第15話 生きる目的
「市ヶ谷さん、もし良かったら……
その……
なぜ睡眠薬を飲んだかお話を聞かせていただけませんか?」
「わかりました」
市ヶ谷さんはそう言いつつも少し苦しそうな顔をして、膝に顔が付くくらいまで背中を丸めて話し始めた。
「生きているのが嫌になったんです」
まあ、そう睡眠薬を大量に飲む時点でそうだろう。どうしてそうなるに至ったのかを私は知りたいのだ。私は理由を知りたい欲求に急かされてしまい人として、医者としてあるまじき思考だったことを瞬時に反省した。そんなことを知る由もなく市ヶ谷さんは話を続けていた。
「私はなぜ生きていなければいけないのかと思うのです。
生きる目的が何か一つでもあれば生きていなければいけないです。それを奪おうとは思いません。でも生きる目的がないのに生きていなければ、生きているのは、酷だと思うのです」
少しずつ市ヶ谷さんの感情が言葉に混じってくる中、矢継ぎ早に言葉を発していく。
「生きているけど死んでいるのと同じような人がたくさんいるのに、なぜか彼ら、彼女らは生きる目的を探さない!
どうして生きている人を殺す!
どうして生きている人を平気で傷つける!
なぜ人は動物を殺すのに、自分は殺されたくないと思う!
命ってなんですか!
息をして、ご飯を食べて、寝ているのが生きているっていうことなんですか!」
次第にヒートアップして興奮状態になっている市ヶ谷さんをただ見ていることしかできなかった。
「はぁ…… はぁ……」
まだ落ち着きを取り戻していないので、私はまだ様子を伺っていた。
隣にいる生野さんも市ヶ谷さんの大きな声に反応し、市ヶ谷さんを落ち着かせるように、いつもの優しい口調で話しかけた。
「市ヶ谷さんと申しましたね。私は生野と申します」
「生野さん…… 申し訳ありません。つい興奮してしまい大きな声を出してしまいました」
「いいんですよ。私も同じようなことを経験しましたから。私は時代が時代でしたから自分が生き残るためとはいえ、人を殺した立場にあります。それまで私は今まで生きるということに真面目に向き合ってこなかった。ですが、戦地で人を殺し、いつ殺されるかわからない状況で、ようやく生きる目的を見つけることができました」
「それは何ですか?」
私と市ヶ谷さんはほぼ同時に聞き返した。
「私の場合は、赤橋が守ってくれたこの命を大事にし、人の役に立つことをする。
とりわけ自分が大切にしたいもの、赤橋が大切にしていたものは何に変えても大切にすることを生きる目的にすることでした。
私には自分の命の他に、赤橋の命も背負っている。だから私は赤橋に恥じない生き方をしようと心がけた。
まあ、これは時代背景があるからそう思うようになったのだと思っている。今の時代だったら私は今の私の生きる目的を持てるかはわからない。むしろ持てないと思うことの方が大きい。それくらい今の世の中は生と死の境目を意識するような環境ではなくなっているからだ」
「確かにそうですね。私はたまたま医者として生死の境目を身近に感じていますが、あくまでこれは他人のもの。自分の生死の境目には立ったことがありません」
「逆にいえば、それが生きている証拠でもあるのだよ。ただな、多くの人はそれが生きていることの証拠だというのをわかっていない。なぜ生きている実感がないのかというと私は死を意識したことがないからだと思っているよ。だからそれを意識するために動物を殺したり人を殺したりする衝動に駆られる。ではなぜ自分を殺さないかというと生きている証拠に出会いたくないからなんだよ」
「それはどういうことなのですか?」
市ヶ谷さんは少し戸惑い気味に生野さんに聞いた。
「彼ら、彼女らは生に対して執着をしているようでしていない。要は、生も死も曖昧なままなのだ。
だから他の生き物を使って生に対しての執着を確かめているに過ぎない。決して死を見たい、感じたいという感情だけではないものがあるのだと思うよ」
私は生野さんの口から発せられる言葉が、あの日のことからずっと考えている疑問の答えに少し近づいているように感じた。
「だが、そのために人に危害を与えたり、命を奪うことはしていけないがね。そういう感情は中毒のように頭の中に残る。そしてどんどん行為がエスカレートしていき、頻度も多くなる。快楽的になって行くのだよ。そして何も感じなくなる。私も経験したことだからはっきり言える。連続殺人鬼がいい例だ。だから制御する必要性があるし、静止させる人間が必要なのだ。放っておくと絶対に止まらないからな」
「戦地でそれを経験している生野さんにとっては赤橋さんですか?」
「そうだよ、四条さん。だから心が壊れずに済んだ。だが昔も今も戦争でも同じような境遇をした人たちはいるが、心に病を抱えてしまった人は大勢いる。その違いはよくわからない。戦争の仕方や武器が変わってしまったことも要因の一つだと思っている」
「人間は個体だと肉体的にも精神的にも弱い部分が多いですからね」
「ああ、だから集団でいることを昔から続けているし、これからもそうだろう。それゆえに集団の恐ろしさも続いていくだろうよ。攻撃的な例だが集団になれば何でもできるという勘違いから大きなことをやろうとする。そして歯止めもそれに比例して効かなくなる。歯止めをするにはそれ以上のことをしなければいけなくなる。反対にパニックになることもあるな。これも同じように歯止めが聞かなくなり、周りに伝染する。そうなると周りが見えなくなり攻撃的になったり、自分の殻に閉じこもってしまう」
「人は攻撃的にも悲観的にもなりうるということですね」
「ああ、多くの人は正常な状態で生きているという定義をするが、実際にはこういった状態も生きているということに目を向けようとしない。むしろ避けたがる。
病気もそうだ。病気になった原因は生きている状態を自覚しないで好きなものだけを食べたり、寝不足だったり、本来の人間のリズムと食生活を忘れてしまったから起きてしまう。
さらに言えば、自分が本当に心から望む行動をしていないと病気になりやすい。これは生きるという目的を思い出させるためのものだと余命宣告されて、闘病のための入院している間、色々な人と話してわかるようになった」
「普段の生活が病気になりやすいというのは理解できます。でも心から望む行動をとっていないと病気になりやすいとはどういうことですか?」
私は医師として興味が湧いていた。普段、容態観察で担当した患者さんに話を聞くことがあるが、私生活までには踏み込んでいない。全員が全員話すわけではないし、話さない人の方が多い。だから上辺だけというと語弊があるが、表面的な質問などに限定しがちだ。
もしかしたら生野さんの話を聞くことで、病気を根本的に捉えることができるかもしれない。私は少し期待しながら聞くことにした。
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