第7話 対 居酒屋の女
ロッカールームで暫くぼうっとしていると、ブルー端末が震えた。何かと思ったが見る気もせず目を閉じた。
「ブルー、入るぞ!」
「あ?」
完全に気を抜いていて反応に遅れた。扉を勢い良く開け放ったのはヒーロースーツを脱いだ私服姿のレッドと、その後ろに他の三人が同じく私服姿で立っていた。
「……ノック位したらどうなんだよ。マナーだろ」
「すまないな! よし! 飯を食いに行くぞ!」
「は?」
言葉が足りないレッドにアクアが付け加えて説明した。メリルシープとの戦いで俺に助けられたからそのお礼をしたい。そこで飯を奢ろうという話になったらしい。そして誘いに来たと。
「お断りします」
「そうか! 行くぞ!」
「いや、だから」
「何を食いたい? 何でも良いぞ!」
「……何でも良いです」
断りの言葉を無視したレッドに、引き摺られる様に部屋から連れ出された。肩に手を掛けられ逃げるに逃げれない。今までこんなに強引な誘い方は無かった。何故急に……。上松が話した、というよりはさっきの話を聞かれたという方が正しいか。面倒臭そうだ。さっさと済ませて帰ろう。
秘密基地の玄関から外へ出るのは久し振りだ。いつもはロッカールームにある出口へ続く通路を通り外へ出ているから新鮮な気分になった。裏路地を抜けると大通りに出る。そこから近くの喫茶店へと足を運んだ。
アクアとイエローがオープンテラスを希望し、仕方無くオープンテラス席に座った。ウェイターが水を人数分置き終わり注文を取り始めた。レッドはカツカレー、アクアは野菜カレー、グリーンはハンバーグセット、イエローはオムライス、俺はコーヒーを注文した。
「待て待て待て! コーヒーだけか?」
「お腹が減っていないので」
「そうか……」
注文したコーヒーが出て来るまでぼーっと車の流れを見つめる。それでも問い掛けられた時には、返事だけはしていた。
「なぁ
ヒーローの姿をしていない時は別の呼び名を使う事になっている。俺はブルーだから藍原と名乗れと言われた。これは偽名なのだが、他の四人も多分偽名だろう。コーヒーを啜り、読んでいる小説から目を話さずに返事をする。
「なんですか、
「藍原は……その……」
珍しくレッドが言葉尻を濁す。言葉の先にあるのは退職届の事だろう。長くなる前に先に話して帰ろう、そう思い口を開くため小説を閉じた。
「たい」
「だーれだ!」
「……」
言葉を遮られた上に視界も遮られた。この声には聞き覚えがある。居酒屋で会ったあの女だ。
「だーれだ!」
「知りません」
「え……」
「……名前聞いて無い」
「……あれー? そうだった?」
笑いながら手を避けた女は、前に会った時と同じ姿をしていた。ヒーローだけでも厄介なのに、何故こうもタイミング良く現れるのだろうか。ある意味怪人だ。
「まさかこんな所で会うなんて運命を感じるわ。ねぇそう思わない?」
「全く思いませんね」
「あらあら照れちゃって。でも、名前を知らなくても私の事は覚えていてくれたのね。嬉しいなぁ」
女は腕をするりと体に這わせて背後から抱き着いた。背中に当たる温かい胸が嫌に強調され、意識したくなくても意識してしまう。
「あんなに熱い夜だったんだもの、忘れられないわよねぇ。攻めたり……攻められたり」
「攻められた記憶はあっても、攻めた記憶はありませんね」
あの時は殆どこの女に言い負かされた。正論だったから心へより深く突き刺さった。
「あれでも本当は私も結構きてたんだけどね」
「とりあえず離れてくれませんか。胸が当たってます」
「ふふ。わざとよ。興奮した?」
「いえ全く」
「あら……もしかして……」
「言っておきますが違いますからね」
「ふふ、冗談よ」
