6.「言ったの? 好き、って」

「話は少し梨子りこから聞いたけど。それであなたたち、よく信じたわね」


 海付うみつきゆいは怪訝な表情を崩すことなくそう言った。

 手元のシェイクに刺さったストローを銜え、吸い辛そうにする。

 硬いわね、と一人呟いたのには誰も反応しなかった。


「信じる理由があったんだよ」


 僕も同様にシェイクのストローを吸う。

 確かに初手は硬く飲みづらい。

 チョコ味を頼んだが、嫌に薄いカカオの香りとバニラの混じったよく分からない味が口に広がった。


「やはり、ピンク帽子の女の子のことを知っているのには、わけがあるんですね」


 赤星あかほしも味違いのシェイクを飲みながら言う。

 僕らと違ってその中身はストローの中をスムーズに上り、彼女の口内を冷やしているみたいだ。

 僕は思わず、ストローの太さに違いがないかを確認してしまった。


「まあね。実はそいつを探してるんだけど、これが町中どこにも見当たらなくてさ」


 僕はシェイクを飲むことを早々に諦め、ストローから口を離す。

 海付はまだシェイクと格闘しながらに、僕に向けて目を細めた。


「見つけてどうするのよ」

「僕にかかった呪いを解いてもらおうと思ってね」

「え?」


 目を丸くしたのは赤星だ。

 僕の言葉に耳を疑っているようにも見える。


 反して海付は潤いの乗った唇をへの字に曲げ、僕の様子を窺っている。

 見定められているのだと分かった。


「海付さんに呪いがかけられているんだよね」

「も、ってことは、あなたにも?」


 僕は頷く。


「そのピンク帽子の女の子と出会ってからだよ。中一の頃だった。確か海付さんもそうだよね」

「一緒だわ。私はその日を境に、人を好きになれない体になったの」

「好意を持った異性に不幸を招く……」


 今度は海付が頷く。

 シェイクとの格闘はいつの間にか終わっていた。


「あなたは、どんな呪いがかけられたのかしら」

「君と似たようなものだけど、ちょっと違うかな。僕は」


 不意に逸らした視線の先に、出入り口から入ってきた緒方おがた幸四郎こうしろうを見つけて話を中断する。


 手を上げてやると、幸四郎はすぐに気付いて僕らの席へと合流した。


「なんだ、みんなシェイクだけかよ。俺は腹減ったからハンバーガーでも食うかな」


 言いながら僕の隣席に荷物を置いて、カウンターへと再び向かう。

 客席は埋まっているものの注文客はそれほどの列をなしてはいない。

 ファストフードのマニュアルに則った従業員の接客は、実にスムーズで無駄がなかった。


 通う高校から市電で五駅、自転車で十五分の場所に広がる繁華街。

 アーケード通りには若者向けの店が建ち並び、その途中にあるハンバーガーのファストフード店で僕らは腰を落ち着けていた。

 

 二階建ての一階席、隅っこの四人掛けテーブルからは通りを歩く様々な人達が目に映る。

 大人は皆それぞれ、何かに向かって懸命に足を運んでいるように見える。

 何かに切羽詰まった空気を漂わせ、そこに余裕など一切ない表情ばかりが目についた

 

 楽し気に歩くのは、どれも制服を着た同じ歳くらいの学生ばかりだ。


「あ、ごめん。話の途中だったね」


 僕はしばらく窓外に集中してしまっていた。

 ボーっとする僕を、向かいの二人が不思議そうに眺めていることに遅れて気付く。

 

