幸四郎……ううん、分かってくれたならそれで良いん」

「だから、今から彼女をデートに誘ってくる」

「……は?」


 呆然となってしまった間に、幸四郎が大腕を振って教室の中にズカズカと入って行ってしまう。

 僕は硬直したまま恐々とその背中を視線で追う。


 意中の彼女の許へ近づいた幸四郎は、野太い声を隠す気もなく、困惑している様子の彼女の前で声を張った。


「好きです! 今度デートしてください!」


 一礼と同時に右手を差し出す、少し古風な申し出。

 教室の中も、外の廊下も、まるで時が止まったかのように静まり返り、空気が張りつめた。


 水が次第に沸騰していくかのように、ざわつきがだんだんと膨らんでいく。

「今の、告白?」。女子の誰かがそう声を落とすと、周りも同様の言葉をヒソヒソと交わし出す。


 件の女子は、誰よりも早く冷静さを取り戻した様子で、座ったまま幸四郎に真っすぐ向き直り、膝の上に行儀よく手を重ね、置く。

 小さな顎を上げて、頭を垂れる幸四郎のつむじを凝視してから、ゆっくりと口を開いた。


「気安く好きって言わないで」


 その表情は、とても凛々しく、涼し気だった。 


 僕は体を動かせないまま、首を落として目頭を指で摘まみ、深い深いため息を吐いた。

 って、そういうことじゃないんだけど。


「十六戦、十六連敗」


 幸四郎の背中に、またひとつ敗戦の傷がついたように思えた。

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