女は渋々離れ、俺の背後に腕を組んで立っている。何をしているのかと目を向けるが、微笑み返されるだけだった。何が目的で俺に関わってくるのだろう。ヒーロー四人もなんとも言えない表情をしている。
「この人の事は気にしないで下さい」
「そうそう、気にしないで。私はこの子に用があるだけだから」
「え。俺には何もありませんが」
「私にはあるの」
「……用件は何ですか」
「えー……ここで言わせるつもり? 羞恥プレイってやつ?」
「もう嫌だこの人、なんなの」
俺の周りには個性の強い人ばかり寄ってくるのは、ヒーローを辞めたいと言った俺に対する神からの罰か何かだろうか。
「な、なぁ……そのお方は……」
女を見つめたままレッドが顔を赤らめている。気持ちが悪い。その横ではアクアが目を見開いてレッドと女を何度も見ている。イエローは顔が青く、グリーンは何やらいやらしい笑みを浮かべていた。
「この人は……誰でしょうね」
「教えたら付き合ってくれる?」
「何に」
「この前、貴方が途中で帰っちゃったでしょ? やっぱり一人じゃ物足りないのよねぇ」
そう言って女は再び抱き着く。今度は後頭部に胸が当たっている。
(ああ、頭に、温かく柔らかい胸が……)
「また近い内に付き合ってね?」
「わ、分かった、分かったから早く離れてくれ」
「え? どうして?」
「どうしてって……」
「はっ、離れて下さい!!」
突然イエローが声を荒らげた。何故イエローが怒っているのか分からないが、そのおかげで女は更に体を密着させて来た。
落ち着こう。そうだ、草原を思い出せば良い。爽やかな風に青い空に白い雲。小鳥が楽しそうに飛び回っている。大の字になって寝転ぶと後頭部に柔らかな草が当りふかふかで……。だめだ、結局胸が頭から離れない。
「はぁ……もう何でも言う事聞きますからいい加減離れて下さい」
力無く言うと女は素早く離れ、ようやく胸の圧迫から解放された。女は懐から名刺を取り出し四人へ配る。どうやら俺は貰えないらしい。要らないから別に良いのだが。
「
「ええ。宜しくお願いしますね、紅谷さん」
「ええええええ!? どっ、どうして俺の名前を!」
「さっきこの子が貴方を紅谷さんと呼んでいたのを聞いたんです。紅谷さんで宜しいんですよね?」
「はい! 紅谷です! 宜しくお願いします!」
レッドは勢い良く立ち上がり腰を90度曲げて宇佐美という女にお辞儀をした。
「で、あなた方はこの子とどういう関係なの? お友達?」
「いいえ。同じ仕事をしているというだけです」
即座に否定をすると、イエローが悲しそうな表情を浮かべた。友達と言って欲しかったのだろうか。
「へぇ……あ、もう仕事に戻らなきゃ」
やっと解放される。そう思った矢先、宇佐美の言葉に思考が停止した。
「スマホに連絡するから」
「……は?」
「うふふ。じゃあまたね」
子供をあやす様に俺の頭を軽く叩き、停車している黒い車に乗り込んでこの場から去って行った。この子だとか、今のあしらい方だとか、どうも俺を子供扱いしている気がする。
酒を飲んでいた時点で未成年では無い事は分かっているはずだが、宇佐美という女は俺より年上なのだろうか。
「宇佐美……雪乃さん……」
車が去った後もレッドは見続け、それをアクアは青い様な赤い様な何とも言えない顔で見つめている。何故かイエローも同様だった。そしてグリーンは変わらずニヤニヤしている。
「今の宇佐美さんって藍原君のコレ?」
グリーンが小指を立てている。あの女を俺の彼女と勘違いしているのだろうか。
「違う」
「えー否定しなくても良いのに! まぁでも安心したよ。藍原君もやる事やっててさ」
やる事? チラリとイエローを見ると、耳まで真っ赤に染めて顔を手で覆っていた。……ああ、そういう事か。勘違いも甚だしい。
