PREDAWN-夜明け前の出港を-

ただの柑橘類

「……さぁ、夜明け前の出港だ」

 私が中学二年生の時、大好きだった祖父が式典中の事故で亡くなった。

 祖父は以前太平洋戦争に参加しており、太平洋戦争当時祖父は中佐だったことを聞いている。

 祖父曰く、第二次戦争当時、川内型軽巡洋艦弐番艦せんだいがたけいじゅんようかんにばんかん神通じんつう』の元乗組員だったらしく、それは大変な惨禍だったらしい。

 しかし、遺憾ながらも日本は敗北。それでも太平洋戦争での功績をたたえられ、祖父は中佐から大佐まで階級を上り詰めた。

 その後、一九五二年に海上自衛隊へと名が変わり、祖父は大佐から一等海佐と階級名が変わり、定年までその役目を全うしている。

 七月某日、祖父が定年退職をしてしばらく経った七十二歳の時、元々勤務していた横須賀基地の式典があり、私は祖父と共に式典へと向かった。

 祖父が向かう理由としては、祖父が部下に『「じんつう」の乗艦イベントがあってですね、元一佐に乗って欲しいと言っているんですよ』と呼ばれたこと、久々に顔を出したいという祖父のわがままの二つであり、私は付き添いのようなものだ。

 それでも、一緒に行こうかと誘ってくれた祖父の顔は優しく、海軍だった頃の強気な面影など微塵も残ってはいなかった。

 しかし、わがままであり頑固強い所は変わっていないようだ。祖母は毎回呆れを切らしていたが、私はその性格が好きだった。

 憧れも抱いていた。いつかこの人のようになりたいと、強く願う日々が続いた。

 祖父が呼ばれた式典の、艦隊を組んでパレードを行っていた時、祖父はじんつうに乗っていた。

 しかし、パレードの最中にとある事故が起こった。

 原因はじんつうの整備不備。かじが利かなくなり、近くにいたきりしま、わかさが衝突。じんつう、きりしまはともに大破、わかさは一番奥にいたため回避し、小破程度で済んだ。

 じんつう、きりしまに乗っていた乗組員は軽症を負ったが、特に酷かったのが幹部クラスの者たちである。当然、元ではあるが私も私の祖父も入っていた。

 こうなるとは、私も祖父も、誰しも思ってもいなかっただろう。

 その後祖父は、救急車に運ばれそのまま死亡した。

 祖父のベッドの近くでわんさか泣いたのを覚えている。火葬されていくのが嫌でいつまでも祖父の近くにいた。

愛海まひろや」

 葬式の後、祖母が私の名前を呼びながら駆け寄ってきた。

「……なした、おばあちゃん」

「これ……おじいちゃんがあんたにって」

 そう言いながらとあるものを渡してきた。

 それは祖父もので、海自になった頃の真新しい一等海佐の飾緒しょくちょだった。

 つけるのが勿体なくて、今は自室の壁に飾ってある。


***


 次の日、海岸のそばにあったベンチに腰掛け、私は何も考えずに青い空を見続けていた。潮風が吹き、磯の匂いが鼻をつく。

 祖父はこの匂いが好きだった。しかし、そう思ったのは私だけだったのかもしれない。

 祖父はいつも言っていた。「磯の匂いを嗅ぐと、どうしてもあの頃を思い出すんだ。でもな、おじいちゃんはそれしかまともな思い出がないんだよ」と。戦争で大海原に出ていた頃の自分を誇らしげに思うと同時に、なぜ自分だけ生き残ってしまったのかと、きっと自分を追い詰めて生きてきたのだろう。

