アルヴィース家の当主Ⅵ


 その一言だけで、カティエが吹っ飛んでいった。


「くはっ――!?」


 地下の壁に背中から激突したカティエが苦しげな声を上げる。


 僕はゆっくりと立ち上がる。

 胸から流れ出す血は止まっていた。

 僕の空白の胸中で、黒い魔力が胎動していた。それはドクン、と心臓のように力強く脈打ち、僕の全身に血を――魔力を巡らせる。


 顔を上げる。


 こちらを見るカティエの目が――大きく開かれた。


 一歩一歩、僕はカティエの元へ近づく。

 カティエは壁伝いに後ずさりしながら、なぜか妙に怯えきった顔で僕を見ていた。腰でも抜けたのか、震えていて、弱々しい姿だった。


「そ、そ、そんなっ……まさか、もうっ!? そ、そんなのありえないです! 今さっきのことで! もう! もう! 『王』の力が目覚めてるなんて!」


 カティエが何を言ってるのかよくわからない。

 いや、そんなことはどうでもいいんだ。

 僕はただ、この絶望に身を任せるだけだ。

 この胸の奥にある絶望を、吐き出すだけだ。



 ――でしたらお呼びください



 胸の奥からまた“声”が聞こえた。

 綺麗な女性の声。

 甘くささやくように、僕を誘う。



 ――私が貴方様の絶望を体現します。さぁ、私の名を呼んでください――



 その声に導かれるまま、僕は口を開いた。



「――来い。『絶望の夜魔エリザベート』」



魔力灯カンテラ』に照らされた僕の影から――ドロドロとした黒いものが溢れ出して僕の前で蠢く。

 黒いモノは次第に人の形となり、気付いたとき、目の前に一人の女性が立っていた。

 女性は恭しくドレスの裾をつまむ。


「お呼びいただき光栄です。我が王」


 漆黒だ。

 黒い髪、黒いリボン、黒いドレス、黒い靴、闇そのもののような漆黒が彼女を作り上げている。だからこそ、その血のように赤い瞳や白い肌が異様なほど際立っていた。彼女の纏う魔力は、誰よりも気高いオーラを放っている。その魔力は黒い糸状に変化し、しゅるしゅると彼女の周囲で浮かび上がる。

 漆黒の女は僕に向かって頭を垂れた。


「王の目覚めを心より祝福致します」

「……王?」

「はい、リゼル様。アルヴィースの家宝――『アウロラの魔眼』はあの鏡そのものではなく、鏡に宿ったアルヴィースの魂の記憶です。鏡を覗いたとき、その“記憶”が新たな当主の器を判別する。そしてリゼル様は、見事に我らの王となられたのです」

「……王とは何が出来る」

「我ら十二のアルヴィースの夜魔をどのようにもお使いいただけます。ご自由にご命令ください」

「お前も夜魔なのか」

「はい」

「死ねと言えば死ぬのか」

「はい」

「そうか。なら――」


 ずぶ、と漆黒の女の腹部が貫かれた。

 長い爪が、彼女の腹部を引き裂いていた。


「ふ、ふふっ、うふふふ!」


 カティエが笑った。

 漆黒の女の背後にいたカティエが、笑っていた。


「絶望の夜魔を殺した! あのアルヴィースの夜魔をっ! この私が殺した! 例え既に王の力に目覚めていても! 今ここで当主さえ殺せばアルヴィースの血は途絶える! そうすれば私たち夜魔の勝ちだ! うふ! ふふふふふふふ!」


 漆黒の女はまるで動じない。

 カティエの存在を知らないように、己の傷に気付かないように。

 涼しい顔で、ただ僕のことを見つめていた。

 待ち望んでいる。

 僕の口から出る命令を。


 だから僕は言った。



「そいつを殺せ、エリザベート」



はい、我が魔王イエス・マスター



 漆黒の女――エリザベートの強い魔力が溢れ出し、糸状と化したそれがキュルキュルと彼女の身体を覆い、裂かれた腹部を修復する。


「――っ!?」


 カティエの顔が歪む。

 いつの間にか、カティエの全身も黒い糸によって縛られていた。カティエは必死に逃げようと試みるが、強く締め付けられて苦しげな悲鳴を上げる。


 そして。


「さようなら、誘惑の夜魔」


 エリザベートが人差し指を引く。

 次の瞬間――カティエの身体は二つに分かれた。

 上半身だけになったカティエは、震えた声で言った。


「…………化け物……」


 エリザベートは何も答えず僕の方に向き直る。

 そして、僕の前で膝をついた。


「リゼル様。我ら『アルヴィースの夜魔』は常に貴方様のおそばにおります。何なりとご命令ください」


 また僕の目が熱くなる。

 カティエが割った鏡の破片に、自分の目が映った。


 ――アルヴィースの紋章。


 僕の右目に、光るアルヴィースの紋章が刻まれていた。それはあの棺に刻まれていたものと同じ。魔力の輝きを放っている。


 エリザベートが言う。


「その瞳こそがアルヴィースの家宝、『アウロラの魔眼』。夜魔たちを統べる王の力。歴代の当主の誰もが持てあまし、とうとう使いこなすことが出来なかった『王』の力です。ですが、リゼル様は既にその眼を支配されている。それはつまり、私たちアルヴィースの夜魔の王であるという証拠。私たちは、貴方のために存在します」