「……
「またまたー! 熱い夜を過ごしたんでしょ? いやー男として羨ましいよ、恋人があんなに綺麗な人だなんてさ」
「言っておくが、俺があの人に会ったのは今日を含めて二回だ」
それを聞いた四人全員が息を飲んだ。
「会ったその日に!?」
「だから違うって言ってんだろ。緑山さんの頭にはそれしか無いのかよ」
溜め息を一つ吐き、財布から千円札を取り出してテーブルに置く。
「じゃあ俺は帰る。お金はここに置いておきますので」
「いやお金は……」
「先輩だとしても奢られるのは嫌なんで」
ヒーローから奢られるのは特に嫌だ。これで打ち解けただとか勘違いされては困る。席を立った時、懐に入れたブルー端末では無い携帯電話が鳴った。画面を見るが知らない番号だ。滅多に鳴ら無い携帯電話の通話ボタンを押して耳に当てた。
「はい」
「これ私のプライベート番号だから」
先程別れた宇佐美の声が聞こえて来た。
「……いや、なんで貴女が俺の番号知っているんですか」
「さっきちょっとね」
「ちょっとじゃないだろ! 何を勝手にやってんだよ!」
「怒らないでよ。聞いても教えてくれないでしょ?」
「当たり前だ!」
「あ……何でも言うこと聞くって言ってたから聞けば教えて貰えたわね」
そう言って宇佐美は笑った。俺が怒っていても全く動じていない。どれだけ図太い神経を持っているのだろうか。
「切ります」
「待って待って! 何て呼べば良いかな? 藍原くん? それとも……」
「好きにして下さい」
「分かったわ。じゃあね、良大くん」
「いやそれはちょっと……切れたし」
好きにしろとは言ったがまさか下の名前で呼ぶとは思わなかった。というか下の名前は誰にも知られて居ないはずなのに、何故あの女にバレているのだろうか。考えても答えは出ず溜め息を吐き、携帯電話を懐へ戻した。
「今のはもしかして宇佐美さんか?」
「ええまぁ」
「そうなのか……」
レッドがもじもじしている。気持ち悪い。言いたい事があるのならはっきりと言えば良いのに。
「なんですか」
「その……宇佐美さんのだな」
「スリーサイズが知りたいなー」
「そうスリーサイズが……って緑山何を言っているんだ!」
横槍を入れるグリーンにレッドが立ち上がってしかる。図星ともとれる行動に、アクアは呆然としている。
「そんな……紅谷さんはあんな女のどこが良いのよ……」
「違うんだよ
イエローは軽蔑するような目をレッドへ向けていた。レッドがここまで必死になるのは、宇佐美のスリーサイズを知りたいというのも本心なのだろう。
「まぁ……スリーサイズが知りたいのなら直接本人に聞いて下さい」
「ちっ違うぞ! 決してスリーサイズが知りたいのでは無いぞ!」
「あはは! 紅谷さん慌てすぎ!」
慌てるレッドを無視し、足早にこの場を去った。コンビニに寄ってサンドイッチを購入して帰宅。ソファーに座り、落ち着いた瞬間に酒が切れている事を思い出したが、わざわざ買いに出る気にはならなかった。食欲が湧かず、テーブルに置いたサンドイッチも手を付けていない。胸がいっぱいだと腹もいっぱいになってしまうらしい。
携帯電話を取り出してアドレス帳を開く。宇佐美はご丁寧に名前や誕生日、血液型を登録していた。あの流れの中でどうやったのか謎だ。もしかしたら何かしらの能力を持つ人物なのかもしれない。そしてその他の欄にはレッドが知りたがっているスリーサイズまで記入している。
「ふぅん……やっぱスタイル良いんだな」
男の性というものは悲しいものだ。何とも言えない悶々とした気持ちのまま一日を過ごした。
憂鬱なヒーロー 寒月シバレ @kangetsu
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