「おい、何してん?」

 突如声をかけられ、私は顔を上げる。私の三メートルほど奥に居たのは、一人の知らない男性だった。

 黒い髪の毛に綺麗な青い瞳を持ち、真っ白な服を着ている上に黒い上着を袖を通さずに羽織るように着て、前のボタンで留めている。

 身長は一七○センチ程だろう。一五○センチ代の私は思わず見上げてしまった。

「ほれ、ハンカチ」

「え、あ……」

 いつの間にか泣いていたのだろう。ありがとう、とも言えずに、私は受け取ってしまう。

 その時に一瞬見えた、『祖父と同じあの錨のボタン』。

「……あ、海自の!」

「ん、知っとんのか。まあ私物やけどな」

 ハンカチで涙を拭いて「……洗濯して返します」と、持ってきていた肩下げ鞄の中に入れる。

「そないなせんでもええのに」

「ここに来たってことは……家、ここの近くですよね」

「いやまぁ、せやけど」

「なら大丈夫だと思います」

 男性は私の右隣に座る。大柄な身体はさながら私の祖父に似ていて、私は少しだけ心苦しくなった。

「ほんで、さっき海自言うてたけど……なんで知っとんの?」

「えっと祖父が海上、父が陸上で。それに、母が昔海自を志望していて、知り合いに元空自の人もいて……」

「あぁ〜自衛隊に囲まれて暮らしてんなぁ。俺と同じやわ」

「へえ、そうなんですね」

 同じ、と言われた限り、この人も父方母方、祖父祖母かが自衛隊なのだろう。

 苦労したんだろうなぁなんて思いながら、私は男性の言葉を待つ。

「まぁ嬢ちゃんが察してるとおり、俺は自衛官や。元やけどな」

「は?」

「今日辞めてきてん。やっとやで」

「え?」

「どないしてん変な声出して?」

 制服を着たまま海岸をウロウロしてるのは逆にすごいと思うのだけれど。

 そんな言葉は飲み込んで、「なんで辞めたんですか?」と質問をしてみる。

「行きたい道に行ける程の資金が貯まったからや」

「し、資金……?」

「せや。クソ上司にギャフンと言わしたったわ」

 その資金を何に使うのかということまでは詳しく聞かなかったが、その一言で何となく察してしまった。

 あぁ、この人はと。自衛隊として働く道を選び、ここまで頑張ってきた人なのだと。

「嬢ちゃんは自衛隊入るん?」

「入ります。海上希望です」

「ほぉ〜、ええ面構えや。女性の枠は最近増えたからなぁ、受かるかも知れへんで?」

「その為に勉強してるんですもん」

 私がそういうと、「ん?」とその男性は訝しげに声を上げる。

「?」

「嬢ちゃん。自衛隊は勉強せえへんでも入れるで?」

「いや、でも心配で」

 以前からずっとイベントや式典に足を運んでいた私は、地方協力本部の担当広報官の方と仲が良く、自衛隊の試験についてある程度のことは把握していた。

 あとは面接と作文次第やな、なんてその人は言っていたけども。

「あぁ〜、念には念をってタイプの子やねんな。うちの娘と同じやな……」

「娘さんおるんですか?」

「ん、おるで。嬢ちゃん今年高校生になったばっかか?」

「いいえ、私まだ中学二年生です」

「はえ、そりゃ失礼やで。じゃあ俺の娘よりもかなり上か」

「娘さんは何歳で?」

「今年一〇になったばかりや。今は俺が土地を持つ択捉の方でプチ提督やっとるで」

 択捉……。確かに提督になれるとは聞いたことがあるけども、まさかそんな所に行っていたとは。

「なぁ嬢ちゃん」

愛海まひろでいいです。汐奏しおかなで愛海まひろです」

「おぉ? あの汐奏一佐の孫さんかい」

「ご存知なんですね」

「同じ基地や。太平洋戦争生き残ったスーパーじいちゃんやんけ、基地のみんなが知っとるわ。やけど亡くなってしもてんやろ? 心中お察しするわ」

 男性のその言葉を聞いて、溢れ出てきた涙をぐっと堪える。

「亡くなりました。横須賀の観艦式の時に」

 どうにか声を出した。

「……あの時、愛海ちゃんの爺さん誘ったの、実は俺やねんやんか」

「えっ」

 衝撃の新事実を聞いてしまい、私は男性の顔を見る。

 酷く辛そうな顔をしていた。それもそうだ、海自に関わらず、自衛隊は一人が責任を負えば全体が責任を負う、いわゆる連帯責任の舞台だから。一人がなにかをしでかせば、次の日にはその出来事は他の総監部まで回っていると、祖父からよく聞いていた。