 海付が、チラと僕が眺めていた方角に視線を配った。そこには、ダブルデート中の学生カップルらしき四人の背中があったに違いない。

 見るだけで何も言うことなく、首を戻した後は僕の話の続きをただ待ってくれていた。


 ズズッ、と赤星がシェイクを飲み干す音を横耳に、僕は海付の視線に応えることにした。


「僕には、この言葉を言えない呪いがかかっているんだ」


 シェイクが乗っていたトレイに敷かれた紙を指差して言う。

 アルバイト募集を促す、笑顔が素敵な六人の従業員の写真が飾られたポスターの、キャッチコピーらしき文字の中にあるその二文字に人差し指を立てる。


『仕事に笑顔を。毎日に好きを』


 二人は指許を覗き込んで、それから僕を見上げた。。

 淡白な表情を貫く海付と、同情するように眉を歪める赤星と、反応はそれぞれだ。


「好き、と言えないのね」


 海付が言い、僕は頷いた。


「……言ったら、どうなるんですか?」

「多分、死ぬ」


 顔面蒼白。

 優しい性格の赤星は、冷静な僕らを差し置いて一人ショックを受けている。

 何かトラブルに遭ったとき、第三者よりも当事者の方が落ち着いているとはよく言うが、今がまさにその状況だった。


「根拠は何?」

「ピンク帽子の女の子から言われた。当然、最初は信じなかったよ。だから一度、死にかけたんだ」

「言ったの? 好き、って」


 赤星の言葉に頷いたタイミングで、トレイを持った幸四郎が席へ戻ってくる。


「いやあ、腹減りすぎて衝動買いしちゃったわ。やばくないかこの量。バーガー二つは食いすぎか?」


 テーブルに置かれたトレイには、種類別のハンバーガーが二つ、Lサイズのポテトが一つ、Lサイズのドリンクに、カップに入ったアイスクリーム。

 

 確かに買い過ぎのように思えるが、正直、今はどうでもいい。

 海付も同感のようで、空気の読めない幸四郎をまるで軽蔑するかのように、ひと睨みする。


「よく食べますね」、と優しい赤星だけが反応してやると、幸四郎は満足そうに笑みを返して食事に集中し始めた。


「言ってしまったんだ。何でもないことに対してだよ。誰かに愛の告白をしたわけでもなく、ただなんとなく、その言葉を口にした。そしたら急に息苦しさを覚えた。胸が痛くて道端に倒れて、意識を失くした。気付いたら公園のベンチに横たわっていて、側にピンク帽子の女の子がいて、だから言ったのに、って言われたんだ」

「死ななかったの?」

「試用期間に免じて今回ばかりは救ってあげる、って女の子に言われたよ。僕もよく分からなかったけど、次にその言葉を言ったらどうなるかくらいは想像できた。以来、一度として口にしない生活を送ってるよ」


 非現実な話だと自分でも思う。

 この会話には現実味がまるでない。

 話しながらに、冷めた自分がいることも確かで、そんな僕の話を真剣に聞く二人の女子はまるで物好きに見える。


 そんな単純な二人ではないことくらい分かっている。

 非現実な話でも、これは今、本当に起こっている現実で、僕らは関与する当事者なのだから。


 海付は関心するように、「ふぅん」と頷くと、その少しつり目の視線を幸四郎へ向ける。


「彼はそのことを知ってるのかしら?」


 幸四郎がすでに二個目のハンバーガーにかぶり付きながら海付を見た。

 物が詰まって喋れない友人に代わり、説明は僕が受け持つ。


「知ってるよ。ていうか、死にかけた僕の側に幸四郎もいたんだ。公園のベンチに運んでくれたのもこいつ。その頃からすでにゴリラだった」

ふぉひはゴリラじゃへえねえ!」

「ごめん、ゴリラ語はまだ習得してないんだ」


 幸四郎は苛立った様子で口の中を急いで空にする。

 太い喉ぼとけが上下に動いた。


「妙な間で俺をイジるなよ」


 まずは僕を指差し、一喝。それから女子二人に向き直る。


「隣で急に苦しむからよ、あのときはかなりテンパったぞ。救急車を呼ぼうとしたら、不意にそのヘンテコな女の子が現れたんだ。うずくまるまことに近付いて何かしてたな。もう大丈夫って言われたからよ、とりあえず近くの公園まで運んで様子を見てたら、本当に目を覚ましたんだ」