『魔力灯』の灯りで揺れる僕の影から、さらに十一人の影が浮かび上がる。


 ――夜魔。


 そうか。


 こいつらも、全員、夜魔か。


 敵か。


 滅ぼすべき敵か。


「僕のために存在すると言ったな」

「はい」

「ここで全員死ぬことも出来るな」

「はい」

「ならば命令する。今すぐここで死――」


 そう命令を告げようとしたとき。


 僕の耳に――彼女の声が聞こえた。



「…………リゼル、さま……」



 そちらを見る。

 彼女の下半身は、既に黒い靄となって消えていた。

 何度も見た笑顔だ。

 忘れるはずなかった。

 よろよろと、そちらへ歩み寄る。

 崩れるように膝をついた。

 消え始めている彼女は、そっと僕に手を伸ばした。


 僕は――その手を、掴んでいた。


「ごめん……なさ、い…………。もう、わたしは………………おそば、に……」

「……アミ、カ?」

「リゼ……ル、さま…………ど、……か…………やさし…………あな……まま………………みら……に……しゅく、ふく……が…………」


 彼女の手が靄になって消えた。

 ざわざわと波打つ激しい悲しみが、絶望だけに塗りつぶされた僕の心を呼び起こした。


「…………アミカ、アミカ! アミカッ!!」


 彼女は笑っていた。

 涙をこぼしながら、笑ってくれた。


「あいして……います……。りぜる、さ………………――――」


 アミカは消えた。

 黒い塵となって、この世界から消えた。

 僕の手に残ったのは、ただの塵だけだった。


 エリザベートが淡々と告げる。


「『誘惑の夜魔』は人の意識を乗っ取ります。その召使いの娘は、おそらくリゼル様に最も近い存在として、リゼル様に近づくための憑依体いけにえとして選ばれたのでしょう。夜魔の魂が先に消滅したことで、最期のわずかな時間に自身の魂を取り戻したのだと考えられます」

「…………そう、か」


 ポタポタと、涙が落ちてきた。


「アミカ…………アミカは…………やっぱり……」


 僕は泣いていた。

 悲しむことが出来ていた。

 絶望に飲み込まれた僕を、アミカが、救ってくれた。父上と母上と、ミリアの笑顔を思い出させてくれた。人であることを放棄しようとした僕の心を、つなぎ止めてくれた。


 エリザベートは、何も言わずじっと僕を見つめていた。


 僕は立ち上がる。

 涙を拭って、言った。


「……エリザベート」

「はい」

「お前たちの力があれば、この世界の夜魔を滅ぼすことが出来るのか」

「はい。リゼル様がそうお望みならば」

「わかった。なら、お前たちはまだ死ななくていい」


 僕の影に映っていた十一人のシルエットが、ゆっくりと僕の影に戻っていく。

 呼吸を整える。


「屋敷に戻る」

「はい、我が王」


 そのまま僕はエリザベートの共に地下を出て、屋敷へと戻った――。



 アルヴィースの屋敷は既に火の海と化していたが、エリザベートが黒い糸の檻で僕を守った。


 外に出る。

 

 太陽が、山の向こうで夜明けを叫んでいた。

 闇は消えていき、空が明るさを取り戻していく。

 そんな夜と朝の境目で、アルヴィースの屋敷は周囲の森と共に轟々と火柱を上げていた。

 燃えさかる紅蓮を見つめながら、僕は父上が最期に言ったこと思いだした。



 ――『たのむ…………りぜる……。おまえなら…………きっと……やみに…………うちかて……………………』



“闇に打ち勝てる”。

 きっとそう言いたかったのだろう。

 それが何を意味しているのか、今はまだわからない。

 けど僕は――俺は決めた。

 アルヴィース家の当主として、この王の力を使って、生きることを。

 俺に残された道は、それしかないのだから。


「エリザベート」

「はい」

「この世すべての夜魔を殺す。そのためにお前の、お前たちの力を使う。それまでは死ぬな」

「はい」

「アルヴィース家の最後の当主――『リゼル・ガウ・リッヒ・アルヴィース』として命じる。すべての夜魔を殺し尽くしたとき、最期にお前たちも死ね」

「はい」


 燃えさかる屋敷を背に、歩き出す。

 激しい炎に照らされたエリザベートの影が、スカートの裾をつまんでいた。



「最期のときまでお仕え致します。すべては、我が王のために――」



 エリザベートが僕の影に戻っていく。



 こうしてすべてを失った僕は――。

 悪魔の力を手に入れた俺は――。



 世界中の夜魔を殺すための、復讐の旅に出た。

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アウロラの魔王 ~12の夜魔を統べる『魔眼』を持つ、最強の王~ 灯色ひろ @hiro_hiiro

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