 辞めたもう一つの理由を知ってしまった気がして、私は「……すみません、変な事聞いて」と謝ってしまった。

「ええねん、俺も辞めたい思ってたしな」

 へらっと笑って、その男性は言う。その顔を見て、私は少しだけ安心した。

「何も出来なかった自分が嫌で、それなら自分から人を助ける仕事がしたい、なんて考えてから……私は海自に行って、祖父のやっていたことをそのまま引き継ごうと決めたんです。無茶な話ではありますけども」

「おぉ、そんなら防大に行った方が早く幹部につけるで?」

 防大。

 防衛大学校のことだろう。学びながらお金が支払われる制度を持つ、幹部クラスの生徒を育てる学校だ。

 しかし、防大は厳しく、難しい。私の領域で行けるかどうかと言えば……、

「それは無理です。勉強サボってる人ですし、なんならうちの祖父が一から頑張ってきた人ですから。私も一から頑張りたいんです」

 祖父は旧海軍に入る前、普通の平凡な北海道の中学校から江田島の海軍兵学校に入り、厳しい訓練を終えてようやく軍人になった苦労者だ。

 それから色々と苦労を重ねたらしく、少佐から中佐、中佐から大佐と年々重ね階級をあげていったと聞いていた。

 その苦労を知っているからこそ、私も自衛官候補生から頑張りたかった。

「せやけども、海自は厳しいで? 泳げなあかんし、船なんて乗ったら閉所恐怖症になる奴もおる。差別はそれほど無いけど、下手したら航空よりも難しいねんで?」

「それでも私は入りたいんです」

 少しだけ声を張る。

 ずっと祖父の背中を追い続けていた私にとって、自衛隊という職業は唯一の希望だった。

 もしこれを失ってしまえば何も無いとまで思っていた。

「……ええ目や」

 そう言い、男性は羽織っていた上着のボタンを外し、私の肩にかけてくる。

 その時に見えた男性の制服姿は、やはり祖父とそっくりな姿で、どうしても重ね合わせて見てしまう。

「あんたなら海自に入れる。あの一佐の孫さんや、その実力も、その意志も、きっと認められる」

 頭を撫でられ、その男性は言う。

 肩についている階級章は、正しく祖父の威厳を引き継ぐ『一等海佐』の階級だった。

「ほな、俺んち来る? 暑いやろ」

「え、いいんですか?」

「別にええで。娘も今日帰ってきてるし」

 ベンチから身体を引き離し、私は彼についていった。傍で車が行き交う狭い道を、男性は私の前で先導して歩いていく。

「あ、俺は海汐敷奏うみしおふそうな。海の汐に敷く奏」

「汐、奏、海が同じじゃないですか」

「あっはっは! ほんまやな!」

 その笑い声につられてクスクスと笑っていると、敷奏さんは「せや、あんさん階級章とか集めとんの?」と質問をしてくる。

「あ、まぁ……はい。父の軍服と制服、階級章は残ってますけども」

「なるほどなぁ……ほんなら、俺もあげよか」

 そう言い、肩章を取って私に渡してくる。

「え、いいんですか? この上着だって、敷奏さんの大事なものでは……」

「ええねんええねん、俺もう自衛官じゃあらへんし。それに、その階級章と上着は俺よりも愛海ちゃんが持っていた方が良く似合うやろし」

「あ、ありがとうございます…」

 深々と頭を下げると「そんなかしこまらんくてええねん、硬っ苦しいなぁ」と笑いながら言われる。

 そうして着いたのは、私の家からさほど離れてもいないごく普通の一軒家だった。

 マンション住みの私にとって、一軒家に来ることなど滅多にないことだった。

 よく娘さんが遊びに来て、どこか行ったり、日向ぼっこをしていたりしたそう。

 家に入ると、まだ幼い顔つきをした女の子が駆け寄ってきて「お父さんおかえり! その人はお父さんの連れ子?」ととんでもない発言をし始めた。

「連れ子ちゃう! 何言うてんお前!?」

「あなた〜、聞こえてますよ……?」

 一瞬不穏な空気になったかと思えば、私に気づいたのかすぐにニコッと笑い「いらっしゃい、連れ子じゃないのは分かってるわよ〜? 暑いでしょ、ほら上がって上がって」と手招きをしてくれた。