「そうなると、僕も事情を話さざるを得なくなった。少女がどこかへ去った後、説明したよ」

「最初はさすがに信じれなかったけどな。こいつに真剣な顔で言われたら、疑えなくなっちまって。今は事実なんだとは思うが、現実味が無いのは否めねえ」


 海付と赤星が一瞬だけお互いを見詰め合った。二人して同じことを考えているのかもしれない。

 女性らしくしなやかに腕を組んで考え込む海付に代わり、先に赤星が口を開く。


「不思議な話ですが、わたしたちには共通点がいくつかありますね」

「共通点?」


 幸四郎がオウム返しに首をひねる。僕も同様に怪訝な顔を向けた。

 赤星もスッキリしない表情だった。


「考えてみてください。浅久野あさくのくんが今の状態になったのは中学一年生の頃です。それは、結がこうなったのと同じ時期になります。それと、ピンク色のベレー帽に同色のレインコートを着た女の子に会っています。こんな奇抜な格好の子が他に二人もいるとは思えませんから、同一人物で間違いないかと思います」


 それは最初から分かっていた。

 だからこそこうして海付と接触しているのだ。


「それなら僕も気付いてるけど」

「それだけじゃありません」

「どういうこと?」


 訊くと、その続きは海付が受け持った。


「初めて少女からそう言われたとき、私も最初は信じなかったわ。だからその後すぐに恋愛したの。ちょっとしたことがきっかけで私は一人の男子を好きになって、告白したわ。めでたく付き合うことになったけれど、その翌日、彼は通り魔に背中から刺された」


 海付は冷静に説明した。その冷静さが奇妙だった。

 好きになった人が傷つけられた話を、そんな飄々とできるものなのだろうか。悲痛な話に違いないのに、それはまるで、隣町で起こった事件を怖いと言う傍観者の言葉に聞こえてしまう。


「私を家まで送った帰り道に、被害に遭ったみたい。病院に駆けつけたとき、その人は救急治療室に入っていたわ。私は一人で待合室にいて、そのときにピンク帽子の女の子が現れたの」


 海付の態度は崩れない。

 僕は話に耳を傾けながらも、彼女の本質を探ろうとした。

 顔を眺めて、仕草を観察して、海付結という女子生徒がどういう人間なのかを考えた。


「少女は私に言ってきたわ。だから言ったでしょ? このままだったら彼は死ぬ。でも試用期間だから今回は特別に救ってあげる、って。気付いたときには彼女はいなくなっていたけれど、言葉通り、彼はなんとか一命を取り留めたわ……下半身不随の後遺症を患いながらね」


 その場の誰もが息を呑んだ。そして静けさに包まれる。

 海付は最後まで説明し終えると、深く息を吐く。ジッと眺めていた僕は、その彼女の仕草に本質を見た気がした。

 

「生き返らせるには、ちょっと不完全だな」


 幸四郎が、静寂を破るように呟いた。腑に落ちない表情を浮かべている。それはこの場の誰もが同じだ。

 元々事情を知っていたらしい赤星は、海付を不安げに眺めていた。落ち着かないのか、視線や肩を揺らしていた。


「これが三つ目の共通点よ」


 相変わらず姿勢を崩さない海付。僕は人知れずため息を吐いて、応えるように頷く。本人が毅然とした態度を取るのなら、僕らが落ち込んでなんかいられないと思った。


「最初の失敗だけ、救ってくれてる」


 あくまで本筋だけを辿るように、僕は発言する。


「妙よね。言ってることも、やってることも、同じなのよ」


 その行動が正解かどうかは分からない。けれど海付が何事も無かったかのように話を続けたことで、間違いではなかったのだと思えた。今は、目の前の問題に集中するべきなのだろう。

