授業で書いたエッセイ

のん/禾森 硝子

ショートケーキ・デルタ

ショートケーキ・デルタ

                                  禾森 硝子

 鴨川デルタの先端に、ショートケーキが屹立していた。

 日付もちゃんと覚えている。三月二十二日のことだ。引っ越してきてちょうど二週間が経つ頃だった。京都は日常とはほど遠い場所のような気がしていたのだけれど、こうして越してきてしまうと案外、暮らしていけてしまうものだなぁなんて思い始めていたあたり。けれど、スーパーやコンビニといった日常に安心したり、油断したりなんかしてはいけないのだ。この街は妖しい事物で溢れている。

 ぼくはしかし、そういう妖しいものが大好物なのだった。じゃなきゃわざわざ栃木くんだりから京都まで来て芸大生をやろうとは思わない。なのでその時もふらふらと、その謎の巨大ショートケーキに引き寄せられてしまったわけだ。1m×1mくらいはある、大きなハリボテのショートケーキ。さらに、遠くから見たときは気づけなかったけれど、その近くにはゴザが敷いてあって、どういう繋がりなのかわからない人たちが座っている。一番幼いのは小学生の男の子。他は大人。

「あの、これ、なんですか? なんでショートケーキ?」

 聞くと、みんなが口々に答えてくれる。

「三角の上に三角置いてみたんです」「前に作って、壊しちゃうのももったいないし」「写真とか良ければどうぞ撮って」「皆元々知らない人でね」「炭酸せんべい食べますか?」「ピクニックしてるんですよ」

 なるほど、と思わずつぶやいた。流石は京都、はるか昔から都だった場所。田舎だと、逆に他人との交流というのは無くなってくる。あそこは広すぎるくせして関係は変に密すぎるから。ここは、寛容だ。ショートケーキの裏側で、ピクニックをしながらそんなことを考えた。ある種無関心なおおらかさがある。こうして見も知らぬ人たちが集まって、楽しい時間を過ごせることが、ぼくには眩しいくらい素敵なことに思えるのだ。しばらくここに住んでいても、そういう根底が全く違うような、ひどく遠い場所にあるような感覚に襲われる。

だけど、ふと視線を上げればそこには地元と同じように大きく山がそびえていて、『私たち』が」共通で知っている、畏怖とでも言うべきものがあった。山肌を伝ってゆるりゆるりと降りてくる畏怖の欠片は生活の息遣いと混ざり合い、ごちゃごちゃして、清廉で、いたるところに秘密を隠したような絢爛さを持った魑魅魍魎の街を作る。そんな想像は愉快で愉快で、この先四年が恐ろしく楽しみになった。秘密。つまりは物語だ。街は、その風景は、そこにあるものは、然るべきときまで自分の抱く物語をぼくらに明かしてくれやしない。きっと彼女たちは知っているのだ。人は謎に寄ってくることを——ちょうどぼくが、このケーキに惹きつけられてやってきたように。

 おせんべいご馳走さまでした、とピクニックの人たちに告げて、ぼくはまた自転車にまたがった。街の中を走っていく。コートの裾に風を孕ませ、ぼくも秘密の一部になるのだ。

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