 あたたかい家庭。雰囲気がそう語っているようで、家族と上手くいっていない私は心做しか胸が締め付けられた。

「お姉さんどこの人?」

「私? 北海道だけど」

「あー、だから色白なんだ! 絶対モテるよ!」

「何言うてん柚娜ゆずな、美人さんなんやからそうに決まっとるやないかい」

「愛海ちゃんは可愛いわねぇ、まん丸なお顔に整った顔立ち……後でスケッチしてもいいかしら?」

「? はい、私で良ければ」

 敷奏さんの奥さんはデザイナーだそうで、なるほど納得。

「お姉さんは海上自衛官になるの?」

 ふと柚娜ちゃんからそんな質問が投げかけられ、私は返答に困ってしまう。言葉を選ぼうとあわあわしていると、敷奏さんと目が合った。

「……うん、入るよ。絶対にね」

「ほんとー!? じゃあね、柚娜にお船のこと教えて欲しいなー!」

「うん、約束ね」

 そうして指切りを交わした小指は、しばらく切れることは無かった。


 ***


 とある日の五時半頃。

「あら、愛海ちゃん。その階級章古くない? 変えていないの?」

 場所は艦橋かんきょう。二等海佐の垂井逢鈴たるいあぐりが、艦長席に座り、右隣にある書類を眺めている私に声をかけてくる。

「どうして新しいのを使わないの? 勿体ない……」

「あーっと、なんて説明したらいいんだか」

 私は書類から逢鈴に視線を移すと、困り果てた様子で頭に手を置く。

「それとも、誰かからいただいたもの?」

「ん、うん。そうよ」

 椅子から立ち上がり、私は呟く。

「……気が遠くなるほど昔、私にこの道を与えてくれた、私が大好きだった人の物なの」

 笑顔で言った私に、「……愛海ちゃんらしいわ」と逢鈴は呆れ顔で言う。

「んなっ、逢鈴だってお姉さんの夢だった場所にいる癖にぃ」

「あっそれは禁句よ!」

 顔を見合わせて、私達二人は笑っていた。

「艦長、副長、そろそろお時間ですよ……って何やってるんですか」

 三等海佐の葵田三葉あおいだみつばが、艦橋のハッチを開けて入ってくる。

「じゃれあっててん」

「そんなことしてる場合じゃないですよ! ほら、もうすぐ出港なんですから!」

「へーへー、分かってる分かってる」

「愛海ちゃんってば、もう」

 笑い混じりに呼んだ逢鈴の言葉を背に、私は頬杖をついて呟く。

「いやしかし、まさかこんなことになるなんてねえ」

 私が乗っているのは、ひうち型多用途支援艦一番艦「ひうち」。極小さな支援艦ではあるが、ここ最近は巡視に駆り出されたり片っ端から防火訓練支援に参加したりと大忙しな艦でもある。

「いいじゃない。愛海ちゃん、今は彼氏いないんでしょ?」

「そういう逢鈴は旦那さんいるくせに」

「なんの事やら」

 窓から見えるのは、朝日が登りつつある水平線。

「さて……」

 曳船舫を取ったことを確認し、住吉が「ラッパ用意」と言葉を発する。

「艦長、出港します」

 住吉が私に向けて言う。

「了解。今日は風吹いてないね! いい旅になりそうだ!」

 うきうきした様子で私が言うと、信号員がラッパを吹奏する。今日の吹奏は下手くそだ。緊張しすぎて音が硬い……。

 しかし、その音は潮風に乗られ、淡く儚く消えていく。それは悲しい気持ちを有する物ではなく、どこか、誰かに勇気を貰えるような、そんな音。

「出港よぉーいっ!!!!」

 マイクへ向けて、電子整備員が出港用意を呈する。

 下にいる作業員が手先信号で「一番離せ」と指示をする。最後の舫が離れた。

「両舷後進微速!」

「ヨーソロー」

 住吉は声をあげ、じんつうはゆっくりと進んでいく。

「……さぁ、夜明け前の出港だ」

 午前五時五十二分。

 艦長席の背もたれには、黒い上着と、古びた一等海佐の飾緒がかけられていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

PREDAWN-夜明け前の出港を- ただの柑橘類 @Parsleywako

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