 

「ただの偶然だと思う?」

「いいえ。あの少女には底知れぬ何かがあると思う。出現するタイミングもそうだし、計算的というか、まるでそうなることが分かっていたような感じ」

「……試用期間って、何なんでしょうか」


 赤星の言葉に、僕も海付も引っかかったような表情を浮かべた。


「少女には段取りがあったってこと?」

「僕らが最初に失敗することも、ピンクの女の子のプロセスに含まれていた」

「つまり、そうしてでも結と浅久野くんに、自分の身に何が起こっているかを把握させたかった、ってことかな」

「この呪いを僕らにかけたのもその女の子だよ。やってることが、何だか支離滅裂だ」

「だからきっと、それも彼女の計画の内なのよ。呪いをかけて、最初だけ救う。私たちに自覚させることが当時の彼女の目的だった。試用期間っていうのは、そういうことじゃないかしら」

「てことは、僕らに次はない、ってことだね。それに、段階が踏まれてる。女の子には、何かしらの計画があるのかな」


 そこで話が途切れた。三者三葉に僕らは考え込む。

 このグループで持ち合わせた情報でたどり着けるのは、これが限界の域だった。


「なあ、ちょっといいか」


 いつのまにかアイスクリームまで食べ終えた幸四郎が、小さく挙手をした。

 僕らは視線で促す。

 彼の真剣な眼差しに、何か重要な情報が貰えるのではないかとこの場の誰もが期待した。


「その女の子の呼び方、ややこしいから『魔女』って呼ぶことにしないか?」


「……」

「……」

「……」


「すみません、一生黙ります」


 ゴリラに期待した僕らが馬鹿だった。女子二人もそんな風に肩を落とした。


らちが明かないわね。本人に訊くのが一番だけれど」

「僕も探してるけど、一向に見つからないよ」

「でしょうね。私だって四年会ってないし」

「でも、結と浅久野くんが出会えたことは、少なくとも問題の解決につながるとは思います」


 赤星が前向きな発言をする。

 確かに、何も進展していないわけではない。海付と赤星の二人に出会えたことで、情報の幅は広がった。今までよりも活動的になれるのは間違いないことだ。


 こればかりは、幸四郎の猪突猛進さに感謝すべき点かもしれない。海付への告白がなければ、この縁は生まれなかったことだろうし。

 一生に一度あるかないか、彼のバカ真っすぐさが役に立ったのではないかと思う。


「ちょっと梨子、勝手に決め付けないでよ」


 ところが、海付は渋い顔をする。あまり気が乗っていないのが一目で分かる。


「私は協力するなんて一言も言ってないわよ」

「そんな。せっかく同じ境遇の人に出会えたのに」

「べつに私は望んでいないわ」

「元の体に戻れるかもしれないんだよ」

「私がいつ戻りたいって言ったの?」


 赤星が黙り込んだ。言い返さないということは、海付の言葉は本物なのだろう。

 

 これはまた、厄介な問題が浮上したものだと思う。幸四郎に目配せすると、彼もよく分からないと肩をすくめて見せるだけだった。


「あなたたちも、勘違いはしないでね」


 矛先が、僕らに向く。


「今日は、私の知ってる情報を教えただけ。ストーカーを撃退してくれたから、そのお礼のつもりで付き合ったわ。いい、これは今日限りの関わりだから。私をこれ以上は巻き込まないでね」


 整った綺麗な顔つきからは想像もできない強気な発言が飛んでくる。少しだけ戸惑うが、懸命に表情に出さないようにする。

 やはり、海付結には何か裏がありそうだった。その本質は、今はまだ知り得ない。


 僕は返事を後回しにして、とりあえずシェイクを飲んだ。中身はすでにドロドロに溶けてぬるくなっている。

 吸いやすくなっても、薄いカカオとバニラの混ざった微妙な味わいは大して変わらなかった。

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